旧myroom(香港電影的日常 '01/2/17〜'06/1/29)より移転。

 香港映画を中心に語っていますが、基本的には何でもアリです。
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 ・・・・あと、リンクもフリーではないんです。すんませんなぁ。

劉家良(29) [2005年08月31日(水)]

劉家良(29)ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー『酔拳3』は、"『酔拳2』を途中降板させられた劉家良がジャッキーへの対抗心で、ジャッキー抜きの『酔拳』続編を作った・・・"といわれていた。これは真っ赤な嘘である。『酔拳3』が最初から『酔拳3』であったのかどうかは判らないし、そればかりか、黄飛鴻を主人公にした映画であったかどうかも不明なのだ。 当初この映画を指揮していたのは蕭榮というベテラン映画人である。ショウブラで助監督として程剛作品『十二金牌』に関わり、独立してからはケ光榮の『血洗唐人街』や、秦祥林の『追殺』などを監督。 その蕭榮が新人・季天笙を主演に、『酔拳2』に便乗した映画を撮ろうとしていたのだけは確かなのだ。ところが、季天笙のネームバリューを考えて大物ゲストを客演(劉徳華、任達華)させていたことが現場を混乱させてしまった。その混乱を抑えるためか、最初からそれが目的で混乱させていたのかは不明ながら、『酔拳2』を外された劉家良が呼ばれた時点で、この映画の方向性が決定したのだ。現場に到着した劉家良を待っていたのは、底の着いた製作費に、出演契約日数が残っていない客演俳優だった。ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー劉徳華は2日、任達華は3日しか現場に残れず、大陸ロケの武術指導を担当していた胡堅強もずっと現場にいる訳ではない。 仕方なく劉家輝や劉家勇を呼び寄せて協力させたが、これではまともな作品に仕上がるはずもなく、劉家良にとっても悔いの残る作品となってしまったのである。 映画の出来を見て判断されたものか、それとも最初から狙って仕組んだものか、劉家良が作品に加わったことでこの映画は"『酔拳2』への対抗心で作られた・・・"という宣伝プランが立てられた(元・成家班の李建生が製作に加わっていたことも噂に拍車を掛けた)。それ以外に売る方法が無かったとはいえ、『酔拳2』公開後に手打ちを済ませた劉家良とジャッキーにしてみれば、随分と心外だったに違いない。後に蕭榮はやはり季天笙主演で『小酔拳』という映画を撮っているが、蕭榮が本来やりたかったのはこれだったのではないだろうか? 『酔拳3』の話を伝え聞いたジャッキーは、自分なりの黄飛鴻三作目として"黄飛鴻西部へ行く!"のアイディアをインタヴュー中で語っていたが、このネタを話した徐克とサモによって『黄飛鴻之西域雄獅/ワンス・アポン・ア・タイム・イン・チャイナ・アンド・アメリカ天地風雲』としてパクられてしまう。 結局このネタは『SHANGHAI NOON/シャンハイ・ヌーン』として実現するが、これが当初の企画通り『酔拳3』であったとしたらどうであろうか。ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーこの映画の後、劉家良は沈黙をしてしまう。理由は喉頭癌である。94年の『酔拳3』撮影時点で57歳、10代から映画界で働いてきた劉家良は、ゆっくりと静養して身体を労わる事にしたのだ。 90年代に花開いた古装片ブームは、94年の『酔拳2』を最後に収束したが、80年代の一時期のように銀幕から消えてしまうようなことにはならなかった。新しい手法が確立されたこと、CGなどの技術も発達して全然別の映像表現が可能になったことも大きかった。 2000年初頭、『風雲 雄覇天下/風雲ストームライダーズ』や『臥虎藏龍/グリーン・デスティニー』のヒットに刺激された徐克は、今一度の古装片ブームを仕掛けるべく「電影工作室」の次期ラインナップに『天涯』(古龍武侠小説「天涯・名月・刀」01/7/20日記)、『三少爺的劍』などの企画を立ち上げる。 手始めに自作のリメイクである『蜀山傳』を製作し、続いて金庸の武侠小説『書劍恩仇録』を映画化すると発表。徐克の長い映画人生の中で、唯一接点の無かった劉家良との仕事を切望していた徐克は、病気療養後快復に努めていた劉家良を武術指導に選んだ。ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーキャスティングも固まり、ロケ班も行い、劉家良は武術指導以外にも同作中最大の悪役である張召重を演じることまで決まっていたが、『蜀山傳』が思いの外ヒットしなかったことで資金が集まらず、また長期に渡る砂漠でのロケに劉家良の体力がもたないとのことで撮影直前にキャンセルされてしまったのだ。結局この企画は日の目を見なかったが、徐克は劉家良との仕事を諦めた訳ではなかった・・・・。 長い沈黙を経て劉家良が再出発の場に選んだのは古巣ショウブラであった。 『酔馬[馬留]/酔猴』は大陸の映画会社と合作ながら、因縁の方逸華(モナ・フォン)もプロデューサーとして参加した作品で、長い年月がふたりの恩讐を押し流していたのだった。映画の内容は79年の『瘋猴』からほとんど進歩していないことに、かえって新鮮な驚きを覚えるくらいの作品で、2002年に作られた映画には全く見えない。 信頼していた人間に裏切られ、負傷して世間から身を隠し、街の若者に猴拳を教えて復讐に乗り出すというストーリーの骨子もまるで『瘋猴』そのままで、違うのは『瘋猴』の主人公は酒で身を持ち崩し、『酔馬[馬留]/酔猴』は酒で新技を編み出すのだ。いうなれば、これこそが劉家良にとって『酔拳3』への弔い合戦でもある。 それにしても猴拳少女・姚瑤は、劉師傅好みの・・・・作中の描写もアブねぇな(苦笑)。ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー『酔馬[馬留]/酔猴』はあまりヒットはしなかったが、劉家良ここにあり!を満天下に示すことには成功した。さすがにロングの絵やスタントにはダブルを使っているものの、撮影当時67歳とは思えない劉家良の動きは実に素晴らしいものであった。 古装片ブームは起きなかったが、『臥虎藏龍/グリーン・デスティニー』以降海外資本で大作として作られるようになる。『英雄/HERO』『十面埋伏/LOVERS』などがそれで、徐克がこの動きを見逃すはずはなかった。 金庸、古龍と並ぶ新派武侠小説御三家のひとり梁羽生(代表作は映画化もされた『白髪魔女傳』や『雲海玉弓縁』)原作の「七劍下天山」を映画化すると発表。武術指導として劉家良の名前が発表されたが、徐克はついに念願のコラボレーションを果たしたことになる。 映画は既に完成し香港で先頃公開されたばかりだが、甄子丹(ドニー・イエン)も共演するこの映画がいかなるものかは、近々(2005/9下旬ワーナー系)日本でも『七劍/セブン・ソード』として公開されるので各自確認されたし!ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー五月から続けていた劉家良特集も一旦はここで筆を起きます。彼の映画人生の総括はまだ行わない(だからNo.も29のままなのだ)。これからも多くの映画を製作して欲しいし、現に最新作が公開される目前なのだから。 劉師傅、いつまでもお元気で!

