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身に余る厚意で・・・ [2008年09月30日(火)]

 職場の方から誕生日プレゼントを頂きました。ありがたやありがたや・・・こんなろくでもない人間に厚意を頂き幸せで御座います。

 以前それとなく探りを入れていることはお互い認識していましたけど、改まってこうして頂くと嬉しいものです。

 ちなみに「仕事着に使って!」とTシャツをくださいましたので、さっそく仕事場で使わせて貰います!ただ半袖はもう時期的に・・・もちっと早く頂ければ・・・

 いえいえ!文句なんてとんでもない!!ギリギリまで着させて頂きますよ!!!

 はい、有難う御座いました♪

ひょんな縁で [2008年09月29日(月)]

 やっと読み終えました!飢餓海峡下巻。上巻とはえらい違いでスピード完読でしたね。やはり急激に盛り上がってきた物語の展開に上手く自分の気持ちも乗れたのが要因でしょう。面白かったなぁ・・・


 さて、そんな余韻に浸る暇も、次は何しようと考える間も無く決めたのは新田次郎の『強力伝』。

 これはまだ読み終わる前、昨日の金時山頂上で見かけたお茶さんの壁に掛けてあった説明書きに端を発します。

 この金時山山頂の名物である“金時娘”。これは昭和20年から山頂にあるお茶屋さんに入り登山客をもてなした女性、小宮山妙子さんの愛称なのであります。経営者で父の、富士で強力(登山者の荷物を背負い山の案内に立つ人)をしていた正作さんが事故で亡くなった後も、独りで山に登り続け、お店を引き継いで切り盛りしていったそうです。ここには著名人が多く訪れ、金時娘の妙子さんと交友を深めたそうですよ。店内にはズラリとサイン色紙などが貼られているそうで、後になって後悔したんですが、入っておけばよかったと思いました・・・

 で、この妙子さんのお父さんである正作さんも娘さんに負けず劣らず有名で、長野県北アルプスの白馬岳(約3000m)に花崗岩と銅板の風景指示盤(胴石65貫=240kg)を2回に分けて背負って頂上まで運んだとゆう人間離れした偉業を成し遂げている方なのでした。その逸話を題材に知人で作家の新田次郎の手によってその話は小説となり、その作品は直木賞も受賞しているんですね。この全ての経緯は看板に説明がされてありました。

 ひょんなことから金時山に登り、しかもちょうど良いことに次に読む小説を探そうとしていたタイミング・・・これは運命としか言いようがありません。「これだ!」と即決でした。

 そして飢餓海峡を読み終えた今日。さっそく書店に走り手に入れた次第です。よくよく調べてみるとこの作家さんもいろいろ興味深い方のようなので何だか面白くなってきそうな予感。元がその筋の方だっただけに主に山を題材にした作品が多いとの事。山好きとしてはもってこいです♪

 とりあえずこの短編集を楽しんでみたいと思います!

鉞担いで山登り、って無理無理! [2008年09月28日(日)]

 今日は久しぶりの山登り。職場の方のアドバイスから決めたのは神奈川県の箱根にある金時山。そうあの金太郎伝説で有名な山です。


 生憎の曇り空の中、朝から小田原まで出て、駅からバスに乗り50分くらいで登山口の近くに下車すると周りは観光やドライブによる車の往来は激しいですが、山に囲まれてのどかな雰囲気。空気も清んで気持ち良いです♪

 さっそく道路沿いの看板から私道に入り暫く行くとハイキングコースの案内板が確認できました。ここから本格的に山登りです。

 舗装された道路から一転、ある程度道は踏み固められてはいるものの、土まる出しで岩や木が横たわる野性味ある登山道に何だかワクワクです。

 久しぶりの山登りと日頃の疲れの蓄積も相俟って、始めから手間取りましたけど、徐々に体も慣れてきてしんどいながらも爽快な気分になってきました。途中で足を止めて、時折見え隠れする木々の隙間からの絶景な風景を眺めながら頂上を目指します。

