ある病院・・父の場合 [2007年11月01日(木)]
・・もう過去のことである・・
・・自分の中で封印していたし、もう、触れることの無い様にしてきた・・
・・今更、中傷する気も、訴える気ももうない・・
・・ただ、「時津風部屋での暴行事件」を知ったときに、封印が
解けてしまった・・
・・それ以来ずっと、書こうか書くまいか迷い、今まできた・・
・・ラブホのような造りの病院のこともあり、こういう病院があると
いうことを紹介しておいた方がいいかもとだんだん思うようになったこと、
そして私自身の封印の解けた心の重石を置き去る為に、書くことにした・・
・・チョット長くなるかもしれない・・
ある病院・・国道41号を、ラブホのような造りの病院から北上して
車で10分とかからないところにある・・
この病院は、「時津風部屋の暴行事件」の時の被害者である、斉藤君が
運ばれた病院である。
・・圧力がかかったのかどうかはしらないが、無数の暴行跡があるのに
そのことには触れず、「急性心不全」とだけ診断した所だ・・
この病院には苦い思い出が2つある・・
これはそのうちの一つ・・
私が結婚してもうすぐ半年経とうとしていたころ、それは起きた。
母から、多分15時くらいだったろうか急にTellがあり、
父が倒れたという。
何故か、家から車で1時間くらいはかかるような場所の県立病院からだった・・
・・父は、確かにヘビースモーカーだったが、それまで大病一つ
かからず、食はやや細めだったが中肉中背の体で、病院にほとんど
かかったことがなかった。
元々我慢強いのと、チョット人見知りの所があり、病院に通うのは
あまり好きではなかったようだ。
多少具合の悪い時は、市販薬を飲んで対応している人だった・・
・・その父が急に倒れたという・・
原因が分からない・・
母が言うには、その日の朝、珍しく具合が悪いから病院へかかると
言い出し、家から一番近い病院がこの病院だったため、そこに
行ってしまった・・
・・それが最悪の選択になるとは予想もしないで・・
・・少し余談だが、外来での看護師は受付や、Drから指示された注射や
点滴、検査などをする傍ら、待っている患者の中で、感染症
(簡単のだと、はしかとか)の疑わしい患者がいれば、ほかの患者に
移らないように別室に隔離し、重症そうだと思しき患者がいれば、
その患者を優先的に診察してもらうよう手配することも仕事の一つ。
・・父がこの病院で診察を待っている間、そういう手配を看護師が
してくれたかは不明である・・
・・父の性格上、多分がまん強く耐え、順番がくるのを待っていたと
思われる・・
そして診察を受け、緊急OPEが必要だが、この病院では
対応できないので救急車で転送され、(20分くらいでつくところにも、
そのOPEができる病院があったにも関わらず、)遠い県立病院に
運ばれたという事だった・・
母は医学的知識もないし、ましてや急なことで動転していたと
予測されるので、多分いわれるがまま、行動したと思われる・・
だから、転送先を県立病院に決めたのはこの病院のDrであると
思われる・・
転送先の病院は、心臓血管系に力を入れている病院で、
選択肢としては間違っていないが、あまりにも遠すぎる・・
搬送途中で死亡するの可能性が高い、それぐらいの緊急度の状態のだから・・
もしかしたら、20分くらいでつく病院に、転送を打診したかもしれないが、
その病院が別の緊急OPE中で、どうしても受け入れられないと
いわれたのかもしれない・・
・・でも、もう真相を知るすべはない・・
私たちが県立病院に着いたのは17時くらいだったか・・
ちょうど、Drから、父の病気とOPEの説明とその承諾を取ろうと
母に話をしようとしたところだった・・
告げられた病名は、胸腹部大動脈瘤破裂。
くらくらした・・何故父がこんな病気に・・
・・これも余談だが、大動脈というのは心臓から直接出ている
太い血管で、ここから細かい血管が分岐し全身に張り巡らされ、
血液循環を行っている重要血管である。
この血管が、動脈硬化などの原因で、ちょうど古いゴム管がもろく
崩れていくように、心臓から送られてくる血液の圧力に耐えられなくなり、
こぶができるのが、大動脈瘤という病気である。
父の場合は、そのこぶが、胸やお腹にいくつかできており、そのうちの
胸のこぶが破裂している状態だった。
なので、胸の中いっぱいに血液が溜まり、結果肺を押しつぶし、
酸素の取り込みが上手くできない状態だった。
本来なら、一刻の猶予もなくすぐOPEを、しかも、ほかのこぶが
OPEの負荷に耐えられるよう調整しつつ、破裂する前に終了しなければ
ならないと命がない状態だった。
しかもこのOPEはリスクが高く、仮に成功しても、下半身マヒとか、
