旧myroom(香港電影的日常 '01/2/17〜'06/1/29)より移転。

 香港映画を中心に語っていますが、基本的には何でもアリです。
 なお日記に記載の内容は、無断転載、転用はお断りいたしております。ご理解下さい。(by fake)

 ・・・・あと、リンクもフリーではないんです。すんませんなぁ。

『龍兄虎弟/サンダーアーム』 [2007年11月02日(金)]

『龍兄虎弟/サンダーアーム』'87年製作、監督・主演:成龍、初期監督:曾志偉

 ジャッキー・チェンは、よくチャップリンやロイド、キートンなどのサイレント・スラップスティック・コメディアンと並び称されることがある。

 別に間違いではない。

 本人も意識しているのだし、欧米や日本でそう呼ばれても、決して悪い気はしないだろう。

 ただ、ジャッキーの凄さは、サイレント・スラップスティックを現代に甦らせたことだけではなく、世界アクション・スターの真の系譜の継承者である点だ。
 ここでいう“アクション・スターの真の系譜の継承者”とは?、主演スターがほとんどスタントを使わず、身につけた芸を極限までスクリーンに記録し続けた者たちのことである。

 サイレント期の大スター、ダグラス・フェアバンクスは1910年代から'30年代まで活躍。主に西洋チャンバラ映画(海賊ものや宮廷史劇)において、高所からのジャンプや剣戟場面をノー・スタントで演じ、アクションといえばフェアバンクスといわれる時代を作った。

 フェアバンクス路線を正しく継承したのがエロール・フリン。フェアバンクス死後の映画界('30〜'40年代)を引っ張り、彼も西洋チャンバラを得意とした。フリンの時代はトーキーに入っており、スタジオ撮影の多い西洋チャンバラだけでなく、映画の幅も西部劇や戦争映画などロケを多用するジャンルへとシフト。ヨーロッパ訛りの強かったフリンは、アメリカ映画での主演を悩んでいたらしいが、乗馬やガンプレイを颯爽とこなすフリンは人気を博した。

 フリンの後、'50〜'60年代に物凄いスタントをみせるスターが登場。サーカス芸人あがりのバート・ランカスターである。少年時代にフェアバンクスに憧れ、自らアクロバット・チームを率いていたランカスターのアクションはまるで重力を感じさせない。スターとなってからは、フェアバンクス映画を当時の映画界で体を張って再現出来る唯一の映画スターとして君臨。『怪傑ダルド』や『真紅の盗賊』はその真骨頂であった。
 アクション映画専門に歩いた人ではないのだが、前記の二本と『ヴェラクルス』『アパッチ』があれば、他は何もいるまい!

 '60年代以降、映画組合の力が強まり、主演スターがスタントを演じることは少なくなったハリウッドを尻目に、アクション映画界の帝王として君臨したのが、フランスのジャン=ポール・ベルモンド。

 このベルモンドこそ、ジャッキー・チェン以前のジャッキー・チェンである。

 高所から飛び降りたり、高速で走る地下鉄の上でアクションしたりは当たり前、ドライバーとしても一級品の腕前(息子ポールはレーサーでしたな)で、カーチェイスはほとんど自分でこなした。極めつけは、空飛ぶ飛行機の上で、仁王立ちしてのコメディ演技だろう。ベルモンドはシリアスな演技も上手かったが、コメディをやらせても一級品で、フィリップ・ド・ブロカ監督との名コンビでは、『リオの男』『カトマンズの男』など無茶苦茶なアクション・コメディを連発。日本の漫画「ルパン三世」にも多大な影響を与えたが、アニメのようなアクションを現実にこなした、世界最初の人間だったのだ。

 '33年生まれのベルモンドは、フランス最高のスターとして'60〜'70年代の牽引車として活躍。同時代のライバルであったアロン・ドロンはフランス以外ではウケたが、本国ではベルモンドに差をつけられた。ベルモンドに負けじとドロンも自作ではノー・スタントでアクションをこなすことがあり、二人の共演作共々、一見の価値ありです。

 ベルモンドは'70年代いっぱい、作品によっては'80年代でもスタントをやり続けたが、彼の体力が衰え始めるのと交代するように登場したのがジャッキーだったのである。

 “これって、アクション・スターの系譜を無理やりジャッキーにこじつけたんじゃないの?”

 今回のタイトルが『龍兄虎弟/サンダーアーム』であることをお忘れなく!つまり、本題はここからなのだ!

 ミッシェル・ジュリアンという名前を聞いてピン!と来る方は、古株の映画ファンでしょうな。
 『龍兄虎弟/サンダーアーム』のフランス側スタント・コーディネーターとして、映画に彼の名前がクレジットされたのを劇場で見つけた時、私は思わず立ち上がって叫びましたよ。

 それまでの功夫路線から、『A計劃/プロジェクトA』以降のシフトチェンジに、もしかしてベルモンドの路線をやる気なのでは・・・・と疑っていた。それが顕著に表れたのが『龍兄虎弟/サンダーアーム』という作品で、その作品がヨーロッパでロケをする以上、そこにミッシェル・ジュリアンの名前があることは必然であった。

 ミッシェル・ジュリアンとは何者か? 父レミー・ジュリアンから親子二代のスタントマンで、フランス・アクション映画界を支えてきた功労者一族である。
 ということは、当たり前だがベルモンドとは親子共々付き合いのあるポン友といっていい間柄で、傑作『恐怖に襲われた街』や、『おかしなおかしな大冒険』『華麗なる大泥棒』他、多数の作品でベルモンドのスタントをサポートしてきた親子なのだ。
 この親子、今だ二人とも現役で、『TAXI』シリーズや『トランスポーター』などのスタント監督を務めています。

 一説には、『龍兄虎弟/サンダーアーム』ロケでフランス入りしたジャッキーたちをミッシェル・ジュリアン・スタント・チーム側で迎えたともいわれており、その真偽ともかく、ジャッキー側で彼らを選んだにしても、ベルモンドを意識していない訳がないではないか!

 フランス・ロケも終わり香港に帰る時、ミッシェル・ジュリアンからジャッキー贈られた渾名は“アジアのジャン=ポール・ベルモンド”であった。

『新警察故事/香港国際警察』(3) [2005年10月28日(金)]

