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ブラック・ダリア [2006年11月30日(木)]

●ブラック・ダリア

監督:
ブライアン・デ・パルマ(『ファム・ファタール』
原作:
ジェイムズ・エルロイ(『L.A.コンフィデンシャル』)
出演:
ジョシュ・ハートネット(『ハリウッド的殺人事件』)
アーロン・エッカート(『ザ・コア』
スカーレット・ヨハンソン(『アイランド』
ヒラリー・スワンク(『ミリオンダラー・ベイビー』)


1947年、ロス市内の空き地で腰から切断された若い女の死体が発見された。被害者は女優を夢見てハリウッドへ出てきた女、エリザベス・ショート、22歳。いつも黒い服を着ていた彼女を、人は映画のタイトル『青い戦慄(ブルーダリア)』をもじりこう呼んだ──ブラック・ダリアと。

ロス市警のバッキーとリーは、ミスターアイス、ミスターファイアの愛称で呼ばれるコンビ。バッキーはリーの恋人ケイに惹かれつつも、それを押しとどめ、3人での生活に喜びを見いだしていた。しかし、リーがこの死体に魅せられたかのように事件へと没頭していくことで3人の関係は変化していった……。


デ・パルマっぽいなぁ。
面白かったです。
面白かったですけど想定していたものとはちょっと違ったかな?

「世界で一番有名な死体」と呼ばれるブラック・ダリアのことは、世界の猟奇事件ファイルみたいな何かで目にしたことがあって、それだけで本作に興味を抱いたんですが、当然のように「事件の真相の独自な謎解き」を期待したわけで。

でも本作はあくまでも「ブラック・ダリア事件を元にしたフィクション」。もちろん原作者ジェイムズ・エルロイが生み出した"真相"を見せてくれはしますが、それよりもブラック・ダリアという死体に翻弄される人間模様をこそ描いた作品。

物語はブラック・ダリア事件単独ではなく、平行して起こっている別の事件と、過去にあった事件の関係者らといった人間関係が複雑に絡みあって構成されています。

つまり、ブラック・ダリアは、あくまでもこの物語の登場人物の1人という扱いで(もちろん重要な鍵ではありますが)、その辺りもブラック・ダリア事件目当てで映画に臨んだ私には物足りなく感じたところでした。いや〜、映画の見方って難しいなぁ。


雰囲気が『L.A.コンフィデンシャル』っぽいと思ったら、原作者が同じ人だったんですね。しかもこの2作とも「暗黒のL.A.4部作」と呼ばれる作品とくれば当然ですか。


いわゆるフィルムノワール作品。

原作ではもっと多くの描写の積み重ねがあり、本作は映画というメディア特性に合わせた取捨選択を行っているわけですが、その端折り方にデ・パルマ節がドンピシャとはまり、本作はまるで最初からこういう物語だったかのようなデ・パルマ映画になっています。

それはそれで嫌いじゃないんですけど、最後の謎解き演出にもう少しメリハリを付けて、観ている観客が「おぉ〜」となる"間"が欲しかったかなぁ。いわゆる探偵系作品の"推理ショー"のような奴。

いや……どちらかというと私が登場人物の名前の把握に頭を使っていた分、流れに乗り切れていなかっただけなのかもしれない。私、海外の推理小説とか読む時にカタカナ名前の把握がイマイチ苦手なんですが(この名前ってどの人物だったっけ?とページを戻して確認したり)、本作もまさにそんな感じで。

あー、ギリ把握できてたから気づかなかったけど、理解に頭を割り振っただけ演出に置いてけぼり食ってたのかも。まあ日本人なら仕方ないよね? そこんところに壁のない人なら問題ない話。私も再び観る機会があったら、もう大丈夫な気がします。


本作は実際にあった事件を紐解く部分はそこそこに、フィクションの犯罪小説を楽しみましょう。「○○殺人事件」という類いが好きな方は是非どうぞ。

トゥモロー・ワールド [2006年11月25日(土)]

●トゥモロー・ワールド

監督:
アルフォンソ・キュアロン
『ハリー・ポッターとアズカバンの囚人』
出演:
クライヴ・オーウェン(『インサイド・マン』)
ジュリアン・ムーア(『フォーガットン』)
マイケル・ケイン(『バットマン・ビギンズ』
キウェテル・イジョフォー(『インサイド・マン』)
クレア=ホープ・アシティ(『ルワンダの涙』)


西暦2027年、子供が産まれなくなって18年──人類は緩やかな破滅へと向かっていた。人類最年少の少年が死亡したというニュースが流れるある日、セオは反政府組織《FISH》に拉致された。そこで再会したのは元妻ジュリアンだった。かつて2人の間には子供が産まれるが、事故で亡くしていた。彼女はある人物を国外に逃がすため、検問を抜ける通行証の手配をセオに依頼する。当日、同行するセオの前に現れたのはキーという名の1人の少女。この少女に隠された秘密とは……?