脳障害など、後遺症が残る可能性がある・・
・・もう発症から時間が経ちすぎている・・
さらに、これ以上時間をかけることは許されない・・
私は、ICU看護師であることを告げ、承諾書もすぐ書き、
母や家族、そして父への説明を私がするから、一刻も早くOPEを
して欲しいと願い出た。
Drは私の申し出を受けてくれ、すぐにOPEの準備に取り掛かりに
行った・・
ベッドに横たわる父は、様々な点滴や検査用チューブ、モニターや
酸素チューブに繋がれていた。
それは、職場であるICUでは、ごく当たり前のように幾度も
見てきた光景・・
そして、それらのモニター類は、父の状態がかなり悪い事をどれもが
示していた・・
当然父は医療知識がないので、それらの意味は知らない・・
それでも雰囲気で感じているのだろう・・
心配かけないように、息も絶え絶えに「胸が・・苦しくてな・・」と
笑おうとする・・
・・あなたの言うことは当然です・・あなたの肺はほとんど血に
押しつぶされて機能しなくなっているのですから・・
・・そんな事はいえない、父に動揺を与えてはいけない・・
感情を殺し、私は父に、「息苦しいよね・・先生もいろいろしてくれたの
だけれど、この息苦しさをとるには手術しかないんだって・・
・・だから、元気になるように手術受けようね・・」と告げた・・
父は、「分かった」とすぐに受け入れ、サインは私が代筆したのだが、
拇印を取らせて貰った・・
そして、OPE室へ・・
通常なら、成功すれば、8時間前後で戻ってくる・・
・・家族や親戚には、命が危ないことは言えず、時間がかかる
大きな手術であることのみを告げた。
手術の成功率が低いこともいえなかった・・
・・私自身が賭けたかったから・・父のOPEの成功を・・
なので、交代で、病院に残る人と、仮眠をする人に分け、
たまたま旦那の実家が近くにあった私は、先にその実家で仮眠を
することにした・・
・・でも寝れなくて、数時間で病院に戻り、待機していた・・
突然、OPE終了と看護師に告げられる・・
そんなはずは・・予定時間よりも早すぎる・・
いやな予感を振り払いながら、OPE室から戻ってくる父を待つ・・
・・事実上は術中死だった・・
・・・私は賭けに負けたのだ・・
術中、父の大動脈が耐え切れず、ほかのこぶが破裂、大出血を起こし、
止血を試み、血液を点滴したのだが追いつかず、脳に回る分の血液が
不足し、脳死状態で戻ってきた・・
その目は開いているけど、何も見ておらず、話しかけに応ずる事もない・・
心臓もほとんど機能しておらず、痙攣のように動くのみ・・
・・心臓が動いている事が、生きているという事なら、父の寿命は、もう
尽きようとしていることになる・・
とにかく家族や親戚を改めて集め、最後の面会をさせた・・
その間何とか父を持たせようと次々と投与される血液・・
あんまり入れると、むくみが酷くなって、顔が変わってしまうから・・と
勝手に、少しだけその点滴を少なめに入るよう調節する・・
県立病院の看護師やDrはそのことに、何もいわなかった・・
・・OPE前に話した会話が最後の会話になってしまった・・
その後、Drから死亡を告げられた。
そのとき、DrにCTやレントゲンを見せて欲しいと願い出たのだが、
Drは快く見せてくれた・・
CTでは、予想以上に大動脈から血液が胸に漏れ出しており、これでよく
父は、OPE前、意識を失う事もなく、会話ができたことが不思議な
くらいだった・・
このとき、Drに、ここに転送を決めたあの病院のDrの名前、そして、
紹介状に書かれているだろうあの病院が下した父の状態の診断、
何故こんな遠い県立病院に、高リスクであるにも拘らず、転送を
決めたのかなど、聞きたい衝動に駆られたが、そんなことをしても
父は戻ってこない・・
・・ので、止めた・・
その後、県立病院の看護師の好意で、私は旦那と共に父の体を清め、
葬儀場に向かった・・享年57歳だった・・
・・もし、朝、具合が悪い時に、もしくは、転送される時にでも
連絡をくれれば、父はもっと早くOPEを受ける事ができ、生き延びたかも
しれないと思うと、今でも悔しいし、歯がゆい・・
・・いやもしかしたら、この病院に行かず、このOPEのできる、
近くの病院に行っていたら・・とも思う・・
この病院での対応が、どうだったのか、私は見てないし、母に聞いても
動揺していたので、覚えていないだろうから、もしかしたら、
ちゃんと対応したのかもしれない・・
・・ただ、いろいろ疑問を持つ部分があるので、信用できないし
気分が悪い・・
(この数年後、母がこの病院に入院した時に内情を知ってしまったため、
この疑問はさらに膨らむこととなるのだが・・)
・・でも、もう真実は分からないのだから・・
と、父の死の事を心の中で封印した・・