『新警察故事/香港国際警察』(3)'04年製作、監督:陳木勝、主演:成龍ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーこの映画一番の特徴は謝霆鋒(ニコラス・ツェー)扮する"巡査1667"の存在だろう。意味不明との意見も多かったが、このキャラクターこそジャッキー映画と従来の香港映画を繋ぐブリッジとして生み出されたものだ。 ニコラスは当初、新米巡査として登場し、かつての事件で若い者を大勢死なせた経験を持つジャッキーのトラウマを刺激する。やがてニコラスはジャッキーにとって守るべき存在へと変わり、その結果としてジャッキーを立ち直らせる。 実はそのニコラスも、幼い時に父を事故で亡くし、事故現場に現れた警官ジャッキーによって優しくされた過去を持っていた。ニコラスは警察官に憧れるニセ警官だったが、そのきっかけを与えたのはジャッキーであり、結果としてそのことがジャッキーにとっての守護天使としてニコラスは存在することになるのだ。 この守護天使的役割がこの映画の肝だが、その現実感のなさを指摘する評も多かったと言う訳だ。ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーこの守護天使的キャラという役割が、ジャッキー映画における古き良きハリウッドのノスタルジーへのアイコンとして、ジャッキー側から香港映画への歩み寄りで生まれた結果だ。 手っ取り早く言えばこれはフランク・キャプラの映画におけるそれと何ら変わりのないもので、この映画におけるニコラスの立ち位置の透明感もそれに起因している。 ゲイリィ・クーパー扮する無垢な田舎者が、都会生活者に純粋な心を取り戻させる『オペラハット』、娘の婚約者の守銭奴な父親に、世の中金が全てではないと諭す貧乏人の家主ライオネル・バリモアは『我が家の楽園』、極め付きは、人生を儚んで自殺しようとするジェイムス・スチュワートを寸前で助けに現れる、文字通りの守護天使"クラレンス"が登場する『素晴らしき哉、人生!』だろう。 この映画のニコラスが、ジャッキー映画的役割を担っているのと同時に、極めて香港映画的であるのは、このキャラがそもそもキャプラだけではない別の映画からも仮借されたキャラだからだ。 香港映画界において、ジャッキーとは対極に位置するトレンドメーカー徐克(ツイ・ハーク)、その徐克2000年の作品『順流逆流/ドリフト』こそが元ネタだったからだ。ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー徐克作品にしてはあまり評価の高くない作品『順流逆流』であるが、今こそ再評価の時ではあるまいか?この映画におけるニコラスは、映画本編を背負って立つ主役ではあるが、最後までその実体感の希薄な透明さを失わず、むしろサブキャラたち全員にとっての守護天使として機能する。 かなり特殊で訳有りな人物が登場するドラマの中では、むしろニコラスは普通すぎるくらい普通の人物造形だ。だがそのことが廻りの人間全てを立ち直らせ、最終的にはその中で自分自身をも成長させていくのだ。 『順流逆流』においては、始めバーテンとして登場する彼は何のバックグラウンドも描かれない、むしろ描かないことでどこにでも良くいる若者の典型であることを示唆する。店の客と一夜を共にし、翌朝その女が婦人警官であったことを知り驚くが、9ヶ月後の再会で彼女があの時の子を身ごもっていることを知る。 出産費用を稼ぐ為モグリの警備会社に就職するが、新米のニコラスは最後まで本物の銃は持たせて貰えない。台湾からきた訳有りそうな夫婦と友達になったニコラスは、そこで人生の転機となる決定的な出来事に遭遇するのだ。ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー台湾から来た夫婦の夫は元・殺し屋で、かれらが巻き込まれた事件と警備員としてのニコラスが交わった時点から、この映画は加速度的にクライマックスへと向う。 一度は事件の関係者として疑われながらも、台湾の友人を助けるため奔走していくニコラス、ギリギリに追い詰められた状況下で事件関係者全員を救いつつ、生まれてくる我が子のため父親としての自覚を成長させていく。 『新警察故事』においてニコラスを動かす動機は、父の事故死と、その時の警官の対応に対する憧れであった。この『順流逆流』においては婦人警官の妊娠と、台湾の友人との出会いにある。どちらにおいてもキーを握る人物、それもニコラスにのみ関係のある人物として呉佰(ウー・バイ)がキャスティングされていることは意味があるはずだ。 『新警察故事』の種明かしの場面で、呉佰が登場した時点で『順流逆流』を連想しないということは、香港映画ファンであるなら有り得ないことだろう。 ではあえて連想させる意味でキャスティングしたのだとしたら、ジャッキー映画的フランク・キャプラの記憶と、徐克に代表される香港映画の記憶の両方を融合させる構成因子としての役割が、この映画におけるニコラスの立ち位置であったことが見えてくるではないか。 それらの点を踏まえた上で、『新警察故事』はジャッキー主演の香港映画であった、といえるだろう。ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーこの項終り

『新警察故事/香港国際警察』(2) [2005年10月27日(木)]

『新警察故事/香港国際警察』(2)'04年製作、監督:陳木勝、主演:成龍ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーではジャッキー・チェン映画とは何であったのか?それは、どんな役者にも代替不能なジャッキー個人のキャラクターと、国家なき国家、香港を象徴するグローバリズム、いやそれ以上に国家の存在すら超越したコスモポリタニズムに裏打ちされた世界観、それがジャッキー映画だ。 ひとつずつ検証していく。ジャッキー・チェンと同じようなアクションが出来る役者は大勢いるが、元彪(ユン・ピョウ)主演の『一個好人/ナイスガイ』や、李連杰(ジェット・リー)主演の『RUSH HOUR/ラッシュアワー』は成立しない。これが個人のキャラクターによる違いであるのは歴然であり、全ての映画はジャッキー・チェンという他には得がたいキャラクターによってのみ立脚し得るのである。映画の出来不出来はともかく、代替不能であるというのはそういう意味だ。 コスモポリタニズムとは、個人を国家の最小単位で考えるのではなく、地球レベルで考える意識のことだ。個人も国家も地球の住人であることには変わりはなく、そこには普遍的な人間の営みが行われている。そうであるならば地球の問題はそのまま個人の問題であるべきで、国連の存在意義や環境サミットなどは全てコスモポリタニズムによるものだ。ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーージャッキー・チェンの映画は彼以外には成し得ない世界観に裏打ちされているが、そのひとつが個人のキャラクターにあるとしても、彼が提示する"ジャッキー映画的コスモポリタニズム"にも因っているのは見逃してはならない。彼の映画に顕著、というかほとんど全てを通して描かれているといってもいい、青臭い正義感と幼稚な理想主義がそれだ。 実際のところ、この点においては植民地としてその歴史をスタートさせ、中華人民共和国の成立、文革、難民問題を抱えて社会が成熟していった香港では、正義に対する倫理観や、社会に対する理想は、ジャッキーの考える正義や理想よりもドライであり、時として大人としての対応を見せる。 そんな中で生まれ育った香港映画が、長い年月に渡って描いてきた現実は、ジャッキーとは違いより洗練した形に昇華されているのだ。こうした点を鑑みても、ジャッキーの提示する正義は青臭く、理想は幼稚であると言わざるを得ない。 だが、その青臭さと幼稚さこそ、国家間のしがらみや、言語、文化の風習を越え、世界中で支持される要因となっていったのだ。 いわばジャッキー・チェンという存在が青臭く幼稚であればあるほど、国家的枠組みを超越したコスモポリタニズムの具現化として、その存在感と輝きを増すのだ。ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーこのことがジャッキー映画を世界で唯一無二の存在たらしめているのであり、彼の映画が香港映画にはならない最大の要因で、トレンドや流行に無縁だったことだけが彼を孤高の存在たらしめていたのではない。 『新警察故事』は香港映画であるが、現在の香港ではこれほどの大掛かりな作品を作る体力は、ジャッキーが参加する作品にしか与え得ない。ドラマ部分はともかく、全体の構成の中では、やはりジャッキー・チェンという特異なキャラクターによって成立している(させている?)。 だがこれはやはり香港映画だ、それも珍しくジャッキー自らが20年の空白を埋めるべく香港映画側に歩み寄って作られたのだ。 全体の構成を別にすれば、ストーリー部分だけなら劉雲青(ラウ・チンワン)や李修賢(ダニー・リー)でも成り立つし、派手なアクションを取り除いてしまえば、それこそ黄秋生(アンソニー・ウォン)にだってやれる話だろう。 こういう映画にジャッキーが出演すること自体が稀で、ジャッキーとしての色は明確に付けてあるにせよ、純粋な香港映画の枠に収まっている感は高い。ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーこの映画が、現在の香港映画のトレンドとイコールというのではないにせよ、従来ならカメオ以外で共演することすらなかった若手俳優たちとの共演が、やはり過去のジャッキー映画との差異である。これは、黎明(レオン・ライ)、邱淑貞(チンミー・ヤウ)と共演した『城市獵人/シティハンター』、舒淇(スー・チー)、梁朝偉(トニー・レオン)、周星馳(チャウ・シンチー)と共演した『玻瑠樽/ゴージャス』以来の出来事であり、事件なのだ。 個人的な感想を述べさせて貰うと、本当は90年代以降もっと積極的に若手俳優との共演をやってもらいたかったのだが、ハリウッド進出がこれを足踏みさせたといえるだろう。遅きに逸した感もあるが、やらないよりはやった方が良いのは言うまでもないのだから、今回の試みは香港映画界に久しぶりに回帰するということも含めて、"新鮮さ"という点では成功だった。 一時期のジャッキー映画は顔ぶれの点でも内容の点でも間違いなくマンネリに陥っていたのだから。そのマンネリ感を打破する為にも、せめて顔ぶれの新鮮さは必要で、自分の世界観を維持するという役目もあったにせよ、一座芝居に限界は見えていた。ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーブルース・リーとジャッキー・チェン、ふたりの最大の違いは、ジャッキーがまだ生きているということだ。世界に向って香港映画の門戸を開いたのは間違いなくブルース・リーだが、その裾野を世界に向って押し広げたのはジャッキーの功績だ。 既に生ける伝説として世界で成功を修めたジャッキーだが、香港映画界のローカルな流れとは係わり合いを持たないところで香港映画のレベルを押し上げていた。それをして"孤高の存在"と言わしめるのだが、世界中で一定の成果を挙げた今、地元香港で空白の20年を埋める作業に向ったことは、彼にとっても、また彼のファンにとっても大きな意味を持つのではないだろうか。ジャッキーが今までかかってやってきたことは、それ自体が映画界の財産であり、直接の後継者はいなくとも、それを後進に伝えるのはジャッキーに残された最後のフロンティアではなかろうか。ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーこの項、続く。次回は本作最大の謎、謝霆鋒(ニコラス・ツェー)について。

