更新 [2001年06月24日(日)]

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 6/24日記更新。金庸原作「書剣恩仇録」の映画化
『清朝皇帝(ビデオ題:風と興亡)』です。ネタバレあ
りです。(特に原作)

 今から仕事なのでレスはまた後ほど。

『清朝皇帝(ビデオ題:風と興亡)』(原題:書剣恩仇録) [2001年06月24日(日)]

『清朝皇帝(ビデオ題:風と興亡)』(原題:書剣恩仇録)'87年製作、監督:許鞍華、主演:張多福、達武常ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー今回は原作のネタバレが多々あります。味読の方で読もうと思っている方はお気をつけ下さい。ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー金庸原作の武侠小説で彼の処女作でもある。過去2回('60、'81年)映画化された他、TV版も2度製作、現在('01/6/24)徐克の手によりリメイク版の製作が進められているので、完成すれば4度目の映画化ということになる。監督の許鞍華は徐克と同じく'70年代末より起こった"香港ニューウェーブ(海外留学組が帰港後TV界から新風を巻き起こし'80年代の興隆を招いた。当時、彼らの旧来の香港映画にはない斬新な語り口を総称してこう呼んだ。)"の中心人物。元々、熱狂的な武侠小説、功夫&武侠片のファンであった彼女にとって念願の企画でもあった。彼女の熱狂度を表すエピソードとしては、帰港後に最初に門を叩いたのがキン・フー監督の元だったというのがある。実際の映画製作には加わっていないものの、キン・フーの元で学んだ影響は歴然とこの映画にも表れている。ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー金庸の原作において核となっているのが清朝第四代皇帝・乾隆(皇帝としては四代、初代ヌルハチから数えると五代目の満人支配。)です。金庸の故郷海寧県に伝わる民間伝承を元に乾隆漢人説を話の核としました。ではその説はいったいどうして生まれたのか?乾隆帝の時代は外征の時代でもありました。内に漢民族の不満を抱え外には小数民族との対立、そんな時代に乾隆帝は海寧県の防波堤工事に何度も足を運び、父の代からの功臣である陳家にかならず足を運びました。又、莫大な費用をかけて陳家の墓を建て直したりもしています。いくら功臣とはいえ一家臣の(それも漢族の)墓まで直したりするのはいささか異常です。その上、乾隆帝は普段から漢族の衣装を着て、実に四万二千四百二十首もの漢詩を書き、漢語を話し漢語で物を考えていたといわれるほどです。(乾隆年間には満州人が満語を忘れてしまい、満語を勉強せよという上奏が度々出されましたが、当の皇帝自身がこれでは効果は無かったでしょう。)こんなところから海寧では乾隆帝が漢族だと信じられ、その噂は口説で伝わり伝説となっていったのでした。しかし一方で乾隆帝の漢族に対する仕置きは激烈なものがあり、雍正帝時代の"文字の獄"で雍正帝に赦免された曽静を死刑にしたりもしています。小数民族に対しても苛烈な処置をとったのですが、何故か"回族"(ホチントンやカスリーの部族)だけは許しています。ここら辺は小説やドラマと違うところです。ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー私が小説を読んでいて、物語りを進める上で不要だと感じた部分(鉄胆荘、紅花党幹部の各エピソード、余魚同の横恋慕や男装の李げんしの話、陳家洛がホチントンからカスリーに気持ちが移った事を正当化するためだけの狼に追われる話、張召重や少林寺のエピソード)は許鞍華も不要だと思ったのかバッサリありません。不要だといいましたが、実はその部分こそが武侠小説たらしめている部分で、狼の話はともかく鉄胆荘や少林寺のシーンは抜群に面白く、ここを除いてしまったのでは見せ場は半減します。しかし、原作をそのまま映画化したのではいくら時間があっも足りません(それでも二部構成のこの作品は上下併せて3時間にもなる長尺です。)、陳家洛のみを話の中心に据えた構成は大英断でしたでしょう。その所為か有名な武侠小説を原作に持つ映画の割にあまり武侠片ぽくないのですが、陳家洛と乾隆帝の政治闘争劇となっているのは、ワイヤーワークの鬼である程小東に武術指導をさせておきながらほとんどワイヤーワークを使わせていない点も含めて、キン・フー好きの許鞍華の確信犯でしょう。それ以外は結末を除くとかなり原作に忠実な作りです。ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー(注意!ここから結末バレ。)この映画が何よりも原作と違うのはその結末です。今回私は珍しく出演者については触れていません。実は触れることが何もないからなのですが、この映画を製作するにあたっては乾隆帝を演じた達武常以外は無名の俳優が集められたのでした。その為か非常に若々しいイメージが漂います。実はこの"若さ"こそ許鞍華がこの映画に求めたものではなかったか?と思っています。古来より革命とは若さの情熱からくるものです。そして若さは挫折の象徴でもあります。原作の陳家洛も、カスリーを失い乾隆帝に裏切られ反清復明の悲願は成りませんでした。しかしこの映画のようにうまうまと乾隆帝の策謀に乗せられた挙げ句、紅花党の幹部を全滅させるはめには陥っていません。原作も映画もカスリーは乾隆帝の旗揚げのため陳家洛に説得させられて乾隆帝の元へ行きます。そこでカスリーは乾隆帝の陰謀を知り、イスラムの戒律に反して自殺することで陳家洛に危急を知らせます。それを知った陳家洛は罠と知りつつカスリーの仇を討つため乾隆帝の元へ向かい、犠牲は出すものの一矢報います。映画の陳家洛はというとおどろくほど無力です。カスリーは乾隆帝に不安を感じとるものの初恋に殉じて人知れず自害し(すべてが終わってから陳家洛の耳にも入る。)、乾隆帝を信じ全員集合させられた紅花党幹部は無惨にも全員蜂の巣にされてしまいます。陳家洛はそれでも乾隆帝を追い詰めはするのですが殺すことは出来ません、結局は乾隆帝の言う通り武人ではなく情の人だったことを露呈させてしまいます。陳家洛は完全に踊らされた挙げ句、友や仲間を死なせ初恋も実りません、理想も革命への情熱もねじ伏せられてしまいます。これが"若さ"でなくて何でしょうか?青年は大人になるとき挫折を味わい成長します、その挫折は若さの特権でもあるのですが、許鞍華が描きたかったのはそんなところだったのでしょう。ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー中国各所のロケーションも含め、非常に良く出来た映画なのですが上のような変更から原作ファンは不満の残る作りだと思います。それでも原作を読んで映画を見た方が分かり良いのも事実です。最後になりましたが、原作では非常に魅力的な活躍をする紅花党幹部の面々は作品の性格上ほとんど出て来ません。劇中名前が呼ばれるのは無塵道人、趙半山、文泰来と妻の駱冰くらいのものですが、格好や持っている武器から全員が登場していることが分かります。この辺は原作を読んでいる人ならではのお楽しみといったところでしょうか。
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