劉家良(28) [2005年08月30日(火)]

劉家良(28)ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー『酔拳2』の話をする前に、その当時のジャッキーを巡る状況から抑えておく。 89年の『奇蹟/ミラクル』の後、自分が思い通りに全てをコントロールして作った作品『飛鷹計劃/プロジェクト・イーグル』は、撮影前にハーベストから最後通牒を突きつけられた作品だった。そろそろ日本におけるジャッキーの人気にも陰りが見えており、配収5億を下回ることもしばしばになってきた。日本での人気を反映していたから、ハーベストはジャッキーに予算もスタジオもスタッフも使い放題にさせてきたのだ。 "これが当らなければ製作のあり方を変える"というのが最後通牒で、予算も撮影日数も大幅に超過した『飛鷹計劃/プロジェクト・イーグル』が、ジャッキーにとって最後の監督作品となったのは言うまでもない。 統括プロデューサーとして最終的な権限は振るうことで作品をコントロールはするものの、作品本数と製作スピードを上げ主演に専念せざるを得なくなった。ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー「香港電影導演會(香港映画監督協会)」は、監督同士横の交流を図りつつ、協会員の利益や権利を護るため設立されたものだ。89年、「香港電影導演會」の自己資金確保のため、映画を製作しようという動きが協会の間で起こった。その資金を事務所の建設費などに充てるという計画で、当初は爾冬陞(イー・トンシン)監督でスタート。この計画は頓挫し、南燕、劉徳華、洪金寶らに話が廻ったが、結局は徐克(ツイ・ハーク)のところで話が纏まった。 協会員は参加義務があるのでボランティア出演をし、製作費を抑えて儲けをプールするという概要が発表された。こうしてプロジェクトが動き出すと、協会員の中から目玉になる出演俳優が必要になった。白羽の矢を立てられたのがジャッキーで、協会の初代会長・呉思遠がハーベストと協議。ハーベストがフィルムの権利を有するという形で資金提供とジャッキーの貸し出しを了承した。 こうして製作された『雙龍會/ツイン・ドラゴン』は、最終的に3300万HKドルという当初目標の三倍を売り上げる結果を残したが、本来の目的であった協会本部は建設されなかった、といわれている。ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー同様の企画として今度は「香港影視武師協会(香港武術指導・スタントマン協会)」から、協会本部設立資金を作るための協力要請が、今度は直接ジャッキーに持ち込まれた。 時あたかも古装片ブームである。このブームを苦々しく思っていたジャッキーは、ひとつの企画を実現するべく動き出す。 徐克によって銀幕に甦った英雄・黄飛鴻だが、撮影前にジャッキーは徐克に向けて「中国人の英雄・黄飛鴻を軽々しく撮るな、ワイヤーで飛ばすようなことだけはしないでくれ!」と懇願するも、徐克は自分のスタイルを貫いた。 映画自体は素晴らしいもので、これにより古装片ブームが起きたのは事実だ。スタジオ・システム崩壊後、改めて製作された武侠・功夫片だが、ブームの牽引車である徐克によって、北派の武術家・李連杰が南派の英雄・黄飛鴻を演じても構わないという既成事実を作り上げた。 映画の撮影技術が上がったこともあるが、功夫が出来なくても、踊りやスポーツの素養すらなくても、普通の歌手や俳優が高度な編集技術によって超人に変身した。ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー『バトルクリーク・ブロー』『プロテクター』は成功しなかったが、85年以降ジャッキーの下にはアメリカ映画界からの出演依頼が舞い込んではいた。そのひとつがフランシス・フォード・コッポラより持ち込まれた企画で、"中国の英雄が西部開拓時代のアメリカにやってくる"というものだった。 この時からジャッキーの頭の中には"黄飛鴻西部へ行く"という発想があったはずで、その延長線上に出世作『蛇形刀手第二集 酔拳/ドランクモンキー酔拳』の続編という考えも生まれたのだろう。 「香港影視武師協会」から依頼があった際、過熱する古装片ブームに一石を投じる機会が訪れたと感じたジャッキーは、正式なプロジェクトとして『酔拳2』を始動させるのである。 『雙龍會/ツイン・ドラゴン』製作時と同じく、「香港影視武師協会」会員は参加義務があり出演は全てボランティアとして製作がスタート。前作『酔拳』の16年ぶりの続編というだけでなく、「香港影視武師協会」全面バックアップ体制により、監督:袁和平、主演:成龍、武術指導:劉家良という、考えられないような顔合わせが実現するのが当初のウリであったのだ。ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーところが、撮影が開始されてから監督の袁和平がかなり高額なギャラを要求したため、怒ったジャッキーは袁和平を解任(現場で指揮する袁和平のスチールがあるため、一部は彼が撮影したのは間違いない)。急遽ではあるが、現場の指揮を取る羽目になってしまったのが劉家良だったのだ。 ジャッキーが納得をして任せたのか、業界でのキャリアからいって任せざるを得なかったのかは不明だが、最初からこの船出では現場が上手くいくはずはない。 この映画は「香港影視武師協会」のために活動資金を集めるのが目的であること、そのために公開の日付だけは一番の書き入れ時である旧正月ということが最初から決定していた。 しかし劉家良は構わず自分の流儀を貫き通した。ジャッキーにとっても大事なものであるかもしれないが、劉家良にとっても黄飛鴻という題材は大事なものである。中国本土でのロケやショウブラの撮影所に組んだオープンセットの撮影こそ劉家良に任せていたジャッキーだったが、映画撮影が進まないことと、劉家良の古典的な武術指導スタイルに、ジャッキー・チェンの映画としての色が付かない事をジリジリとしながら堪えていたのだった。ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー公開期限は迫っていた。ハーベストに組んだラストバトルのための工場セットに戻った時、統括プロデューサーとしてのジャッキーは自分のスタッフだけを集め劉家良抜きで撮影を仕上げてしまう。 劉家良は当然これに怒った。ここからは二説あるのだが、怒った劉家良自身が監督としてのクレジットを外せと言ったとする説と、ジャッキーが外そうとしたとする説だ。 公開された映画は大ヒットを樹立し、94年に公開された映画の中では興収2位を記録した。映画公開後、批評家にも絶賛されたことから、詫びを入れたジャッキーを劉家良は受け入れた。第十四回香港電影金像奨・最優秀動作設計部門の授賞式には二人で出席し、壇上で賞を受け取っている。 他のノミネート作品は『精武英雄/フィスト・オブ・レジェンド』(武術指導は袁和平)、『東邪西毒/楽園の瑕』(武:洪金寶)、『中南海保[金票]/ターゲット・ブルー』(武:元奎、元徳)、『洪熙官/新少林寺伝説』(武:元奎)と錚々たる顔ぶれを抑えての受賞だった。ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーージャッキーは劉家良のスタイルを古臭いと言ったが、この映画が大ヒットした理由は正にその"古臭さ"である。後にジャッキーも謝罪した訳だから、その事を自覚はしたのだろう。 『飛鷹計劃』までのジャッキーもマンネリ化していたが、その後の主演作『雙龍會』『警察故事3/ポリスストーリー3』『城市獵人/シティハンター』『重案組/新ポリスストーリー』は、『警察故事3』を除きどの映画も結局ジャッキーが主導権を奪い返して完成させたため、中途半端な出来になってしまっていた。それにアクション部分はどっちみち成家班が担当するのだから、ハーベストにとっては製作スピードはあがったにせよ、マンネリ化からは逃れられないでいた。 『酔拳2』の武術指導はジャッキーから見て古典的ではあったとしても、ファンには新鮮に映ったのであった。それは久しぶりの古装片であったこともそうだが、ジャッキーにとって実質初めてと言っていい、劉家良の構築したショウブラ世界に起因しているのだ。ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー『酔拳2』で一番象徴的なのはこの場面だ。間違えて黄飛鴻(ジャッキー)が持ち去ってしまった印章を取り返しに来た劉家良と、ふたりが二階建ての食堂で闘う場面である。かつてのショウブラ全盛期の象徴が、ショウブラでしか構築できない巨大セットと、画面を埋め尽くす武師たちの群れだ。同時代のハーベストや独立プロでは、ここまでのセットを作ることも、これだけの人員を揃えてアクションを作ることも不可能であり、とりわけ張徹映画における破壊と殺戮の象徴として、斧を振り回す黒服男の群れは存在した。 その場面を武術指導してきたのが劉家良であり、それは『報仇』『馬永貞』などの作品においてその完成型を見ることが出来るのだ。 『酔拳2』における食堂の場面は、そのショウブラ的シチュエーションの真っ只中に、たったひとりでジャッキーを放り込むという実験だ。映画の中でこそ劉家良と二人で闘うのだが、ショウブラ世界未経験のジャッキーにとって、過去のどんな映画よりも孤立無援感が漂っている。ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーこの場面を成立し得ただけでも、この映画は劉家良が担当した価値はあったが、更に素晴らしいのは、そこからジャッキーが自分流の動きで闘いを成立させていく場面にあるだろう。 多勢に無勢で囲まれたジャッキーは、劉家良と共に否応なしにショウブラ世界に巻き込まれていく。高所スタントや落下、椅子の二刀流といったジャッキー的動きで活路を見出そうとするが、相手の数が多くうまくいかない。 そこでバラバラに闘っていた二人は、やがて竹を使った劉家良的武術指導で協力し合うが、映画上で劉家良が負傷すると、割れ竹を使った成家班的アクションに切り替えて窮地を脱するのだ。 功夫映画史上に残ると言っても良いこのスリリングな場面は、かつては決して交わることの無かったショウブラザースとゴールデンハーベストが、一体化して見せた歴史的瞬間であった。 この映画は、劉家良にとってもジャッキーにとっても90年代最良の仕事であると共に、長らく功夫映画を応援してきたファンにとっても夢に見た場面が現実となった至福の映画でもある。ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー続く