『新警察故事/香港国際警察』(1) [2005年10月26日(水)]

『新警察故事/香港国際警察』(1)'04年製作、監督:陳木勝、主演:成龍ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー『新警察故事/香港国際警察』はジャッキー・チェンにとって久しぶりの香港映画である。これは、香港で製作された映画という意味でも、香港でロケされたという意味で言っているのではない。 もちろん、この映画は純然たる香港ロケの香港製作作品で、香港製作であっても外国ロケだったり、ハリウッド作品が多かった最近のジャッキーにとって、その点においても久しぶりのホームグラウンド作品であったのは言うまでもないことだ。 では何を持って久しぶりの香港映画というのか?そもそもジャッキー・チェンの映画は、常にジャッキー・チェンの映画であり、通常の香港映画作品には収まらないものだった。そこには香港ローカルでのみ(解釈を広げても他の中華圏でのみ)公開されることを意識しない明確な意思が存在しており、むしろ『師弟出馬/ヤングマスター』以降の作品はそれを意識することにのみ費やされていた、と言っても過言ではない。ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー羅維時代の作品は実質台湾映画であり、呉思遠との二本(『蛇拳』『酔拳』)、先述の『師弟出馬』の三本までがジャッキー・チェン自身による香港映画であったと言えるだろう。この時代のジャッキーは間違いなく香港映画界の時代の最先端であり、自らがトレンドメーカーとして流行とシンクロしていた稀有な時間であった。 『龍少爺/ドラゴン・ロード』以降、ジャッキー自身による明確な意思によって、彼は香港映画界のみをターゲットにした映画作りを止める。日本での成功という後押しもあったが、彼の所属していたゴールデン。ハーベストも、ブルース・リーに継ぐ国際スターとしての彼の成功を後押し。 海外ロケやアメリカ映画の出演といった目に見える変化から、映画そのものを香港映画界の動向に左右されないものへと変質させていく。この場合、『福星』シリーズ他の客演ものは除いて考える必要がある。客演は客演であることに意味があるのであり、その点では香港映画であることや、ジャッキー・チェンの映画であることを論じるのは無意味である。ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー『A計劃/プロジェクトA』から現在まで、ほとんど全ての作品がジャッキー・チェンの作品であり、ロケ地やその製作国による違いは存在しない。彼はこの20数年を、香港映画界の流行とは無縁の存在として孤高の活躍をし続けてきた。 シネマシティの隆盛(香港ローカルの生活や流行に密着した現代劇やコメディを成功させた)を横目で睨み、キョンシーにも、香港ノワールにも背を向けた。周星馳、王家衛の活躍とも一線を画し、本来の得意分野たる古装片ブームには『酔拳2』一本を持ってのみ回答とした。BOB(最佳拍档有限公司)やUFO(電影人製作有限公司)などの新路線には『玻瑠樽/ゴージャス』まで接点すら持たなかったのである。 『新警察故事』以前にジャッキーが出演した客演以外の香港映画は、UFO路線と少しだけ交わった『玻瑠樽』に、王晶監督作『城市獵人/シティハンター』、香港導演協会に頼まれて出演した『雙龍會/ツインドラゴン』くらいのもので、当初は非ジャッキー系映画を目指して製作が開始された『重案組/新ポリスストーリー』は、結局力技(現場でジャッキーが主導権を奪うという)でジャッキー作品に仕上げられた。 いわばこの20数年、香港映画界にとってジャッキー・チェンという空白が存在していたのである。『新警察故事』はジャッキー・チェン作品であると同時に、その空白を埋める役割を担わされて登場したといえるのだ。ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーこの項、続く 

『龍的深慮失落的并圖/トレース・オブ・ア・ドラゴン失われた龍の系譜』 [2005年09月30日(金)]