ザ・SF。
久しぶりにSF映画を観たなぁって感じ。
あ、もちろん「スペースファンタジー」じゃなくて「サイエンスフィクション」の方ね。

近未来という語り口で現代社会の問題を浮き彫りにする、というSF映画の真っ当な使い方をした作品。「子供が産まれなくなった世界」という極限状況を提示することで「命」の存在を捉え直そうとしています。

ちなみに本作と原作小説(『人類の子供たち』)とは「子供が産まれなくなった世界」というキーワード以外は全く異なるそうな。パンフの寄稿文から推察する限りでは私は映画版の語り口が好みですね。

主人公はあくまでも普通の人間。原作ではそれなりに主人公らしいアクションも起こすようですが、本作においては映画的ヒロイックさは微塵もありません。全ては1人の人間としてのあがきのみです。

ヒロインの存在も原作とは大きく変わり、主人公セオの心により近い者と、より遠い他者へと役割を分離させた模様。その効果は絶大で「主人公とヒロイン」という相互関係が生み出すある種の安心感を完全に放棄させました。

主人公はとんでもない状況の真っただ中にただ1人放り出されます。

そこで自分を動かすものはかつての愛か、失った過去か、呼び起こされた信念か。それは命の意味を無くした世界に残された良心として我々に問いかけます。命を守ろうとする根源的な気持ちを今、無くしてはならないのだと。


演出面では意図的に長回しを多用してますが、それは決して奇をてらおうとしてのことではなく、物語の中で一番効果的な演出としての選択がそれだったということ。

オープニングでは、主人公が今まさに居た場所が爆破テロの標的となるという事態を1カットの長回しで見せますが、最初に主人公と同じ目線(時間)で世界を見せることで自然と物語に引き込みます(しかも、一見すると平和な世界も実は政治的に荒れていることを理解させ、さらに死というものが紙一重で存在していることをも同時に感じさせる効果付き)。

圧巻はクライマックスの戦闘場面。銃弾が飛び交う中を必死に走る丸腰の主人公に延々とカメラが追随する1カットの映像は、現場に放り出された恐怖感と先の見えない緊張感を否応無しに浴びせ続けます。

本作の中では、主人公の抱く感情を自然に感じさせるため、また、いかに普通の人間がそこに居るのかを体感させるための演出として見事に機能しています。


少女キーが抱く秘密(まさに「鍵」)は予告編等の映像ではそれなりに隠してましたが、ネタを鑑みれば容易に想像できる通りのそれ。でも、やはりネタバレは避けるべきということで、以下↓ネタバレ含む語句は隠しました。

クライマックス、1つの命を抱え、歩を進めるセオとキー。その小さな命を慈しむ心が争う人の手を止める──本作は世界にたったひとつの命というフィクションを使って、命とはただそれだけで大切なものなのだと我々に強く訴えかけています。

だがしかし、本作は人がそんな簡単に賢くはなれないとも語り続けます。人は命の純粋さなど直ぐに忘れて世界の混沌へと身を投げ出すのだと。それは命を縁遠くした現代人の投影に他ならない。皆、忘れてしまっているのだ。誰しもが誰かの親であり子であるという事実を……。


イギリスを舞台に、未来描写にCGを多用することもなく、1人の男の目線で世界の「命」を綴るアイデアSF。めっちゃお薦めです。

でも予告編から受けるハリウッド大作っぽい印象を期待して観た人は、これを肩すかしに感じたりするのかな? まあでも、そういう人はジャンクフードばかりじゃなく、こういう味も美味しいと感じる舌を持とうということで。


余談。それにしても予告編の「ハリー・ポッターの監督が送る……」ってのは宣伝の売りのつもりなんでしょうか? 元々、この監督がハリポタの監督に抜擢されたことの方が異質だと思うんですが。まあ、予告映像はちゃんとしてたから、こんな謳い文句で劇場に足を運ぶ物知らずはいないとは思いますけど。

仮面ライダーカブト/GOD SPEED LOVE [2006年11月22日(水)]

●仮面ライダーカブト/GOD SPEED LOVE

監督:
石田秀範(『仮面ライダー剣/MISSING ACE』
出演:
水嶋ヒロ(『ごくせん』)
佐藤祐基(『ごくせん』)
里中唯(『1リットルの涙』)
小林且弥 虎牙光揮 徳山秀典 加藤和樹
本田博太郎 弓削智久 永田杏奈 山口祥行
森下千里 武蔵 次長課長


1999年、地球に落下した巨大隕石によって海が無くなった世界。その隕石から出現する地球外生命体《ワーム》。ワームから人類を守るために作られた組織《ゼクト》と、その切り札《マスクドライダーシステム》。世界を支配するゼクトから離反した者たちが結成した組織《ネオゼクト》。2つの組織のライダーたちが戦い合う前に現れた謎の男・天道総司──。