劉家良(27) [2005年08月28日(日)]

劉家良(27)ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー劉家良の撮ったシネマシティ現代アクションの三本、『老虎出更/タイガー・オン・ザ・ビート』『老虎出更2』『新最佳拍档』には、劉家良だけではどうにもならない製作時の事情があった。 『新最佳拍档』はシネマシティを代表するシリーズ『最佳拍档/悪漢探偵』シリーズの最新作だ。『衛斯理傳奇/飛龍伝説オメガクエスト』のネパール・ロケで体調を崩し、長期休養をしていた許冠傑(サミュエル・ホイ)が本格復帰、代わりにといっては何だがこの年に引退宣言をしていた張國榮(レスリー・チャン)と、新旧"歌神"がドル箱シリーズで競演!という売りが最初から設定されていた。 シネマシティという会社はその設立から目標としていたことがあった。それは「功夫映画は作らない」ということ。当時のムーブメントである"香港ニューウエイブ"との相乗効果で、従来の香港映画界になかったモダンな映画作りを目指していたからなのだ。 その過程で生まれたのが、『ピンクパンサー』と『007』から仮借して香港風味に練り直したガジェット・アクションとギャグが、それまでに存在した泥臭い絵柄のタッチを一掃。香港映画の新時代はここから始まったのである。ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーこの映画がシリーズものとしてやらなければならないことと、劉家良が監督としてやりたいことの間には大きな溝が存在した。ある程度柔軟な監督ならば、その溝を埋める折衷案を模索(たとえその結果が中途半端なものであったとしても)するものだ。しかし、北派の李連杰に見せ場を作らず、周潤發を道化にしてしまった劉家良は、伝統あるシリーズを完全に破壊してしまうのだ。「功夫を作らない」映画会社の代表作を、功夫映画にしてしまってはブチ壊しではないか。 ここからは劉家良の演出部分だ。現代アクションにおいてかつての功夫スターや監督たちは試行錯誤を重ねた。現代劇でしかやれないことを描きながら、スタント寄りにアクションを構築するのか、それとも功夫寄りにするのかの線引きを明確にしなくては、映画そのものが失敗してしまうからだ。 劉家良は結局ここの所に一度も成功しなかった。それはやはり彼の空間把握能力の無さが原因だ。野外の開放感とロケ効果の持つダイナミズムを絵的に理解し、それをビジュアル化することが出来るかどうかは、空間把握能力にかかっているからだ。ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーショウブラ時代には自分の絵に見合うセットを作りさえすれば良かった。狭い場所で闘うのも南派の特徴であり、その狭さの利点は劉家良ならではの武術指導設計を先鋭化させた。『武館』がその恒例だろう。北派の王龍威が蹴り技で攻めてくるのを、南派の劉家輝は狭い通路に誘い込むことで封じる。そこから更に狭い場所での北派の攻めを見せ、ふたりの武術家は闘いの最中に勝敗を越えた地平に到達するのだ。武術の映像表現としてこれ以上のものはない、と言っても過言ではないくらいに素晴らしい場面だった。 ジャッキーやサモだって、クライマックスのアクションはスタジオのセットであるし、いつも倉庫や工場のようなところだった。だが、彼等は路上のロケーションで鍛えた空間把握能力で、同じようなセットを別の色に変えてみせるのである。 成家班ならばスタントをメインにしつつも、要所ではスラップスティック調のアクションを功夫寄りに演じて見せるし、洪家班ならばスタントとアクションをはっきりと分けることでメリハリをつけ、クライマックスはスタント抜きの闘いに特化、功夫の現代化に成功している。 劉家良の現代アクションは、スタントと功夫の動きが有機的には結びついておらず、いずれもブツ切り感が強い。結果として個々の動きはともかく、非常に中途半端な印象を与えるのみなのだ。ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーここからは、現代劇での監督はあまり成功とは言えなかったからか、客演や武術指導の割合が増えてくる。『龍之家族』の武術指導後、『群龍戯鳳/ペディキャブ・ドライバー/帰って来たデブゴン昇龍拳』にゲスト出演してサモと初共演。ハーベストをクビになって仕事にスランプを感じていたサモから依頼を受けて実現。 『初至貴境』『蠍子戰士』はいずれも客演と武術指導。それぞれ本格派の殺陣で功夫スターとしてのポテンシャルを見せ付けた。 『豪門夜宴』『雙龍會/ツイン・ドラゴン』にカメオ出演、古装片ブームの最中にかつての作品『洪拳小子』を『赤脚小子』としてリメイクしてみせた。ここでも主役の郭富城(アーロン・クォック)よりも客演の狄龍に比重を掛けてバランスを崩している・・・・劉家良は武術指導だけなので監督の杜h峰(ジョニー・トゥ)にも責任があるが。それでもこの映画は成功だったといえるだろう。 『酔拳2』に行く前に、立ち上げられたが実現しなかった企画をいくつか。甄子丹(ドニー・イエン)と『獨臂刀』のリメイクを話し合うもこれは頓挫。同時期に徐克(ツイ・ハーク)も李連杰と同作のリメイクを計画しており、これには本家・"片腕ドラゴン"王羽も参加予定だった。結局この企画は趙文卓主演で『刀/ブレード』として日の目を見る。 劉家良監督主演で"黄飛鴻"を作るというアイディアもあったが、これも実現はしなかった・・・・・そして『酔拳2』へ!ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー続く 

劉家良(26) [2005年08月27日(土)]