『龍的深慮失落的并圖/トレース・オブ・ア・ドラゴン失われた龍の系譜』'03年製作、監督:張婉[女亭]ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーこの映画はジャッキー・チェンとその家族についてのドキュメンタリーである。以下、映画について知らない方のために、内容をかいつまんで載せておく。 ジャッキーの父・陳志平は、息子にも語っていなかった家族の秘密を話しておく為ジャッキーを呼び寄せる。その内容は中国史の暗部とも関係のあるもので、撮影スタッフを同行させるよう依頼した。ジャッキーは『七小福』を撮った張婉[女亭](メイベル・チャン)にこれを依頼、機材を抱えてオーストラリアに飛んだ。 従来語られていたジャッキーのバイオグラフィはこういうものだった。陳志平&陳月榮夫婦の間に生まれた一人息子は、香港で生まれたため陳港生と名づけられる。アメリカ領事館で働いていたコックの父が、領事のオーストラリア転勤に伴い移住を決意。貧しい夫婦は息子を連れて行けず、息子は于占元主宰の京劇学校「中國戯劇學校」へと預けられる。そこで10年の修行を経たジャッキーは、紆余曲折の末スターとなった・・・。 これが事実は全く違うものだった。ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー父・陳志平は国民党のスパイで、対共産党や抗日活動に従事。そもそも本名を房道龍という。母・陳月榮は、最初の結婚相手が日本軍の爆撃で死亡した後、娘二人を連れて上海へ。そこで阿片の密売をして暮らすうちに名うてのギャンブラー"三姐"としてその名を轟かす。 房道龍も結婚していたが、妻は二人の息子を残し若くして癌で死亡。男手ひとつで息子を育てていた房道龍は、上海で陳月榮と出会う。彼女が阿片を売っているところを押さえたものだったが、哀れに思った房道龍はこれを見逃した。 戦争が激化していくなかで関係を深めた二人は、共産党が政権を奪取すれば元スパイの房道龍は中国には住めなくなることを予見。陳月榮にちなんで陳志平と改名、香港へと脱出する。 それぞれの子供は中国に置いていったが、親子の縁が切れてしまえば、元スパイの子供とはいえ生きて行くことだけは出来るであろうとの配慮だ。残酷だが、これは中国人の伝統的知恵でもある。 香港に落ち着いてジャッキーを得たが、結局、共産党の追求を恐れた夫婦は、そのジャッキーも京劇学校に預けてオーストラリアへ。ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーここまでの話がジャッキーも知らなかった真相で、映画はそれ以降、房道龍の辿った足跡を追跡調査していく。その過程で生き別れていた息子たちとの再会があったり、戦争や文化大革命を生き抜いてきた彼等の証言が織り込まれる。 非常に良く出来たドキュメントで、最後は房道龍としてのアイデンティティを取り戻した陳志平が、房家の家系図に房道龍房仕龍(ジャッキー)房祖明(ジェシー・フォン、ジャッキーの息子)の名前を加えた所で終わる。 内容自体もショッキングなものだったが、房道龍の発言のうち、ひとつだけどうしても気になることがあった。それは長年の自分の疑問のひとつを解消するものであったし、また新たな疑問を生むものでもあった。その発言とは、"国民党のスパイをやっていて中国から逃げてきたものは大勢いる"という房道龍の述懐に続き、"お前の師傅・于占元もそうだ!彼も工作員だった・・・"と語る場面だ。 映画はそのことについては深く追求することはないのですが、これは相当に凄い発言ですよ!ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー私が以前から疑問に思っていたことのひとつに、いくら貧しいからといっても10歳の子供を連れて行けないとはどうしたことか?ということがどうしても引っかかっていた。これは、かつて中国に息子や娘たちを置いてきたように、やはり香港にジャッキーを残すことでスパイの自分に何かあったとしても、息子は助かるだろうし、京劇学校ならば身に付けた芸が彼を助けるだろうとの配慮だった(事実、そうなった)。 もうひとつの疑問は、当時香港には「中國戯劇學校」の他にも京劇学校はいくつもあったし、何故ここを選んだか?ということだった。粉菊花主宰の「春秋戯劇學校」、唐迪主宰の「東方戯劇學校」、馬承開主宰の「中華戯劇學校」がそれで、京劇学校としての格は于占元の「中國戯劇學校」が一番下だろう。 この映画を見るまでは単に月謝が安かったからなのかと推測していたが、房道龍の"彼も工作員だった・・・"との発言は、この疑問に光明を与えてくれる。房道龍がそのことを知っていたとするならば、もしもの時の連絡方法なども含めて、これほど格好の隠し場所はない。ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー学校当時のジャッキーが、厳しくもされたがその半面で"王子"と呼ばれて特別扱いを受けていたと自伝にあるが、これももしかしたら于占元が事情を知っていたからだったのかも。むしろその方が辻褄は合うし、その于占元にしてからが、突如としてアメリカへ移住し、終生をその地で終えたことも含め、工作員だったという過去が関係しているように思えてならない。 まだ、ある。04/6/6,7日記「七小福とは何か?」をもう一度読み返して貰いたい。学校を卒業した七小福たちは、業界で生き抜くために学校の理事をしていた胡金銓(キン・フー)を頼った。そこから武術指導の韓英傑に助手として付き、やがて彼等は業界最大手のショウブラではなく新興のハーベストへ。 私はこの流れにも実は疑問を持ち続けていた、何故、胡金銓だったのか?と。確かに理事としての胡金銓は子供たちを可愛がり、彼等を子役として映画界に入れた恩人だ。だが、それだけで胡金銓へというのは今イチ納得しかねる。 業界には「中國戯劇學校」出身の先輩は大勢いる。師傅・于占元の娘で大女優の于素秋、ベテラン武術指導家の關正良、「中國戯劇學校」で京劇を教えていた袁小田と、その代わりに入門した袁和平など。ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーここでクローズアップされるのは韓英傑の存在だ。最近のインタヴューで実は韓英傑は于占元の娘婿(相手は于素秋ではなく、次女)であったことが判明した。 これならば七小福たちが胡金銓を頼った理由も理解出来る。胡金銓は子役の面倒を見てくれる監督で、そこには師傅の娘婿・韓英傑が専属の武術指導でいた。 そしてもうひとつ彼等を繋ぐキーワードがあるのだ。ジャッキーの両親は上海で出会い、そこから香港へと逃れた。元工作員と言われた于占元も上海から香港へ。そして韓英傑も上海から香港へと渡ってきた人間なのである。 彼等全員が上海で知人であったなどというつもりはない。だが脛に傷持つ身として逃れた人間同士のネットワークはあったのではないか? 知人の知人、そのまた知人を通して築き上げられたネットワーク。それがあったからこそ、房道龍は「中國戯劇學校」という格の上では四番目の学校に、幼い我が子を預けたのではなかったろうか?『龍的深慮失落的并圖/トレース・オブ・ア・ドラゴン失われた龍の系譜』という映画はそこまでの疑問には答えてくれないが、そんなことを考えさせてくれる映画だった。

『AROUND THE WORLD IN 80 DAYS/80 デイズ』 [2005年02月03日(木)]

『AROUND THE WORLD IN 80 DAYS/80 デイズ』'04年製作、監督:FRANK CORACHI、主演:成龍ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー『80 デイズ』は、ことアメリカ国内の興行においては完全に失敗であった。もちろん、世界公開での興收や、DVDなどのセールスなどで、最終的には120億といわれる総制作費は回収できるであろう。 この映画がアメリカ国内で失敗した最大の要因は言語の問題にある。世界一の大国・アメリカは、大国であるがゆえに貧富の差や教育レベルに、日本人が考えている以上の格差が存在する。それに加えて移民で成立した国でもあるため、文化・風習・宗教などの違いも存在し、民族的断層が昔から問題として存在してきた。 民族的な断層ならばまだ日本人にも理解しやすいのだが、ここ20年の白人種間に広がる階級的断層は、今やアメリカそのものの在り方すら根底から揺るがそうとしているのだ。それは同じ白人種間にすら存在する断裂である。この国で平均を求めることは非常に困難であるのだが、昨今のハリウッド映画はそれだけを追い求めている。実際そんなものは存在しない砂上の楼閣なのだ。ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーージャッキーのアメリカでの人気たるや、過去のアジア人スターの中では最も成功した人間であると断言しても良い。"「影響力という点は別にして、映画人としてはブルース・リーを超えている」(←これ生前のブランドン・リーの言葉です)" 彼の凄さは、人種・世代・性別の区別なく人気を獲得したことで、これは本当に素晴らしいことである。 だが、これが映画製作者たちに製作の方向性を誤らせる結果になってしまった。それが最も顕著に表れたのが『80 デイズ』ということになる。ファミリー向けとして、誰にでも喜ばれる映画として企画されたはずの『80 デイズ』だが、ほんのちょっとした匙加減の差が、失敗の要因に結びついてしまうのだから恐ろしい。 一番の問題は先述した言語だ。ロンドンを皮切りに世界一周をするという内容は、おのずと各国の言語が飛び交うことは避けられないが、19世紀イギリスのクィーンズ・イングリッシュをきちんと発音しても、アメリカの子供には何を言っているのかは判らない。 子供だけではない。アメリカ以外の外国に全く関心のない南部の人や、ニューヨークの下町育ちのアメリカ人にとって、クィーンズ・イングリッシュは別の言語なのだ。ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーアメリカで功夫映画を支えてきたのは黒人、スパニッシュ、プエルトリカン、次いでインド系の人たちだ。そこへ無学で貧しい白人層が加わり始めたのは、チャック・ノリスら白人マーシャル・アーツ・スターの功績による。彼らアメリカ最下層ともいえるホワイト・トラッシュは、黒人種よりもマイノリティで、スパニッシュよりも貧しく、知的なインド系移民とは比べ物にならないほど無学で、更には文盲であったりする。 あたりまえのことだが、彼らだけがアメリカにおける功夫ファンなのではない。彼らはコアなファンではあるが、中流階級以上のファンも存在し、むしろジャッキーにはこちらのファンの方が多いくらいではある。 それでもやはり『80 デイズ』のやり方は失敗だった。子供のファンを劇場に呼ばねば大ヒットには結びつかないが、彼らには難しすぎる英語、中国フッテージでは字幕で処理されるのも更なる問題である。やはり子供には読めないし、下層階級の文盲の多さはアメリカにとって深刻な事態であることを忘れた訳でもあるまい。56年版の映画はもっと判り易い英語で喋るよう統一されていたもんですよ。 取り込まなければいけないはずの子供とコアなファンを一番置き去りにし、かといってこの手の映画に興味がない大人のファンに向けた作りになっている訳でもない。これでは(興行的な意味において)完全な失敗作の誹りは免れられない。ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー『80 デイズ』の失敗は、今のハリウッド映画の抱える問題点を包括してしまった点にある。ハリウッド映画はもはや"製品"であり、作家の"作品"ではないのだが、たとえ"製品"であっても、売るためには市場を分析し、誰に向けてどのような"製品"を販売すれば売れるのか?という、基本的な商業原則を見誤ってしまった。 日本人には不評な『ラッシュアワー』シリーズであるが、このシリーズがアメリカにおけるジャッキー最大のヒット作である事実は見逃せない。答えは単純にして明快、『RH』シリーズはハッキリとしたターゲットの観客を持ち、その線に沿って映画が作られているだけのことなのだ。メイン・ターゲットを功夫映画一番の贔屓客である黒人層に絞り、ある程度子供の観客を切り捨てる。たったこれだけのことである。 幅広い人気を獲得し得たジャッキーだからこそ、ハリウッドにおいて今までのアジア人スターとは違う展開も期待はできるが、ある程度は観客層を絞った映画作りも必要な時期ではないだろうか?香港時代からジャッキーを応援しているアメリカ人のファンも、もっとアダルトなジャッキーを切望しているのだから。

