ゲーム感覚 [2006年07月26日(水)]
日本経済新聞社員がインサイダー取引をした事件。
その概要は、日経新聞に掲載される「法定広告」の内容を事前に社内PCで閲覧し、株の値上がりが見込める「株式分割」の情報を得て、株の短期売買で2か月間で3300万円もの利益を上げていた、というもの。
まあ、これは完全なインサイダー取引で弁解の余地はない。
気になったのがこの社員(笹原一真)は今回のことを「ゲーム感覚でやった」と語ったこと。で、この「ゲーム感覚」という言葉をマスコミが使うとどうにも「ゲーム」への悪意を感じること(まあ、何度となく語られてることだけど)。
そもそもこれって「万引き」や「オヤジ狩り」など、若者の犯罪の際に必ずといっていいほど出てくる言葉な気がする。
「深く考えずにやってしまいました」
「だから罪は軽いでしょ?」
そんな声が聞こえてくるように。
こういった犯罪に手を染める若者はそもそもゲームを愛してなんていない。彼らの言うゲーム感覚とは単に「遊び半分」という意味でしかない。なのに社会はゲームがこういった若者を生んでいるかのように語る。
そんな「ゲームへの敵対心」が若者にゲーム感覚と言わせていることに気付かないのか。「馬鹿な大人が誰かのせいにしてくれている」……彼らは陰でほくそ笑んでいるのに。
「窃盗はいけないと知らなかった」
「強姦はいけないと知らなかった」
「人殺しはいけないと知らなかった」
知らないと罪は軽くなるのか?……そんな馬鹿な。
それは知らなかった本人の落ち度に過ぎない。
でもそこにゲーム感覚という免罪符がある。
「彼らはまだ幼かったのだ」
一体、誰に対する免罪符なんだろうか。






