”作品を読んでくれた”という嬉しさの”値段 [2008年04月22日(火)]
作家志望で立ち上げたSite&Blogで、小説に関することをなぜ書かない? そんな指摘を受けたので、書いてみようと思います。でも、前回予告してある課題もありますので、今日は、そのミックス課題をこなすことします。どうぞ、お付き合いくださいませm(__)m
まず、写真の内容を簡単に紹介します。
これは、わたしが昔、ナツメロが好きで、かつ、レコードに凝っていたころに中古レコード店を探して買った”村下孝蔵「初恋」”に添付されていた1枚のB5用紙です。
”貸レコードが流行っていて、レコードが売れず、スタッフに正当な報酬が支払えないから、レコードはちゃんと買ってください”
みたいなことを、村下さんが直筆で訴えています。
貸レコードなんて、わたしは見たことないから、想像すると、ちょっと頭の中がカビ臭い感じになります。
TSUTAYAみたいに貸すのだろうか。
探しにくい陳列の仕方になるのだろうな。
コンピュータも盛んでない時代、たとえば、ジブリの「耳を澄ませば」の図書室みたいに”淡い出会い”に繋がるような手書きの貸出伝票なんかがあっただろうか。
つい数年前までは、レンタルやダウンロードを同じように批判し、問題になっていたけど、最近はそれも、立派な販売方法として認められた様子。お金の話がつけばいいのかな。
正当な報酬って、どんな額なんだろう。
そんなに売れなかったと思えば、すべて上手くゆく気がする。
そのわりには多くの人が聴いてくれているんだなぁ〜って思えばいい。
商売は、そんなに甘くないことは、よーくわかっています……
ただ、
今のわたしには、わたしの作品が本になったら、自分で買って図書館に配り歩きたいくらいの気持ちがあります。現実に可能かはわからないけれど、純粋に”読んでもらいたい”って想いは、ずーっと忘れたくないなって思います。自分の作品の著作権は、絶対に自分であると今も主張するけど、それに著作権料が上手く結びつかない。逆に、お金を払って”新人賞受賞”の冠が買えるなら買いたいような切ない気持ちもなくはない。
プロになれていないわたしも、プロになったあとのわたしも、わたしはわたし。
正当な報酬って、どんな額なんだろう。
どれくらい売れっ子になると、人は初心を忘れるだろう。
わたしは、たまに自分の投稿結果を確認します。
作家になると決めて間もないころ、候補作になったことがありました。
わたしは、担当編集者さんに尋ねました。
「ここへ至るまでに、どれくらいの人がわたしの作品を読んでくれましたか」
担当さんだけでも何度も繰り返し読んで、編集部の方も全員で読んでチェックして……そんなことを聞いて、嬉しかったです。
届けられたゲラ刷りを見て、受賞したらこれが雑誌に載るのか……
そんなことを期待しつつ、それよりもそこに、”いっぱいいっぱい”鉛筆で書き込みがされていたことに、わたしは感激しました。
こんなにも文句があるほど読んでくれた人がいるのか、って思って。
それで、未だ作家になれていない腑抜けたわたしは、二次、三次、また、予選落ちしてしまうことだってあるけれど、そんな結果を知っても、この結果なら、最低○人くらい読んでくれたんじゃないか…
編集さんの目にも届いていただろう…
どうしてわかってくれないんだ…
どこがいけなかったんだ…
ここが悪いんだろうけど、いつか必ずこのまま発表してみせるぞ…
そんなふうに悶々と悩み、前向きに悪たれると同時に、
「誰やろ、わたしの作品を一歩押し上げてくれた下読みさんは」と感謝するような気持ちもある。
落選しているのに、不思議と”嬉しい”気持ちも少しだけあるんです。
決して、志が低いつもりはなくて、
自分は絶対プロとして仕事ができる実力があると信じているし、
また候補作にならないと、その実力ももちぐされるから、
一所懸命、嬉しさを欲張って、運とともに手に入れたいと、いつも思っています。すごく。
正当な報酬って、どんな額なんだろう。
***今日のひとこと***
冒頭所感では、今回のような内容を書くつもりはない、と宣言しております(笑)
