鳳来山 [2007年08月01日(水)]
夜勤明けの本日朝帰宅した
母がおもむろに鳳来山に行きたいという
母が行っているボランティア活動の
日帰り旅行をここに決めたようで
その下見をしたいとか…
夜勤明け、焼きそばパン1個食べて
片道130km走破させていただきました
さらに駐車場から鳳来寺東照宮まで山登り
☆★解説★☆
松平広忠のもとに嫁いだ「於大の方」は、広忠とともに鳳来寺にお参りして男子誕生を願ったと伝えられる。
願い叶って、天文11年(1542年)12月26日、「於大の方」は岡崎城内で男子を生んだ。竹千代こと後の徳川家康である。
後に、鳳来寺には報恩のため、3代将軍家光によって東照宮の建築が命じられる。この鳳来寺東照宮は日光東照宮、久能山東照宮と並んで日本3大東照宮の一つといわれる。
徹夜明け焼きそばパン1個でする所業ではないですね
道中設楽ヶ原を通るわけでして
歴史好きにはわかる
設楽ヶ原(長篠)の合戦が織田・徳川連合軍VS武田勝頼軍で繰り広げられ、今日鉄砲の3段撃ちで有名になった地です
又、長篠城は鳥居強右衛門の貼り付けの話でも有名な地です
当時武田家山家三方衆として使えていた奥平氏がお家を残す為、肉親で武田、徳川に分離し、徳川方についた奥平が篭る長篠城を武田家が包囲する
食料も尽き、討ち死にするか援軍を待つかが争点となったとき、泳ぎ達者な鳥居強右衛門が城の下に流れる豊川に夜陰に紛れ潜り武田家の包囲を突破し、家康の元に援軍の有無も確認に行く
家康は休んでから帰城するよう進めるが、城内では兵糧もない城兵が篭城している
自分だけ休んで食に在りつくのを由とせず城内に援軍の報を一刻も早く伝えようと城に向かう
ところが帰り際に武田家に不審者として捕縛されてしまう
武田は強右衛門を高禄で召抱えることを条件に、城内の兵卒に援軍は来ないと叫ばせ、士気を下げ降伏策をとる
強右衛門はこれを承諾し磔台し縛られ川の対岸から城内に見せ絞められる
約束では「援軍はこない」と叫ぶはずだった
しかし、「まもなく援軍到着!もう一辛抱ぞ!」と叫ぶ
慌てた武田軍は強右衛門を射殺
強右衛門は己の命と引き換えに城兵を守った
この後、城を守りきった奥平
武田家は長篠城を落とせぬまま
設楽ヶ原に布陣した織田・徳川連合軍と対峙することとなる
強右衛門の命を賭しての忠義に感動し描かれた、磔にされている強右衛門の姿の絵が現存している
強右衛門の子孫は、強右衛門の通称を代々受け継ぎ奥平氏の支流・忍藩松平家を興すに至り、強右衛門の子を家臣に貰い受けている。13代強右衛門商次がこの家中で家老となっているなど、厚遇された
母がおもむろに鳳来山に行きたいという
母が行っているボランティア活動の
日帰り旅行をここに決めたようで
その下見をしたいとか…
夜勤明け、焼きそばパン1個食べて
片道130km走破させていただきました
さらに駐車場から鳳来寺東照宮まで山登り
☆★解説★☆
松平広忠のもとに嫁いだ「於大の方」は、広忠とともに鳳来寺にお参りして男子誕生を願ったと伝えられる。
願い叶って、天文11年(1542年)12月26日、「於大の方」は岡崎城内で男子を生んだ。竹千代こと後の徳川家康である。
後に、鳳来寺には報恩のため、3代将軍家光によって東照宮の建築が命じられる。この鳳来寺東照宮は日光東照宮、久能山東照宮と並んで日本3大東照宮の一つといわれる。
徹夜明け焼きそばパン1個でする所業ではないですね
道中設楽ヶ原を通るわけでして
歴史好きにはわかる
設楽ヶ原(長篠)の合戦が織田・徳川連合軍VS武田勝頼軍で繰り広げられ、今日鉄砲の3段撃ちで有名になった地です
又、長篠城は鳥居強右衛門の貼り付けの話でも有名な地です
当時武田家山家三方衆として使えていた奥平氏がお家を残す為、肉親で武田、徳川に分離し、徳川方についた奥平が篭る長篠城を武田家が包囲する
食料も尽き、討ち死にするか援軍を待つかが争点となったとき、泳ぎ達者な鳥居強右衛門が城の下に流れる豊川に夜陰に紛れ潜り武田家の包囲を突破し、家康の元に援軍の有無も確認に行く
家康は休んでから帰城するよう進めるが、城内では兵糧もない城兵が篭城している
自分だけ休んで食に在りつくのを由とせず城内に援軍の報を一刻も早く伝えようと城に向かう
ところが帰り際に武田家に不審者として捕縛されてしまう
武田は強右衛門を高禄で召抱えることを条件に、城内の兵卒に援軍は来ないと叫ばせ、士気を下げ降伏策をとる
強右衛門はこれを承諾し磔台し縛られ川の対岸から城内に見せ絞められる
約束では「援軍はこない」と叫ぶはずだった
しかし、「まもなく援軍到着!もう一辛抱ぞ!」と叫ぶ
慌てた武田軍は強右衛門を射殺
強右衛門は己の命と引き換えに城兵を守った
この後、城を守りきった奥平
武田家は長篠城を落とせぬまま
設楽ヶ原に布陣した織田・徳川連合軍と対峙することとなる
強右衛門の命を賭しての忠義に感動し描かれた、磔にされている強右衛門の姿の絵が現存している
強右衛門の子孫は、強右衛門の通称を代々受け継ぎ奥平氏の支流・忍藩松平家を興すに至り、強右衛門の子を家臣に貰い受けている。13代強右衛門商次がこの家中で家老となっているなど、厚遇された







