旧myroom(香港電影的日常 '01/2/17〜'06/1/29)より移転。

 香港映画を中心に語っていますが、基本的には何でもアリです。
 なお日記に記載の内容は、無断転載、転用はお断りいたしております。ご理解下さい。(by fake)

 ・・・・あと、リンクもフリーではないんです。すんませんなぁ。

『ペットントン』 [2008年04月02日(水)]

『ペットントン/ペットントン・スペシャル』'84年製作、監督:坂本太郎、主演:高橋利安

 1983/10/02からフジテレビ系列で放送された東映不思議コメディ・シリーズの第三弾。'81年の『ロボット8ちゃん』から始まった同シリーズは、『バッテン ロボ丸』、『ペットントン』を経て、傑作『どきんちょネムリン』などを生み出した。

 原作は石ノ森章太郎、企画制作は東映で、名プロデューサーの平山亨も関わっている。平山亨は八手三郎の方が有名か?『仮面ライダー』シリーズや、『秘密戦隊ゴレンジャー』などを生み出した八手三郎だ。

 『ペットントン』の放送は84/8/26で終わったが、日曜朝の子供番組帯という放送形態は、東映不思議コメディ・シリーズの成功なくしてあり得なかったといわれている。TVシリーズの人気に後押しされる形で、本編終了後の8/27に1時間半のスペシャルとして放送されたのが、今回取り上げる題材。

 まずは番組を観たことない人のための『ペットントン』基礎講座から。

 スティーブン・スピルバーグの『E.T.』は世界中の興行記録を塗り替え大ヒット。そのおかげか、世界中で同作のパクリ、パロディ、フォロワーが量産された。現在公開を待つばかりの周星馳の新作『長江七號』も影響を受けているという。初公開から20年以上がたつというのに、その影響力のほどが窺える。

 『ペットントン』も『E.T.』の影響下に生まれた。主人公一家・畑家の裏庭に捨てられた異星人のペットであるペットントン。身長1m足らずで、緑色の体、そのほとんどが頭部といういびつなデザイン。頭には金色の毛が生えており、これを抜くと超能力を発揮するのが特徴。
 新しい飼い主となった畑家の長男・ネギ太(高橋利安)と、その友達(美少女・小百合、ホモっ気のあるガン太、メガネの根本くん)が巻き起こす珍騒動が描かれる。 

 着ぐるみのペットントンは人語を解するので、声を担当したのが丸山裕子で、着ぐるみを着ていたのが高木政人という方々。着ぐるみ担当の高木氏は、ペットントンの他にも、ロボット8ちゃんやロボ丸も担当したらしいが、'86年に24歳という若さで亡くなられた。1mの着ぐるだったからなぁ・・・。

 東映不思議コメディ・シリーズのほとんどを手掛けたのはメイン・ライターの浦沢義雄。鈴木清順、大和屋竺門下で脚本を学び、TVアニメ『ルパン三世』シリーズや『新ド根性ガエル』などを手がけ、東映不思議コメディ・シリーズで熱狂的なファンを掴む。
 一口に言って彼の作風はシュールのひとことにつきる。『ペットントン』にも子供番組でありながら、小学生の主人公の友達がホモというとんでもない設定を持ち込むくらいだから、後は推して知るべし!
 最近も『爆竜戦隊アバレンジャー』や、師匠・鈴木清順の『オペレッタ狸御殿』を担当してファンに健在ぶりをアピールしてくれたことは記憶に新しい。

 さて、本題の『ペットントン・スペシャル』である。

 当時『おしん』で人気だった小林綾子をゲストに迎えて、夏休みの最後にファンへのプレゼントとして放送されたエピソードだ。
 畑一家と信州へ夏休みの旅行に行ったペットントンは、牧場で少女と出会う。それがさやか役の小林綾子で、一目惚れしたペットントンは東京に帰ってもさやかが忘れられない。
 そのさやかが東京の親戚の家に遊びに来たついでに、ペットントンに相談を持ちかける。
 「私あれからUFOに襲われて・・・誰も信じてくれないし・・・」さやかの言葉を信じて捜査を開始したペットントンは、『未知との遭遇』そっくりの状況で、マザーシップそっくりのUFOに出合う。

 UFOと交信したふたりは、「おしん」を観て女優・小林綾子に一目惚れした宇宙の大王が、小林綾子を嫁に迎えるために遣わしたというのだ。ところがUFOは小林綾子を発見できず、小林綾子そっくりのさやか(当たり前だ!・笑)を大王の元に連れて行くという。
 さやかを渡さないと地球を爆破すると宣言する大王に驚愕するペットントンとネギ太たち。私が犠牲になれば・・・というさやかを、ペットントンたちは救えるのか?地球と全人類の運命を賭けて、ペットントンたちの戦いが始まった・・・。

 ところで、「香港電影的日常」としてはこんなの取り上げちゃってどうよ?と、ここまでお読みになった方は思っていらっしゃることと思います。

 本当の本題はこれからなのだ!

 UFOの行方を追ったペットントンは、UFOが香港に潜伏していることを突き止める。中国語ペラペラというガン太をガイドに連れたペットントンは、香港でUFOの捜索を開始。

 さあ、東映制作のTV番組で、夏休みの香港ロケといえば、間違いなく『Gメン'75』を思い出すだろう。

 この番組でも登場しますよ、アノ人が!

 そう、香港ロケ最多出演俳優、ご存じボロ楊斯!

 すげぇよなー、香港ロケだからってわざわざ楊斯に依頼する東映も東映だけど、外国の子供番組で着ぐるみ相手にアクションを披露する楊斯も男だよ(涙)。

 この番組が凄いのはこれだけではありません。香港に到着したガン太とペットントンが、まず訪れるのがゴールデン・ハーベスト撮影所。この番組の撮影時期を考えて下さいよ、そう'84年ですね。嘉禾のオープン・セットはまだ『プロジェクトA』のもの!更にふたりは『燃えよドラゴン』で李小龍の乗った小舟に揺られ、街を歩けば李發源と杜偉和にからかわれる。

 どうです、コレ香港迷必見でしょーが!

『靈魔』 [2004年02月16日(月)]