ゼクトは水資源確保のために巨大彗星を地球に引き寄せる《天空の梯子計画》を実行しようとしていた。ゼクトの支配力が強まることを恐れたネオゼクトは天道総司を仲間に引き入れ、計画の奪取を目論むが……。


今年のライダーの売りは「宇宙」。
毎年目先を変える劇場版ライダー企画もちょっと息切れのご様子(というか、昨年の『響鬼』のTV製作費肥大のツケがここまで及んでいるのかな?)。

物語は基本的には『555』系のパラレル未来物(※後述あり)。
荒廃した近未来(街は普通だけど)を舞台に、言わば政府軍と反政府軍が抗争を続けているというよくある話に、天道の思惑と、ひよりの存在と、加賀美の想いが重なったドラマ。

違う時空が舞台のパラレル作品ということで、TVシリーズと同じ名前の登場人物が別の場所で別の役柄で登場するわけですが、本作の問題点はまさにそこにあるかと。


2つの組織に各々所属するライダーらが中途半端にシャッフルされていることが人物配置を無駄に複雑化する原因に。

劇場版オリジナルライダーの存在は映画としての毎年の売りになってますが、本作でも「ケタロス(銅)」「ヘラクス(銀)」「コーカサス(金)」という3人のカブトムシ系ライダーが登場。

しかし、ケタロス(とコーカサス)はゼクト所属で、ヘラクスはネオゼクト所属。さらにTV版ライダーのザビーとガタック(とサソード)はゼクト所属で、ドレイクはネオゼクト所属……と、なまじTV版の印象があるだけに頭の中で再整理する手間が増えます。

こうしたパラレル物を作る際は、せめて劇場版オリジナルライダーたちを同組織でまとめる程度のことをするのが最低限のルールだと私は思いますけどね。


また、ラスボスであるコーカサスの装着者の正体は「謎」とされていたので、そういう伏線っぽい設定の場合、「既に画面に登場している誰かがその正体」かと思いきや、最後に普通にひょっこりと武蔵が登場。

それよりもコーカサスの中の人はあえて素顔を出すことなく「そういう存在者」とした方がシンプルで良かったのに。芸能人キャスティングの悪いところでしょうか。


2つの組織の立ち位置自体の分かりにくさ(結局はただの内紛なわけだけど)。こういう未来世界こそ組織以外の一般生活をきちんと描写し、両組織共、民間人らには煙たがられていたりする設定にでもなっていたら理解しやすかったろうに。


本作は「TVシリーズで天道が何故ベルトを持っていたのか?」「ひよりの正体は?」などといった部分が明かされ、映画ラストをTV初回に繋げていたのは面白かったというか、強引というか、子供には理解できてないだろうというか。

このままいけば劇場版『龍騎』のように、ただのパラレル作品ではない1作となりそうですが、TVシリーズが終わるまで油断できないのが平成ライダーなのでなんとも言えません。

とりあえず本作のみで評価すると、脚本は弱く、それを補うほどの映像の力も無く、全体的な印象は安いVシネマといったところ。映像クオリティの低さは製作費の問題かもしれないけど、それ以外の部分は作り手の能力の問題。う〜ん、残念。

轟轟戦隊ボウケンジャー/最強のプレシャス [2006年11月21日(火)]

●轟轟戦隊ボウケンジャー/最強のプレシャス

監督:
諸田敏(『爆竜戦隊アバレンジャーDELUXE/アバレサマーはキンキン中!』
出演:
高橋光臣 齋藤ヤスカ 三上真史
中村知世 末永遥 出合正幸 斉木しげる
星井七瀬 大高洋夫 山崎真実
倉田保昭(『クローサー』


ある日、突然、街の真ん中に巨大な岩山が現れ、謎の美少女《ミューズ》からのメッセージが世界に発信された。「強き方よ、古代の宝を受け継いでください」──その言葉にネガティブシンジケートの面々が動き出す。ボウケンジャーは彼らを退け、岩山へと急ぐ。そこに現れる1人の冒険者。それはボウケンレッドの父・明石虹一だった……!


う〜ん、今年はTVシリーズの中の1話って感じ。
映画としてのワクワクは足りなかったかなぁ。

倉田さんのキャスティングは良かった。
明石暁の父親像としてこれ以上ないハマり具合。
ただ、父親が登場する意義が物語に見出せなかった。

星井七瀬演じるミューズの役割も消化しきれていないのがもったいない。彼女の存在が本作の鍵であるというのにその印象は劇場版『響鬼』における安倍麻美ほどに意味がない(戦隊映画のゲストヒロインは「お姫さまキャラ」が多かったから、今年はそれをやめようとしてのキャラ設定だったようですが)。

ならば、今年は女性芸能人のキャスティング自体をやめて、ミューズが担っている役割を「謎のメッセージを送ってくる岩山」にしてしまえば物語もスッキリしたのでは? そして倉田さんを中心にした「明石親子の物語」で仕上げるべきだったと思います。


