李小龍童年往時(四)『危樓春暁』 [2004年01月21日(水)]
李小龍童年往時(四)『危樓春暁』'53年製作、監督:李鐵、主演:張瑛、李小龍ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー香港返還が近づいた90年代、「借り物の時間、借り物の土地」を生きていた消費文化の香港人にもノスタルジーが生まれ、過去を振り返る作業が繰り返された。ブルース・リーの再評価が高まったのもその表れだったが、武侠片が復活したり、古い広東語映画が見直されたりしたのも、その同じノスタルジーによるものだ。93年に製作された『新難兄難弟/月夜の願い』は、そんな時代の風潮を最も反映した映画のひとつだった。60年に作られた謝賢主演の『難兄難弟』のリメイクであるが、実はこの『危樓春暁』に捧げられたオマージュでもあった。下町のボロ・アパートに住む住人たちの悲喜こもごもを、人情味豊に描いた『危樓春暁』は、50年代の広東語映画を代表する名画中の名画なのである。『新難兄難弟/月夜の願い』ばかりではなく、70年代に広東語映画復活の狼煙を掲げた『七十二家房客』や、『馬路小英雄』など、この映画から影響を受けた作品は数多く存在する。ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー『新難兄難弟/月夜の願い』は、主人公・梁朝偉(トニー・レオン)が、タイムスリップして若き日の両親と出会い、理解出来なかった父親の生き方を理解するようになるというものだった。この若き日の父親役を演じたのが梁家輝で、この時の彼の役名は呉楚帆である。もう既に何度もこの特集に登場したのでお馴染みの名前だろうが、仲間の俳優たちと「中聯」を主催し、広東語映画の向上を図った功労者だ。勿論この映画にも出演しており、『新難兄難弟/月夜の願い』における梁家輝の口癖「人々は我のため、我は人々ため"人人我為、我為人人"」というのは『危樓春暁』で呉楚帆が言うセリフなのだ。他にも『新難兄難弟/月夜の願い』で梁家輝らが住んでいる長屋は「春風街」だったり、そこには高魯泉、紫羅蓮といった『危樓春暁』の俳優たちが住んでいたり、劇中の子役が李小龍だったりするお遊びも満載で、本来はこの『危樓春暁』を見ていなければ解らない楽屋オチが満載だったのだ。ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー『危樓春暁』における李小龍の登場場面は僅かで、黄楚山&黄曼梨夫妻の子供・華仔として4分ころに登場する。貧しい両親を気遣うナイーブな少年を演じ、天才子役の名に恥じない演技を見せてはいるが、やはりトータルしても5分と出番はない。この『危樓春暁』が公開されたのは53年11月27日で、それは李小龍13才の誕生日のことであった。当時、既にグレていたというが、映画からは微塵もそんな事を感じさせはしない。実年齢よりも幼く見えることもあってか、このような子役でキャスティングされているのであろう。それよりもこの時代の映画で珍しいのは、当時の香港の風景なのではあるまいか?古い香港映画を見る機会はあっても、そのほとんどが60年代以降の映画か、古くても時代劇になってしまうため、当時の町並みなどを写した現代劇の風景は非常に貴重なものであると言える。まず驚くのはビルが無いことだろう。香港といえば狭い土地に林立する高層ビル群というのが目に浮かぶが、耐震設計を盛り込まれた高層ビル計画のスタートは68年ころから。この映画の製作された53年には、まだ高層ビルなど存在してはいないのだ。戦後の復興からはまだ8年、いまだ大量消費社会になる前の香港の姿がそこにある。"人々は我のため、我は人々ため"・・・・今は失われた風景の中に、この言葉もいつしか消えていったのだろうか。ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー李小龍童年往時(五)へと続く