劉家良(26)ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー『南北少林/阿羅漢』の依頼が中国「新華社」から来た時、劉家良はこれを一度は断っている。当時は今以上に台湾と大陸の関係は微妙であった。大陸でロケした映画人は台湾政府から眼を付けられ、以後台湾への入国は制限される。 「新華社」の依頼を取り付けた邵逸夫(ランラン・ショウ)は、そのような事にはならないと劉家良に請け負ったのでこれを了承したが、ロケ先には様々な苦難が待ち受けていた。 共産党の眼を気にする大陸の出演者は、劉家良をスパイと疑い誰も打ち解けない、広東語の通じない彼等とは最低限のコミュニケートも採れず、撮影は遅々として進まなかったそうだ。 撮影途中でショウブラは本社の映画製作業務の中止を発表、香港から連れて行ったスタッフが不安に怯える中、なんとかなだめすかして撮影を続行。香港に帰った劉家良を待っていたものは、邵逸夫の冷たい仕打ちだけであった。 台湾との関係を修復するという言葉を年のせいにしてとぼける邵逸夫、また中国で撮ればいいじゃん!と人事のような方逸華(モナ・フォン)。「俺は国家(会社)を愛するが、国家(会社)は俺を愛してくれるのか?」楊五郎の叫びはまさに劉家良の心境そのものである。ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー苦衷の劉家良を救ったのは石天と麥嘉(カール・マッカ)の「新藝城(シネマシティ)」コンビ。彼等に促されて『横財三千萬/マネーチェイス』の武術指導として台湾ロケを敢行、後に台湾政府から横槍は入ったが、劉家良は中国文化発展のためだったとこれを突っぱねている。続いて『凶猫/デビル・キャット』の主演を務め、いよいよ監督作『老虎出更/タイガー・オン・ザ・ビート』に取り掛かったのだが、ここに至るまでに話を少し遠回りさせていただく。 売れない俳優だった周潤發(チョウ・ユンファ)、台湾で落ちぶれていた狄龍、映画界から干されていた呉宇森(ジョン・ウー)らが結集、その時の"もう後は無い"という彼等の立場をキャラクターに投影し、渾身の力で作り上げた『英雄本色/男たちの挽歌』は、香港映画史を変えるメガヒットを記録。 これ一本でスターに伸し上がった周潤發に、映画界のメインストリームに返り咲いた狄龍、呉宇森。シネマシティでは続いてこのドル箱トリオの映画を撮りたがったのだが、このトリオには難問が山積だった。ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー当初、狄龍主役として企画された『英雄本色/男たちの挽歌』は、終わってみれば周潤發という新たな"亞洲影帝"を誕生させるに至ったのだ。ちなみに、"周潤發が人気のため忙しく、出番が減らされて死ぬ役になった・・・・"というのは後付の伝説に過ぎない。この映画でブレイクするまでの周潤發は、映画興行主から失敗作にしか主演しない俳優との烙印を捺されており、キャスティングに周潤發の名前が出るや、スポンサーを降りたり、作品の劇場公開を拒否する興行主が続出。プロデューサーの徐克(ツイ・ハーク)は、これを止めるために奔走せねばならなかったのだ。 映画の成功は皆のものだが、本来の主役・狄龍は先輩の大スターである。もちろん周潤發の方とて、この映画は俺の映画だ!と思っていただろう。周潤發も呉宇森との仕事を熱望したし、張徹の弟子である呉宇森は、張徹映画のスター狄龍の顔も立てねばならない。 なんとか続編(『英雄本色續集/男たちの挽歌2』)の製作まではこぎつけたものの、同作品中において周潤發と狄龍はほとんど同一画面には映っていないのだ。ふたりの関係は修復出来ず、香港の新聞はふたりの不仲を書きたてた。ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーードル箱トリオでまだまだ稼ぎたいシネマシティは対応にも苦慮したが、何とかふたりの関係を修復しようとも試みる。そんなふたりの不仲説を吹き飛ばすべく、周潤發の新作に狄龍がゲスト出演することを、大々的に宣伝して作られたのが『老虎出更/タイガー・オン・ザ・ビート』だったのだ。 この作品で狄龍をコントロール出来るのは、張徹の弟子・呉宇森ではない。似合わない現代アクション・コメディの御鉢が劉家良に廻ってきた訳には、こんな遠因もあったのだ。劉家良がそのことにどれだけ自覚的であったか・・・・それは完成した映画を見る限りまるで理解していなかったと言えそうだ。 狄龍以外にこの映画にゲスト出演したのは、劉家輝、徐小強、高飛、唐偉成、そして姜大衛だ。彼等は映画製作を中止してしまったショウブラで、行き場の無くなったOBたちでもある。現代アクションとして、アクション部分を引っ張るのは李元覇(コナン・リー)。ショウブラ武侠・功夫片OBたち(監督の劉家良自身もそうだ)を生かすべく、本来周潤發を立てるはずの李元覇のみが生き生きと描かれ、肝心の主役・周潤發は非情に冴えない役どころになってしまう。ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー映画の方は年間興収第5位という成績で、当時の周潤發人気を裏付ける結果を残した。シネマシティ側の苦労の甲斐も無く、ふたりの関係は修復しなかった。"挽歌"以外でふたりが組んだ唯一の作品『義膽紅唇/非情の街』もそれなりのヒットは記録したものの、『英雄本色3夕陽之歌/アゲイン明日への誓い』に狄龍は出演せず、周潤發も『老虎出更2』には出演しなかった。 周潤發抜きで作られた『老虎出更2』は代わりに、やはりショウブラOBで張徹組出身の李修賢(ダニー・リー)が出演。香港ノワールと競う形で"警察物(警匪片)"を成功させていた李修賢には向いていた作品だったが、今度は肝心の李元覇がスタントの失敗から重傷を負ってしまう。 映画は撮影が中断され李元覇の回復を待って撮影が再開されたが、主要なスタントは徐寶華が演じ、映画もアクションも精彩を欠いてしまった。 このような事態で製作された作品では、劉家良の演出がどうこうというレベルではないと思うが、この時期のもう一本の監督作『新最佳拍档』も含めて、劉家良の現代劇の演出には、やはり彼の致命的弱点である空間把握能力の欠如が足を引っ張っているのだ。ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー続く

劉家良(25) [2005年08月25日(木)]