・・そして今に至る・・
・・自分の中で封印していたし、もう、触れることの無い様にしてきた・・
・・今更、中傷する気も、訴える気ももうない・・
・・ただ、「時津風部屋での暴行事件」を知ったときに、封印が
解けてしまった・・
・・それ以来ずっと、書こうか書くまいか迷い、今まできた・・
・・ラブホのような造りの病院のこともあり、こういう病院があると
いうことを紹介しておいた方がいいかもとだんだん思うようになったこと、
そして私自身の封印の解けた心の重石を置き去る為に、書くことにした・・
・・チョット長くなるかもしれない・・
ある病院・・国道41号を、ラブホのような造りの病院から北上して
車で10分とかからないところにある・・
この病院は、「時津風部屋の暴行事件」の時の被害者である、斉藤君が
運ばれた病院である。
・・圧力がかかったのかどうかはしらないが、無数の暴行跡があるのに
そのことには触れず、「急性心不全」とだけ診断した所だ・・
この病院には苦い思い出が2つある・・
これはそのうちの一つ・・
私が結婚してもうすぐ半年経とうとしていたころ、それは起きた。
母から、多分15時くらいだったろうか急にTellがあり、
父が倒れたという。
何故か、家から車で1時間くらいはかかるような場所の県立病院からだった・・
・・父は、確かにヘビースモーカーだったが、それまで大病一つ
かからず、食はやや細めだったが中肉中背の体で、病院にほとんど
かかったことがなかった。
元々我慢強いのと、チョット人見知りの所があり、病院に通うのは
あまり好きではなかったようだ。
多少具合の悪い時は、市販薬を飲んで対応している人だった・・
・・その父が急に倒れたという・・
原因が分からない・・
母が言うには、その日の朝、珍しく具合が悪いから病院へかかると
言い出し、家から一番近い病院がこの病院だったため、そこに
行ってしまった・・
・・それが最悪の選択になるとは予想もしないで・・
・・少し余談だが、外来での看護師は受付や、Drから指示された注射や
点滴、検査などをする傍ら、待っている患者の中で、感染症
(簡単のだと、はしかとか)の疑わしい患者がいれば、ほかの患者に
移らないように別室に隔離し、重症そうだと思しき患者がいれば、
その患者を優先的に診察してもらうよう手配することも仕事の一つ。
・・父がこの病院で診察を待っている間、そういう手配を看護師が
してくれたかは不明である・・
・・父の性格上、多分がまん強く耐え、順番がくるのを待っていたと
思われる・・
そして診察を受け、緊急OPEが必要だが、この病院では
対応できないので救急車で転送され、(20分くらいでつくところにも、
そのOPEができる病院があったにも関わらず、)遠い県立病院に
運ばれたという事だった・・
母は医学的知識もないし、ましてや急なことで動転していたと
予測されるので、多分いわれるがまま、行動したと思われる・・
だから、転送先を県立病院に決めたのはこの病院のDrであると
思われる・・
転送先の病院は、心臓血管系に力を入れている病院で、
選択肢としては間違っていないが、あまりにも遠すぎる・・
搬送途中で死亡するの可能性が高い、それぐらいの緊急度の状態のだから・・
もしかしたら、20分くらいでつく病院に、転送を打診したかもしれないが、
その病院が別の緊急OPE中で、どうしても受け入れられないと
いわれたのかもしれない・・
・・でも、もう真相を知るすべはない・・
私たちが県立病院に着いたのは17時くらいだったか・・
ちょうど、Drから、父の病気とOPEの説明とその承諾を取ろうと
母に話をしようとしたところだった・・
告げられた病名は、胸腹部大動脈瘤破裂。
くらくらした・・何故父がこんな病気に・・
・・これも余談だが、大動脈というのは心臓から直接出ている
太い血管で、ここから細かい血管が分岐し全身に張り巡らされ、
血液循環を行っている重要血管である。
この血管が、動脈硬化などの原因で、ちょうど古いゴム管がもろく
崩れていくように、心臓から送られてくる血液の圧力に耐えられなくなり、
こぶができるのが、大動脈瘤という病気である。
父の場合は、そのこぶが、胸やお腹にいくつかできており、そのうちの
胸のこぶが破裂している状態だった。
なので、胸の中いっぱいに血液が溜まり、結果肺を押しつぶし、
酸素の取り込みが上手くできない状態だった。
本来なら、一刻の猶予もなくすぐOPEを、しかも、ほかのこぶが
OPEの負荷に耐えられるよう調整しつつ、破裂する前に終了しなければ
ならないと命がない状態だった。
しかもこのOPEはリスクが高く、仮に成功しても、下半身マヒとか、
脳障害など、後遺症が残る可能性がある・・