『靈魔』'75(?)年製作、監督:麥鵬展、主演:苗可秀ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー70年代から香港映画を見始めた人にとって、ノラ・ミャオ(苗可秀)こそが最大のアイドルであったろう。アンジェラ・マオ(茅瑛)も人気はあったが、ファンのミューズとして君臨したのはノラの方だ。旗揚げしたばかりのゴールデン・ハーベストは、スターを発掘すべくオーディションを行った。その時の第一次オーディションを突破したのがノラ・ミャオやアンジェラだった。ハーベストはノラを売り出し、凱旋帰国したブルース・リーとのコンビで、彼女は同社にとっての看板女優に成長する。国際的にも成功したブルース・リー作品に出演したことで、ノラ・ミャオはハーベストのNo.1女優でもあったはずだ。だが、彼女は74年の『綽頭状元』を最後にハーベストを離脱してしまう。76年からは台湾をメインに活動を開始した羅維プロと契約、この『靈魔』はその間の75年に韓国で主演した作品といわれている。この映画が韓国モノである点は確かだが、実際に75年製であるかどうかは疑わしい。というのも、劇中にオリビア・ニュートン・ジョンの「Hopelessly Devoted To You」が使われているからで、これは78年のヒット曲であるからだ。(音楽は後から差し替えられた可能性もあるが、ノラの顔つきからみても77〜78年頃のような気がする)ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー何故彼女はこうもあっさりとハーベストから離脱したのか?彼女はインタヴューでその理由を、「契約を更新したくなかった・・・」とのみ答えている。彼女はデビュー時から羅維の指導で女優になり、監督としての羅維をすごく尊敬している。羅維は彼女の契爺となっていたため、新しいプロダクションを起こすにあたって彼女を呼び寄せたのは自然の流れといえよう。だが不思議なのはその後だ。羅維プロが売り出しにかかったジャッキーの相手役として、かつてのリー&ノラの路線を継いでジャッキー作品に出演。それ以外は数本の作品に出演したのみで、ハーベスト最大のライバル・ショウブラザース社作品に出演するのだ。何故ショウブラなのか?生前のブルース・リーにはショウブラ移籍の噂が付きまとっていたことは知られている。凱旋の際、ショウブラとの契約を欲していたのはブルースの方である。お互いの提示する金額に折り合いが付かず、物別れに終わったものの、その後のブルース・リー・ブームを見たランラン・ショウ(邵逸夫)は、怒りのあまり人事の人間をクビにしたと伝えられているのだ。ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーランラン・ショウからは、何としてでもブルースを獲得しろとの厳命が飛んだ。ブルース自身、ハーベストとの契約金を吊り上げるためか、実際にショウブラに移籍しようとしていたのかは不明ながら、ショウブラ関係者と大っぴらに付き合いを始めた。『刺馬』の撮影現場を訪ねたり、ショウブラのスタジオで衣装合わせ行ったりの動きを見せているのだ。これはあくまでも"If"の話だが、ブルース・リーとショウブラの間に移籍の密約が出来ていたとしよう。ブルースにとって最高の相手役がノラ・ミャオであったことは間違いなく、引き続きショウブラでもコンビの出演を望んでいたとしたら?『冷面虎』の日本ロケから強奪し、無理やりにでも『猛龍過江/ドラゴンへの道』に参加させたほどの彼女も、一緒に移籍する話を進めていたとしたら?この話を聞いたノラ・ミャオは、これを了承するだろうか?ノラ・ミャオの家とブルースの家は家族ぐるみの付き合いで、ノラ・ミャオ自身、ブルースの弟・ロバート・リー(李振輝)はボーイフレンドであったと述べている。(英語のインタヴューでいうボーイフレンドが、恋人を指すのか直訳の男友達であるのかは不明ですが) 私は彼女はこれを断らなかった、と見ている。ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーブルースが可愛がっていたもうひとりの役者はトニー劉永である。『唐山大兄/ドラゴン危機一発』から、ハリウッドとの合作『龍争虎鬥/燃えよドラゴン』まで全作品で共演し、ノラ・ミャオと共に『死亡的遊戯』への出演も検討されていた劉永も、後にショウブラへと移籍しているのは、単なる偶然の符合であろうか?ノラ・ミャオの言う「(ハーベストとの)契約を更新したくなかった・・・」が意味するものは?ふたりとも、本来ブルース・リーと共にするはずだった契約を果たしにショウブラ作品に出演したのではなかったのか?これはあくまでも状況証拠からの推測に過ぎない。『靈魔』は韓国の会社と香港の会社による作品で、香港でも香港映画として公開されている。『ホワット・ライズ・ビニーズ』のような映画といえば判りやすいか。結婚した若妻(ノラ)が、夫の先妻の幽霊に悩まされるという話だ。セクシーな下着姿やベッドシーンも披露しており、これを女優としての意欲的な挑戦と取るか、都落ちと取るかは本人にしか決められないだろう。ショウブラとの契約を終えたノラ・ミャオは、決して香港のメインストリームに復帰することはなかった。ハーベスト作品には二度と出演しなかったし、この映画のように韓国やタイでも映画に出演。台湾映画とTVドラマが彼女の主な仕事になった。

邵氏恐怖片<7>『種鬼』 [2003年09月30日(火)]

邵氏恐怖片<7>『種鬼』'83年製作、監督:楊權、主演:高飛ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー今回紹介する映画の中で、ホラーとしてダントツにエグいのがこの『種鬼』だ。芳賀書店から出版された「香港電影百科」P.134右上段にこの映画の広告が載っている。タイトルにイラストだけのシンプルさであるが、卵の殻のようなものから手を突き出した種鬼の絵に、"お母さん、苦しいよ、早く私を生み出して!"というコピーがついている。見るのもおぞましい感じであるが、実際の映画の方も相当のものだ。流れとしては、やはり同時期に製作されていた"南洋邪術片"を踏襲するもので、この手のジャンルの作品としては、『魔』と共に異例のヒットを記録、やはり良く出来ている。主演は"南洋邪術片"を支えていた感もある高飛と、『種鬼』と同様の作品『養鬼』にも主演した徐小強。近年も張國榮(レスリー・チャン)主演の『異度空間/カルマ』に、幽霊を信じる大家の役で出演。先輩ホラー映画スターとしての貫禄を見せた。妻を殺された男・高飛が、タイの術師・易木焜山の協力を得て、妻を死に追いやった男たちに復讐をしていく。その秘術が"種鬼"ということになるが、その正体については皆さんの眼でご確認下さい。ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー監督の楊權をショウブラ職人監督・第四の男と言い切ってしまうにはやや無理があるが、彼もまたショウブラを支えたひとりであるのは間違いない。'31年に海南島で生まれた楊權は、海南大学中文科を卒業後来港、船員や作業員などをして糊口をしのぐ。王元龍が創設した「中国電影学校」で映画のイロハを学び、「香港文化社」でドキュメントフィルムや教育映画の製作を開始。65年にショウブラ入社後は事務的な仕事がメインであったが、助監督として莫康時についたことから運命は一転。莫康時から現場で多くのことを学び、時にプロデュースなども手がけた。67年に『紅粉金剛』というスパイもので独り立ち。以後は職人監督として喜劇に社会派ドラマにと活躍の場を広げた。ショウブラ時代にはその作品のほとんどをボックスオフィスに送り込み手堅い評価を得ている。『種鬼』はショウブラ時代としては晩年の作品となるが、ケレン味たっぷりの恐怖描写に、手馴れた職人監督の手腕を見ることが出来る。ショウブラとの契約満了後も映画を撮り続け、80〜90年代にも精力的な足跡を残した。ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー日本映画『リング』は香港でも大ヒット(香港でのタイトルは『午夜凶鈴』)、この影響で90年代後半から俄かにホラー映画ブームが訪れる。"貞子"のキャラクターは一人歩きし、勝手に続編が作られたり数々のパロディを生んだほどだ。アメリカ映画『シックスセンス』など、新しい形の恐怖を提示する作品は世界的に作られており、長引く不況や、返還後の香港住民の先行き不安などが、その人気にさらなる拍車をかけたのではないか?今回のブームは一過性のものに終わらず、粗製濫造も行われてはいたが、質の高い作品を生み出し現在に至っている。その製作過程もワールドワイドになっているのも特徴のひとつだろう。香港からは許鞍華(アン・ホイ)の『幽霊人間』が、新鋭・彭順&彭發(オキサイド&ダニー・パンの兄弟監督)がタイと香港の合作で放った『見鬼/the EYE』、アメリカの出資による道教ホラー『雙瞳/ダブルビジョン』など、いずれも中国文化が無理なく溶け込んだスタイリッシュな仕上がりである。ここに至るまでの過程こそが、今回特集で取り上げた"恐怖片"にあるのはお分かり頂けたであろうか?どなんジャンルに於いても、先人たちの試行錯誤なくしては、その発展は有り得なかったのだ。特集トップへ