劉家良(25)ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー『南北少林/阿羅漢』は、中国「新華社」より邵逸夫(ランラン・ショウ)を通じて、劉家良に直接持ち込まれ企画だ。「新華社」と邵逸夫に個人的な繋がりがあったこと、邵逸夫に大陸との接点を保ちたい理由があったこと、「新華社」側に劉家良に監督させたがったこと、この三つが主な要因であった。 「新華社」側が李連杰(ジェット・リー)の主演作に、前二作(『少林寺』『少林小子/少林寺2』)を製作した香港側窓口である「長城電影」を三度選ばせなかった理由は、ひとえに『少林小子/少林寺2』の興行成績にある。 中国本土や香港での公開こそ大ヒットであったが、世界的にヒットした『少林寺』に比べると、『少林小子/少林寺2』は苦戦を強いられた。特に日本においては、当時の香港映画興収記録である19億円以上稼いだ『少林寺』に比べ、『少林小子/少林寺2』は3億2千万円しか売り上げなかったのだ。 これにはいくつかの理由が考えられる。『少林寺』の公開から2年も空いてしまったこと、勧善懲悪であった前作に比べて、川を挟んで対立する家族同士の恋模様という牧歌的で温い展開に、新しい香港映画の息吹が芽生え始めていたことを感じていたファンはそっぽを向いた。『少林小子/少林寺2』と同じ年に公開された作品は『A計劃/プロジェクトA』だったのである。ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー公開が2年も空いたのには訳がある。当時、主演の李連杰が北京武術隊であったのを始め、"南拳"胡堅強は浙江省武術隊、"螳螂拳"于海、"酔拳"孫建魁、"王将軍"于承惠は山東武術隊と、それぞれが一流の武術家としての役割がメインで、主要な出演者はみんな俳優が本業ではなかったのだ。 『少林寺』のヒット後、多くの映画会社が彼等を俳優として使いたがった。多くの企画が立ち上げられたが、いずれも企画段階でポシャるか、別の武術家によって映画化された。李連杰主演で企画された『太極拳』は郭良に、胡堅強主演で企画された『南拳王』は、同じ南拳チャンピオンとして著名な邱建国にという具合である。 『少林小子/少林寺2』から『南北少林/阿羅漢』までの公開に、やはり2年の間隔を要したのも同様の理由による。もちろん、その間に前作の反省点を踏まえた上で、作品の軌道修正がなされた結果が、監督に劉家良を起用するということだった。 「新華社」側も劉家良についてのリサーチは入念に行っていた訳で、そもそも『少林寺』の企画は劉家良の『少林三十六房/少林寺三十六房』のパチもんを作ることからスタートしていた訳(03/12/24日記参照)で、"少林寺"映画のオーソリティを招くということは、それだけ気合が入っていた証拠でもある。ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー完成した『南北少林/阿羅漢』は、さすがに前二作よりもまとまりが良く、映画の技術水準も高い。だがこの映画ほど劉家良の監督としての弱点を如実にさらけ出した映画もない。現代劇ではなく、古装片であったから尚更それが目立ってしまったのも止むを得ないが。 劉家良の監督としての弱点、それは空間把握能力の無さである。ショウブラ時代はアジア最大のオープンセットとスタジオで、撮影場所に苦慮するライバルたちを尻目に、豪華絢爛な絵作りをしてきた。だがロケの苦労を知らないこの監督は、いざスタジオを飛び出してみると、ロケの空間を縦横には使いこなせない監督であることが露呈してしまったのだ。 『少林寺』『少林小子/少林寺2』は、確かに映画の技術水準は同時代の香港映画と比較すると著しく低かった。それでもヒットした訳は、李連杰ら武術家たちの新鮮な魅力とその絶技にあるが、それに加えて中国本土でのロケーションも大きなポイントであったはずだ。 従来の香港(含む台湾、韓国)ロケの功夫・武侠片は、狭いスタジオとその辺の空き地くらいしかロケ地が無く、雄大な名所・旧跡や、広大な土地を有する大陸でのロケなど望んでも手に入らないものだった。ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー香港においてそれを唯一解消する手段がショウブラのスタジオだった訳だが、ここは巨大な鎖国会社である。他のライバル会社が貸して貰えるわけもない。その特権を唯一といっていいほど享受してきた劉家良は、せっかく中国ロケで功夫映画を撮るという大チャンスに恵まれながら、使いこなすことが出来なかった。 『少林寺』『少林小子/少林寺2』は、映画の技術水準こそ未熟ながら、広大なロケ地の空間性を演出することには成功している。黄河流域を、少林寺境内を、石窟寺院から竹林、砂漠へと疾駆していくカメラは、人馬一体となったスピーディーな画面の動きと共に、大陸であることを感じさせてくれた。 『南北少林/阿羅漢』の劉家良は、紫禁城を俯瞰で写すだけ、逆に万里の長城では城壁の一部を写すだけである。これら国宝級の名所ではロケに制限もあったろう。だが、クライマックスの桂林では屋形船の中で戦闘をスタートさせてしまうという愚を犯す。 中国武術は俗に"南拳北腿"といわれるが、中国の南北による違いを表わす言葉として"南船北馬"というものもある。南の人間は舟で移動し、北の人間は馬で移動するということだが、南拳すなわち南船でもある。そこでだ、"中国武術の至宝"北派の武術チャンピオン・李連杰を船に閉じ込めてしまうとは何事か!である。ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー好意的に解釈するとすれば、北派の李連杰が船での闘いに苦戦し、南派少林寺が助けに来るという演出だったというものだ。だが、これは以下のことから劉家良の計算ミスであったことを裏付けるのだ。 南派が助けに来るという演出は良しとしよう。事実、南派の少林寺僧が筏を組んで船に接岸して繰り広げられるアクションは、非常にパノラミックであり、この映画で最も生き生きとする名場面でもある。 では何がいけないのか? まず船が屋形船であるのがいけない。せっかく桂林にロケしながら、船の小窓からしか景色が見えないというのではもったいない。『少林寺』にも船上のアクションはあったが、この時の船は帆船であり、背景に映る黄河の景色が武術指導や編集の拙さを忘れさせるほどの効果を挙げていたものだ。 南派の救援で窮地を脱した李連杰は、逃げた于承惠を追って果樹園に。ここでも劉家良は狭い果樹園という場所で、北派でダイナミックな動きを得意とする李連杰の動きを封じてしまう。いくら自分が南派で、南派的な殺陣が得意だからといって、主役の技を最後まで封じてしまっては元も子もない。 これならショウブラのスタジオで劉家輝を主役にしていたのと同じであり、せっかく無限に広がる空間を与えられながら、まるで生かしきっていないということになるではないか!ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー続く 

劉家良(24) [2005年08月24日(水)]

劉家良(24)ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー『霹靂十傑/少林十傑』が公開された85年は、香港映画界にひとつの節目が訪れた年だ。この年、ショウブラは梁小熊作品『霹靂雷電』を最後に映画製作を停止。スタジオとオープンセットをレンタル業務で貸し出し、TV制作の系列会社・TVBを経営の基盤に移した。 アジア最大のオープンセットを誇るショウブラの撮影所が解放されたことで、それまで撮影場所に苦慮していたライバル会社は、こぞってショウブラのスタジオを利用した。 そうして作られたのがジャッキーの『A計劃續集/プロジェクトA2』であり、『群鶯亂舞/エロティック・ヘヴン鶯火楼』や『刀馬旦/北京オペラブルース』などである。これらの作品は、映画技術、作劇法の進歩にも伴い、香港映画界が驚異的な発展を遂げたことを示すものだった。そこでスケール感を醸し出すのに一役買ったのが、ショウブラの巨大なオープンセットだったのである。ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー香港映画は確かに新しい段階に到達したが、ショウブラが映画製作を中止してしまったことで失われたものも多くある。ショウブラには「南國實験劇團」という役者や歌手、ダンサーやスタントマンの養成所があり、映画製作の本数が多い時代には彼らを契約社員として抱えていられた。 「南國實験劇團」で育った人材は、スター候補生は大作で顔見世後、徐々に出番を増やしてじっくりとスターに仕上げることが出来たし、大部屋役者やスタントから経験を積んで伸し上がるチャンスも多くあった。TVが発展してくると系列のTVBで修行を積んで映画界に入ってくる人間も出てくるようになった。 60年代から続いた映画製作は役者を輩出しただけではない。監督から監督へ、武術指導から武術指導へ、カメラが照明が衣装が、大道具小道具作りが、セットから録音技術、特撮からプリント技術まで、映画作りに関わる全ての専門技術が継承されてきたのだ。スタジオシステムの崩壊はその全てを失うことを意味する。 事実、90年代に入って古装片がブームになった時、映画の撮影技術の向上こそ目覚しいものがあったが、そこで作られた功夫・武侠片は当時のものとは、まるで別物になってしまっていたものだ。 この85年にショウブラは1400人もの熟練職人を解雇してしまっていたのである。ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー『霹靂十傑/少林十傑』は南派少林寺の英雄・方世玉が主人公の映画だが、方世玉といえば張徹が散々撮った題材である。劉家良が陸阿采、黄飛鴻、洪熙官、三徳と描いてきた南派少林作品は、それ自身が劉家良という監督のルーツであり、監督デヴュー後から現在までの己自身を再構築する作業でもあった。 最早描くものも残ってはいなかったし、張徹が行った作業とは全く別のアプローチも必要である。そこで採られた措置が、方世玉を原作である「聖朝鼎盛萬年青/乾隆遊江南」に近づける作業ではなかったか? 原作の主人公は身分を隠して市井を旅する乾隆帝であり、ここでの乾隆帝は悪役ではなく庶民の味方である。一方の南派少林寺は不良武術集団であり、粗暴な乱暴者だ。至る所で揉め事を起こした挙句に清朝から始末される。物語の善悪が逆転するのは反清の革命後であり、方世玉も洪熙官もそれまではどうしようもない人物として描かれていたのである。ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー『霹靂十傑/少林十傑』で小候扮する方世玉は、従来の練功小子片に描かれる悪戯な若者の度を明らかに越えており、恩師に逆らい、母・苗翠花(李麗麗)に逆らい、少林寺に入門してからも三徳(劉家輝)に逆らい、寺の戒律にも友人の忠告にも逆らってみせる。 その反抗心を皇帝(白彪)に付け込まれ、少林寺壊滅の走狗として利用される。そこで初めて己の愚を悟り、毒酒を飲み干しながらも皇帝に一矢を報いるのだ。 正直にいってあまり同情の沸かない人物として設定されており、辛亥革命後は若くして死ぬ悲劇の主人公として描かれてきた方世玉像とはあまりにも異なる。 ここがこの映画最大の特徴で、「聖朝鼎盛萬年青/乾隆遊江南」への原点回帰ではないか?と推察される部分だ。賛否の多い映画だが、ラストの皇帝一味と南派少林寺の大決闘は凄い迫力で、これがショウブラで最後の仕事(映画製作再開後、2003年に『酔馬[馬留]/酔猴』がある)となった劉家良は、流石に素晴らしいクライマックスを構築してみせた。 羅烈、王龍威、唐偉成くらいしか悪役がいなかった劉家良映画だが、メインの悪役に独立プロの大物・白彪を起用した新鮮味も捨てがたい魅力のひとつである。ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー続く