 スタートから一時間強、どうにか山頂に到達。人気の山と聞きましたけど、シーズン前と天候の加減にもかかわらず結構な人で賑わっています。さすがですね!老若男女それぞれが足を休めて腰を落していました。こんな高い所にもお茶屋が2軒ほど営業していて登山客を迎えてくれていました。


 登り終えた体を休め、頃合もあって昼食に。お茶屋さんの中では温かい食べ物を口にしている人が見受けられますが、自分はそれを横目に弁当です。人気の無い岩場に腰を下ろすと、目の前は他の山々、前方には芦ノ湖、右には駿河湾、下方には広がる自然と転々と見える町並み。残念ながら雲のせいで富士山は拝めなかったですが、とても素晴らしい風景にいろんな意味で癒されるようです。ご飯も美味しい♪うーん、良いですねぇ・・・山登りの醍醐味のひとつです。

 しかし登りで熱を帯びた体にも1200mの標高は高過ぎました。たった今見えていた景色にすっと忍び寄る様に霧が掛かり始め、あっとゆう間に周りは真っ白に・・・それと同時に気温も急激に下がってきて、防寒の為に持ってきていた冬用のフリースを着こんでちょうど良いくらいです。


 長居は無用とそそくさと来た道を戻り、途中で霧の晴れた場所などを見つけてはゆっくりと景色とのどかな時間、清んだ空気を堪能しながら山を下りました。着いた先は公時神社、金太郎が祭神として祀られている所です。

 最後は戻る途中にある山荘で温泉に入り、汗ばんで汚れた体を綺麗に洗い流し、疲れた体をほぐしていきました。あー極楽極楽♪


 今回、一見上手く順調にいったかに思える山登りですが、山頂で見られた心無い無神経な団体ハイカーや終始渋滞や予定通りに運行できないバスなどの気分を害す出来事に見舞われましたが、ア●ハイカーは置いていて他はまだ許せる範囲でしたかね?そうしたことも含め楽しむ余裕がないといけないですね。反省反省。

 それでも紅葉時にはまた素晴らしい姿を見せるであろうこの山の魅力に、また機会を見つけて訪れてみようかなと思わせてくれた今回の金時山登山でした。

 でも疲れたっす・・・帰宅誤爆睡してしまったことはゆうまでもありません。

リメイク版もなかなか・・・かな? [2008年09月27日(土)]

 突如30年ぶりにリメイクされた映画『柳生一族の陰謀』。その報をたまたまテレビの宣伝で見かけた時には驚きました。いろんな意味で衝撃を受けて大変気に入っている作品だったのでさっそく見てみました。


 何故今この作品なのか理由などは分かりませんでしたけど、想像以上によく頑張っていたのではないでしょうか?ストーリー自体が大変面白いのもあって充分楽しめました。

 物語は2代目将軍秀忠が急逝したことで、世継ぎ候補である長男の家光と忠長が取巻きの派閥を含めいろんな思惑が交差する抗争の中、徳川家剣術指南役である柳生宗矩の一族立身画策の為に翻弄されることになる一族きっての剣豪柳生十兵衛の悲劇を描くとゆうもの。


 柳生十兵衛を主軸におきつつも、それぞれがそれぞれのドラマを生み、時には有り得ない設定まで含んだ奇抜な演出が始めから最後まで息をつかせぬ展開と圧倒的な演技で魅せる超娯楽時代劇なんです。

 オリジナルの監督はあの深作欣二。当時としては画期的且つ刺激的な映画であったことは容易に想像できますが、今現在でもこうして復活させてみても古くささや遜色もなく楽しめるものではないかと思われ、実際に証明されたと思えます。


 ただ、ただですね、やはりどうしてもオリジナルと比較してしまう自分がいます。ちなみに出演者を挙げさせてもらうと、萬屋錦之介を筆頭に千葉真一、松方弘樹、西郷輝彦、大原麗子、原田芳雄、志穂美悦子、真田広之、小林稔侍、成田三樹夫、金子信雄など錚々たる面子になっていて、しかも丹波哲郎やあの世界の三船敏郎までとオールスター状態のキャスティングなんですよ。それから比べてしまうと・・・致し方ないのでしょうけどね。