邵氏恐怖片<6>『人皮燈籠』 [2003年09月25日(木)]

邵氏恐怖片<6>『人皮燈籠』'83年製作、監督:孫仲、主演:劉永ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーこの映画を紹介するにはどうしても避けて通れない話題がある。それは一部で騒がれつつある"カット問題"についてだ。86年、邵逸夫(ランラン・ショウ)は業績の落ちた映画部門を閉鎖、子飼いのTVBを中心としたテレビの仕事に会社の営業をシフトした。その際、同社が長年に渡って作り続けてきた映画作品を資産凍結とし、その後16年間に渡って封印し続けたことは有名だ。かつて香港の映画産業をリードし、香港映画といえばショウブラという時代があった。だが、それを証明するはずの作品群は、ワンマン経営者のエゴによって、かくも長き間ファンの目の前から姿を消していたのである。02年、長期に渡る交渉の末、ショウブラザース社から同社作品の権利700本余を買い受けた天映娯楽は、ついにその封印を解き放ち、同年12月から待望のリリースを開始したのだ。勿論この事実は全世界のショウブラ・ファン及び、香港映画ファンを狂喜させた。ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーこれ以前は、封印前に一部権利が海外に渡っていた作品を除き、他の作品を入手する手段は海賊版以外には無かった。ビデオがまだ高価だった80年代に早くも高値で売買されていたものだが、香港マフィアがショウブラの倉庫に忍び込み、銃を突きつけて試写させたものを、ビデオ撮りした海賊版が横行。途中のフィルム交換まで写っている様な代物であってもファンは求め続けた。そんな歴史を経ての、本当に待望の正規発売、ショウブラ作品こそが映画であると信じるショウブラ信者にとって、まさしく大事件であったのだ。発売された作品は満足のいくクオリティのものだった・・・・"カット問題"が発生するまでは。全作品に施されるデジタルリマスターは、カラー映画のショウブラであったことを見事に蘇らせたし、DVD用に撮りおろされた関係者へのインタビューなど特典も充実、リリースタイトルの偏りを除けばファンから文句は出なかった。ところが、である。発売された『人皮燈籠』に、海賊版には存在した場面がカットされていることが判明したのだ。ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーそもそも海賊版とひと口にいっても、同じ映画に数種類のバージョンが存在していた。北京語版、広東語版、英語版をスタンダードとし、ヨーロッパの各言語に吹き替えられたものや、もはや何語なのか判らない作品もあったものだ。編集違い、短縮版、全長版、封印前にTV放映やビデオ化されたバージョン、劇場での盗み撮りから黒社会流出系まで様々であったのである。だからこそ、ファンは今回の発売に完全版を望んでいたのだ。『人皮燈籠』のカット場面は、猟奇殺人犯が人の皮を剥いで燈籠を作る場面の一部で、元々海賊版もいくつかのバージョンが存在していたこの作品は、その真偽が取り沙汰されたのだが、続く『方世玉興洪煕官/嵐を呼ぶドラゴン』のOP演武カットによって、天映娯楽が不完全なまま発売していることは確定的となった。現在では張徹の歴史的作品『報仇』にも、残酷場面の一部がカットされていることが確認されている。海賊版の出回っていた有名作品ならば、こうして誰かしらの指摘により確認も出来よう、しかし長らく封印されていたショウブラ作品の公開当時を知るものは少ないのだ。あまり海賊版の出回らなかった文芸作品など、いったいどのような姿で発売されているのか誰にも判らないのが現状だ。天映娯楽のファンへの裏切りは大きいのである。ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー監督の孫仲は山東人だが台湾育ち。桂治洪と共に台湾国立芸術学院に学び、卒業後は軍役なども経験したが、台湾の映画会社で助監督を務めていた。何夢華の『野姑娘』を手伝ったことから、桂治洪と共にショウブラに入社。武侠片『風雲魔境』の成功を見たショウ首脳陣に高い評価を受け、何夢華、桂治洪に続くショウブラ第三の職人監督として頭角を現した。同期の桂治洪が、独特ではあっても汎用性の低い監督であったのに対し、ダイナミズム溢れる演出はよりエンターテイメント性に優れていたため、幅広いジャンルで人気を博したと言える。代表作は、『風流斷劍小小刀』『教頭』の功夫・武侠片、桂治洪らと共同で製作した実録もの『香港奇案』シリーズなど。ショウブラとの契約を終えた後、荘泉利の『虎鷹/カンフー風林火山』を監督。自ら「銀鳳影業」という映画会社を主宰、現在も映画界に関っている。ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー作品そのものの話もしておこう。恐怖片にカテゴライズされているが、猟奇サスペンスの武侠片という作りだ。敵対する剣士ふたり(劉永、陳觀泰)の対決を軸に、美しい美女を誘拐してはその人皮で燈籠作りをする謎の怪人の跳梁を絡ませて展開する。剣士ふたりの肉親(恬[女尼]、林秀君)も次々と犠牲になるが、お互いの仕業と思い込み対立を深める。怪人の跳梁は止まず、官憲(孫建)の調査も空しく犠牲者(楚湘雲、王清河)の数は増え続けた。怪人の作り上げた人皮燈籠が怪しい光りを放つ中、江湖を濡らすは果たして血か?涙か? おどろおどろしい内容だが、しっかりとした作りで武侠片としての水準は高い。メロドラマとしての側面もあるこの作品を支えるのは、ライバルのゴールデンハーベストから移籍してきた劉永。この時期のショウブラ武侠片に不足していた甘い二枚目顔が、作品にリアリズムを与えている。陳觀泰は無論のこと、"五毒"派の孫建や羅莽との絡みは、ショウブラVSハーベストの数少ない対戦のひとつだ。ところで、第二次大戦中のナチスの戦犯・イルゼ・コッホ(ブヒェンヴァルト収容所の女看守)は、収容所で拷問死させたユダヤ人の死体の脂から石鹸を作ったり、皮を剥いでランプ・シェード(ランプの傘)を作っていたといわれている。(実際には別の場所の生体実験のことらしいが) 人間の所業は時として想像力を凌駕するものである・・・・。続く

邵氏恐怖片<5>『腦魔』 [2003年09月21日(日)]