劉家良(23) [2005年08月20日(土)]

劉家良(23)ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー映画『五郎八卦棍』は、棒術"五郎八卦棍"を楊五郎が苦心して編み出すまでについての映画ではない。そこもエピソードとして描かれては、いる。だが、劉家良が過去の映画で試みてきたような、自身の武術ルーツを探索するような形の映画化ではないものに仕上がっているのだ。 そもそもこの映画には原作が存在し、映画はそれに沿って展開していく。その原作が、「水滸傳」「三國志演義」と並んで中国民衆に愛された「楊家將演義(又名:楊家將傳)」である。 "演義"というからには、元になる歴史的事実が存在するのは「水滸傳」や「三國志演義」と同じであり、実際の歴史を口述で膨らませていった"演義"は、やがて系統付けられて小説化され、「北宋志傳」と「楊家府演義」として明代に編纂された。一般にはそれも総称して「楊家將演義(又名:楊家將傳)」というのである。ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー本々の歴史はこういうものだ。唐が滅び、五代十国時代を経て、宋(960〜1126)が興る。宋は契丹族が興した遼と"燕雲十州(北京から河北の七州と、大同から山西にかけての九州)"の国境線を巡って争いが激化しており、北方の騎馬民族である契丹族と、歩兵中心の宋とでは戦力に大きな違いがあった。 宋はやがて契丹族に蹂躙されるのだが、宋の太祖(二代・趙光義)に忠誠を誓う楊業は、無敵の騎馬軍団「楊家軍」を率いて契丹族に対抗した。楊業は宋に征伐された北漢の名将で、元の名を劉継業といった。後に許されて宋に仕えるようになってから名を楊業と改めた。 楊業はトルコ系の人間ではなかったか?と云われており、それならば彼の騎馬軍団が精強であったのも肯ける。「楊家軍」は無敵であっても、宋に於いては外様であり、彼ら楊一族は二級市民である。その待遇を跳ね返すためにも「楊家軍」は必死の奮戦を重ねるのだが、南北宋を通じて経済大国へと変貌していく宋は、文人国家であり、武人は疎まれる存在にになりつつあった。 かの岳飛(04/9/17日記参照)がそうであったように、「楊家軍」は戦えば戦うほどに宋では孤立していったのである。ついに986年の宋遼戦において、味方の裏切りに遭い戦陣に孤立した楊業は、そのまま俘虜の辱めを受けるが絶食死して果てたという。ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー宋を侵した遼は、他の異民族のように漢民族と融和することなく、北方遊牧民のアイデンティティを保った。過去の例だと、武力では制圧し得ても、やがては漢族の文化に飲み込まれて行くのがオチで、結局は漢族の支配に逆戻りした。この遼の統治が後のモデルケースとなり、チンギスハンらの異民族支配を成功に導くのだ。遼の太祖・耶律徳光は、チンギスハンの重臣・耶律楚材と同一の一族である。 楊業には「楊家將演義」のように大勢の息子がいた。中でも六男の楊延昭(楊六郎)は父・楊業の難から逃れた後、宋に帰り、騎馬軍を率いて1004年に行われた戦に功を立てたという。 この楊一族の忠節は武人の誉れとして長く称えられ語り継がれた。その楊家五世代に渡る奮闘の歴史を綴ったのが「楊家將演義」なのだが、これが日本では「水滸傳」「三國志演義」程には有名でないのは、肝心の「楊家將演義」はそれほど良く出来た読み物ではないからだ。 天界の八仙人なども登場する物語展開は奇想天外な幻想小説の趣きであり、「三國志」にビジネスマンのリーダーシップを学ぶといった、"つまらない"付加価値を求めたがる日本では邦訳されなかった。ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー「楊家將演義」の導入部は概ね史実通りだ。楊家七人の息子たちは、味方である潘仁美の裏切りに遭いことごとく戦死。楊業は俘虜にはならず、"李陵碑"に頭を打ち付け漢民族の誇りを示して死ぬ。 六男・延昭が逃げ延びるのも史実通りだが、それを助けるのが戦場で行方不明になっていた五男・延徳(楊五郎)だ。五台山にて僧侶になっていた延徳は、延昭を助けた後に寺へと帰っていくが、延昭の危機に九妹の要請で立ち上がりこれを救出する。映画『五郎八卦棍』がこの部分をベースにしたストーリーなのがお解り戴けるだろう。 違うのは「楊家將演義」においては四男・延朗(楊四郎)が生存しており、映画では陳家谷の決戦で五郎と六郎以外は戦死する。九妹(映画は八妹)が男装して五郎を迎えに来るのも「楊家將演義」の通りだが、六郎を演じた傅聲の事故があり、六郎の再起と救出は映画では描かれない。 映画はOPで陳家谷戦を描き、楊一郎(汪禹)、二郎(劉家榮)、三郎(麥徳羅)、四郎(小候)、五郎(劉家輝)、六郎(傅聲)、七(張展鵬)と、潘美(林克明)、菅規(朱鐵和)、耶律連(王龍威)らの戦いをテンポよく見せる。楊業の妻・余太君を李麗麗が、八妹を惠英紅、九妹を楊青青が演じ、楊五郎を助ける猟師役で劉家良が出演している。ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー冒頭、李麗麗演じる余太君が戦の前に吉凶を占って御神籤を引く。「七人の子が行き・・・六人が還る」不吉の前兆を表わす結果に顔を曇らせる。悲惨な戦闘の中、楊家の息子たちは次々と戦死していくが、立ち往生で果てる楊二郎や、李陵碑に頭を打ち付ける楊業、発狂する楊六郎など、セリフ回しも演技も非常に仰々しい。 この映画で劉家良が目指したのは、『爛頭何』で試した北派表演アクションの実戦武打への変換という手法の完成型だ。そのために借りてこられた舞台装置が、「楊家將演義」の京劇化翻案作品である。「楊家將演義」はそのストーリーの要所が京劇の演目になっており、「李陵碑」「三岔口」「打焦贊」「座宮」「洪羊洞」「牧虎關」「天門陣」「四郎探母」など、全て有名な京劇の演目なのだ。 セリフ回しの大仰さも、アクションの非合理性も、元が舞台劇の所作から来ているものであるなら納得だろう。 宋の時代に存在したとは思えない契丹族が使う曲がる棒術。本来、五郎八卦棍を使いこなせるはずの劉家良とは思えない楊五郎の殺陣。大掛かりな舞台装置で繰り広げられるワイヤーワークを駆使した闘い模様。 極めつけは縛られて身動きの取れない惠英紅を、そのまま背負って闘う劉家輝だ。この場面の先駆が、『爛頭何』における人間浄瑠璃と、ラストの不具拳の殺陣にあるのは言うまでもない。ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーこの映画が製作された84年は、香港がそろそろ返還へのタイムテーブルを意識し始めた時期に当る。「俺は国家を愛するが、国家は俺を愛してくれるのか?」という楊五郎の問いかけは、国家無き国家に生きる香港人の心の叫びでもある(祭壇の前で劉家輝が流す涙は本物だという。最近のインタヴューで当時を振り返った劉家輝は、傅聲の事故死後に再開された撮影の時、傅聲のことを考えていたら自然と涙が流れたそうだ)。 劉家良にとってこのセリフは、"国家"を"会社(ショウブラザース)"と置き換えても構わない。裏切り者の潘美を倒した楊五郎は、戦乱の世の中を捨て、八妹の「兄さん、家に帰りましょう・・」の叫びも無視して去って行く。楊家の証である印を八妹に返し、「これを代わりに持っていけ、この身は還らず・・・・四海これ我が家」と呟く。返還後に海外移住を計画していた当時の香港人たち、生まれ育った土地を離れようとも、そこに香港は生き続けるとの劉家良のメッセージがここに込められている。ペシミスティックなセリフに時代性を感ることが出来るだろう。 最後に余談をいくつか。「水滸傳」の登場人物である青面獣・楊志には、楊業の一族という設定があります。 楊家の男たちは、楊業以下ほとんどが戦死。妻・余太君やその娘、息子の嫁たちなど残された女たちの側から描いたドラマが映画『十四女英豪』。『五郎八卦棍』と併せてご覧になれば面白さも倍増です。ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー続く