「ジャッキーの羅維プロ作品は何時作られたのか?」 [2004年06月23日(水)]

「ジャッキーの羅維プロ作品は何時作られたのか?」ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーこの羅維プロ時代の作品のうち、比較的信用出来る公開データがあるものは、『新精武門』(76/7/8)、『少林木人巷』(76/11/10)、『劍・花・煙雨江南』(77/7/22)、『蛇形刀手』(78/3/1)、『酔拳』(78/10/5)、『笑拳怪招』(79/2/17)である。不明なのが『風・雨・雙流星』『蛇鶴八歩』『一招半式闖江湖/點只功夫[口甘]簡単』『飛渡捲雲山』『拳精』『龍拳』『龍騰虎躍』だ。このうちデータとして使えるのは『新精武門』(76/7/8)から『少林木人巷』(76/11/10)までの公開期間だろう。実質四ヶ月、これが羅維プロの最長の映画製作期間と言えるのではないか?当時の香港映画の状況からも、これより長い可能性は少なく、二ヶ月以上四ヶ月以内が一番考えられるのだ。ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー不明の作品も四ヶ月サイクルで製作されているとして、とりあえず「I AM JC」の順番に準じてみよう。『新精武門』(76/7/8)、『少林木人巷』(76/11/10)の後へ『風・雨・雙流星』、これが四ヶ月だとして77/3/10まで撮影。これで『劍・花・煙雨江南』(77/7/22)が四ヵ月後に収まる。ここから『蛇形刀手』(78/3/1)まではほぼ七ヶ月、この中に『蛇鶴八歩』『一招半式闖江湖/點只功夫[口甘]簡単』『飛渡捲雲山』『拳精』『龍拳』の五本を入れるとなると、三十五日間で一本の計算になる。出来なくはないがちょっと厳しそうだ。同じ時期の呉思遠プロの平均製作期間は、一本当たりやはり四ヶ月である。『蛇形刀手』(78/3/1)から『酔拳』(78/10/5)までの間にも七ヶ月あることから、この間に最低でも一本は製作出来そうだ。以上のデータを元にとり合えず『劍・花・煙雨江南』(77/7/22)から『蛇形刀手』(78/3/1)の間の五本を一本減らしてみれば、一本当たりの製作期間は四十二日、すなわちほぼ一ヶ月半に延びるのだ。このスケジュールなら物理的にも可能だろう。そうなると『蛇形刀手』(78/3/1)と『酔拳』(78/10/5)の間に一本持ってくる説も説得力を帯びてくる訳で、ここに何を入れるかが問題になってくるのだ。ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーここからは違う側面からの考察だ。『新精武門』のロケ地は台湾、『少林木人巷』も台湾で、ジミーさんと共演した『風・雨・雙流星』は韓国ロケだと言われているが、現在見られる映画から韓国ロケの面影はあまりない。この映画に関して私がロケ地を特定出来ないのは3シーンのみで、残るは全て台湾ロケだ。ジャッキーが登場するのはラストを除いてセット撮影のみで、これは台湾・中國電影文化城(通称:映画村)にあるスタジオだ。『劍・花・煙雨江南』と『蛇鶴八歩』からは韓国ロケの比重が増えており、ここから経費・予算の削減が行われ始めたと推察される。『劍・花・煙雨江南』の韓国ロケは申一龍の出演場面に限られる。これは申一龍が韓国の俳優だからだろう。後はいつもの台湾ロケだ。『風・雨・雙流星』と『劍・花・煙雨江南』は共に武侠小説家・古龍の脚本を元にしている。これは76/3/20に公開された『流星・胡蝶・劍』(01/7/16,18日記参照) のヒットに影響されている。ここから古龍武侠片ブームが起きることはこのHPでも何度も取り上げたが、羅維もこのブームに便乗してジャッキーをスターにしようと画策した。更にジャッキーにとっての最初の整形もこの時期にあたるのだ。古龍はジャッキーの顔を見て露骨な不快感を表したという。自分の作品の主人公を演じる面ではないとジャッキー本人にも公言したそうだ。この時期の古龍武侠片の主人公を演じていたのは狄龍、傳聲、爾冬陞に衛小雲、凌雲などで、キリリとした二枚目顔が多い。屈辱を感じたジャッキーだったが、二重瞼にすることでこの映画の主演を得た。だからこの二作品に限ってはこの時期でなければならず、また整形問題も含めて韓国ロケは必要不可欠であった。ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー『蛇鶴八歩』の韓国ロケは、OPの長老失踪現場、杜偉和と闘う城門前、石像のある建物の場面だ。『劍・花・煙雨江南』にも登場する滝も含めて残りは台湾であるのは言うまでもない。『一招半式闖江湖/點只功夫[口甘]簡単』は『飛渡捲雲山』はほとんど台湾で撮られている。『一招半式闖江湖/點只功夫[口甘]簡単』に関しては一部特定出来ないロケ現場(高強と闘う甫塁のような場所)があり、建物の構造から見ても韓国である可能性は高い。このように韓国ロケ部分を削らないのであれば、当然製作期間は短縮されたはずである。『拳精』は台湾と韓国ロケが半々で、台湾ロケはVS十八羅漢、田俊が挑戦者と闘う場面、李文泰の屋敷でジャッキーと田俊が手合わせする場面だけで、残りは韓国となる。『飛渡捲雲山』はほとんどというより完全に台湾で作られており、77年の『千刀萬里追/空飛ぶ十字剣』に始まる立体映画ブームに影響を受けていると見て良い。『龍拳』はほとんどが韓国ロケである。(『龍拳』については04/4/12日記も参照のこと) 『蛇形刀手』『酔拳』の呉思遠プロ作品は香港とマカオだけで作られており、この二作品の撮影期間中は別作品を同時進行で掛け持ち撮影する可能性は、低いと言わざるを得ないのだ。羅維も呉思遠も、主演スターに香港=台湾=韓国間を度々往復させるとは思えない。残りの『笑拳怪招』は全編台湾ロケで、この作品の完成には集中していたであろうことからも、この期間にも掛け持ちはない。『蛇形刀手』と『酔拳』の間に入れられそうな作品は、髪型や顔つきから見ても『拳精』であろうか。ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー『酔拳』と『龍騰虎躍』を掛け持ちしたのではないか?という意見もあるが、先に述べたような理由から同時進行の掛け持ちはないと判断した。さてそうなるとジャッキーの顔にある傷の問題が残る。『龍拳』にも『酔拳』にも同じ所に傷跡があり、やはりどちらの映画にも傷の無い顔のカットがあるのだ。こういう考え方は成り立たないだろうか?『拳精』撮影後、そのまま韓国で『龍拳』の撮影に入る。『酔拳』の撮影が始まりいったん中断、顔に傷が付き再び『龍拳』の撮影に戻る。(傷のないカットの髪型が『拳精』もしくは『蛇形刀手』寄りなのにも注目) 更にそのまま韓国で『笑拳怪招』の前に羅維と少しだけ撮影する。これが『龍騰虎躍』に使われている場面で、この順番なら傷問題も含めて合理的に撮影可能だと思う。更には『龍拳』もここに持ってくることで、『劍・花・煙雨江南』から『蛇形刀手』の間の一本当たりの製作期間がほぼ二ヵ月に延長される。タイトなスケジュールともオサラバだ。ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー『龍騰虎躍』に使われているのは、彭剛フッテージとその後ひとりで歩く場面、そして田俊フッテージが韓国ロケによるもので、ここまでは傷がある。何故韓国ロケかというと、それは建築様式が違うからなのだ。仏教式建築が中国から朝鮮、日本へと渡った時期はほぼ同じ頃。柱の下に敷く礎石の置き方や、屋根の裏を補強する二垂木の使い方、屋根と柱をジョイントする笹繰りなどは、この時期の仏教建築に顕著なもので、彭剛フッテージで後ろに見えている塔の建築を見れば、香港・台湾にはない韓国系の寺院であることが判るのである。その後ジャッキーがひとりで歩く場面には、後方に丸い形をした藁屋根の家屋が見えているだろう。これは朝鮮民族の伝統家屋のもので、やはり中国には無いものなのである。だからここまでは韓国ロケなのだ。ちなみに台湾の寺院は国民党設立以後に広東省や福建省から逃れた人たちが作ったものが多く、中国南方系特有の石彫刻による建築が特徴で、まだ新しいものが多い。年代を経た複雑な木造建築なら韓国、新しめの石造り建築なら台湾、というのが素人目にも判る初歩的な分類方法だ。ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー残る石天フッテージと林銀珠フッテージは台湾ロケで、これは『笑拳怪招』から削られた場面であろう。『龍拳』、『龍騰虎躍』、『笑拳怪招』のキャスティングがダブっている点もこれで説明がつくのではないか。『酔拳』後、韓国に戻って『龍拳』の残りを撮影。羅維はそのまま同キャストで『龍騰虎躍』に使われた場面の撮影にクランクイン。彭剛フッテージに趙魯江がいる以上、この場面は羅維の手によるものであるのは疑いようがない。途中ジャッキーが現場放棄し、台湾に戻って『笑拳怪招』として仕切りなおす。契約済みの俳優はそのまま流用されたが、林銀珠のみは何らかの理由で『笑拳怪招』から外れた。羅維作品は韓国ロケがメインになる予定で、『龍拳』のように台湾ロケは一部であったとしよう。韓国の女優である林銀珠は、『笑拳怪招』が台湾ロケ・メインになった為、スケジュール調整が上手く行かず外れたと見るのが妥当な考え方のようだ。以上の製作順考察はあくまで私(fake)の推測によるものです。一応お断りしておきます。ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー<追加情報>Kingkingさん提供のロビーカードによれば、『風・雨・雙流星』はJPFH/GEW/2/77、『飛渡捲雲山』はJPFH/GEW/MA17/78という日付らしきものが入っているのが確認出来る。『飛渡捲雲山』のMAを3月とした場合、78/3/17ということになるが・・・。『風・雨・雙流星』の香港での公開は79年以降、『飛渡捲雲山』は78/4/27とされている。羅維プロ作品は香港では買い手がつかなかったため『蛇形刀手』のヒット以後に旧作が公開された。ロビーカードの日付は(日付であるとして)もしかしたら台湾での公開日である可能性は高い。

