邪亜邪亜様 [2001年03月11日(日)]

Name:nao
Email:feihong@kun.ne.jp
URL:http://naok.pobox.ne.jp/

ラジャ、ラジャ!!
何と北海道の僻地にホームステイですって?
私生まれたときからずっと北海道人をやってます。住まいは札幌。
NETで北海道に住んでるという人にあまりお会いしていないので、何だか嬉しいです。
ちなみに、SWの仲間内では北海道をホス、東京をコルサント、京都をナブーと呼び慣わしております。
じゃ、月並みですが
May the force be with you!!
P.S.
『新・流星胡蝶剣』私も好きです。

「女心」の3本立! [2001年03月11日(日)]

Name:邪亜邪亜
Email:
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先日fake師父初め、皆様に御紹介していただきました、
「新・流星胡蝶剣」、「君さえいれば」ビデオ鑑賞いたしました。

どちらも、三角関係・甘酢系という事で共通しており、
この手のストーリーが好きな私は、大変堪能させていだだきましたです。

さて今回、ビデオ店でみかけたのは、ロザムンド・クァン出演の、
「エロティック・ヘブン 鴬花楼」。
いかにもダマされやすいタイトルですね!ジャケットもいかにもですが、
ダマされるとわかっても借りてしまうスケベ心・・。
で、見たらやっぱりダマされました(笑)。
こういう艶笑コメディみたいなジャンルも、香港では確立されているのでしょうか?

・・すいません、硬派な話題で盛り上がってる処に・・。

>nao様
はじめまして!
そうなんだワサ!ミーはジャージャーあるヨ!
地球の映画状況視察とフォースの修行のため、北海道の僻地に
ホームスティ中なんだワサ!

コンバンハ [2001年03月11日(日)]

Name:Mattusan
Email:mattu@dp.u-netsurf.ne.jp
URL:http://www.geocities.co.jp/Hollywood-Stage/2471/cigo.html

fakeさん、先日は貴重な情報を提供して頂きまして、
ありがとうございました。
SBや狄龍に関する文章、特に興味深く読ませて頂きました。
ランラン・ショウの放った言葉・・・重いですね・・・。
それにしても、'70年代のドラゴンブームでも張徹作品が
全く日本で公開されなかったのは、もったいないですね。
公開されていれば、狄龍が「日本でも女学生達に人気」とか
書かれる存在になってただろうに(笑)

fakeさん、こんにちは [2001年03月11日(日)]

Name:nao
Email:feihong@kun.ne.jp
URL:http://naok.pobox.ne.jp/

fakeさんこんにちは、皆様初めまして

Mattsuさんのところから飛んできました。
香港映画についてとてもお詳しいのですね。
私は李小龍の頃には香港映画に興味は無かったのですが、成龍、李連杰を映画館で見て以来の香港映画ファンです。
といっても、その後暫くブランクがありましたが。
(子どもが出来るとテレビはお母さんと一緒やどらえもんのためのものになる、映画に行くのもどらえもんや東映漫画祭り)
その後連杰のワンチャイを見て香港映画に再度はまりました。
だからノワール物が流行ったあたりは完全にすっぽ抜けていて、『男達の挽歌』などもつい先頃やっと見て、こんなに面白かったのかと新しい発見。
レンタルビデオで手に入るものは、あらかた見てしまい、今は香港サイトから少しずつ通販で購入しています。
(何だか自己紹介してしまいました)

実はつい先日『上海13』のVCDを手に入れました。出演陣が超豪華でびっくりしました。日本ではもう絶版なのですね。
今まで見た『酔拳2』や『男達の挽歌』の時とはひと味違う狄龍さんがステキでした。
もっと若い頃の作品を、是非見てみたい物だと思っています。

ところで
邪亜邪亜さん、
ナブー語と書いておられるところを見ると、SWのジャージャー・ビンクス様でしょうか?(SW大ファンです)

更新情報 [2001年03月11日(日)]

Name:fake
Email:episodo1@iris.dricas.com
URL:

 更新しました!(3/11)リクエストにお答えして
「ティ・ロン」です。

おめでとうございます! [2001年03月11日(日)]

Name:fake
Email:episodo1@iris.dricas.com
URL:

 八本足キリンさん、
 二世の御誕生おめでとうございます!
くれぐれも、大きくなってからメシ食うのを邪魔す
ることなど無きよう、お子さんに代わりましてお願
い申し上げておきます。(笑)

それでも・・・ [2001年03月11日(日)]

Name:fake
Email:episodo1@iris.dricas.com
URL:

 龍拳小子さん、
 私は日本生まれの日本育ちの日本人で、どんなに
勉強したところで中国人になれるわけではないとも
思っています。もちろん龍拳小子さんとてそんなこ
とは百も承知のことと思います。いかにして近づく
か?とその距離を問題としていらっしゃるのでしょ
う?
 親の影響とはいえブルース・リーの日本登場以前
に中国文化へ目が向けられていたためなるべくして
なった香港映画ファンではありますが、その後少し
でも近づくために歌舞音曲や政治宗教、文学歴史に
至るまで(むろん言葉の壁は存在しますが)身に付け
られる知識は少しでも多く、少しでも広く身に付け
ようとしてきたつもりです。
 しかしそれでも不完全のそしりは拭い得ませんし
、ここや他の掲示板でエラそーに(龍拳小子さんを
含む一部の方が"師父"とか"先生"とかおっしゃって
下さいますが、私自身はそのような身に余る言葉に
甘んじている訳ではありません。私fakeとてみな
さんと同じいちファンに過ぎませんから。)書いて
いることも実はたいしたことではないのかもしれま
せん。
 でも、ですよ、最初のブルース・リーブームはお
ろか、ジャッキーの日本初登場もリアルタイムで知
らない世代(今年成人式を迎える人達は1980年以降
の生まれですよ!)が増えてきた昨今、しかも最近の
香港映画ファンの多くが'90年代にファンになった人
がほとんどだという現状を考えれば、『新座頭市/破
れ!唐人剣』からリアルタイムで見続けてきた人間
ならではの、ほんの少しの"何か"くらいは伝えられ
るのではないか?と思っています。そしてそれで良
いのではないかとも。