劉家良(22) [2005年08月08日(月)]

劉家良(22)ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー劉家良その人を語るには、どうしてもこの件に触れなくてはならない。それは『長輩』でスターになった惠英紅との愛人問題だ。 1960年山東省生まれ(香港説有り)の惠英紅は、6才で香港へと移住。五人兄弟(兄に俳優の惠天賜)三人姉妹の貧しい家庭に育ったが、家計を助けるため彼女も幼い時から働いたという。 聖嘉諾書院に在学中、14才の彼女が出合ったのが中国古典舞踊だ。その美しさに魅せられ、そのまま香港ミラマー・ホテルが主催する「美麗華中國舞蹈團」に入団。そこで鍾浩から古典舞踊を学び、同時に彼女は李少華の元で北派武術の習得にも励んだ。 三年の月日が過ぎ、「美麗華中國舞蹈團」でもそれなりの地位を得ていたが、彼女の人生を左右する出来事が起きる。新作『射G英雄傳』の準備をしていた張徹は、同作品の重要な登場人物"穆念慈"(後に続編『神G侠侶』の主人公・楊過の母となるキャラクター)を演じる少女を捜していたのだ。ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーここで張徹の目に留まった惠英紅はショウブラと契約、同社の俳優養成所「南國實驗劇團」に入門した。この時の同窓生には、後に劉家良作品でコンビを組む小候、傅聲の実弟・張展鵬、女性武術指導の草分け楊がいた。 無事に映画デヴューを果たした彼女だったが、それ以後大きなチャンスはあまり巡ってこない。それもそのはず、若い女性にはあまり(ほとんど?)興味のない張徹は、彼女に必要以上の役を与えることは無かったのだ。 彼女が交わした契約は六年契約(月給500HKドル、安っ!)だ、上昇志向の強い彼女はこのまま黙って張徹の下にいるつもりなどサラサラない。意を決して方逸華(モナ・フォン)に直談判するも、さすがは方逸華だ、ここでも我々の期待は裏切らない(笑)。「ウチにはあんた以外にも似たような女優はいっぱいいるの!」それでも諦めない惠英紅は、張徹作品以外への出演を取り付けた。 そんな時だ、羅棋監督作品『麻瘋怪拳』へ出演のチャンスを得た惠英紅を、劉家良はスタジオの隅でじっと注目していたのだった。ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーいくら当人同士が否定しようとも、当時の映画雑誌や新聞にはふたりのラブラブ状態の写真が多数掲載されており、その関係を否定出来るものではない。 当時、劉家良は既婚者(前夫人・何秀霞)である。それだけでもふたりの関係には問題があるが、更に問題になるのは惠英紅がまだ未成年者であったということだ。 劉家良には独自の性癖があり、惠英紅との関係を清算した後、劉家良が目を付けたのは当時まだ14才の女優・翁静晶だった。付き合い始めたのは翁静晶が17才のときだというが、その時まだ前夫人との婚姻関係が存在していた。翁静晶が成年に達するのを待って強引に結婚したというが、前夫人からは重婚罪で訴えを起こされている。 惠英紅と違って女優としては売り出さなかった翁静晶は、80年の『喝采』でデヴュー後わずか数本の作品にしか出演していない。面白いのは『楊過興小龍女』において、惠英紅が演じた"穆念慈"の息子・楊過と結ばれる小龍女の役を演じていることだ。劉家良は武侠小説の登場人物のような女性が好きということか。(性格もそのまんま惠英紅が穆念慈で、翁静晶が小龍女だろうな)ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー愛人問題を詰問された大蔵貢(新東宝社長:当時)は「女優を愛人にしたのではない!愛人を女優にしたんだ!」との名言を吐いたが、劉家良の惠英紅に対する気分も同じようなものではなかったろうか。 劉家良作品『爛頭何』に出演した時の彼女は実質大部屋女優であり、この作品に於いての彼女の扱いも決して大きなものではない。『爛頭何』の彼女は船宿の芸妓役である。武術の腕前を知られたくない劉家輝は惠英紅を人形浄瑠璃のように扱い、汪禹をあしらってみせる場面だけが見せ場だ。 功夫片女優不要論者であった劉家良は、そこで"女優も扱いようで功夫の達人にみせることが出来る!"という真理を発見してしまう。そしてそれは、名実共に香港No.1の功夫映画作家である自分にしか出来ないことだ、と。 劉家良と惠英紅、そのどちらが持ちかけて男女の関係に至ったか、もはや詮索することもないだろう。片や思い通りに扱える女優を捜しているロリコン監督と、片や上昇志向の強い若く美しい女優。ふたりの出会いは偶然でも、ふたりの関係は必然であった。ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーここでもう一度『長輩』と『掌門人』をみてみよう。死んだ叔父の後添いとして、一族の遺産を預かり長として現れる『長輩』。年上の劉家良や、惠英紅と同年代の小候はうろたえるばかりだ。経営の傾いた武館を建て直すべく、一門総帥としてアメリカからやってくる『掌門人』。どちらの作品も、年若い惠英紅が人間関係のヒエラルキーの頂点に立つことから生まれるギャップを描いた作品だ。 現実の人間関係はどうだっただろうか。『長輩』撮影時、劉家良は43才。その20才の愛人が映画の主役として君臨することを、弟たちの劉家榮や劉家輝、弟子の小候や劉家班の唐偉成、神仙、京柱らはどう思っていたのだろうか?映画におけるドタバタは、実は現実関係の反映でもあったのではないか? それを判っていてこの内容の作品を作ったのだとしたら、劉家良は相当に悪趣味である。劉家良にとっては「女優を愛人に・・・」であったとしても、周りの人間の目には「愛人を女優に・・・」と映っていてもおかしくはないだろう。 劉家良と別れた後の惠英紅は、順調にキャリアを重ねながら今も演技派の女優として映画界で高い評価を受けている。現在45才になる惠英紅は、その変わらぬ美しさを保ちながら最新のインタヴューに登場し、今なお独身を守り続けている理由を問われ「結婚?・・・縁が無いのよ」と優しく微笑んだ。ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー続く

劉家良(21) [2005年08月06日(土)]