・・もう発症から時間が経ちすぎている・・
さらに、これ以上時間をかけることは許されない・・
私は、ICU看護師であることを告げ、承諾書もすぐ書き、
母や家族、そして父への説明を私がするから、一刻も早くOPEを
して欲しいと願い出た。
Drは私の申し出を受けてくれ、すぐにOPEの準備に取り掛かりに
行った・・
ベッドに横たわる父は、様々な点滴や検査用チューブ、モニターや
酸素チューブに繋がれていた。
それは、職場であるICUでは、ごく当たり前のように幾度も
見てきた光景・・
そして、それらのモニター類は、父の状態がかなり悪い事をどれもが
示していた・・
当然父は医療知識がないので、それらの意味は知らない・・
それでも雰囲気で感じているのだろう・・
心配かけないように、息も絶え絶えに「胸が・・苦しくてな・・」と
笑おうとする・・
・・あなたの言うことは当然です・・あなたの肺はほとんど血に
押しつぶされて機能しなくなっているのですから・・
・・そんな事はいえない、父に動揺を与えてはいけない・・
感情を殺し、私は父に、「息苦しいよね・・先生もいろいろしてくれたの
だけれど、この息苦しさをとるには手術しかないんだって・・
・・だから、元気になるように手術受けようね・・」と告げた・・
父は、「分かった」とすぐに受け入れ、サインは私が代筆したのだが、
拇印を取らせて貰った・・
そして、OPE室へ・・
通常なら、成功すれば、8時間前後で戻ってくる・・
・・家族や親戚には、命が危ないことは言えず、時間がかかる
大きな手術であることのみを告げた。
手術の成功率が低いこともいえなかった・・
・・私自身が賭けたかったから・・父のOPEの成功を・・
なので、交代で、病院に残る人と、仮眠をする人に分け、
たまたま旦那の実家が近くにあった私は、先にその実家で仮眠を
することにした・・
・・でも寝れなくて、数時間で病院に戻り、待機していた・・
突然、OPE終了と看護師に告げられる・・
そんなはずは・・予定時間よりも早すぎる・・
いやな予感を振り払いながら、OPE室から戻ってくる父を待つ・・
・・事実上は術中死だった・・
・・・私は賭けに負けたのだ・・
術中、父の大動脈が耐え切れず、ほかのこぶが破裂、大出血を起こし、
止血を試み、血液を点滴したのだが追いつかず、脳に回る分の血液が
不足し、脳死状態で戻ってきた・・
その目は開いているけど、何も見ておらず、話しかけに応ずる事もない・・
心臓もほとんど機能しておらず、痙攣のように動くのみ・・
・・心臓が動いている事が、生きているという事なら、父の寿命は、もう
尽きようとしていることになる・・
とにかく家族や親戚を改めて集め、最後の面会をさせた・・
その間何とか父を持たせようと次々と投与される血液・・
あんまり入れると、むくみが酷くなって、顔が変わってしまうから・・と
勝手に、少しだけその点滴を少なめに入るよう調節する・・
県立病院の看護師やDrはそのことに、何もいわなかった・・
・・OPE前に話した会話が最後の会話になってしまった・・
その後、Drから死亡を告げられた。
そのとき、DrにCTやレントゲンを見せて欲しいと願い出たのだが、
Drは快く見せてくれた・・
CTでは、予想以上に大動脈から血液が胸に漏れ出しており、これでよく
父は、OPE前、意識を失う事もなく、会話ができたことが不思議な
くらいだった・・
このとき、Drに、ここに転送を決めたあの病院のDrの名前、そして、
紹介状に書かれているだろうあの病院が下した父の状態の診断、
何故こんな遠い県立病院に、高リスクであるにも拘らず、転送を
決めたのかなど、聞きたい衝動に駆られたが、そんなことをしても
父は戻ってこない・・
・・ので、止めた・・
その後、県立病院の看護師の好意で、私は旦那と共に父の体を清め、
葬儀場に向かった・・享年57歳だった・・
・・もし、朝、具合が悪い時に、もしくは、転送される時にでも
連絡をくれれば、父はもっと早くOPEを受ける事ができ、生き延びたかも
しれないと思うと、今でも悔しいし、歯がゆい・・
・・いやもしかしたら、この病院に行かず、このOPEのできる、
近くの病院に行っていたら・・とも思う・・
この病院での対応が、どうだったのか、私は見てないし、母に聞いても
動揺していたので、覚えていないだろうから、もしかしたら、
ちゃんと対応したのかもしれない・・
・・ただ、いろいろ疑問を持つ部分があるので、信用できないし
気分が悪い・・
(この数年後、母がこの病院に入院した時に内情を知ってしまったため、
この疑問はさらに膨らむこととなるのだが・・)
・・でも、もう真実は分からないのだから・・
と、父の死の事を心の中で封印した・・
・・そして今に至る・・