「趙魯江の役割り」 [2004年06月22日(火)]

「趙魯江の役割り」ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーージャッキー初監督作『笑拳怪招/クレージーモンキー笑拳』には、初めてで不慣れなジャッキーのために数人の助監督がつけられたことは良く知られている。趙魯江以外にも助監督はいたが、何故かクレジットされたのはこの無名の男ただひとりだった。それは何故だったのか?という事を検証してみたい。当初、呉思遠プロに貸し出した『蛇拳』『酔拳』のヒットで一躍スターとなったジャッキーの新作は羅維が監督する予定であった。ロケ先の韓国までは赴いたものの、相変わらずの古臭い羅維スタイルに嫌気が差したジャッキーは現場を後にする。これは結果に過ぎず、ここまでの羅維とジャッキーの関係にこの決裂の原因があるのだが・・・・。とり合えずジャッキー自身が監督するということで羅維が妥協し、『笑拳』の撮影はスタートした。ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー『笑拳』の助監督を務めたのは三人以上がいることが判っている。曾志偉(エリック・ツァン)は自分の初監督は『笑拳』と公言しているし、『蛇鶴』や『天中拳』を撮った陳誌華も関わった。その中で趙魯江のみがクレジットされる栄誉に与ったのであるが、この三人の中で彼の役割りが一番大きかったということではなかろう。この趙魯江という人物、詳しい経歴などは判っていない。著名な監督の助監を長年務めたということもなければ、この後に監督昇進して活躍したということもない。例えばであるが、羅維プロで脚本を書いていた金[金/金金]や、武術指導を務めていた陳全などは、同プロで監督に昇進させて貰っているのだが趙魯江にはその様なこともなかった。彼がクレジット上に姿を現すのは『新精武門』からである。この時は趙鷺生名義で、常に趙魯江と共同でクレジットされている徐學良も徐小龍名義で助監督を務めている。(『飛渡捲雲山』の時は趙鷺江名義) ジャッキー主演作以外でも羅維の助監督として仕事をしていながら、同じ羅維プロ作品でも陳誌華作品では助監督の仕事をしていない趙魯江は、完全に羅維の子飼いであったことが伺い知れる。ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーそもそも羅維にジャッキーを推薦したのはマネージャーの陳自強と羅維夫人の許麗華で、羅維自身はあまりジャッキーのことを認めてはいなかったようだ。このギクシャクした関係は、『蛇拳』『酔拳』のヒット後一気に表面化する。売れない俳優のレッテルを貼られ、羅維もとっくにスターにすることを諦めた。ジャッキーが彼の仲間と作ったささやかな実験(『天中拳』のこと)はオクラ入りにされ、ジャッキーから見れば古臭さの権化でしかない独裁者の羅維とは互いに相容れない事が解ったのである。そこで呉思遠プロに貸し出されたのだが、スターに成ってみれば手の平を返したようにチヤホヤし、新作もまた古臭い感性でコントロールしようとする。そこで初めてジャッキーが反抗し初監督の権利を勝ち取るのであるが、いくらスターとはいえ新人の初監督に全権を預けるほど羅維も甘くはなかった。ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー曾志偉はスタントマンや武術指導上がりで、彼が『笑拳』で果たした役割りはジャッキー本人が出演する場面の武術指導をチェックするための監督であったはずだ。陳誌華はジャッキーのポン友であり、恐らく最もジャッキー本人が信頼を置いた助監督であったろう。しかしこの面子では実際のところ素人の集まりである。後年のジャッキーの監督としての振る舞いを見る限り、撮影現場では彼が暴君と化すことは周知の事実だ。恐らくその芽は武術指導家としての彼の姿にも表れてたのではなかろうか?これでは現場を統括出来るはずもなく、羅維プロの予算内に仕上げるには羅維が信頼出来る人物が現場で指揮を執る必要があった。そこで白羽の矢が立てられたのが子飼いの趙魯江で、彼のみが助監督としてクレジットされた理由は、羅維プロ内部でのジャッキーと羅維による主導権争いの結果であったことが見えてくるのである。ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー本来ならここで終わってもいいのだが、どうしても書いておきたいことがあるので、本文のテーマとはズレるのを承知で書き止めておく。『笑拳』の現場にはもうひとり大物の俳優がノンクレジットで撮影に協力したという噂があるのだ。その人物は曾江(ケネス・ツァン)、神怪武侠片の時代から活躍し、『警察故事3超級警察/ポリスストーリー3』の麻薬王・チャイバや『英雄本色/男たちの挽歌』のタクシー屋の親父などを演じた俳優だ。欧米での彼のファンサイトには監督作品として『笑拳』が挙げられているし、IMDBなどでも彼の監督としての仕事の中に『笑拳』が入っている。この噂を肯定する場合考えられるのは、趙魯江ではジャッキーの抑えが利かないという可能性だ。そもそも羅維自体を尊敬している訳でもないジャッキーが、万年助監督・趙魯江の言うことを聞くはずもなく、睨みを利かせられるベテラン俳優が選ばれた、ということだ。しかし現状では否定の材料の方が多い。やはり、今までどこにも書かれたことの無い情報であることが第一点。いくら睨みを利かせる為とはいえ、これほどの大物をわざわざ雇うであろうか?というのがその最たるものだ。この情報、正直言って信頼度40%以下だとは思うのだが、最近中国のデータベースでも『笑拳』の監督として曾江の名前が挙がり始めているのだ。果たしてその真相は如何なるものか?