 と愚痴りつつも、上川隆也演じる今回の十兵衛も意外に良かったのは正直なところ。あと高橋和也による家光の迫力ある演技に、より一層俳優として堂に入った姿に目を見張りましたし、言わずもがな、かたせ梨乃や30年前の家光だった松方弘樹の安定した深みある演技にも好感が持てました。ただあのラストシーンにはオリジナルに到底及びません。萬屋錦之介の圧倒的な芝居にはちょっと太刀打ちできる人はいないのではないかと。千葉真一の十兵衛も段違いにかっこ良いですし。


 そう考えると昔の役者さん達は各々が独自のカラーを持っていて、個性溢れる層の厚い世界だったんだなぁと改めて気づかされたのでありました。映像的な技術が発展はしても、こうした演じる側の発展と成熟が無ければ良いものも良いものではなくなってしまう可能性があるのではないでしょうか?頑張って欲しいですね、今の役者さん達も。

 余談としてこの柳生十兵衛を主役にした自分の中で対をなす作品『魔界転生』もありますけど、これも前にリメイクされてましたよね。その時も自分は未見ですがパッとしなかったような・・・う〜む・・・

人伝の、腰パンでひと薀蓄 [2008年09月24日(水)]

 今日こんなニュースを目にしました。

 ・腰ばき少年逮捕『条例は憲法違反』と裁判官(米・フロリダ州)

 アメリカ、フロリダ州の町でズボンを通常より低い位置ではき下着を見せる“腰ばきファッション”で自転車に乗っていた少年(17)が拘束された。

 この町では3月に腰ばき禁止条例を可決。最初の違反で150ドル(約1万6000円)の罰金か地域奉仕活動が科せられるが、裁判官は今回、条例は憲法違反との判断を示した。

 少年の女性弁護士は「私も最初はこのファッションが嫌いで、年をとったことに気付いた」と話すが、好き嫌いにかかわらず条例は廃止すべきだと訴えている。



 面白い話ですよねぇ。「こんな事にまで罰則が!?」なんて事はアメリカに限らず世界には沢山あるとは思いますが、自分も正直異様なほどずり下げたパンツスタイルには辟易していた一人です。ある程度の下がり具合やキャラクターに合った人がしているなら様になりますし、全然気にはならないのですが、弁えていない輩には明らかに不快な目を投げかけてしまいますね。まぁファッションなんて本来は自由だし自己満足なものだとは思いますが、やはり公衆の面前に姿を晒す訳ですから、ある程度の常識やマナーは必要ですよね。

 この腰パン。元を糺せば黒人ファッションに行き着きます。日本でも普段当たり前によく見かける、ヒップホップ好きな方達や黒人に憧れた人がする、明らかに誂え誤りなサイズオーバーの服装がありますよね?あれがルーツです。あれは本来、アメリカで決して裕福ではなかった一部の黒人層が出来るだけ長く着れる様に、兄弟のお下がりや定価で買えない服を叩き売値で買ってきてサイズも何も関係なく着(させ)ていたのが発端なんだそうですね。

 一方では刑務所に収監された罪人に怪我をさせないようゆったりした囚人服を着させたとゆう説もあり、この二つに共通するのはこうした普通では考えられないような格好をすることで、周りに必要以上に自分を威嚇的意味でアピールする意味合いがある為と思われます。要は日本で言う一昔前の不良(ツッパリ)がしていた短ランやドカンズボン、それと土方系のニッカポッカなどに見られるようなファッションと同類とゆう訳です。

 それがいつの間にか世界的に広まってしまう、これまでいくつも独自のカルチャーを作り上げてきた黒人とゆう人種の近年の影響力に、ある種すごく興味惹かれる部分もある自分であります。ただ腰パンだけはやりませんけどねぇ(笑)。

