鉄腕投手 [2008年08月22日(金)]

 昭和三十三年、西鉄ライオンズ(埼玉西武ライオンズの前身)は、日本シリーズで宿敵・読売ジャイアンツと対戦。第一戦から第三戦までを落としたが、絶対に負けられない第四戦、エース・稲尾和久の登板で勝利すると、そのまま波に乗り四連勝で逆転優勝。

 この試合が今に至るまで語り継がれているのは理由がある。

 第一戦、第三戦にも登板し、ジャイアンツに苦杯を嘗めた稲尾は、四戦以降、第七戦までひとりで投げ抜き、西鉄ライオンズに奇跡の優勝をもたらしたのである。
 十日間で六試合に登板、投球回数は実に四十七回、投球数五百七十八球は、日本野球史はおろか、世界の野球史に残る、空前絶後の大記録だ。

 「神様、仏様、稲尾様」とは、その時の西鉄ファンが残した言葉だが、全ての野球ファンが、この偉大なる投手に対し、敬愛の念を込めて“鉄腕”と呼んだ。

 時は平成の世に移り、もうひとりの“鉄腕”が誕生した。

 北京オリンピック、日本女子ソフトボール・チームのエース・上野由岐子選手その人だ。

 日本チームは毎回金メダルを期待されながら四位、銀、銅と常にあと一歩のところで優勝を逃し、シドニーでは全勝で決勝に進みながらも、ページシステム(三位決定戦を勝ち上がったチームと決勝を争う)をクリアしてきたアメリカに敗れた。
 アテネではエース・上野がオリンピック史上初の完全試合も達成したが、チームは銅メダルと涙を飲んだ。
 
 今大会以降、ソフトボールは競技種目から外れる、これが最後のチャンスだった。

 予選二位の日本は、初戦に負けたアメリカと準決勝で対戦。ここでもアメリカに敗れ、ダブルヘッダーでオーストラリアと三位決定戦を迎える。死闘と呼ぶにふさわしい戦いは、延長の末に日本が勝利、これでページシステムにより決勝へと進む。

 上野はこの二試合を投げ抜き、決勝のアメリカ戦でも先発完投。日本はついに念願の金メダルを獲得した。優勝の立役者である上野は、三試合連続登板、投球回数二十八回、投球数四百十三球という大活躍で、日本ソフト悲願の金メダルに大きく貢献した。
 
 稲尾の快投からちょうど五十年、日本球界は、二人目の“鉄腕”を歴史に刻んだ。

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