『龍拳/龍拳』 [2004年04月12日(月)]

『龍拳/龍拳』'78年製作(77年説有り)、監督:羅維、主演:成龍ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー『龍拳』は異色の映画だ。その異色さはある理由に由来するものだが、その前にこの映画の異色な点を検証してみよう。先ず挙げられるのはそのシリアスなストーリーだ。シリアスな映画というのは他にもあった。成龍としての主演第一作である『新精武門/レッドドラゴン/新ドラゴン怒りの鉄拳』からしてシリアスなものだったし、『少林木人巷/少林寺木人拳』など、コメディ路線を開拓する以前はシリアスな作品にばかり出演していた。その中で『龍拳』のみが強烈な印象を残すのは、この映画が実は功夫片の体裁をした武侠片であるからだろう。武侠片の基本ルーティーンは"愛憎劇"である。もちろん、サブプロットとして秘伝書や秘宝の争奪戦や、ミステリータッチのストーリー展開が描かれることもある。しかし、多くの武侠片が"愛憎劇"を描くことを主眼としているのだ。親子、兄弟、恋人・親友同士が、師弟が、同門の兄弟弟子が、愛と憎しみの果てに飽くなき闘いを繰り返す。これは武侠片だけでなく、その基となった武侠小説もそうなのだ。ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーさて『龍拳』である、皆さんよーくご存知だとは思いますがストーリーを要約してみます。任世官は妻の愛を信じられず、理不尽な挑戦で徐蝦を死に至らしめ、罪の意識から片足を斬る。上昇志向の強い彼の弟子・田俊は、そんな師匠の姿に失望しより強力な力を持つ高強へと接近する。同門の兄弟弟子・金英一が贔屓にされているのも離反の原因だった。徐蝦を殺された弟子の成龍は復讐のために現れるが、片足を斬り落とした任世官を追い詰めることが出来ずジレンマに苦しむ。この地方を一手に握りたい高強はそのジレンマを利用、密かに徐蝦の妻・歐陽莎菲に毒を盛り、病気を治す薬と引き換えに成龍に協力させる。ぶつけられない復讐心を抱えたままの成龍は、正義の倫理観との狭間で悩み続けるも、歐陽莎菲を治す為の秘薬の製法を渡すという条件で任世官道場潰しに乗り出す・・。任世官とその妻と徐蝦の関係、任世官と弟子たちの関係、田俊と金英一、任世官と高強、任世官と成龍、成龍と高強、成龍を巡る苗可秀、林銀珠の関係それぞれに、ドロドロとした信頼と裏切りの話が錯綜している。ここがストレートな復讐劇の『新精武門』や『少林木人巷』との違いで、むしろ友を殺し最愛の女性を奪った人間が実は親友だったという武侠片『劍・花・煙雨江湖/成龍拳』に近いものがあるのだ。ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーこのように『龍拳』は武侠片を換骨奪胎した功夫片という形を持つのだが、この映画を異色にしている要素にはロケーションも大きく関わっている。実は一部を除いて全編に渡って韓国ロケで撮影されており、これがストーリーと濃密に絡み付いているのだ。師匠・徐蝦は武術大会に優勝し「武林至尊」の称号を勝ち取る。その祝賀会に任世官が現れ徐蝦に挑戦これを倒す。韓国ロケではないのはこのパートまでで、復讐のため成龍一行が任世官の住む土地を訪れてからは全て韓国ロケになるのだ。韓国ロケ自体は別に珍しいことではない。高層ビルの林立する香港に時代劇をロケする場所はほとんどなく、台湾や韓国にロケをするのが当たり前なのだから。ただ台湾は寺院の建築様式が国民党成立後のものが多く、そのため建築様式に差異があり、寺などのロケのみ韓国であることが多いというのが一般的な香港映画の常だ。しかしこの『龍拳』は、その風景の違いが最大限の効果を与えることを計算して作られているのだ。これだけでも十分に異色作ではないか。ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーまず、最初の武術大会(日本公開版には存在せず)の場面、これは『拳精』の十八羅漢の場面でも使われたのと同じ台湾「行天宮」である。次の徐蝦の屋敷は同じく台湾の「電影文化城」、いわゆる映画村という所だ。先ほども述べたように、ここから後は全編韓国ロケになるのだが、香港映画のロケ地としては珍しい韓国民族村がメインとなっており、台湾ロケからがらりと景色を変えることに成功している。このロケ場所の選定が異国情緒を醸し出しているということに、異論を差し挟む人はいないだろう。任世官に復讐を果たすため見知らぬ土地を訪れた成龍の孤独と、異邦人としての疎外感、それを助けて抜群の効果をもたらしたものが、このロケーションであった。羅維という人の監督のセンスには疑問がある。(正直に言えばプロデューサーとしてもだが) それというのも傑作と言われる『精武門/ドラゴン怒りの鉄拳』と他の作品の間にかなりの隔たりがあるからだ。その『精武門』にしても撮影現場では競馬中継ばっかり聞いていたというし、そもそも功夫片では武術指導とドラマ部分の監督は全く別なのだ。『精武英雄/フィスト・オブ・レジェンド』を撮った陳嘉上など、アクション場面が始まると武術指導の袁和平に任せて帰ってしまったという。そういう香港映画界で羅維にどれほどのセンスがあったのかは不明だが、ことこの映画に関してはそのドラマ部分の役割りが成功しているといっても良いだろう。ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーさらにこの映画で印象深いのは、シリアスなドラマとはいえ一度も笑顔を見せない成龍だ。他のシリアスものでも一度くらいは笑顔を見せているものだが、この映画に限っては不敵な笑みを浮かべる以外、にこりともしないのだ。ストーリー展開によるもの、もちろんそれが一番の理由だろうが、それにしても演技者としての成龍の自己主張はゼロではないか。ここからは推測なのだが、この時期に成龍は何度目かの整形を行ったのではないだろうか?この映画での彼の腫れぼったい瞼は、整形手術直後に特有のものと非常に良く似ている。整形手術をした、と仮定しよう。マスコミの眼を逃れて手術をするにはもって来いであるし、何より韓国は整形天国である。術後の経過を考えて韓国にいる間に映画を撮ったとしたら、この映画が全編韓国ロケなのも、彼が笑顔を見せたくても仏頂面を続けていた理由も、両方説明がつく。まずは整形ありきだったのではないか?そのために韓国へ、そして笑えないからシリアスドラマを用意した。結果、成龍映画としては異色の作品が出来上がる。映画製作には様々な障害が付き物だ。障害に押しつぶされて未完になる映画や、壮大な失敗作となる映画がある反面、数々のマイナス要因をクリアして、その負のエネルギーをプラスに転化することで傑作を生み出すことも多々ある。『龍拳』はそれをプラスに変えた典型だったのではないだろうか。

『The Terrible Game』 [2004年04月04日(日)]