邵氏恐怖片<5>『腦魔』'83年製作、監督:羅烈、主演:陳觀泰ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーこれも南洋邪術片の一本だが、極めてホラー映画らしいホラー映画だ。監督の羅烈が、あまり多くないその監督作品の中で、あえて南洋邪術片に挑んだのは、かつて彼が出演した『降頭』『匂魂降頭』(監督はいずれも何夢華)などの黒魔術ものにノスタルジーを感じていたからだろうか?海外のショウブラ・ファンの間では、『降頭』、『匂魂降頭』の二本にこの『腦魔』を含めて、"羅烈・ブラックマジック三部作"と呼ばれている。極めてホラー映画らしいと書いたが、そのイメージは往年のユニバーサルやハマー映画のそれではなく、どちらかというと大蔵映画が60年代にせっせと輸入していたB級ヨーロッパ・ホラーのよう。とはいえ、おどろおどろしい怪奇ムード、度重なるショック・シーンに畳掛ける恐怖演出と、ツボは外してはいない。過去に紹介した羅烈監督作(『魔鬼天使』『洪文定三破白蓮教』)もそうだったが、非常に手堅い演出をしているのだ。ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーこの作品、小学館から発売されている「世界トホホ映画劇場(大畑晃一・著)」に収録(P.34)されている。だが紹介されているストーリーは人物関係を誤認しているし、物語も誤訳のまま解説されているのだ。実際はこうである。パプアニューギニア(南洋!)へと出かけた陳觀泰、現地の黒魔術師と共にミイラの体から呪われた"腦"を持ち帰る。魔術師曰く「・・・この脳魔はきっとお前の願いを叶えてくれるだろう。だが脳魔の怒りを鎮めるためには、お祈りを欠かしてはならない。その時この聖水をかけておかなければ、やがて恐ろしいことが・・・・」この部分がこの映画の全てだ。ご推察の通り、魔術師の注意は破られ、恐ろしいことが現実となるのは言うまでもない。タイへと帰って来た陳觀泰、空港に出迎えるのは恋人の余安安と、彼女の兄嫁・金燕玲。ふたりは結婚を望んでいたが、彼女の兄・門耀華はボンクラでゴク潰しの陳觀泰との結婚に反対していた。ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー姉の楚湘雲にタカって暮らしている陳觀泰、両親の遺産から結婚資金を貸してくれと懇願する。「いつか金持ちになるからさぁ・・・・」ボンクラ特有の物の考え方を鼻でせせら笑う姉。「彼女と結婚したいんだ、頼むよ!」苦しい時の神頼みならぬ、脳頼みをする陳觀泰。一晩バーで飲み明かし帰宅したら、姉は飛び降り自殺をしていた。脳魔の仕業だった。遺産を手にして再び結婚を申し込む陳觀泰、相変わらず門耀華は反対だったが、病気がちな余安安の父の「元気なうちに娘の花嫁姿が見たい」という願いによって許しを得る。結婚に浮かれた陳觀泰、すっかり脳の世話を忘れていたため、近隣ではペットや家畜の脳だけが吸い取られるという奇怪な出来事が頻発していた。余安安の実家に就職した陳觀泰、金の取り引きで儲けようと義父に持ちかけるも、やはり門耀華に反対される。結婚時の経緯を知る金燕玲もとりなすが、「地に足のついてないやつは危ないんだよ」と至極最もな答えが帰って来た。「仕事を成功させたいんだ!」(姉の時もそうだが、決して殺してくれとは祈っていないのだ)再び脳魔にすがる陳觀泰。風呂場でくつろぐ門耀華を襲う無数の腦ミソ。門耀華を失った義父は会社を陳觀泰に譲り引退を決意。失意の義父と金燕玲も同居することとなった。ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー夜毎祭壇でお祈りしている夫の姿に不審を抱いた余安安、こっそり祭壇を調べるが、その際に聖水の入ったビンを割ってしまう。腦魔の怒りはすさまじいものになっていた。成功を手にした陳觀泰は、制御の効かなくなった腦魔を処分しようとするが・・・。その頃、余安安たちは奇怪なことが続くため寺院に御参りに行く。そこで四面の仏像に心を引かれた余安安、家に同じ像を設置。脳魔の怒りを買った陳觀泰の身に次々と怪事件が起きる、余安安の様子もすっかり変わってしまった。馴染みのバーテンに紹介された道士の羅烈により除霊を行うが、既に陳觀泰の体は脳魔に侵食されていた。本格的な除霊のため屋敷を訪れた羅烈、余安安の守護と化した仏像と縄張り争いを初めてしまう。釈迦らしきものが現れ、ふたり(?)の争いを止めるや、羅烈の体に仏像を合体させた。未だに続く怪事件、陳觀泰が祭壇のあった地下室を調べて見ると、地下一面に広がった腦魔が!腦魔に取り込まれ、腦怪人へと姿を変えた陳觀泰は、無差別殺戮を開始。脳怪人VS羅烈(in 仏像)の闘いの火蓋が切って落とされた。続く

邵氏恐怖片<4>『蛇殺手/蛇姦』 [2003年09月16日(火)]