 ちょっとした薀蓄ネタでした♪

謎深げなカレー屋さん [2008年09月23日(火)]

 実はいざこれから美術館へ!とゆう時にまずは腹ごしらえをしていました。場所は渋谷、職場の知り合いから強く勧められて来てみた次第です。


 駅を出て道玄坂をしばらく登り、路地に入ると見える古めかしい門。そこには“百軒店”の文字。門をくぐっていくと左手にはすごい行列が目に入ってきました。どうやら知る人ぞ知る名店との評判の中華料理屋さんらしいです。異様な熱気に目が離れませんでしたが、目的地はもうチョイ先。前時代的な様式と独特の雰囲気を醸し出している建物を確認して、少し気後れしながら勇気を出して中に。

 店内も何だか歴史を感じる作りと一種妖しげな空気。思った以上に賑わっていて驚きました。ちょうど自分が最後の席につくと、絶えず来客があり、店員が丁寧に満員と待つことを願うと数人はそのまま離れ、それでも店内で順番待ちをする何組かの客が座っているくらいでした。根強い人気なんですねぇ。

 ここは昭和25年に創業されたとゆう印度料理店。メインはカレーで、昔懐かしい味を守り続ける老舗なんだそうです。納得。

 自分が注文したのは看板メニューの卵カレー。ここのカレー自体は店名にもなっている雛鳥と13種類のスパイスを調合したものを一緒にして1週間かけて煮込んだものだそうで、先代のご主人が滞在したビルマで習得されたものだとか。この味に親子3代に渡って通う常連さんや、学生時代食べた味が忘れられなくて遠方から寄った際に必ず立ち寄っていく常連さんもいるのだとか。うーん、楽しみ♪

 接客や調理に厨房は大忙しでせかせか店内を動き回っていて、なかなか自分の分まで運ばれてくるのに時間はかかりましたが、出てきたそのものはなかなか面白いカレーでした。

 大きな特徴のひとつである山形に大きく高く盛られたご飯がまず目に付きます。その山の裾に広がる濃い茶色をしたルー。その上に輪切りに綺麗に並べられたゆで卵は見た目にも大変食欲をそそります。

 さっそく一口・・・ん?ふーむ。お腹も減っていたので勢い良くかきこんでいきます。ものの数分で完食。ご馳走様でした!

 結論ですが、正直に言わせて貰うと「?」ってところでしょうか。ルーをすくっても目で確認できるほど香辛料を沢山使った割にはその効果を味わうことが出来ませんでした。大盛りにしたのだけれどちょっと量的にも不満な程度で、一緒に付いてくるとテーブルにあった説明書きのチャツネも無かったし、値段設定も高め。ついでに言わせて貰うと、接客の一人にいたネイティブな日本語を話すのに顔は中東な若い娘さんの未熟な応対といい、トータル的に考えてちょっとマイナスな面が多く見受けられて残念でした。

 そんなところも味わい深いとおおらかに受け止められれば良いのでしょうけれど自分は無理でした。立地的にも訪れる機会も少ないでしょうし、これ一度きりになるでしょうかねぇ・・・?

 ですが、なかなかいろんな意味で面白いお店ではあるのは間違いないですね。こうしたレトロチックで個性的なお店大好きです。まだまだこうゆうところが沢山残っていそうなので、近所の中華料理屋も含めもっともっといろんなお店を食べ回ってみたいもんですねぇ。

続・亜米利加写真展 [2008年09月23日(火)]

 行ってきました!先月鑑賞したシリーズ展覧会の2回目です。『ヴィジョンズ・オブ・アメリカ -第ニ部“わが祖国”1918−1961-』。


 1回目がすごく良かったので楽しみにしてきたんですが、前回より来館時間も遅かった為に以前より人が多めでした。すごく見辛い・・・これは仕方ないのでしょうけど、集中して見たい自分にとっては一番苦痛です。なので時間はかかりましたけどやはり疲れましたね。予想外に若い女性の方が多く訪れていたのにはビックリしました。そんな層にとって魅力的を感じれるものなのかどうか自分には疑問で不思議したけどねぇ。