劉家良(21)ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー『長輩』『掌門人』は主役こそ惠英紅&小候ら若い人材に譲ったが、両作品共に劉家良のショウブラ時代の集大成的作品となった。それは間違いなくラストのアクションに集約されているのだ。まずは『長輩』を思い出して欲しい。 盗まれた翡翠の印章を取り戻すべく乗り込んだ惠英紅は逆に捉われの身となってしまう。小候の知らせを聞いて立ち上がった劉家良を待ち構えるのは唐偉成と權永文。ふたりは王龍威の用心棒で、王龍威の待ち受ける部屋へ行くにはこの二人を倒さないと行けないのだ。それはまるで『螳螂』を思い起こさせるではないか!(唐偉成がいるのがポイントですね) 權永文は"鐵布杉"使いだ、劉家良だけでも苦戦するこの相手に、小候との親子タッグで立ち向かう姿は『洪熙官』における洪熙官&洪文定VS白眉道人の再現だ。 王龍威と対峙してからは更に凄い。劉家良は始め洪家拳(『陸阿采興黄飛鴻』『武館』)を使い、次に猴拳(『瘋猴』)で立ち向かう。続いて蟹拳(『中華丈夫』)で王龍威を痛めつけると、負傷した相手に合わせて片腕の不具拳(『爛頭何』)を見せる。 かつて自分の作品において、陳觀泰、汪禹、劉家輝が披露した技の数々を、たったひとりで再現してみせる劉家良の姿は鬼気迫るものがある。ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー作品的に『長輩』のバージョンアップである『掌門人』においても、その集大成的構成は変わらないし、その意味に於いてもバージョンアップがなされているのだ。それは出演者の顔ぶれからも明らかである。 劉家良の武館には五大弟子と呼ばれる門弟がいるのだが、その配役に過去の劉家良作品からのオマージュが含まれているのだ。"神打小子"汪禹、"三徳"劉家輝、"瘋猴"小候、"王隠林"麥徳羅。(劉家輝、小候はそれぞれの役をクライマックスで再現) 張展鵬の演じた役は本来なら"錦毛鼠"傅聲のものだったろう。 『掌門人』の撮影期間は82年10月から83年3月まで。傅聲の死は83年7月なので撮影には参加出来たはずだ。79年の『風流斷劍小小刀』、80年の『英雄無涙』と撮影中に事故が相次ぎ、体調が万全ではなかった傅聲は再起を掛けて、主演の他に製作・監督・武術指導を務めた『大侠蘇乞兒』に専念していたといわれている。傅聲に変わって『掌門人』に出演するのが、実弟である張展鵬でなければならなかった理由はそこにある。 彼等はいずれも劉家良作品のスターたちだ。これに絡むのが、『長輩』で大フィーチャーされた惠英紅で、合理的な若者たちと頑迷な年配者という構図が笑いを呼ぶのは『長輩』と同じである。ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー『掌門人』は劉家良初の現代劇である。過去に『中華丈夫』『長輩』と民国初片を製作しているが、これらの作品は現代劇でないという点で広義の解釈をすれば時代劇である。それ以外は全て古装片であり、純粋な意味に於いては、やはり『掌門人』が初の現代劇ということになる。 実は当時の新聞評に"『掌門人』は胡鬧劇「第一滴血」の現代化動作片"と書かれているのだ。浅学にしてこの出典を知らないのが申し訳ないが(一応調べはしたのですが、明確な解答を得られませんでした)、古典劇に出典があるのなら、初の現代劇だとしても冒険をしたわけではなさそうだ。 しかしこの経験値の無さが、ショウブラ以降の劉家良の弱点となってくるのだ。処女作『神打』から『掌門人』の前作『御猫三戯錦毛鼠』までは、簡単な野外ロケ以外、全てショウブラのスタジオとオープンセットで撮られている。 それでもこれだけのスケールの作品が作れてきたことがショウブラの凄さでもあるが、スタジオとセットに守られてきた監督は、ロケの苦労も野外撮影における空間把握能力にも欠けている。 "無"から"有"を生み出すイマジネーションは映像作家の生命線だ。『掌門人』の野外ロケにみる空間把握能力の低さは、ショウブラ以後の現代劇路線にも暗い影を落とすのである。ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー続く

劉家良(20) [2005年07月26日(火)]

劉家良(20)ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー『長輩』と『掌門人』の二本は、劉家良初の女功夫片であるが、劉家良にとってショウブラでの集大成的作品となっている。契約の満了も近づいていたし、自分の映画が新時代にそぐわないものになってきていたことは、薄々本人にも分かっていたのだろうか。 『長輩』は、病弱で死期の近づいた黄拔景の事業を狙う、悪辣な弟・王龍威から事業を守るため、黄拔景は先に死んだもう一人の弟の息子・劉家良に事業を託すべくある奇計を用いる。それは、召使として働く惠英紅を死の直前に後添いとし、一族の長として遺産の管理を故人の意思に沿わせるよう監視を頼むのだった。黄拔景の意思を継いだ惠英紅は、会ったことのない甥・劉家良を訪ね広州へと向った。 叔父の後添いが来るという報に威儀を正して迎えようとする劉家良だが、その間の事情は聞かされておらず、ましてや年若い叔母が来るなどとは夢にも思わなかったのであった。ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーこの"年若い叔母"という設定がシチュエーション・コメディとしてのこの映画の妙であり、同時にこの映画の全てである。劉家良には惠英紅と同年代の息子・小候がおり、当然ながらここでもドタバタが起こるのだ。 儒教的精神に則れば年長者(年齢だけでなく、その席次も含め)は敬われねばならず、"年若い叔母"とはいえ彼女は一族の長だ。武道オタクで世俗に疎い劉家良と、香港の大学から帰って来た西洋被れの小候という親子の組み合わせも、"年若い叔母"との間をいっそうややこしくする。 遺産の相続人の証である翡翠の印章を、姦計を用いて奪った王龍威との間で一族の危機が持ち上がり、劉家良たちは一族に総動員をかけて奪還を目指すことに。ここで曹達華、林輝煌、神仙らが往時を思い起こして立ち上がるのがもうひとつのお楽しみで、老いぼれて息の上がった曹達華は「昔は鉄の男と呼ばれたのに・・・」とため息をつく。(曹達華は往時"銀壇鐵漢"と呼ばれていた) 実はこの映画の"年若い叔母"という惠英紅と、西洋被れで時折英語を交えて喋る小候の設定を足して2で割ったものが、徐克(ツイ・ハーク)版『黄飛鴻』の十三姨(關之琳:ロザムンド・クワン)になるのだ。 冒頭、桟橋に迎えに出る劉家良とのやりとりは、そのまま『黄飛鴻』でも繰り返されている。ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー『掌門人』は『長輩』の設定を更に拡大したものだ。道路の拡張計画に伴い立ち退きを迫られた時代遅れの武館。そこの経営者である劉家良は時代錯誤な頑固者で、立ち退きには断固反対である。アメリカに移住している師傅から、立ち退きに協力するようとの手紙が兄弟子・谷峰から届けられ、同時に武館を立て直すために一門から助っ人を送ると添えられていた。 それが師匠の一人娘・惠英紅で、アメリカ育ちの合理主義者で、年若い一門総帥という立場の彼女と、古臭い伝統価値観に縛られる劉家良の間で様々な誤解が起こるのだ。 この映画は劉家良にとっての"年輕人問題"映画である。およそ10年ほど前、戦争を知らない若い世代とのジェネレーション・ギャップを、張徹は『叛逆』『年輕人』『憤怒青年』などの映画で描き出した。そしてそれは10年たって、今度は劉家良の周りにも降りかかってくる問題となっていたのだ。 この映画が"年輕人"映画である証拠は、惠英紅の役名と、それを巡る劇中のやり取りからも明白である。惠英紅の役名は"陳美玲"、張徹の『年輕人』に主演した陳美齢(アグネス・チャン)と発音はほとんど同じ。劇中、行き過ぎた武館の宣伝で警察に掴まった惠英紅は、取調べ中「あんた俳優?、歌手?」と聞かれるのだ。ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー劉家良は元々、功夫映画女性不要論者であった。それは恐らく『長輩』『掌門人』を作った今でもそうだろう。古いインタヴューで彼は「女性が出演すると迫真感が薄れる」と語り、はっきり"不要"と述べているのだ。 「本来修行とは一生のもので、結婚出産をする女性に練功が両立出きる訳がない、よって女性の演ずる功夫に迫真性はない」と。そりゃまあ、ある意味においては真実だが、全く古臭い考え方である。では彼はどうして女性が主演の功夫を作ったのか? 答えは簡単、そんなもの作ってはいないのだ。『長輩』『掌門人』をよく見て欲しい。どちらの作品もメインは確かに惠英紅で、伝統的価値観を信ずる劉家良は振り回されている。が、最後においては結局逆転しているではないか! どちらの作品もラストに至るまでに"年輕人"惠英紅は、独断で無謀な闘いを挑み組織に掴まってしまい、最後は劉家良に助けられている。張徹は、年輕人の不安定さを方世玉に託して慈しんだが、劉家良はそれを家父長制度の価値観に押し戻してしまったのだ。 これが終生変わらぬ劉家良という人の価値観で、当時の愛人・惠英紅をスターにするための作品以外では、決して女性を主人公とした功夫片を作らなかった理由である。ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー続く
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