邵氏恐怖片<4>『蛇殺手/蛇姦』'74年製作、監督:桂治洪、主演:甘國亮ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーこの映画は『蛇姦』のタイトルで77年に日本公開されている。一部資料では76年になっているが、本当は74年の作品だ。ドラゴン・ブームのころに、配給会社が何かと抱き合わせで買わされたものだろうが、公開が遅くなったため配給元で製作年度を操作したのだろうか?日本公開時の英語題も『The Sex Snakes』であったが、『The Killer Snakes』が公開時につけられたタイトルだ。南洋邪術片を撮った桂治洪の初期代表作で、この映画のヒットがその後の桂治洪のスタイルを決定させたといえるだろう。日本公開作『人蛇大戦/人蛇大戦・蛇』や、未公開の『蛇山蠱女』など、少ないながら蛇モノは確実に作られており、確実にマニアの存在するジャンルだといえそうだ。この『蛇殺手/蛇姦』は、ダニエル・マンの『ウィラード』にインスパイアされたそうで、鼠の部分を蛇に置き換えれば『蛇殺手/蛇姦』になる。ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー監督の桂治洪は、香港で教育を終えた後、台湾国立芸術学院で映画作りを学んだ。同学院卒業後、潘壘監督の『情人石』などの助監督として業界入り、友人の何夢華(03/9/8日記参照)の誘いで香港へと帰りショウブラと契約する。65年に日本の松竹に修行に出され、研修生として松竹大船撮影所で日本映画の作り方を学ぶ。その縁もあってか、帰港後、当時ショウブラで映画を撮っていた井上梅次、中平康、島耕二などの助監督を務めた。昨年東京国際映画祭で上映された『香江花月夜/香港ノクターン』も、その当時の桂治洪の仕事だ。主演俳優の陳厚が癌で死亡(03/9/2日記参照)し、中平康の契約が切れて中に浮いた『海外情歌』の監督を任される形でデビュー作を撮る。その後はパっとしない状態が続いたが、張徹と共同名義で発表した『憤怒青年』で脚光を浴びる。魚眼レンズやクローズアップを多用し印象的な画を作る一方で、素早くアクティブなカメラワークは、当時の監督自身の気持ちを代弁するものであったと言われている。くすぶっていた桂治洪自身が"憤怒青年"であったわけだ。ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー『女集中營』『洋妓』などのエロ映画を任されて堅実なヒットをものにした桂治洪が、自身で選んだ企画が『蛇殺手/蛇姦』だった。誰からも顧みられることなく、下層に生きる甘國亮にとって蛇だけが唯一の友達であった。少年のころのエピソードとして、両親がSMプレイにこうじている姿を覗き見るという描写がある。異常性愛に目覚めた自分を制御できず、日々オナニーに暮れる。その現場を李琳琳に見られた、彼女だけは甘國亮の心の支えだったのに・・・・。歯車が狂っていく。更正しようと働きに出るが、出前の仕事で行った売春宿で、娼婦・劉慧茹にからかわれ、出前の集金を情夫の李敏郎に奪われ仕事をクビになる。仲直りしようと意を決して映画に誘った李琳琳、OKしてくれたが、甘國亮が映画館で待っているころ、彼女の父親が急に倒れた。そんなこととは知らないで待ち続ける甘國亮。裏切られた・・・女はみんな裏切るのだ!母親も。ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーこの役を演じている甘國亮は70年にショウブラ入りするが、当時のショウブラは張徹・陽剛路線に代表されるマッチョ男優全盛時代だ。貧相な小倉一郎といった感じの甘國亮に、出番は無かったのも止むを得ない。80年代からの香港映画に馴染みの深い人には、香港返還10年前の移民ブームを反映した作品『我愛太空人/あの愛をもういちど』のヒゲ面が思い出されるだろう。『神奇両女侠/トップレディ』が初監督で、プロデューサーや脚本家としても活躍した。この人、素顔は実にノッペリとした爬虫類顔で、その体躯の貧相さも含めて、主人公の孤独感、そして猟奇性の両方を体現しているのだ。このキャスティングなくして、この映画の成功は有り得なかったであろう。隣の蛇屋から逃げてきた蛇を匿ううちに、蛇と心を通わせるようになるが、父親が急死した李琳琳は娼婦として売られていってしまった。抑えられない想いを解消するため、いつかの娼婦・劉慧茹を尋ねるが肝心のものが役に立たない。鼻で笑われ、寂しく帰ろうとする甘國亮をまたもや李敏郎が待ち受けていた。ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー金を取ろうとジャケットをまさぐる李敏郎の手を蛇が噛んだ。手下たちに蛇をけしかけ一味を皆殺しにするや、気を失った劉慧茹を家に連れて帰ると、手足を縛りつけ念願のSMプレイにはしる。未曾有の快楽、苦痛にのたうつ女体を前に、快楽の絶頂に達した甘國亮は、女陰に蛇を押し込み虐殺した。桂治洪は、後に実録犯罪もの『香港奇案』シリーズを撮るが、この作品の猟奇犯罪描写なども含め、黄秋生が90年代に演じて話題になった『八仙飯店之人肉叉焼飽/八仙飯店之人肉饅頭』などの"奇案片"を先取りしていたのだ。猟奇殺人の快楽に取り付かれた甘國亮、今まで馬鹿にしてきた人間たちを、蛇を使って次々と血祭りにあげていく。娼婦としての李琳琳が水揚げされる情報を得たが、助けようと奔走するも間に合わず陵辱されてしまう。苦界に身を落として生きるよりは、楽に死なせてあげる・・・・勝手な思い込みで李琳琳の命を絶ち、彼女を汚した男を追い詰めていく。ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーグロい、全くグロの極地だ。本物の蛇を使った不快な描写が延々と続き、都会の片隅で孤独な男の社会への反逆が静かに開始される。可愛そうだとは思うが全く共感の沸かない主人公、しかしこれが恐ろしくリアリティがあるのだ。こんな男はどこにでもいる。目立たず、役に立たず、そこに存在しているのも気づかれない。心の中で本人は社会との関りを欲してはいるが、その関わり合い方を知らないため、結果として社会と軋轢を起こす。それが極端な場合は犯罪にもなるのだ。朋友・何夢華もエログロの人であったが、基本的には何でも撮れる職人監督であった。桂治洪とてそうであったのかもしれない。だが、なまじこの映画が良く出来ていたが為に、終生エログロ監督のレッテルを押されてしまったのも確かだ。この仕事が、後の南洋邪術片へと繋がっていったのは言うまでも無い。20年にも渡るショウブラでの仕事において、40本以上の映画と関った桂治洪。ショウブラの斜陽化と共に他社へと活動を移した同僚たちを後目に、退社後はすっぱり引退。アメリカに移民後、ピザ屋を開いて余生を過ごした。99年、62才の時に肝臓癌で亡くなるまでピザを焼いていたという。生涯一ショウブラを通した男でもあった。続くーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー<訂正>本文中、昨年東京ファンタで上映された『香江花月夜/香港ノクターン』とありました部分は、テラダさんの御指摘により東京国際映画祭の間違いであったことが判明いたしました。(本文修正済み)

邵氏恐怖片<3>『魔』 [2003年09月13日(土)]

邵氏恐怖片<3>『魔』'83年製作、監督:桂治洪、主演:高飛ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー南洋邪術片を代表する作品である『魔』だが、南洋邪術片そのものが香港電影片種の鬼っ子ジャンルであるため、これまで顧みられることがなかった。今にして思えば、この映画の生まれた80年代こそが、香港電影の歴史に恐怖片が一大ジャンルとして根をおろした時期だったのではなかったかと思われる。怪談の本場である中華圏でありながら、映画作品としては何故かさしたるものを生み出してこなかった。古典として書かれた怪異譚の多くを、当時読者として支えたのはインテリ層であった。『倩女幽魂』にその典型を見ることが出来る。あの話しで幽霊の女と恋に落ちるのは、風采の上がらない書生だった。有名な崑劇の出し物「活捉」においても、殺された女は殺した相手を恨んで化けて出るのではなく、冴えない小役人を想って幽霊として現れる。そもそも怪談を書いている側も、それを読む側も書生が中心であったのだから、その読者の期待に応えるべく、幽霊は書生を恐がらせたり、はたまた恋に落ちたりすることになるのだ。娯楽の無い時代の読み物はインテリのものであったかもしれないが、それも現代に至るにつれ大衆化していったのは止むを得ない。ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー映画作りが世界に広まっていくころ、各国がお手本としたのは映画先進国ハリウッドの作劇法だった。ホラー映画とて例外ではなかったろうが、キリスト教を基盤とする西洋文化に根ざす欧米の作品を骨子としたところで、儒仏道の中国人にはピンとこなかったのではなかろうか?西洋のドラマツルギーに、東洋の味付けをした70年代のホラー作品『七屍金/ドラゴンVS7人の吸血鬼』は、80年代以前の香港ホラーのひとつの典型である。もうひとつの典型は、いうまでもなく古典の映画化というやつだ。「聊斎誌異」を材にした作品は無数に作られたが、やはり古色蒼然たる感は否めない。80年代に入ってひとりの男が動いた。80年の『鬼打鬼/妖術秘伝 鬼打鬼』に始まるサモハン・ホラーだ。かつての作品との決定的な違いは、道教を主題とした土着感溢れる題材を、現代的なタッチで処理してみせた点にある。より中国人の生活風習に密着しつつ、現代人の感性に映画を引き寄せたこの作品の成功により、80年代のホラー・ブームの幕が開けたのだ。(『鬼打鬼』は79年のショウブラ、劉家良作品『茅山彊屍拳』に触発されているが、先行したこの作品はアクション的にもコメディとしても、もちろんホラーとしても中途半端な作品であった)ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー『鬼打鬼』の成功からサモは次々と道教系ホラーを連発。ゆくゆくは80年代中盤の「キョンシー・ブーム」を到来させることはご存知であろう。この、サモ&ゴールデンハーベスト・ラインに対抗すべく、ショウブラが打った手段が「南洋邪術片」だった。タイやマレーシアなどの"南洋"は、同じアジアという括りには入るものの、文化的側面には随分と差異が見られる。香港の人にとっては近くて遠い外国である南洋は、畏れと親近感の同居する奇妙な土地だ。「南洋邪術片」とは、文字通り南洋の土地を舞台に、観光で訪れた中国人が呪いをかけられたり、邪悪な術師と対決したりする話を、異国情緒とカルチャーギャップをたっぷりと盛り込みながら、エロとグロで描いた作品なのだ。シンガポール華僑の邵一族によって運営されていたショウブラが、ハーベストの土着道教系ホラーへの対抗手段として南洋邪術を持ち出したのは、至極当然の帰結であったのだろう。『鬼打鬼』と同年には早くも『邪』を製作、その後も83年の『魔』までコンスタントに製作し続けた。(監督はいずれも桂治洪)ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー兄(王龍威)を不具者にされた高飛、仇の楊斯に再戦要求するためタイへと飛んだ。そこで黒魔術を使う邪教の術師と、仏教僧(徐錦江)の争いに巻き込まれるのだ。見所はその怪しげな術や修行の数々で、体中に吸い付く蛭や、体内から飛び出すウツボ、湧き上がる蛆虫の数々は、この時期の香港映画には珍しく本物を使用せずにSFXでみせている。梵字がアニメーションで高飛の体に高速転移するエフェクトなど、同じ時期のハーベスト作品に比べるとやはり一日の長がある。逆に言えばグロい場面も良く出来ている訳であり、これでは大衆性の獲得も出来なかったのは致し方もない。『魔』はこのジャンルの作品としては異例のヒットを記録した作品であるが、いかんせんその強烈なエログロ描写は、しょせんジャンルの鬼っ子としてしか生きられない宿命にあったというべきか。キョンシー人気の去った後、王祖賢が空を飛ぶゴースト映画が大ヒット。80年代のホラー・ブームを締めくくったが、ショウブラの封印に伴い「南洋邪術片」も時代の闇に消えた・・・・。続く