映画だけに登場するロボ《ダイタンケン》の活躍もちょっと中途半端で残念でした(玩具に比べて劇中の姿がカッコ良かっただけに尚更)。まあ「2大ロボそろい踏み」という絵面を優先したんでしょうけど。

でも、せっかく映画にしか登場しないロボなんだから──「動かないダイボウケン。6〜10号ビークル単体では対抗できない敵。その時、明石父がデタラメに「これとこれをくっつけてこうすればいいじゃないか」と言ったアイデアに乗っかり、急遽合体プログラムを書き換えて誕生したロボ!」──なんて展開でダイタンケン単体を活躍させた方が盛り上がったんじゃなかろうか。


最後もエンディングなしで終わっちゃって拍子抜け。
お祭りなんだから、エンディングのお遊びは恒例にしましょうよ。

仮面ライダー響鬼と7人の戦鬼 [2006年11月20日(月)]

●仮面ライダー響鬼(ヒビキ)と7人の戦鬼

監督:
坂本太郎(『パワーレンジャー/ワイルドフォース』)
出演:
細川茂樹 栩原楽人
松尾敏伸 渋江譲二 川口真五 松田賢二
山中聡 北原雅樹 湯江健幸 小泉孝太郎
安倍麻美 塚地武雅(ドランクドラゴン)


とある浜辺にオロチと呼ばれる巨大魔化魍が現れた。駆け付けたヒビキと明日夢だったが、圧倒的な力の前に響鬼は倒されてしまう。その責任を感じる明日夢はオロチ対策のため古い文献を調べていたが、その中に自分と同じ名前を見つける。それは遥か戦国時代の鬼の物語だった……。


毎年趣向を変える劇場版ライダーですが、今回は「鬼」という和風テイストから時代劇になるのは必然でしたか。

前回の『剣』、前々回の『555』と、劇場版ライダーはTVシリーズとは無関係のパラレル世界になっていますが(その前の『龍騎』に関してはパラレル世界自体が作品の根本設定となっていたので問題なし)、今回は時空を越えて帳尻を合わせようとした模様。

まあ、でも結局は本作の現代部分もTVシリーズとは無関係のパラレル世界になってしまいましたけどね(※本作のような響鬼と明日夢の師弟関係はTVシリーズでは描かれなかったし、アームドセイバーの設定も違いました)。

とりあえずプロデューサーの交代劇とかいった部分は別の機会に書く(かもしれない)として、ここでは映画の出来に集中して感想を書こうと思います(※以下、ネタバレ注意)


まず、物語構造が現代の明日夢が古い文献を読みふけることで戦国時代に舞台が移るという「現代」と「戦国時代」の二層構造になっていますが、これが上手く機能していません。

現代の明日夢の物語が「足がすくんだ自分のせいでヒビキが大怪我をしたことから勇気を振り絞る」なのに対して、過去の明日夢は「兄を死に追いやったヒビキを恨み、鬼を嫌っていたが……」というまったくの別物語。

明日夢を主人公とするなら「過去の明日夢も臆病だったけど、勇気を出してヒビキを助けたことを現代の明日夢は文献から知り、自分も勇気を振り絞ろうと頑張る」といった物語のリンクのさせ方がなければ意味がないでしょう。

しかも戦国時代の物語は、誰が主人公かが曖昧で感情移入するポイントが見当たりません。明日夢視点とカブキ視点とヒビキ視点が混在し、ただでさえ短い上映時間を無駄に消費する結果となりました(そういやカブキというキャラは井上敏樹脚本が好むタイプだよなぁ)。

途中、現代の病院で入院中のヒビキの描写が入りますが、そこに大した意味はなく、またさっさと戦国時代に舞台が戻ったりして、全体の印象も散漫です。


ならば本作の物語前提で考えるなら──

冒頭の1戦はオロチ相手ではなく通常の魔化魍相手。
そして明日夢が《猛士》(※ライダー支援組織)の活動で資料整理をしていると、古い文献に自分と同じ名前を見つけ、昔の鬼たちの活躍に思いを馳せると、そこから映画の舞台は戦国時代に移行する。

そのまま戦国時代での物語をずっと続け、そして遂にオロチとの最終決戦!……と思いきや、画面はフィルムが焼けるかのように止まってしまい、現代の明日夢が文献を捲る場面に。

なんと、それ以降のページが欠落していて結末はわからずじまい。そこへ魔化魍出現の一報が入り、ヒビキと明日夢は現地に駆け付けるが、そこで明日夢が見たのは文献で見たオロチそっくりの魔化魍。

苦戦する響鬼を前に、文献の記述を思い出した明日夢が洞窟に入ると1本の刀を見つける。その刀を必死に響鬼に届ける明日夢。そして《装甲響鬼》となった響鬼はオロチを一刀両断にする。

空を見上げ、戦国時代の鬼たちの勝利を信じる明日夢。
そしてエピローグ。
戦国時代での戦いを終えた鬼たちが全国へと帰っていく。その鬼たちを支援する組織を作ることを決意する過去の明日夢たち……。

──ぐらいの流れで見せればいいんじゃないでしょうか?


