『拳門/血門』 [2008年10月12日(日)]

『拳門/血門』'72年製作(?)、監督:呉天池、主演:ケ光榮

 この映画は決して手放しで傑作と誉めたたえられるほどの映画ではないが、色々な意味で語りどころ満載の映画なのです。ストーリー紹介がてら、順を追って解説していきます。

 冒頭、スプリットスクリーンによる出演者の紹介場面が格好いい。本編の主役であるケ光榮、唐菁、胡菌菌、劉蘭英が順次に登場し、それぞれが演武をみせる。

 横暴な日本軍の侵攻が僻地の農村まで影響を及ぼしていたことは、香港功夫ファンならお馴染みすぎる展開だろう。日本人役の唐迪を片付ける謝家莊は、顧文宗率いる武術集団。何故かタイ人ボクサーまで居候しているこの地に、顧文宗の息子・ケ光榮が帰って来た。

 その頃、白鷹率いる(子分に陳觀泰、高雄)日本人武術家が、揚武武館を標的に策動を開始していた。白鷹は殺された唐迪の仇を探していて、誰かれ構わず中国人武術家を血祭りに上げていた。

 ここでまず驚くのは陳觀泰の存在だろう。

 『拳門/血門』の香港公開は72/4/13ということになっている。陳觀泰をブレイクさせた邵氏(ショウブラザース)の『馬永貞』公開は72/2/11である。
 同年には邵氏で『水滸傳』、『仇連環』、『四騎士』を撮っている以上、72年中は邵氏の契約下にあるはずだ。
 69年に映画界入り、邵氏と独立プロを行き来していた陳觀泰だが、この72年に限って言えば、邵氏が手放すはずはない。ましてや『馬永貞』の後、こんな端役で映画に出るとは考え難い。

 この映画の製作年度にはもうひとつの点で疑問符がつく。

 実際に映画をご覧になった方ならお分かりだと思うが、独立プロ(光明電影製片公司)のB級功夫片にしては、豊富なロケーションと豪華なセットが登場する。ロケーションはさておき、セットの方は嘉禾(ゴールデンハーベスト)のものだから豪華なのは当たり前なのだ。

 嘉禾の旗揚げは71年である。72年といえば3/22に『精武門/ドラゴン怒りの鉄拳』が公開されたばかり、旗揚げ間際は会社に金が無かったにせよ、この時期に独立プロにスタジオやセットを貸し出すとは思えない。

 陳觀泰とセット問題、ここから考えうる合理的な理由はたったひとつ、『拳門/血門』は72年以前に製作されていたが、公開時期が72/4/13までズレ込んでしまったということだ。白鷹、胡菌菌、ケ光榮らが頻繁に共演していた時期も兼ね合わせると、71年中の製作というのが妥当であろう。

 それ以外の理由があったのなら、逆にそれこそ知りたいと思うが・・・。

 嘉禾のセット問題だが、こちらの方は別な可能性もないではない。当時の状況をまとめておく。

 國泰電影(キャセイ)が首脳陣の飛行機事故により経営不振に陥ったのは64年のこと。台北で行われた「アジア太平洋映画祭」に向かっていた國泰の社長・陸運濤以下、会社幹部、映画スタッフ全員がこの悲劇に見舞われた。当時、國泰とライバルの邵氏の間には合併の話が持ち上がり、協議が物別れに終わったばかりだった。
 これによりアジアでの邵氏大躍進が始まったのだが、邵氏にとっては何とも都合の良い事故であった。

 その後、國泰を引き継いだのは陸運濤の妹婿・朱國良だったが、映画には素人であったためますます経営は傾き、もともとシンガポールの映画会社としてスタートした國泰は、シンガポールの政治局面の変化にも悩まされる。
 70年に嘉禾旗揚げを控えた鄒文懷(レイモンド・チョウ)との間に合意が纏まり、嘉禾と國泰の間に提携が結ばれる。
 72年には両社で新会社が発足、國泰は新会社を東南アジアでの配給会社として展開。嘉禾作品の独占配給権を得る。

 74年に國泰は映画製作を停止、最後の作品は『大賊王』であったといわれているが、実はこの時期まで公開されていた國泰作品は全て70年までに製作された作品であった。
 ただし、マレーシアで展開していた系列会社・國泰克里斯のみ73年まで自社製作していた。

 77年、提携会社であった嘉禾にスタジオの売却が成立。

 つまり72年頃の時点では、スタジオやオープンセットは嘉禾のものではなく、國泰に所有権があったということだ。これなら独立プロに貸出しが行われていても筋は通る。

 話を映画に戻そう。

 揚武武館を潰され父を殺された胡菌菌は、父の最後の言葉を胸に叔父である顧文宗の元へ身を寄せる。
 白鷹たちも謝家莊へと狙いを定め挑戦状を送りつけ、顧文宗に重症を負わせて立ち去った。両者の決闘を見ていた町のゴロツキ・唐菁は、何やら言いたげに見守っていたが・・・。

 タイ人を指導者に迎え、仇討のため実戦特訓に入るケ光榮たち。『方世玉』映画に始まる練功小子片の萌芽がここにある。
 かつてはそれなりに鳴らした武芸者だった唐菁、ゴロツキ仲間に煽られ、酔いの勢いも手伝って白鷹に挑戦。酔っぱらったままの唐菁、その闘い方はまるで『酔拳』そのまま。練功小子片の現代版である『神打』が劉家良によって発表されたのは、75年であることは忘れてはならない。

 白鷹にはとても勝てないと悟った唐菁、逃げ出したもののケ光榮たちの様子は気になって仕方がない。実はかつて彼も揚武武館で学んだ門弟であったのだが、師匠とのちょっとした諍いから武館を飛び出し、身を持ち崩していただけだった。

 練習の様子を盗み見ていた唐菁はケ光榮に見つかり、胡菌菌によってその正体が知れる。打倒!白鷹に燃える一門は結束し、再び訓練の日々が始まる。
 白鷹の得意技である投げ技に翻弄され続けてきたが、子どもの羽根突きをみて秘策を思いつく。ここら辺りも後の練功小子片を思わせる。

 特訓の末、秘策を物にしたケ光榮と唐菁、胡菌菌と劉蘭英を連れて白鷹一味を倒すべく、今は振威武館と名を変えた揚武武館へと向かうのだった・・・。

 監督の呉天池は後に『拳門/血門』と同じ「光明電影製片公司」製作で、傑作『二龍爭珠/激突!ドラゴン対ジャガー』を撮る。

 この会社は侮れない!

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