邵氏恐怖片<2>『油鬼子』 [2003年09月08日(月)]

邵氏恐怖片<2>『油鬼子』'76年製作、監督:何夢華、主演:李修賢ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーやべぇ、やべぇよ・・・・『油鬼子』面白すぎ。海外のショウブラ・マニアから聞いてはいた。"李修賢(ダニー・リー)はやっぱり『油鬼子』でしょ"、と。しかしこれほどとはなー。ショウブラという会社はかつての東映とそっくりで、自社でなんでも賄っていたもんだから、メロドラマから子供向け、ポルノに至るまで製作していたのだ。そして自社専属のスターがどんなジャンルの映画にも駆り出されていた点もそっくりで、やはり東映が仮面ライダーやキカイダーの役者を、ヤクザ映画からポルノにまで出演させていたのと良く似ている訳だ。李Sirことダニー・リーは今でこそ大スターであるが、張徹に期待されて"五虎将"のひとりとしての売り出しに失敗してからは、ゴッタ煮のショウブラを象徴する映画人生を歩いた。怪獣映画『猩猩王/北京原人の逆襲』、変身ヒーロー『中国超人』、ブルース・リーのソックリさん『一代巨星/李小龍興我/実録ブルース・リーの死』など、とても大スターの仕事ではない。そして今回の『油鬼子』だ。このエログロの怪作を支えるのは、ショウブラにおいてもこの人しか居なかった。ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーそして監督の何夢華だ。広東人だが上海に生まれた何夢華は、上海の映画学校において脚本家としての指導を受けた。その後、国共内戦に揺れる'48年に多くの上海映画人と共に香港へとやって来るが、大陸からの離脱直前にすでに監督としてデビューしていたといわれている。名監督・嚴俊によってその才能を見出され、助監督として香港映画界入り、'58年にはキャセイ(國泰機構)で監督作『野姑娘』を撮る。この映画、何故か'60年までオクラ入りの憂き目に遭うが、試写を見た邵逸夫(ランラン・ショウ)に認められたことから晴れてショウブラと契約した。その後は生涯をショウブラに尽くす監督人生を送ることになるのだが、ということはつまりゴッタ煮監督としての人生を歩んだということだ。('59年に一本だけ他社で、'80年にショウブラ退職後に台湾で一本だけ仕事をしている)ショウブラでの初監督作は、本人曰く"つまらないメロドラマ"の『飛來艶福』、以後数本はメロドラマを中心に仕事をこなしていた。最初の転機は自ら古典を改変した『西遊記』のシリーズがヒットしたことから。以後は自ら自嘲するごとく"コマーシャリズムの権化"として職人監督に徹した。功夫・武侠片からホラー、特撮、エロ映画まで、実にバラエティにとんだ仕事振りで、この人の仕事をよく見ていると、ショウブラという会社の本当の姿が見えてくるのである。ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーさて『油鬼子』だ。OPの字幕でこの映画についての説明がある。本編はタイなどの南洋地方に古くから伝わる怪異譚の映画化で、ロケはマレーシアで大々的に行われた・・・・云々。そしてタイトルバックに臆面もなく飛び出す"油鬼子"、もうちょっと奥ゆかしさというものは無いものか。このOPから既にこの映画が筋金入りの"バカ映画"であることが伝わってくるのだ。(笑) ダニーの働く椰子油工場は身売りの危機に扮していた。幼馴染の陳萍とその父・谷峯もボンクラな二代目の経営に頭を痛めていたところだ。借金を重ねてしまったボンクラ二代目の華倫を借金とりのヤクザが脅していたが、止めに入った谷峯は乱闘の最中チンピラを殺してしまう。死刑の決まった谷峯を獄中に訪ねるダニー、死んだダニーの父親の親友として親代わりを務めていた谷峯は、死を前にしてダニーに頼みがあるというのだ。その頼みというのは、ひとり娘の陳萍のことであった。年頃の娘をひとり残しておくのは心配だ、彼女の身を守ってやってくれ。だがダニーは小児麻痺で生まれつき体が不自由だった。ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー叔父さん、俺・・・。分かっている。そういう谷峯はシャツを脱ぎ背中の刺青を見せた。これは降霊師をやっていたダニーの父が、体の不自由なひとり息子のために残した秘伝である。この秘伝を使えばお前でも大丈夫だ、だが決して正義のため以外では使ってはいけないぞ。谷峯の死刑を見届けたダニーは、訳の解らないまま勤め先の弁護士事務所へと戻ってきた。落ち込むダニーに唯一優しく接してくれるのはOLルックの李麗麗だけだ。王侠が弁護士(名和宏とかが弁護士のようなもんですな・笑)というこの事務所、誰がどう見たって悪徳弁護士に間違いない!仕事帰りに陳萍のところを訊ねたダニー、父親の処刑というつらい事実を伝えた。慰めるダニーと陳萍、いい雰囲気になりかけたが直前に拒絶された。なんだよ!俺がカタワだからか?実は陳萍は華倫とつきあっていたのだ。それを知って嫉妬に狂うダニー。家に帰ってレミーマルタンを一気飲み、酔っ払って思い出したのは秘伝のことであった。ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー家の真ん中に穴を掘って中に入る、穴の中で一心不乱に呪文を唱えろ。こんだけか!?酔いと嫉妬で正常な感覚を失っているダニー、不自由な体で穴を掘り、そこで呪文を唱え始めた。すると穴の下から油が沸き出てダニーの体をスッポリと覆う、あっ!という間に油鬼子の誕生である。この油鬼子、特殊メイクではなく着ぐるみ怪人なのだが、ひとことで言うと、汚い!まるでスペクトルマンの怪獣のようだ。完全に理性を失って変身したダニー、陳萍の家に夜這いをかけたが、おりしも陳萍がチンピラの江洋と高雄(エディじゃないよ、同名異人です)にレイプされようとしていた。陳萍は台湾で"毛衣公主(セーターの王女)"と呼ばれたアイドル女優だ。香港映画の女優だしなー、レイプといってもなー、なんて思っていると江洋が服に手をかけて引き裂いた。おおっ!ヌードだ、珍しい。うれしい!狄龍と武侠片で共演していたころからは想像のつかない汚れ役だ。ショウブラは女優も大変なのね。夜這いから一転、愛しの陳萍を助ける側に回ったダニー、液体化してただの油になるや音も無く近づき高雄を殺害。驚いた江洋はそのまま逃げて警察署に逃げ込んだが、追うダニーは着ぐるみのまま、走る!走る!ちょっと可愛いです油鬼子。谷峯の忠告を全く無視して欲望のままの殺戮を繰り返すダニー。町は油鬼子の恐怖に慄いた。ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー夜な夜な家を留守にし、仕事中も居眠りを繰り返すダニーを不審に思った李麗麗は、ダニーの家で変身を目撃してしまう。密かにダニーに惚れていた李麗麗は胸を痛めてダニーにもう止めてと哀願するが、もはやダニーを止めることは不可能であった。ボンクラ二代目の華倫は、椰子油工場を売り払うつもりでいた。陳萍とつきあっていたのも反対派を抑えるためで、ヤクザと結託した華倫はもはや用済みの陳萍もヤクザに処分させるハラだ。この情報を聞きつけたダニー、李麗麗にこれが最後の変身だと告げて姿を消した。心のどこかで止めて欲しがっているのを感じた李麗麗、警察と協力してダニーの行動を阻止しようと決意。しかし、ダニーの変身も手遅れであった。陳萍は殺され、華倫は工場を売却したのだ。怒りの変身で華倫を追い詰めるダニー。警官隊と共に現れた李麗麗は、最早制止不可能と悟る。油の怪人・油鬼子の弱点は火である、愛するダニーをこれ以上不幸にしないためにも、自らが点火することで決着をつけようとする藤千代・・・・じゃなかった、李麗麗。絶叫と共に燃え尽きる油鬼子、SRIの牧四郎なら「・・・彼の歪んだ体はその精神までも歪ませてしまった、そしてこの歪んだ犯罪を生み出したのだ」ともっともらしく語ってくれるに違いない。続く