どうしても現代と戦国時代の描写を交互に入れる作りにしたいなら、物語自体にその意味を組み込む必要があります。例えば、冒頭の1戦で倒れたヒビキのその意識だけが戦国時代の響鬼の体に飛ぶといった話とか。

そこでヒビキは明日夢そっくりの男の子や仲間たちと出会って驚いたりしつつ、ハッと意識が戻ると現代の病室。
夢だったのかなぁと思うけど、再び意識を失うと戦国時代に。
そしてオロチとの最終決戦の最中に意識が現代に戻ってしまい、もう一度行かなければと思っても、もう二度と戦国時代には行けず。

そんな中、現代でオロチそっくりの魔化魍と遭遇。
響鬼は苦戦する中、戦国時代の記憶にある洞窟に明日夢を走らせると、そこには1本の刀が。
で、装甲響鬼となって倒す、と。

明日夢が「なんであそこに刀があるって知ってたんですか?」と聞くと、ヒビキは「お前が教えてくれたんだ」などと答えて、明日夢がきょとんとしたりして。
で、戦国時代でのエピローグが流れてFIN──。

まあ、これだと明日夢を脇に追いやってヒビキだけを主役に据えた作りになりますけど、脚本ほかスタッフが変わってTVシリーズの雰囲気を作れないのならこういう方向にしちゃうのも手だったのでは? それはそれで劇場版ならではという感じだし。


あとは──
安倍麻美のキャスティングが無意味。
ご当地ライダーという響きだけの企画。
TV版ライダー3人と劇場版ライダー5人との造形差がありすぎ(ハバタキとキラメキは許容範囲だけど)。

平成ライダーで私の一番のお気に入りだっただけに劇場版への期待も高かったんですが……残念。
恒例の「ディレクターズカット版DVD」ではもう少しマシになっているのかな? 機会があったら観てみたいものです。

魔法戦隊マジレンジャー/インフェルシアの花嫁 [2006年11月19日(日)]

●魔法戦隊マジレンジャー/インフェルシアの花嫁

監督:
竹本昇(『特捜戦隊デカレンジャー』最終回ほか)
出演:
橋本淳 松本寛也 甲斐麻美 別府あゆみ
伊藤友樹 市川洋介 平田薫 渡辺梓
曽我町子
声の出演:
磯部勉 草尾毅 比嘉久美子 檜山修之


小津家の5人兄弟は冥府インフェルシアから世界を守るマジレンジャー。その末っ子・魁は高校サッカー部に所属し、マネージャーの山崎さんに思いを寄せていた。でも山崎さんの想い人は魁が変身した姿のマジレッド。正体を明かせない魁は歯がゆい毎日。そんなある日、インフェルシアのバーサーカー一族の王・ブライドンは山崎さんを自分の花嫁にしようとさらっていってしまった……!


これはやばいです。
私、劇場で頬が緩みっぱなしです。
恥ずかしいぐらいの青春を照れることなく繰り広げてます。
いや、観てるこっちは照れまくりなんですが。

こいつぅ〜とばかりに山崎さんの両頬をぷにっと掴む魁ちん。しかもこれが、後々マジレッドも山崎さんの両頬をぷにっと掴むことで彼女がマジレッドの正体に気付く伏線になっていて、でも最後のエピローグで山崎さんはそれは口にしないで、今度は彼女が魁ちんの両頬をぷにっと掴み返すという……ああああああああ、恥ずかしいよぉ。

毎年、ヒロインキャラは芸能人がゲスト出演するのが恒例になってましたが、今回はTVに山崎さんという魁のヒロインが存在することで、レッドが浮気するのも良くないと(笑)、山崎さん=平田薫が劇場版ヒロインに大抜擢されました。

これが大正解で、本作は劇場版戦隊の中で屈指の完成度。


「バーサーカー一族の王が純粋な心の人間と結婚すると死霊の魂が解き放たれ、不死身の最強軍団が復活する」──これこそが世界にとっては脅威なんだけど、魁ちんだってそれは分かっているけれど、でも、あくまでも山崎さんを助けたいという気持ちで動くのがいい。

山崎さんを無事救い出した後に繰り広げられるマジレッドとブライドンとの一騎討ちの際にも、軍団復活を阻止され怒るブランドンに対して、魁ちんは「そんなことのために山崎さんに恐い思いをさせやがって!」とストレートに怒るのがいい。

(この場合、台詞を端折って「そんなことのために山崎さんを!」とだけ言わせるのが常套ですが、それでは山崎さんを誘拐した行為だけを怒っているようにも聞こえちゃいますから)

魁ちんの感情の一貫性が物語にも1本芯を通してます。


個人的にちょっと残念だったのは、本作がTVシリーズ中でウルザードの活躍していなかった時期を舞台にしているため、当然のようにウルザードの活躍がほとんど無かったこと。ああ、磯部勉ボイスがぁ。

