「曾志偉(エリック・ツァン):道化としての映画人生とその裏側」ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー曾志偉という名前からいったい人々は何を連想するのだろうか?'80年代を代表するコメディである『福星』シリーズにおける"チビ"役をおもい浮かべる人は多いだろう。ちょっと詳しい人なら元プロサッカーの選手だったとか、'81年に(当時の)香港映画史上最大のヒットとなった『最佳拍档[正字は"木當"](悪漢探偵)』を監督したなどということも知っているのではないだろうか。剽軽者の役を得意とする彼と、優秀な映画監督としての顔やプロアスリートとしての姿は中々一致しないものだ、そこで知られざる曾志偉の素顔に迫って見ることにする。(ちょっとオーバー)ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー'53年に香港で生まれた曾志偉は、16才頃から香港国際チームでサッカー選手として鳴らした。スポーツ選手としての限界を感じた彼は、持ち前の運動神経を生かし'76年にスタントマンとして映画界入り。最初に入社したのは
「長弓電影公司」であった。「長弓電影公司」とは、張徹が中心となり台湾で立ち揚げたショウブラザース(以下SB)の別会社で、当時の香港映画界にとってのドル箱市場である台湾では、北京語吹き替えの映画しか公開出来ず、そのため北京語版を製作して公開していたのだが北京語映画は全て自国映画扱いしてしまう台湾政府によってせっかくの興行収益も国外に持ち出すことが出来なかった、そのためにその資金を台湾内で運用するため台湾に別会社を設立する必要があった、それがこの映画会社である。その後3年間はスタントマンとしてSBの契約に従い、その後当時SBの武術指導班だった袁家班(中心は袁祥仁と袁信義。この頃袁和平は独立プロで呉思遠や郭南宏の仕事をしていた。)などの仕事を助手として手伝うようになる。(映画作りのノウハウはこの時覚えたのだろう。)ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーSB、ゴールデンハーベスト(以下GH)に次ぐ第三の映画会社といわれたシネマシティカンパニー(以下CCC)は『悪漢探偵』を製作した会社であるが、この会社の設立には色々と前段階がある。SBの袁家班で元華や元彬(当時の芸名は袁華と袁彬)と知り合いGHでサモハンの映画も手伝うようになると、GHの契約に縛られずに自由な映画作りを求めた(実際はGHが後押しをして設立させている。GHはこの方法で有能な映画人の他社への流出を防ぎ、旧弊な体制のSBへの対抗策とした。)サモの個人プロダクション「嘉寶影業公司」にも参画。この時の共同設立人が麥嘉と劉家栄で、SBとGHの才能集団が協力体制をとった画期的な出来事であった。この会社は一本の映画を製作しただけで解散してしまい、サモは「寶禾公司」を、劉家栄は「劉氏兄弟公司」を、麥嘉は石天と共に「奮鬥映画会社」を設立。この「奮鬥」に脚本家の黄百鳴が参加して新たに設立されたのが「新藝城」すなわちCCCである。ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー話を曾志偉に戻すと、「嘉寶影業公司」において製作された只一本の作品『老虎田鶏(TV放映題:燃えよデブゴン3/ビデオ化題:燃えよデブゴン カエル拳対カニ拳)』の脚本を書き、従来の功夫映画の定型をほんの少しヒネってみせることで、その才能の一端を世に知らしめた。'79年台湾「羅維」プロにおいてジャッキー初監督作『笑拳怪招(クレージーモンキー笑拳)』の製作が開始されようとしていた。'77年の『蛇拳』のヒツトでブレイクしたジャッキーはスターにはなったが監督としては不慣れで、羅維は優秀な助監督を必要に応じて3人は付けたといわれている、そのうちのひとりが曾志偉だったのだ。あとの二人は陳誌華と
趙魯江で、このうち趙魯江のみが助監督としてクレジットされており、曾志偉の名前は載ってはいない。しかし本人はこれを監督デビュー作としている。ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー本格的な監督デビューはこの後『笑拳』大ヒットのご祝儀として羅維にもたらされる。SB時代のスターで大先輩の姜大衛と徐小強が共演した傑作功夫片
『[足易]館』がフィルモグラフィ上の曾志偉監督デビュー作品である。(この作品については後日取り上げます。fake)この傑作をものにしたことで周囲の曾志偉を見る目が変わって来た、その才能に早くから目を付けていた麥嘉に誘われCCCに入社、CCCはその設立から"旧時代の象徴たる功夫片"を撮らないと宣言しており、TV界でニューウェーブと呼ばれた外国帰りの才能ある若い監督達(ツイ・ハークなど)を起用したりとモダンでスピード感のある映画作りを目指した。ここで同社の看板作品とするべくGHのスター許冠傑(サミュエル・ホイ)を引き抜いて製作されたのが『悪漢探偵』であり、冒頭にも記した通り当時の香港で大ヒットを記録したこの作品は、いちやく曾志偉をスターの座に押し上げたばかりかCCCという会社をも香港No.1にしてしまったのである。『悪漢探偵』とはそれほどの作品だったのだ。(当時)ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー'80年代の曾志偉については、監督よりも先述した『福星』シリーズなどにおけるコメディ演技の方が印象深いのではないか。その芸風はある意味香港コメディを代表するもので、要するにオーバーの上にくどいのだ。(笑) そこがタマランというファンの方も多いのではあろうが、そのくどさは'87年以降急速に増えてきたオシャレ系香港映画ファンにもっとも嫌われたりもしたのだが、'90年代のオシャレ系香港映画の仕掛人こそこの曾志偉だったというのだからある種痛快である。'92年に設立された映画会社「UFO(United Filmmakers Organization)」は、スターシステムの弊害により自由な映画作りが出来ない映画人たちが、ノンスター、低予算でも良質の作品を作るために集まって出来たものだ。曾志偉はここの代表として『新難兄難弟(月夜の願い)』『金枝玉葉(君さえいれば)』『流氓醫生(裏街の聖者)』など、'90年代の香港映画を語る上ではずすことの出来ない名作をいくつも誕生させた。ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー最近の曾志偉は、やはり若い才能を支えるべく多くの映画で協力を惜しまない。演技者としても'80年代に見せたあのくどさは姿を潜め、渋い目の脇役として若い人達を立てている。ニコラス・ツェー(謝霆鋒)の演技を最大限に引き出した『半支煙(わすれな草)』など、共演の曾志偉のサポートの賜であろう。そしてアルツハイマーをテーマにしたこの映画も「UFO」の製作なのである。曾志偉、彼はただの道化役者では決して無いのだ。ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー<追加情報>本文中に、「嘉寶影業公司」は一本しか製作しなかったとありますが、実はもう一本『搏命單刀奪命槍/燃えよデブゴン6/豚だカップル拳』も「嘉寶」が製作しています。(「香港電影之館」管理人Toruさんの情報)