『The Terrible Game』'81年製作、監督:Robert Clouse、主演:Jackie Chanーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー現実にはこんな映画は存在しませんが、本来ジャッキー主演で完成するはずだった映画『Gymkata/カラテNINJAジムカタ』(=『The Terrible Game』)の流れを再検証してみましょう。79年6月、ジャッキーは羅維プロからゴールデン・ハーベストへと移籍、彼自身の功夫片としての集大成『師弟出馬/ヤングマスター』の撮影に取り掛かった。撮影は11月まで続き15日には最終編集の支持を残して台湾へと旅立った。羅維プロで『醒拳』を撮るつもりだったのである。台湾には一週間前後いたらしいことがわかっている。この間『醒拳』がいくらか撮影されたことはジャッキー本人も語っているが、それは現在見られる『龍騰虎躍/ジャッキー・チェンの醒拳』とは別のもので、スタジオの赤バックで撮影しているスチールの映像が、この時のものか?11月25日に台湾「民生報」紙によってジャッキー失踪の第一報が報じられ、遅れて香港でも12月11日に行方不明報道がなされた。この時ジャッキーは、みなさんご存知のようにアメリカ・テキサス州サンアントニオにいたのであった。ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー『The Big Brawl/バトルクリーク・ブロー』のお膳立てをしたのは、鄒文懐(レイモンド・チョウ)のアシスタントからゴールデン・ハーベスト国際部ヘッドにまでのし上がったアンドレ・モーガンだ。彼らはブルース・リーの成功を夢見ていた。羅維もジャッキーを第二のブルース・リーとして売り出したが、何故かハーベストもそうしようとしたのであった。『龍争虎鬥/燃えよドラゴン』の成功を忘れられなかったのは、何もハーベストだけではない。『燃えよ』の製作&監督コンビ、フレッド・ワイントロープとロバート・クローズのふたりも"夢よもう一度"という点では同じだったのである。『バトルクリーク』は基本的に『燃えよ』の焼き直しである。格闘技トーナメントが開催され、主人公はそのトーナメントに出場を依頼される。意には添わぬものだが、出場の理由が出来(『燃えよ』は妹の仇、『バトル』は兄嫁救出のため)、ここで強敵たちと出会い真の敵を倒す。基本プロットはそれほど変わりがないばかりか、『バトル』における兄嫁奪還のための潜入シーンは、『燃えよ』の地下牢ファイトを想起させる。(犬に吼えられるとこも一緒!) ラストの闘いも、キッス(HB・ハガティ)が映画館に誘う場面は、ハン(石堅)が鏡の間に誘い込む場面と対だ。『バトル』はそこでナイフ使いのデーヴィッド(ロン・マックス)と闘うが、ここでのデーヴィッドの役割りは、『燃えよ』におけるオハラ(ボブ・ウォール)である。ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー『バトルクリーク・ブロー』は決して悪い映画ではない。ただジャッキーを無理やりブルース・リーの鋳型に当て嵌め様とした違和感を拭えないだけのことだ。『バトル』の撮影は80年1月末から3月までの間で、TV出身で早撮りのR・クローズは香港側のスタッフには好意的に評価されていた。羅維プロとのトラブル解決の間アメリカに居残ったジャッキーは、その間『The Cannonball Run/キャノンボール』に出演。この時のアメリカ滞在にストレスを溜めまくった挙句、アメリカ映画になんか二度と出演したくないとまで思うに至っていたジャッキーだったが、ハーベスト側はワイントロープ&クローズらと次の作品についてのディスカッションを開始していたのだ。それが『Blood Island』『The Terrible Game』『The Protector』の三本で、『Blood Island』以外は全て別の形で完成している。『Blood Island』の脚本はクローズ自らが書いた。海賊映画になるはずだったが、そのアイディアは結局『A計劃/プロジェクトA』に流用されたといわれている。ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーアメリカから帰港したジャッキーは、アメリカで無名の俳優扱いされた反動から独裁者として振舞った。自分の力で全てを動かせることを証明しようと全力で『龍少爺/ドラゴンロード』に取り組み、失敗した。その間にアメリカから『The Terrible Game』の企画が届く。鄒文懐はアメリカと香港を往復してこの話を煮詰めていたが、肝心のジャッキーは『The Terrible Game』を降り、『The Protector』の方への出演を承諾した。とはいっても脚本には難色を示し、書き直させることを出演の条件とした。81年6月のことである。『The Protector』への出演契約を結んだジャッキーはアメリカで宣伝用のポスターを製作している。ゴールデンハーベストのオリジナル宣材として配布されたポスターは、「Principal Photography」の手を経て、ハーベストのマスコミ用パブリシティ・81年6&7月号に掲載された。製作総指揮:鄒文懐、製作:フレッド・ワイントロープ、ストーリー原案:F・ワイントロープ&ダニエル・ゴードニック、脚本:B・J・ネルソン、監督:ロバート・クローズとして印刷されているのが実に興味深い。実際に完成した『The Protector/プロテクター』に関係しているのはこのうち鄒文懐だけで、スタッフは全て一新されているのだ。ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー『The Protector』の脚本を書き直していたのはクローズで、完成版とは違いサンフランシスコを舞台としていたのだ。サンフランシスコといって思い出すのはハリー・キャラハンとフランク・ブリットであろう。全ての刑事アクションの原点である二本の映画の主人公は共にサンフランシスコを舞台にしており、この点でもクローズ版の『The Protector』が『ダーティ・ハリー』のような作品を目指していたことは間違いない。結局、クローズの書き直した脚本も気に入らず、81年撮影予定だった『The Protector』は宙に浮いた格好になった。その企画からワイントロープ&クローズらが降り、転売されてジェームズ・グリッケンハウスの手に落ち着いたのは実に84年のこと。脚本も自ら書いたグリッケンハウスは、自分の住居の都合でロケ現場をニューヨークに変更。『福星』シリーズや『警察故事/ポリスストーリー』の撮影に追われていたジャッキーの希望で、メインのストーリーは香港を舞台とすることになる。出演契約の残っていたジャッキーは多忙なスケジュールながら、嫌でもこれに出演せざるを得なかった。その頃、『The Protector』から降りたワイントロープ&クローズらは何をしていたか?彼らはジャッキーの蹴った『The Terrible Game』の撮影準備に没頭していたのだった。ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーダン・タイラー・ムーアが69年に執筆した小説「The Terrible Game」を基にしているが、原作は日本では邦訳されておらず、映画との差異は不明である。映画版『The Terrible Game』の初期プロットは判っている。それは現在見られる『Gymkata/カラテNINJAジムカタ』(=『The Terrible Game』)と大差ないもので、これはやっぱり『燃えよドラゴン』なのだ。ヨーロッパ某国に存在する死のゲームに挑戦しこれを勝ち抜くというのが骨子で、これならばジャッキーが蹴った理由も、ワイントロープ&クローズがこの企画に固執した理由も頷けるというものだ。ところでこの映画、ユーゴスラビアでロケを行っているのだが、企画を煮詰めている段階でハーベストの人間もロケハンに同行していたとしたら、その時の経験値は間違いなく『龍虎兄弟/サンダーアーム』に生かされているはずだ。『The Terrible Game』が『Gymkata』と改題された理由だが、これもジャッキーが主演を蹴ったからだろう。ジャッキーの代わりに主役にキャスティングされたのは、アメリカ体操会幻のモスクワ五輪代表・カート・トーマス。体操=ジムナスティックと型=カタを合わせた造語より生まれたタイトルで、トーマスの主演がなければ『Gymkata/カラテNINJAジムカタ』という題にはならなかったと思われる。完成した映画は噴飯ものの出来で、ジャッキーのエピゴーネンだった李元覇(コナン・リー)と、『燃えよ』の出演者・山下タダシが出演している。最後に、主演のカート・トーマスは、見事にラジー賞の新人賞に輝いたことだけは明記しておきたい。
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