ま、それは置いといて……
ここ数年の戦隊映画で選ぶなら本作を是非!
セイントカイザーがカッコ良くて、私、玩具買っちゃったしね。


天空大聖者マジエルを演じた曽我町子さんは後々TVシリーズでの再登場も含め、映像作品としては本作が遺作になりました(作品としてはゲーム『宇宙刑事魂』が最後ですが)。ご冥福をお祈りします。

THE タクシー2〜運転手はやっぱり君だ〜 [2006年11月16日(木)]

SIMPLE2000 Vol.109
●THE タクシー2〜運転手はやっぱり君だ!〜

ジャンル:ドライブゲーム
プレイ人数:1人用
メモリ容量:66KB以上
発売元:D3パブリッシャー
(制作:TAMSOFT)


『THE タクシー』の続編。
パッケージには「いろいろパワーアップして登場!」と書かれてはいますが、どちらかというとマイナーチェンジ版といった内容。

ゲーム内容は前作同様「1日の売上ノルマをこなして総売上100万円を目指す」というもの。前作では1日の売上ノルマをクリアしなければ即クビ(=ゲームオーバー)でしたが、本作では週に1回はノルマ未達成の日があっても大丈夫になりました。

前作との違いは以下の3つ。
1.天候システム
2.無線客受けシステム
3.シナリオ客

「天候システム」は単に「雨天の日もある」というだけ。レインタイヤを購入、装備すればOK。所長の後ろに見える窓を見て、雨だったら装備すればいいだけのこと。

「無線客受けシステム」は車を流している時に、無線で「○○で客が待っている。いけるか?」と聞かれるので、行けるようなら承諾するというもの。これはタクシー業務っぽい改良で、ちょっとしたアクセントになりました。


問題は「シナリオ客」。これは「特定の条件下で現れる一風変わった客」というのがいて、例えば目的地を告げず、こちらが行き先を想像して送り届けなくてはならないといったものらしいです。

"らしい"というのは、私は1度もシナリオ客に遭遇しなかったから。今回も33日目ぐらいでノルマ100万円を達成しましたが、その間、1度もシナリオは発生しませんでした。

説明書には「出現条件は内緒ですが(中略)気長にのんびり探してみてください」と書いてありますが、どれだけ気長にならなければならないのかに不安を覚えます。あ、もしかするとノルマ達成もその出現条件のひとつなのかな?(パッケージには「目指せ100万円。そして300万円!そして……!」と書かれてるし)……う〜ん、やる気が起きない。

だったら、ノルマ100万円までの間に、もしくは100万円達成以降のお楽しみとして、例えば何日目にはAという人、何日目にはBという人、といった感じで、言わば「予約客」という扱いでシナリオ客の日を用意するとかしてくれれば良かったんですけどね。

(もちろん普通の「リクエスト客」(※前作感想参照のこと)は夜の営業でちょくちょく出現します)。


前作では徐々にハンドル、ギア、エンジン等が自動的にパワーアップしてましたが、今回は自分で稼いだお金でエンジンを積み替えたり、タイヤを替えたりといったことが必要になっています。とはいえ雨の日用のレインタイヤとターボエンジンぐらいあれば十分です。

(ちなみに初心者用に、ゲームが始まって数日間は運転に慣れるようスピードの出ない旧車を使わされるという工夫もあります)

タクシー上部に取り付ける《ぼんぼり》による効果も健在。本作でもやはり「マネーアップ」がお薦め。後半にはより効果の高いものもカーショップに入荷するので、さっさと付け替えましょう。

今回のマップは「たけのこ市街」「ひまわりニュータウン」「だんご温泉」「うみねこ埠頭」の4つ。とりあえず郊外の道路は前作よりも走りやすくなっているので、本作の方が初心者にお薦めかも。


個人的には前作が予想以上に楽しめたので、期待した分、ただのマイナーチェンジ作でちょっと残念でした。でも、逆に前作未プレイの人なら十分楽しめると思いますよ。

コープスブライド [2006年11月11日(土)]

●コープスブライド

監督/製作:
ティム・バートン(『チャーリーとチョコレート工場』)
監督:
マイク・ジョンソン(『ナイトメアー・ビフォア・クリスマス』アシスタントアニメーター)
声の出演:
ジョニー・デップ(『パイレーツ・オブ・カリビアン』
ヘレナ・ボナム=カーター
(『PLANET OF THE APES/猿の惑星』)
エミリー・ワトソン
(『ほんとうのジャクリーヌ・デュ・プレ』)
クリストファー・リー(『吸血鬼ドラキュラ』)
日本語吹替版:
木内秀信 山像かおり 小林さやか
土屋孝也 宮寺智子 山野井仁 家弓家正


家柄が欲しい成金夫婦とお金が欲しい没落貴族夫婦の利害が一致し、それぞれの一人息子ビクターと一人娘ビクトリアの結婚が決まった。顔も知らない2人だったが、いざ顔を合わせるといい雰囲気。
しかし結婚式のリハーサルでは気弱なビクターは失敗ばかり。落ち込むビクターは森の中で1人で練習を。誓いの言葉を言い終え、手近な小枝に結婚指輪をはめた──その時、小枝と思ったそれは骨の指。なんと彼は死体の花嫁と婚姻を結んでしまったのだ……!