 今回もパート毎に簡単に説明と感想をば。

 1・アメリカのモダニズム

 歴史的に世界を巻き込んだ大きな争い、第1次世界大戦の後に思わぬチャンスを得、一躍世界のトップへと躍進した流れを背に、他国には無いアメリカ独自の写真表現へと意欲的に取り組んでいこととなります。これ以前に勃興した【ピクトリアリズム】とゆう遺志はテクノロジー時代の到来を向かえるにあたり、そこから脱却し新たな表現形式へと突き進んでいきます。【ピクトリアリズム】の特徴であったぼやけた様だけれど温か味のあったソフト・フォーカスを捨てて、鮮明でクリアな画質によってエッジが浮き立つようなシャープな線を浮かび上がらせ、土台である印画紙が持っている特色、黒・白・グレーの美しい諧調を活かしていく、それは力強くも被写体をもっともストレートに写真へと落とし込む新表現、【ニューヴィジョン】。前時代とはまったく真逆の方法論が主流となり実践されていきました。それはピクトリアリズムの祖、スティーグリッツ自身の意向とキッカケによって新時代の旗手達へと引き継がれ、後もメンター的役割を果たしていたとゆう事実は、自然に必然的に行なわれていた結果なんですね。時代の先端を行く若き旗手達は、各地で同時発生し、近代都市(ニューヨーク)の息吹を捉え、一方では西海岸を拠点にグループを結成してアメリカの広大な自然に視点を向け、それは広告写真にも飛び火します。また、1937年にはドイツで閉校になったあのバウハウスがシカゴに再建され、中西部に新たな写真の文化圏を展開するほか、50年代には廃れていたと思われていたスティーグリッツやウェストン、アダムスらの表現スタイルを継承し、そこに東洋思想などの精神的な暗喩を持たせた独自の活動など、アメリカの写真表現は制約も束縛も存在しない“可能性無限大”の歴史上で最もヴァラエティに富んでいた時代のようでした。事実20年代のアメリカは写真に限らず、いろんな分野で“黄金の10年間”と呼ばれる幸福な時期であったそうです。


 2・グラフ誌の黄金時代

 先ほどの記述の通り、写真とゆう技術は単なるポートレイトの枠をはみ出し、広告やファッションなど出版業界に浸透していきます。1936年にメディアの影響力をいち早く見抜いていたヘンリー・ルースによってあの『ライフ』が創刊されます。これを契機にアメリカでグラフ誌ブームが起こり、世界中を巻き込んでいくのです。『ライフ』が『ライフ』である最もたる特徴は、今では普通に実践されている、何点かの写真によって記事内容をストーリーで伝えるフォト・エッセイで、それを前面に押し出し質の高い写真を提供して今の地位についたのだそうで、この雑誌が原点だったとゆう事実に驚かされました。錚々たる名を残した掲載カメラマン達はフォトジャーナリストとして先駆者的存在であり、歴史に大きく名を残された人達ばかりだそうです。その結果、世界中で急速に広がり始めた良質な写真への大量なニーズに応えるべく、1947年に写真エージェンシー「マグナム」が設立されるのは必然であったでしょう。一方、ファッション雑誌においても『ハーパース・バザー』や『ヴォーグ』などに、優れたアート・ディレクターや有能で才気溢れる写真家達が登場し、両者の関わりによって新たな写真スタイルがつくりだされ、印刷メディアは黄金期と呼ばれる盛り上がりを見せるのでありました。ある意味、この時代によってほぼあらゆるスタイルの写真が作り出され、ほぼ出尽くしたほどの発展だったそうです。素晴らしいですね。

