『永遠英雄 李小龍』'01年製作ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー2001年に香港のTV局が製作したブルース・リーのドキュメントである。この手のドキュメントが登場する度にファンが色めきたつ理由は"お宝映像"の有無だ。この度のドキュメントでは自宅でのイノサントとのスパーリング映像や、ホームパーティか何かでブランドンを背負っている姿など少なからず貴重な映像が見る事が出来るが、今回の"ウリ"は「ロングビーチ・トーナメント」の極めてクリアな映像だ。今までにも他のドキュメント作品(『ドラゴンと呼ばれた男』『最強格闘技ジークンドー』『ドラゴン伝説』等)でも細切れの形で見る事が出来たのだが、今回はかなりクリアな映像の上に5分ほどの通し映像として見れる。ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーブルース・リー・ファンでは無い方の為に一応「ロングビーチ・トーナメント」について紹介しておきますと、このトーナメントはカリフォルニア州ロングビーチにおいてエド・パーカー(故人:アメリカ空手界の父と呼ばれる存在。「拳法空手」の主宰者。フランク・シナトラ、エルビス・プレスリー、ウォーレン・ビーティなどにも空手を教えた。)の手で開催された。当時他流派の格闘技を一堂に会してのオープントーナメントはアメリカでは行われておらず、党派を越えての武術大会を実現させたのがエド・パーカーなのであった。さらにE・パーカーはただトーナメントを催したのではなく、いくつかの新興の武術や伝統武術の模範演武も盛り込み、武術・格闘技の発展に努めたのだ。正式名称は「国際空手トーナメント/インターナショナル・カラテ・チャンピオンシップ」で、ブルース・リー・ファンの間では通称「ロングビーチ・トーナメント」と呼ばれている。ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーブルース・リーはこの大会の第一回と第四回のゲストとして呼ばれ、模範演武やスパーリングを披露、その模様はE・パーカーその他の手によって8ミリ映像として残されており、ファンの間ではその全貌の公開が望まれているのだ。先にも述べたようにこの大会の映像は各種ドキュメント作品で数多く使われているが、今回の映像は第一回('64/8/2)大会の模様である。「振藩功夫」の始祖(ブルース・リーが「JKD」を名乗るのは'66年頃からで、この大会が開催された頃はまだ「振藩功夫」である。「振藩功夫」とは、ブルース・リーが学んだ「詠春拳」を基に独自の改良・解釈を加えたもので、リーの本名"李振藩"にちなんでそう呼ばれていた。)として招待され、弟子のターキー木村と共に基本テクニックや"チーサオ"(「詠春拳」独自の練習方法。狭い手合いで攻防の技を磨く。)を使ったスパーリングを披露、この時アップになったブルース・リーの顔から、彼が目を瞑っている(!)ことが判る。(それほどクリアな映像なのだ。)ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーこの時の演武を会場で見ていてド肝を抜かれたひとりに、ハリウッドの有名スターを専属で手がける"カリスマ"美容師・ジェイ・セブリングがいた。彼の口から、凄い技(有名な"ワンインチパンチ"もこの時に披露。)を持った無名の東洋人の話題は瞬く間にハリウッド関係者の間へと広まった。この話に一番興味を持ったのがTVシリーズ『バットマン』のプロデューサー・ウィリアム・ドジャーで、さっそくこの時の映像を取り寄せて確認すると、ブルース・リーに20世紀FOXのスクリーンテストを受けさせた。こうして"映画スター"ブルース・リーは誕生したのだ。であるから、この時の「ロングビーチ・トーナメント」の映像は"お宝"扱いなのです。なおブルース・リーはこの時の会場で、生涯の友であり「JKD」を今に伝える後継者・ダニー・イノサントと出会っている。彼にとっても思い出深い大会であったに違いない。ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー『永遠英雄 李小龍』のドキュメント作品としての出来は、可もなく不可もなくといったところであるが、これが欧米ではなく(過去のドキュメント作品はほとんど欧米で作られたもの。)香港で作られたというところに意義があるのだ。意外に思われるかもしれないが、李小龍の香港での再評価が高まったのは'90年代に入ってからである。生前のマスコミ受けの悪さが死後のスキャンダルに拍車をかけ、香港や台湾では人気はガタ落ちしていたのだ。(身近なデータとしては、'81年に香港のビデオショップ30件以上で李小龍について訪ねたところ、鼻で笑われることがほとんどであったというのがある。曰く「日本人は未だに李小龍が好きなのか?」と。) '90年代に再評価されたのには幾つかの要因があるのだが、一番大きな要因は当時まだ子供('60年代生まれくらいが相当)で、スキャンダルなんか関係なく、単純に李小龍を英雄視していた世代が社会で発言権を持つようになった事が挙げられる。そしてこの世代の代弁者が'90年代を代表する映画スターの周星馳だった。ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー自他共に認める李小龍ファンの周星馳は'62年生まれで、李小龍人気に涌いた'7173年当時は10才前後であった。ほとんどの映画で何らかの李小龍パロディ(オマージュ)を見せている周星馳は、TVのトークショーに出演した際に切々と李小龍への思いを訴えたことがある。「みんなどうしたんだ!もう李小龍は英雄じゃないのか?子供の時はあんなに熱狂していただろう、忘れてしまったのかよ!」"香港李小龍会"の名誉会長をも勤める彼の発言は大きく取り上げられ、彼の映画を支持する同世代の人間から喝采を浴びた。ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー'97年の返還を間近に控えた香港では、香港が香港であった時代を再確認する作業が人々の心の中で始まりだしていた。そして人々の心の中で"李小龍"の名が次第に大きくなり、香港が生み出し、香港が世界に送り出した英雄として再確認されだしたのだ。李小龍・・それは、もはや返る事のない英国領・香港時代の生み出したたったひとりの英雄の名前だ。"永遠英雄"それは不滅の称号なのである・・・・。