「ティム・バートンの〜」と冠した『ナイトメア〜』以来の作品。CGアニメは氾濫したけどストップモーションアニメ(人形アニメ)はその手間から劇場作品としては稀少です。

さすがに10数年経つとデジタル化の恩恵など技術は飛躍的に向上してますね。とはいえ人形をアニメートする手間だけは変わりませんが。その手間こそが人形に魂を吹き込む作業な訳で、そこが変わらない限り、ストップモーションアニメのアドバンテージは揺るぎません。

その緩急の使い分けなど、ストップモーションアニメは日本のリミテッドアニメに近いかも(今現在、海外の劇場アニメはCGアニメに大移動してますが、あちらはフルアニメ思想の延長)。日本のアニメも下手なCG化は自分の首を絞めるので注意ですよ。


閑話休題。

本作は「生」の世界を暗く、「死」の世界を色彩豊かで明るく描いています。でもこれは死の世界への呼び水などではなく単なるメタファーなのでお間違えなく(「主人公たちを縛る世間」と「それ以外の世界」という)。

主人公ビクターは気が弱く繊細だけど優しい男。でも世間のしがらみの中では生きにくい。婚約者ビクトリアとの出会いを好機に変えたくて、でもそれが裏目に。そして出会った違う世界。そこを絶望が後押しする。彼の優しさはそれを前向きに変えるが……。

あとはネタバレになるので触れませんが、本作は『ナイトメア〜』とは違って闇の世界へは帰結しません。それは「人はあるべき場所に立つことが重要」ということ。視点の違う『ナイトメア〜』と対になっている作品とも言えます。

ただ、物語としては主人公がクライマックスに至るまで状況に流されている部分が強いのが残念なところ。決着も悪役頼みだしね。まあ、そのおかげで死の世界の住人たちがとる行動のシニカルさが際立ってたからいいんだけどね。


別に全てのCGアニメを否定はしませんが、やはりアニメーションとは人が息吹を込めるものだと再確認した秀作。是非。

私のツボ……スクラップス可愛い(笑)。

ジャイアント・ピーチ [2006年11月10日(金)]

●ジャイアント・ピーチ

製作:
ティム・バートン(『ビートル・ジュース』)
原作:
ロアルド・ダーク(『チャーリーとチョコレート工場』)
監督:
ヘンリー・セリック(『ナイトメアー・ビフォア・クリスマス』
声の出演:
ポール・テリー
リチャード・ドレイファス(『ジョーズ』)
スーザン・サランドン(『デッドマン・ウォーキング』)
サイモン・カーロウ(『フォー・ウェディング』)
日本語吹替版:
内田健一(歌:白尾佳也)
嘉門達夫 麻美れい 佐々木勝彦
京田尚子 永島浩之 滝沢ロコ 麦人


イギリスに暮らす9歳の男の子ジェームス。彼は両親を恐ろしいサイに殺されてしまい、いじわるな叔母たちの家に引き取られてひどい仕打ちをうけていました。
ある日、ジェームスは不思議な老人から食べれば素晴らしいことが起こるという魔法の何かを貰いました。しかし誤って桃の木の根元にこぼしてしまいます。するとたちまち巨大な桃がなりました。

ジェームスは叔母たちの目を盗んで桃をひと口。その時、残っていた魔法の何かの1匹がジェームスの口に飛び込むと、桃に不思議なトンネルができました。
桃の中には大きくなった虫たちが──陽気なムカデ、ミステリアスな美人グモ、優しいテントウムシ、音楽家のキリギリス、臆病なミミズ、ちょっとボケてる土ボタル。
巨大な桃と共にニューヨークへの旅が始まります……。


1996年公開作品。
本作をアニメに区分していいのか微妙なんですが(アニメ部分は正味40分ほど。映画冒頭とラストは実写)、やはり『ナイトメアー・ビフォア・クリスマス』に連なる系譜ということで。

とはいえ、今回、ティム・バートンは製作のみで、コンセプトデザインなどは別の人間が手掛けています(キャラクターデザインは児童文学の挿絵画家レイン・スミス)。音楽もバートン作品といえばダニー・エルフマンですが、本作では『トイストーリー』のランディ・ニューマンが手掛けるなど、実に真っ当な児童文学の映像化作品となっています。