邵氏恐怖片<1>『倩女幽魂』 [2003年09月02日(火)]

邵氏恐怖片<1>『倩女幽魂』'59年製作、監督:李翰祥、主演:趙雷、楽蒂ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー今月はショウブラ恐怖片を特集します。何と言っても中国は怪談の本場ですから。日本の怪談のいくつかは中国のものを翻案としたものだったりするほどです。第一弾は、香港映画ファンなら誰でも知っている『倩女幽魂/チャイニーズ・ゴースト・ストーリー('87)』のリメイク元である本作。リメイク王・徐克は、自分が子供の頃に見たお気に入りの映画を次々とリメイクしました。(リメイク版の監督は程小東、徐克は製作のみ)中でも『倩女幽魂』は後にアニメ化したほどお気に入り。元々は「聊斎誌異」の一篇「聶小倩」が原作ですが、映画やアニメ版だけでなく、TVに舞台にと数限りなく作られているほど人気のある作品です。近年日本でも上演された川劇の舞台公演でも演目に「聶小倩」が選ばれていましたね。「聊斎誌異」を原作とした映画には、胡金銓(キン・フー)の『侠女』がありますが、胡金銓は本作では助監督を務めています。ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー'87年版は王祖賢(ジョイ・ウォン)を大スターにしましたが、この映画で幽霊の聶小倩を演じるのは楽蒂。"古典美人"といわれた彼女は時代劇に映える端整な美貌の持ち主で、『梁山伯興祝英台』や『花田錯』などの黄梅調作品への主演も多い。現代的な王祖賢にあえて古典的な役柄を振ったことが'87年版の妙味でしたけど、旧作はストレートに古典美人を持ってきました。この楽蒂、香港のフレッド・アステアと呼ばれた陳厚と結婚、ショウブラから独立して映画会社を設立したまでは良かったが、経営不振は結婚生活にも及び、五年で終止符をうつ。絶望した楽蒂は睡眠薬の多量服用で自殺してしまうのですが、夫の陳厚もその四年後には病死してしまう。映画で見る彼女の姿からはとても想像のつかない人生です。'87年版で張國榮(レスリー・チャン)が演じた寧采臣役は趙雷。ショウブラ全盛の第一期を支えた大スターで、皇帝役を得意としたことから"皇帝小生"などと呼ばれた。いかにも的なレスリーに比べると、大柄で品の良い趙雷は、書生というより大旦那の方が似合う感じだ。午馬の演じた道士・燕赤霞、ショウブラ悪役スターの楊志卿が演じていますが、ビジュアル的にもこの人が一番違和感がない。こうして見ると午馬は旧作を随分と参考にして演技していたことが良く分かります。(ちゃんと楊志卿も剣を持って歌を歌います)ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーストーリー的にはほとんど差異はありません。もちろん、幽霊が空を飛んだりするビジュアルや、派手なSFX、クライマックスのアクションなどは旧作にはありません。林威が演じた剣客も旧作には出てきませんね。'87年版と違うのはやはりその奥ゆかしさです。寧采臣を誘惑に来た聶小倩、書を書こうとするする寧采臣のために蝋燭に火をつける。その火が衣服に燃え移り、驚いた彼女は衣服を脱ぎ捨てる。すると当然下着姿になり、その後は若い男女ですから・・・・。でもギリギリのところで寧采臣は彼女の誘惑を振り切るんですね。その後、先日のお詫びにとやって来た聶小倩は金銀財宝を差し出しますが、これも寧采臣は断ります。この金と色の二つの欲を拒絶するからこそ、寧采臣の命は助けられるのですね。すぐにやっちゃう'87年版のふたりにも見せてやりたいです。(笑) 幽霊だと判った聶小倩ですが、彼女の身の上に同情した寧采臣は遺骨を掘り出し供養してやることに。怒った妖怪のボス・姥姥(唐若)は、家路を急ぐ寧采臣を待ち受けていた。危ないところを助けに現れたのは燕赤霞、ふたりの対決は果てしなく続き、一番鶏が夜明けを告げた。聶小倩は骨壷の中に姿を消し、慌てた姥姥は棲家に帰ろうとするが、その背後を燕赤霞の剣が貫き姥姥は滅びた。ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーこの映画はここで終わってしまうのです。聶小倩は?骨壷に姿を消したと書きましたが、はっきりとは描かれていません。'87年版のように人間に戻れるから助けるということも、その後の悲劇も待ってはいません。その答えは原作の「聊斎誌異」にあります。寧采臣は実家の近くに聶小倩を葬ってやったのですが、彼女は時々人間の姿で現れては寧采臣の世話を焼きます。ついには寧采臣の妻として子供までもうけるのですが、これには中国人の陰陽思想が関係しているのではないでしょうか。天人一体の中国古代思想である陰陽道では、相反する特性が互いに循環、融合することで変化をし、最終的には二極の調和を見るというものです。ですから陰と陽はふたつでひとつの形を成します。言うまでも無く陰が女で陽が男です。欲のために結ばれなかった寧采臣、それ故にこそ聶小倩は姥姥の生贄にすることを拒みます。そんな聶小倩だからこそ寧采臣は供養しようと思いつくのです。その後ふたりは正しく結ばれ、ついに陰陽はひとつとなり聶小倩は人間に戻るのです。先に結ばれてしまった'87年版では、その結末は逆転せざるを得ず、聶小倩は人間に戻ることが出来ませんでした。この結末のつけ方は中々旨いと思いますね。余談ながら劇中に呉三桂の乱や鄭成功の台湾攻めの話が出てきます。ということはこの物語は清朝・康煕年間(1662〜1722)を舞台設定としていることになるのですが、'87年版はとても清朝には見えませんでしたね。続く

