亀田興毅世界戦を今さら考える [2006年08月07日(月)]
亀田興毅のWBA世界ライトフライ級王座決定戦について、世間でいろいろと話題というかネタになっていますね。今さらですが私が思ったことをつらつら書いときます。
私は亀田興毅という人間(及び亀田家)に全く興味がありません。
アンチというわけでなく、単にああいう人種が嫌いです。
自分は他人を見下すくせに他人が自分を見下せば怒る。
チンピラです。
だから世界戦の放送も見てません。
「疑惑の判定」については、ボクシングってああいう"ホームタウンディシジョン"が当然の"興行"だと思っているので、別にどうでもいいと思っています(本来なんらかの改革は必要だと思いますが)。
ボクシングに限らず、あらゆるスポーツで日本人は欧米人に有利なルール変更やホームタウンディシジョンに苦渋を飲まされてきた経緯があるわけで。
身びいき判定に疑問を持たず喜ぶ欧米人たちの姿を見続け、そういうものを嫌悪しつづけてきた日本人が持った「公正な目」(それは敗戦国、被爆国だからこそ得た戦争否定の心にも通じる)。
だからこそ、多くの人は身びいき判定を素直に受け入れられなかったのではなかろうかと。そうした意見が出ること自体はまともな感覚の発露だと思います。
しかし、その先の「亀田バッシング」は日本人のもうひとつの側面──「集団性」によるイジメに通じている気がします。
「嫌いだから攻撃する」+「みんなに歩調を合わせる」は完全なイジメの構造。嫌いなら関わらなければいいのだと考えられないガキです。マスコミの手のひら返しもいつものこと。
批難する人間は今回の「ボクシングの判定の曖昧さ」を論じるべきなのに、亀田の普段の行いの悪さをも一緒くたにするから混乱しているわけで。擁護する人間も判定を擁護しているのか亀田という人間を擁護しているのかがわかってない状態。
亀田興毅は自分をカリスマだと本気で思うなら、こうした声が上がった時に「防衛戦はランダエダと再戦や!」と吠えればいいのに。
それどころか「減量きついから階級上げる」とか言ってるみたいで、なんだかなぁって感じです。結局、大人にいいように使われてるんでしょうか。
放送を見てないので知らなかったんですが、WBA側は亀田父用のベルトを用意してたそうですね。それじゃ筋書きのあるドラマと見られるよね。テレビ含む演出過多ぶりには辟易です。
TBSがどれだけ関わっているのかは知りませんが、亀田家の奇抜なトレーニング方法などをメディア全体でドラマのように演出した「ガチンコファイトクラブ」新シリーズだったということでしょうか。ああいう不良のサクセスストーリーにシンパシーを感じる人もいるでしょうからね。
繰り返しになるけど、この問題の収拾方法は亀田興毅本人が「やかましいわ。もっかいや、もっかいランダエダとやる。そこでハッキリ決着つけたるわ」と言うこと。手数と有効打のどっちを有効とした判定かうんぬんなんて言ってないでシャキッとせい。
ボクサー亀田興毅が実像だったとしてもマスコミが作り上げた虚像だったとしても、私は彼のことが嫌いなんですね。再確認しました。