 3・ドキュメンタリー写真

 1929年に起こった世界恐慌による失業者対策として政府が打ち出したものにニューディール政策がありました。そのプロジェクトのひとつであるFSA(農業安定局)によって奇しくもアメリカではドキュメンタリー写真としても活発になっていきます。主に困窮する小規模農業者達を生活可能な土地に移動させたり、生活の資金援助を行うのが主な目的であったことで、予算を確保する為に農民の惨状を写真として克明に記録し、有権者に伝える必要があったのです。説得力ある写真を得る為に政府は写真家を起用し、その撮られた写真はグラフ誌や展覧会などを通して発表されました。社会的問題意識を国民と共有するのには美意識の高い作品が効果的であることを政府は理解していて、FSAによるドキュメンタリー写真は優れたものが残される結果となりました。出発点としては大義名分はありつつも不純な部分も無くはないですが、それが結果的に素晴らしい作品として後続に影響を及ぼしたのですね。リアルに克明に記録された写真には真に迫る様相を見て取れました。それは信奉者達の手によって「フォト・リーグ」なるものが設立され、社会的出来事などの対象に対する自分の見解を視覚的な表現によって示そうとする活動も興ることになります。短期間での解散を余儀なくされますが、それもまた違う形となって影響を与え続けていったのです。

 こうして歴史を追っていくととても納得できますし、いろんな発見や興味深い点を見つけることが出来てとても楽しかった。ソフトフォーカスからストレートフォーカスへ・・・分かり易い変化でしたね。これから今後道発展していくのか?最終回が楽しみです。ただ人物の名が多過ぎて覚えきれましぇ〜ん!!(笑)

気まぐれなるままに雑感 -キーワードはBlues- [2008年09月21日(日)]

 今回はぱぱっと雑感で3枚ほど・・・

 1枚目は念願の入手に歓喜!希望通りの形ではないけれど、オリジナルアルバム2枚の楽曲全部と+αが収録されたベストアルバム、先日“SHM-CD”とゆう新しい高音質CD盤として再発されたTHE FLYING BURRITO BROTHERS(フライング・ブリトウ・ブラザーズ)『SIN CITY:VERY BEST OF 〜』です。


 依然として夢中なカントリーロックと言われるジャンル。その原点のひとつでありシンボル的なバンド、残した2枚の作品は史上屈指の大名盤として知られています。個人的に中心人物のグラム・パーソンズは自分にとってかけがえのないアイドルの一人であり、前評判もあって非常に楽しみにしていたのですが、一聴したところ予想していた以上に大人しめな曲が多く、期待していたような刺激を感じることが出来ませんでした。

 しかし、よく聴き込んでいくとその素晴らしさに感服。本筋のカントリーだけに囚われない斬新な手法、カントリーとリンクスするように発展したR&Bの響きやオリジナリティある独自の解釈/方法論、当時の精神性を物語るサイケデリックな雰囲気をともなっている音楽性は、この奇跡的なバンドの唯一無二な魅力・・・しいてはパーソンズの才能に改めて驚かされると共にあらためて惚れ惚れしてしまった次第です。

 だから余計に若くしてこの世を去ったことが悔やまれますね。結局短命に終わってしまったこのバンドですけど、それはソロアルバムとしてパーソンズの描いていた理想形は一応結実する訳なんですが、この青写真を志と情熱で無我夢中に傾けた未熟がゆえの神がかり的な産物は今も燦然と輝いています。また一枚忘れ得ぬ作品に出会えた事を大変嬉しく思うのでした。

 2枚目は弟に貸してもらっていたLITTLE FEAT(リトル・フィート)が71年に発表した同名タイトルアルバムです。今も活動を続ける同バンドですが、記念すべきデビューアルバムには後に確立する個性がまだ定まっていない段階だっだけに非常に泥臭くなっているとのことらしいのですが、それも気にならないほどアメリカのルーツをしっかり消化しつつ、非常にパワフルに展開される骨太なロックとなっていて素晴らしいです。中心人物のローウェル・ジョージの味わい深いダミ声ヴォーカルと超絶(非テクニカル)スライドギター、サイコーっす!


