岐阜城 [2008年10月08日(水)]
2007年岐阜市教育委員会は岐阜城の発掘調査において
岐阜城の庭園の可能性がある痕跡を発掘した
数日前の新聞にて当時の居城と思われる
石垣の発掘について記載されていた
これらのことはルイス・フロイスが示す
信長の岐阜城に酷似している
天正二年当時天守閣というものは存在せず
現時点での岐阜城(金華山)とは違う
山頂には櫓が連なり、戦時の立てこもりとして使用し
通常の政を行う山の下に居城として住まうのが普通である
とすると現金華山の公園部分は
千畳敷となりロープウェイやや南が
居城として可能性を秘め、ここより石垣が出土した
居城3階からは山腹茶室への渡り廊下でつながっていたらしい
ルイス・フロイスはこう記す
「二階は王妃の諸室と侍女の室あり。その座敷は金襴の布張り。山より小鳥の音曲そなわれけり。一階には鏡の如く金屏風。甚だ美麗なる壁。外には五、六の庭園。池の底には雪の如くの石。各種の魚。香気高き草花。よき水の流れでる。広間の梁は一本の木より取りたる長きものなり。ポルトガル及びインドより日本に来る迄見たる宮殿中、此の如く精巧美麗清浄なるものなきこと少しばかりも疑うことなし。種々見たる中、最も驚き足ることはこの王に対する部下の恐怖と尊敬。都にて権威あるものも王の面前においては手と顔を地に着け一人も顔を上げるものなし。」
岐阜城の庭園の可能性がある痕跡を発掘した
数日前の新聞にて当時の居城と思われる
石垣の発掘について記載されていた
これらのことはルイス・フロイスが示す
信長の岐阜城に酷似している
天正二年当時天守閣というものは存在せず
現時点での岐阜城(金華山)とは違う
山頂には櫓が連なり、戦時の立てこもりとして使用し
通常の政を行う山の下に居城として住まうのが普通である
とすると現金華山の公園部分は
千畳敷となりロープウェイやや南が
居城として可能性を秘め、ここより石垣が出土した
居城3階からは山腹茶室への渡り廊下でつながっていたらしい
ルイス・フロイスはこう記す
「二階は王妃の諸室と侍女の室あり。その座敷は金襴の布張り。山より小鳥の音曲そなわれけり。一階には鏡の如く金屏風。甚だ美麗なる壁。外には五、六の庭園。池の底には雪の如くの石。各種の魚。香気高き草花。よき水の流れでる。広間の梁は一本の木より取りたる長きものなり。ポルトガル及びインドより日本に来る迄見たる宮殿中、此の如く精巧美麗清浄なるものなきこと少しばかりも疑うことなし。種々見たる中、最も驚き足ることはこの王に対する部下の恐怖と尊敬。都にて権威あるものも王の面前においては手と顔を地に着け一人も顔を上げるものなし。」