『白蛇大閙天宮/白蛇閙天宮』 [2002年06月25日(火)]

『白蛇大閙天宮/白蛇閙天宮』'75年製作、監督:孫陽、主演:嘉凌ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー有名な「白蛇傳」の映画化である。日本でも'56年に東映(動画)が同社製作の長編劇場用アニメ第一弾として製作しているのでご存じの方も多いはずだ。(その時のタイトルは『白蛇伝』) 有名な話であるから香港や台湾でも度々映画化されており、本作の他にも判っているだけで5度は映画化されている。その他、TVドラマや舞台劇や人形劇など翻案は無数に存在する。東映作品の他にも、ブリジット・リン(林青霞)主演の台湾製『真白蛇傳/新白蛇伝』や、ツイ・ハーク(徐克)監督の『青蛇/青蛇転生』が日本でも見ることが出来るが、『青蛇/青蛇転生』は従来の主人公である白蛇ではなくその妹の青蛇が主人公になっており、青蛇の側から見た物語を構築することで古典作品に違う視点を与えてみせた。なおこの時の白蛇役はジョイ・ウォン(王祖賢)、青蛇役はマギー・チャン(張曼玉)であった。ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーこの物語がいつ頃から語り継がれてきたものかは定かではないが、従来の物語はこうである。許仙という書生が白蛇を助けた。この白蛇、1000年は生きているという白蛇で仙界の力を持つ。許仙に惚れた白蛇は人間・白素貞となりお礼に現れた。500年生きている白素貞の妹で青蛇の小青はついてくるといって聞かないので召し使いとして連れてきた。たちまち恋に落ちた許仙と白素貞、結婚して仲良く暮らしていたが端午の節句に雄黄酒を飲む風習だけはうけつけない白素貞を不審に思う。実は酒を飲むと術が解けて蛇に戻ってしまうのだった。そうとは知らない許仙、体から害毒を追い出すといわれているのだからと無理に飲ませたが、小青共々蛇に戻ってしまい、その姿にショックを受け気絶してしまう。人間に戻った白素貞らが見た許仙は死にかけており、霊芝を取り寄せ許仙の命を助ける。目を覚ました許仙は小青が蛇に戻っている姿を見せ、白素貞は蛇ではないと安心させた。ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー法海という高力の僧侶がいた。白素貞の正体を見破った法海は、白素貞らが許仙に仇なす存在であると思い込み許仙を寺に匿った。白素貞は大洪水を起こし許仙を助けるが、この時には許仙に正体を知られてしまった。しかし許仙は白素貞のことを深く愛していたため、ふたりでいずこかへと姿を消した。やがてふたりの間には子供が生まれたが、法海によって白素貞は霊峰塔というところへ閉じ込められてしまう。ふたりの子供は成長し科挙に状元(トップ)で合格した。母の愛が忘れ難いこの子は、命日にはかならず霊峰塔へと出向き母への思いを神へと祈った。その思いが通じたのか霊峰塔から白素貞が解放され、再び親子三人で暮らす日が訪れたのだった。驚くのはこの物語がハッピーエンドであるという点だろう。白蛇と人間との悲恋の物語とイメージされがちだが、苦難はあるものの実は幸せな結末を向かえるのだ。ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーこの映画版は、白素貞にジュディ・リー(嘉凌:01/9/2702/1/30日記参照)、小青に張翠、許仙に江彬という配役である。ストーリーは概ね同じであるのだが、細部にはいくつか変更がある。白素貞姉妹が人間として下界を楽しんでいると酔漢(魯平)がふたりに絡んでくる。見兼ねた書生の許仙が助けようとするが、逆に川へと放り込まれる。その人柄に惚れた白素貞の気持ちを汲んだ小青が、姉のためにいろいろと奔走しふたり仲を取り持つ。町の実力者であった酔漢に恨まれ許仙は牢へと送られるが、白素貞はなんとかこれを助ける。紆余曲折あったがふたりは結ばれ、その後の法海登場のくだりまではほぼ同じである。やはり違うのはラストで、法海との闘いで霊峰塔に閉じ込められた白素貞はそのまま帰らぬ人(蛇?)となり、許仙と子供が墓標の前にたたずむところで劇終である。もともとハッピーエンドであったこの物語がいつ頃から悲劇に改編されたのかは解らないが、人間と魔物の許されぬ恋には悲劇の方が相応しいと考えた人々の方がより多かったのであろうか。ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー[追加情報]一番元になった物は民話であると言う説と西湖三話起源説とがあり,結論はハッキリしていないようです。文字になったもっとも古い形は先にも挙げた「白娘子永鎮雷峰塔」の系統のようです。ここには午黄酒の話は出てこず,あまつさえ,正体のばれそうになった白娘子は「大事にしてくれないと街の人間全てを殺す」などと許宣に脅しをかけたりもします。二人の間に子供は産まれず白娘子は西湖のほとりの塔に閉じこめられたままで終わります。西湖の水が干上がり,雷峰塔が崩れるまで出てこられないのだとか。許宣の方は法海和尚の弟子として出家して大往生を遂げる。これを翻案した秋成の話の方も,似たり寄ったりです。この話の作者は,南宋時代の話本を元にして書いたというのが通説のようです。更に元ネタらしい物もいくつか上げられていますがハッピーエンドではない。では,何故ハッピーエンド話が生まれたかというと東西南北あらゆる地方の様々な劇となり,中国の人が白娘子を愛したから。 明代から清代に至って劇化されて大きく形を変えていったらしい。方成培の台本「雷峰塔伝奇」(1771)ではちょうどfakeさんが日記で書かれたような筋書きになっています。 これが,その後の劇や映画の下敷きになっているようです。ここでは白雲仙姑と言う名前,話によって名前は様々ですが名字が白の白蛇である,というのは全て共通です。また,民話として語り継がれていた物もこの劇の影響を受け,白娘子びいきに変わっていったみたいですね。(情報提供はnaoさん)ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーnaoさんどうもありがとうございました。ということは、元はやはり悲劇だったものを白蛇を憐れんだ人たちが長い年月をかけてハッピーエンドに変えていった、そしてこの映画はいくつかの変更点も受け入れながら、原典の悲劇に先祖返りした、ということになりますね。
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