総じて毒は少なめながらも、原作が内包するものはティム・バートンのそれと同じ(まあ、だからこそティム・バートンはこの原作を選び、製作したんでしょうけど)。

叔母という名の世間には認められていないけど、でも実はちゃんと才能も勇気も持っている少年ジェームス。それを違う世界の虫たちはきちんと認めてくれます。

皆(特に子供)が思う世間なんて、世界のほんの一部でしかない。
くだらない人間に無理に自分を合わせる必要なんかない。
そんな努力をするぐらいなら違う世界へ踏み出す努力をしよう。
自分の家族(仲間)を見つけよう。

そんな映画です。


本作は家族を無くした少年が、旅の果てに家族を得る物語。
終わり方が『チャーリーとチョコレート工場』と印象が近いと思ったら、原作は同じ人物だと今回知りました(『〜チョコレート工場』は劇場に足を運ばなかったのでパンフ見てないんですよね)。
うわっ、10年越しで記憶がリンクしたよ。


思うのは、きっと今ならジェームスの姿は変化せずにCGの虫たちと共演してるんだろうなぁということ(いや、ジェームスもCGか?)。

でも本作は、このストップモーションアニメ(命名ファンタメーション)の肌触りで映像化されて良かったと思える作品。これはこれで表現の限界もあるけれど、CGアニメがいまひとつ超えられない感情表現と比べれば差は歴然でしょうから。

ナイトメアー・ビフォア・クリスマス [2006年11月09日(木)]

●ナイトメアー・ビフォア・クリスマス

製作/原案/キャラクター設定:
ティム・バートン(『シザーハンズ』)
監督:
ヘンリー・セリック(『Slow Bob in the Lower Dimensions』)
声の出演:
クリス・サランドン(『フライトナイト』)
(歌:ダニー・エルフマン)
キャサリン・オハラ(『ホームアローン』)
ウィリアム・ヒッキー(『男と女の名誉』)
グレン・シャディックス(『ビートルジュース』)
日本語吹替版:
市村正親 土居裕子
三ツ矢雄二 大平透 園岡新太郎
松沢重雄 小林アトム 永江智明


《ハロウィンタウン》では年に一度のお祭りが大成功。しかし、ジャック・スケリントンは浮かない顔。毎年毎年変わり映えしない祭りにうんざりしていた。たまたま迷い込んだ様々な扉のある場所。ジャックがひとつの扉を開けると、そこに広がるは《クリスマスタウン》。たちまちジャックはクリスマスの虜になった……。


1994年に公開された人形アニメ──なんて説明は今さらですね。今やディズニーランドで毎年のようにハロウィンシーズンには、ホーンテッドマンションがナイトメアー仕様になったりもしてますし。

観返す機会があったので、感想をば。

ティム・バートンは1983年の時点で(今とは違う形ながら)同題名作を企画していたように、本作は彼の原点と言えるでしょう。

その時の企画は残念ながら実らず。しかし、それから11年という時間は「技術的な向上」や「最高のスタッフ」を得ることに繋がり、結果、ティム・バートンという男の全てを詰め込み、珠玉の作品として完成した奇跡が本作『ナイトメア〜』です。


画面に溢れるフリークスたちへの愛(それは他のバートン作品でも一貫してるけど)。

闇の住人が光に憧れ、光を模索し、でも光の世界には拒絶されてしまう。だがしかし光に迎え入れられることが幸せではない。闇は闇のままでいて幸せなのだ。

ここで大人(=世間が思う良識)が思い描くハッピーエンドであれば、サンタと和解し、街の人々とも和解をし、ジャックたちは光の世界の住人として生まれ変わるところ(例えばサンタ見習いになるとか)。

でも、そうではない。本作は自分というものを確立していれば光に捕らわれることこそが愚かなことだと言っているのである。それは世間から見れば単なるマイノリティのひがみかもしれない。しかし本作のジャックを見よ。なんと生き生きしていることか。

サンタに良識人と言わしめたサリーだってジャックに光の世界を望みはしない。ジャックはジャックらしくあって欲しいと願うだけである。


世界は個性があるから素晴らしいのだと高らかに謳い上げた名作。
……だから今の日本で本当の意味で本作が受け入れられているとは私にはどうしても思えないんですけどね。

強者は自分が強者だとは気付きもしない。ならば弱者とされる者よ。ジャックになろう。ハロウィンタウンの仲間になろう。決して1人ではないのだから。


余談。
本作を最初に目にした時、それ以前に観たことがある1991年頃の何かのアニメ祭のグランプリ作品『The Sandman』の作者(ポール・ベリー(英))の作品と思った私。だって、その作風といい、ダークなテイストといい、時期的にも合致するでしょ?

でも、製作・原案・キャラクター設定がティム・バートンで、監督もヘンリー・セリックという人。うむむ。

で、エンドロールを見たら……いた!
ANIMATORSの中にPaul Berryの名前が。
だよね〜、という安堵感もいい思い出です(笑)。

(ちなみに今年2006年のフランスの「アヌシー国際アニメーションフェスティバル」の特別企画「アニメーションの世紀100作品」の中に『The Sandman』が入っているのを発見。なんか嬉しかったりして)

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