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まず、写真の内容を簡単に紹介します。これは、わたしが昔、ナツメロが好きで、かつ、レコードに凝っていたころに中古レコード店を探して買った”村下孝蔵「初恋」”に添付されていた1枚のB5用紙です。
”貸レコードが流行っていて、レコードが売れず、スタッフに正当な報酬が支払えないから、レコードはちゃんと買ってください”
みたいなことを、村下さんが直筆で訴えています。
貸レコードなんて、わたしは見たことないから、想像すると、ちょっと頭の中がカビ臭い感じになります。
TSUTAYAみたいに貸すのだろうか。
探しにくい陳列の仕方になるのだろうな。
コンピュータも盛んでない時代、たとえば、ジブリの「耳を澄ませば」の図書室みたいに”淡い出会い”に繋がるような手書きの貸出伝票なんかがあっただろうか。
つい数年前までは、レンタルやダウンロードを同じように批判し、問題になっていたけど、最近はそれも、立派な販売方法として認められた様子。お金の話がつけばいいのかな。
正当な報酬って、どんな額なんだろう。
そんなに売れなかったと思えば、すべて上手くゆく気がする。
そのわりには多くの人が聴いてくれているんだなぁ〜って思えばいい。
商売は、そんなに甘くないことは、よーくわかっています……
ただ、
今のわたしには、わたしの作品が本になったら、自分で買って図書館に配り歩きたいくらいの気持ちがあります。現実に可能かはわからないけれど、純粋に”読んでもらいたい”って想いは、ずーっと忘れたくないなって思います。自分の作品の著作権は、絶対に自分であると今も主張するけど、それに著作権料が上手く結びつかない。逆に、お金を払って”新人賞受賞”の冠が買えるなら買いたいような切ない気持ちもなくはない。
プロになれていないわたしも、プロになったあとのわたしも、わたしはわたし。
正当な報酬って、どんな額なんだろう。
どれくらい売れっ子になると、人は初心を忘れるだろう。
わたしは、たまに自分の投稿結果を確認します。
作家になると決めて間もないころ、候補作になったことがありました。
わたしは、担当編集者さんに尋ねました。
「ここへ至るまでに、どれくらいの人がわたしの作品を読んでくれましたか」
担当さんだけでも何度も繰り返し読んで、編集部の方も全員で読んでチェックして……そんなことを聞いて、嬉しかったです。
届けられたゲラ刷りを見て、受賞したらこれが雑誌に載るのか……
そんなことを期待しつつ、それよりもそこに、”いっぱいいっぱい”鉛筆で書き込みがされていたことに、わたしは感激しました。
こんなにも文句があるほど読んでくれた人がいるのか、って思って。
それで、未だ作家になれていない腑抜けたわたしは、二次、三次、また、予選落ちしてしまうことだってあるけれど、そんな結果を知っても、この結果なら、最低○人くらい読んでくれたんじゃないか…
編集さんの目にも届いていただろう…
どうしてわかってくれないんだ…
どこがいけなかったんだ…
ここが悪いんだろうけど、いつか必ずこのまま発表してみせるぞ…
そんなふうに悶々と悩み、前向きに悪たれると同時に、
「誰やろ、わたしの作品を一歩押し上げてくれた下読みさんは」と感謝するような気持ちもある。
落選しているのに、不思議と”嬉しい”気持ちも少しだけあるんです。
決して、志が低いつもりはなくて、
自分は絶対プロとして仕事ができる実力があると信じているし、
また候補作にならないと、その実力ももちぐされるから、
一所懸命、嬉しさを欲張って、運とともに手に入れたいと、いつも思っています。すごく。
正当な報酬って、どんな額なんだろう。
***今日のひとこと***
冒頭所感では、今回のような内容を書くつもりはない、と宣言しております(笑)
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Posted at 12:10
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