「狄龍」 [2001年03月11日(日)]

「狄龍」ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー'70年代は狄龍の時代だった。純粋に数字の話だけをしても'70'79年の間の香港での年間配収TOP10を見ても、実に11本もの出演作をチャートインさせているのである。この数字の凄さは他の同時代のスターと比較すれば一目瞭然で、ジミーさんが4本、ブルース・リーが5本(含む『死亡遊戯』)、マイケル・ホイが7本、陳観泰が5本、そして朋友でありコンビ作も多々ある"初代亜洲影帝"姜大衛の12本には1本及ばないものの、姜大衛の出演作でチャートインしたのが'70'72年の間だけなのを考えれば、'70年代いっぱいに渡ってその人気を保持しつづけた狄龍の凄さが判ろうというものだ。ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーまた俳優としての評価や作品の評価も高く、台湾の金馬奨を(香港の金像奨がスタートするのは'82年から)'73年の『刺馬』の演技で優秀男優特別賞を授賞しているほか、出演した作品のうち'72年に『水滸傳』、'75年『傾國傾城』、'76年『八道樓子』がそれぞれ優秀作品賞を授賞している。これも他のスター達には無いことだ。("亜洲影帝"の姜大衛はアジア映画祭での授賞はあるが同賞には縁が無い)ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー功夫スターとしての狄龍は自身の得意とする詠春拳を駆使し、その独自の短い間合いから繰り出される拳技の数々に見る者は皆圧倒されるに違いない。日本では完全な主演作ではない『暗殺指令シャター』『カンフーエンペラー』『上海13』の3本しか見ることが出来ないため、その功夫スターとしての真の実力が認知されていないのが惜しまれるのだ。余談になるが、もはや廃盤の上どこのレンタル屋の棚にも並んでいない可能性の高い『上海13』こそは、ショウブラザース作品が日の目を見ない日本のビデオ業界においての快挙と呼んで差し支えない作品で、SB作品ではないものの、同社の看板監督だった張徹の唯一の日本でのビデオ化作品であるばかりか、その張徹作品から巣立ったSBのスターたちが一堂に会した奇跡の傑作なのである。もちろん、その中でトリを努めたのが狄龍さんであることは言うまでもない。(ジミーさん、姜大衛、陳観泰などを差し置いて)ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーだが上記の『上海13』で狄龍がトリを努めたのはもう少し訳がある。張徹は'70年代にも「南海」や「長弓」といった独立プロを作り活動していたが、'81年にも台湾に渡り「長河」という独立プロでの活動を考えていた。'77年にライバル社であるゴールデンハーベストへの移籍を画策していた張徹は、その計画が頓座するとSBとの仲は急速に冷え込み、戸外での活動を求めていたのである。その時張徹門下の初期のスターで台湾まで行動を共にしたのは狄龍ただ一人だったのである。彼はその行動が香港での映画スターとしての地位に影響を与えるであろうことは承知の上で、自分をスターとして育て挙げてくれた張徹に最後まで"義"を尽くしたのである。『上海13』の中での狄龍の扱いの大きさは、その時張徹に出来た最大の謝意だったに違いない。ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー果たして台湾での活動は狄龍の映画スターとしての生命を脅かすこととなった。後に本人も述懐するごとく「散髪代も都合がつかない」ほど落ちぶれた有様だった。そんな狄龍のもとへ一本の企画が届く、かっては栄光にあった男が一度は落ちぶれるも、かっての輝きを取り戻すために最後の大勝負に出るという、まるで現在の自分とも重なりあうような内容の映画だ。狄龍と"義"で結ばれる友の役は、TVでは人気者だったが主演する映画はどれもヒットせず、キャスティングの段階で香港の興行主達から一斉にブーイングのあがったチョウ・ユンファ。監督は妥協無き制作態度からスタジオと数々のトラブルを起こし、やはり台湾での逼塞を余儀なくされていたジョン・ウー。全員にとって最大の最後のチャンスであったこの映画は、'86年に公開されるや未曾有の大ヒットとなり、ジョン・ウーは後にハリウッド一番乗りとなる下地を作り、チョウ・ユンファは"二代目亜洲影帝"となった、奇しくも16年前に狄龍と競演した姜大衛がそう呼ばれたように・・・・・。ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー狄龍のこの後については書くには及ばないだろう。映画は大ヒットしたばかりか狄龍に縁の深い台湾・金馬奨において”亜洲影帝"チョウ・ユンファを差し置き最優秀主演男優賞の栄冠を彼にもたらした。アジアの観客は彼に惜しみの無い賛辞を送りこういった、「英雄が帰ってきた!」と。その映画は好運にも日本で公開され『男たちの挽歌』という題で呼ばれている。原題は『英雄本色』ーーー"本当の英雄"という意味である。
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