 最後はTHE DOORS(ドアーズ)の71年に発表した最終作『L.A.WOMAN』です。稀代のロックカリスマ、ジム・モリソンを看板として衝撃的にデビューした1stから4年、紆余曲折を経て辿り着いた結果はブルーズでした。アート的感性を下地にもつ詩と妖しく謎めいたヴォーカル、ガレージィでストレンジな雰囲気ながらも適度なポップ性を含んだメロディ、幽玄かつ印象的なオルガンの響きを特徴としていたバンドですが、その片鱗を残しつつも終息に向けて紡ぎ出された音には自然の流れとして熟成と穏やかさを聴き取ることが出来ます。あの鮮烈でエキセントリックなイメージが強く焼きついているだけに、ちょっと落ち着き過ぎたきらいに物足りなさもありますけど、これはこれで良かったんだなと思います。今では初期のアルバムと対比しても結構気に入っている作品になりました。


 3つのバンドに共通して言えることですが、やはりアメリカのロックバンドには大なり小なりBlues(R&B)の影響が見え隠れするんですよね。自ら切ろうとしても切れないほどの抗い難い、深く深く体に沁み込んでいる土着音楽なんですよね。ここ数年好んで聴いている70年代のアメリカのウエストコーストロック系を聴いていてつくづく感じいるところです。それがたまらなく自分にとっては恋しく愛しく思え、一昔前とは違った感じ方捉え方も出来るようになったことでより一層魅力的に聴こえる今日この頃です・・・

実に困った事態 [2008年09月20日(土)]

 仕事柄毎日のように重い物を肩に担ぎ、階段を上り下り、時には走り回り。そんなことの連続で、どうやら一種の職業病“腰痛”ならぬ“背中痛”が本格的に体を蝕みつつあるみたいである。

 そんなこともこれまでに大なり小なり自覚症状はあったものの、今回のはこれまでにないほどの深刻さでよからぬ不安がいくつも頭を過ぎる日々・・・

 もうそろそろ潮時なのかも知れないな。生活の為の凌ぎ感覚で始めたものの、惰性でこれまで続けた仕事だけれど、体を壊してまで残っていなければならないような、先のアテがあるようなものでないことはどこかで理解していたはず。

 だからといって具体的に実のある未来はいまだ見えていない訳で。心のどこかで意識しつつも騙し騙し先延ばしにしてきたツケの代償は最早とっくに手の負えないところまで来ているのである。

 はぁ・・・どうなることやら。

こんな可愛いバッグはいかが? [2008年09月17日(水)]

 一昨日に記事にした靴に続き、旅行で久しぶりに使用したミニショルダーバッグ。昨今のアメカジブームによって再び注目されているであろうチープ感は拭えないけれど、ポップなカラーリングがキュートで魅力的なナイロン生地製のバッグを再び街使いにしてみる気分なのであります。


 先日の旅でメインバッグをロッカーに預けた際にちょっとした行動用としてお供させたのは、アメリカはNYに拠点を構えるとゆうアウトドア系バッグメーカーの『MELO(メロ)』とゆうブランドの物。


 数あるモデルの中でも代表的で人気のあったのがこのミニショルダー。カラフルな色のバリエーションと、ミニポーチ的な愛くるしいデザインに購入した当時は結構身につけている人を見かけたものです。


 いまやすっかりご無沙汰になってしまったメロですが、この機運に乗じて奥から引っ張り出してみた次第です。でも相変わらずちょっとしたお出かけには最適で使い勝手が良いですね♪何より今だからこそ逆に新鮮です。


 自分はこのタイプの物しか所持しておらず、あまり実態を知らないブランドなんですが、結構色々なタイプの形や素材で作っていたんだと今知りました。絶滅に近い希少な“MADE IN USA”を貫いているブランドなので、これを機会に登場する機会を増やすと共に、違う形の物も手に入れてみたいと思っているのでありました。


 豪華な革物も依然として人気なようですが、たまにはこうゆうカワユイバッグも皆さんどうでしょう?思っている以上にリーズナブルでコストパフォーマンスも高く、気軽にカジュアルに普段使いできるので、女性には特にオススメしたい逸品ですね♪
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