更新&レス [2001年11月24日(土)]

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 11/24日記更新。姜大衛の『ドラゴンVS7人の吸
血鬼』です。

 merseyさん、
 『[足台]拳震九州』とは良い作品をご覧になりま
したね!(『女活殺拳』よりもこっちの方が好きです
。)ジョーン・リーの貧相さはさておきアンジェラは
可愛く撮れていましたね。
 サモハンはこの時期のGH作品のほとんどといって
いいぐらいの作品で悪役をこなしています。サモハ
ンウォッチャーは要チェック!です。

『ドラゴンVS7人の吸血鬼(七屍金)』 [2001年11月24日(土)]

『ドラゴンVS7人の吸血鬼(七屍金)』'74年製作、監督:Roy Ward Baker、主演:姜大衛ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー吸血鬼といえば一般にドラキュラをイメージするかもしれないが、ドラキュラとはブラム・ストーカーの小説(1897年刊行)に出てくる作中人物で、吸血鬼伝説そのものはヨーロッパの民間伝承には特定出来ないほどの太古から存在している。吸血鬼の存在が歴史書に姿を現すのは17世紀後半からで、新航路の発見に伴い世界各地に伝播されていったキリスト教が新たな力をつけてきた時代でもある。実は吸血鬼伝説をもっとも支持していた(反対の意味でだが)のがキリスト教(ここではカソリック教会を指す)で、いまだ迷信が信じられていた中世において、邪悪な対象を大衆に信じさせることで神(カソリック教会)への信仰をより強固なものとしたのだ。吸血鬼の苦手な物を思い出して欲しい、十字架、聖水、銀の弾丸(これは狼男にも有効だが、元々は狼男=ウェアウルフもヴァンパイアの一種だ。)など教会に関係のある物が吸血鬼から身を守ってくれるのは偶然ではないのだ。ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーードラキュラはブラム・ストーカーの小説によって生み出されたものであるが、その人物像の造形段階においてモデルは存在する。15世紀半ばからルーマニア南部のワラキア公国を支配したヴラド・ツェペシ3世である。"串刺し公"とあだ名されるこの人物はたった一晩で3万人の人間を虐殺したり、何万人ものトルコ人やルーマニア人を地面に串刺しにして殺したりした。ワラキアの統治者になる以前はトランシルヴァニアに居城があり、そこでの虐殺が一番非道であったことからドラキュラの故郷はトランシルヴァニアに設定された。ドラキュラの最後は杭を心臓に打ち込まれて死ぬのがパターンであるが、これも"串刺し公"の所行を連想させるものだ。映画にみるドラキュラにはナチスドイツのイメージが加えられている。万世一系の血の繋がりを求めて犠牲者を増やすドラキュラは、アーリア人の血の正統性を保つためユダヤ人を虐殺したナチスのイメージだ。これをエイブラハム・ヴァン・ヘルシングというユダヤ系の博士が退治するのだ。('79年の作品『ドラキュラ都へ行く』では現代のNYに現れたドラキュラとヘルシング教授の子孫が対決するのだが、何代も後のヘルシング家はユダヤ聖教に戻ってしまっており、カソリックではなくなってしまったヘルシングは、十字架の代わりにロザリオを出してしまうのだ。ドラキュラに鼻で笑われたことは言うまでもない。)ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー映画における最初の吸血鬼は1896年の『Le Manoir du Diable(仏)』であるが(ストーカーの小説より1年早い)、最初のもっとも有名な作品は'22年のドイツ映画『ノスフェラトゥ』だ。ストーカーの小説の映画化権を取得出来なかったため改編されたが、基本的にはストーカーの小説と大差は無いが、最も違う点は吸血鬼のオルロック伯爵だろう。ここにはストーカーの小説における"伯爵"の優雅さは見られない。ストーカーの小説の最初の映画化は'31年のユニヴァーサル映画(USJのユニヴァーサルです)『魔人ドラキュラ』で、これ以前にハンガリーで映画化作品があるともいわれているが、詳細は定かでは無い。ユニヴァーサルはこの映画の大ヒットで一躍メジャー会社に躍り出たほどで、以降も次々と怪奇・モンスター映画を製作、怪奇映画のユニヴァーサルといわれた。しばらく吸血鬼人気は低迷を続けたが、その後'58年英国ハマープロの手によって作られた『吸血鬼ドラキュラ』によって人気を取り戻した。ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーハマープロは'58'74年までに17本の吸血鬼映画を製作、『ドラゴンVS7人の吸血鬼』は17本目の作品であり、ハマー最後の伝統を受け継ぐ正統な吸血鬼映画である。(ヘルシング教授役に『吸血鬼ドラキュラ』でも同役を演じたピーター・カツシングが扮している。)吸血鬼映画で当てたハマーは他にも多くの怪奇映画を量産するのであるが、量産は質の低下を招き、スタジオの身売り、海外配給を担当していたワーナーブラザースの配給権破棄などによって、序々に業績を悪化させていった。不振の挽回のため合作に活路を見いだしたハマーは、米AIPや西独テラ・フィルムクンスト、日本の東宝(この企画は実現しなかったが)などと合作で製作をしていた。香港(この時は英国領であったことは忘れてはならない)とはショウブラザースと結び、こうして『暗殺指令シャター』『ドラゴンVS7人の吸血鬼』の2本が製作されるにいたった。ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー当時の香港映画界でもっとも海外に目が向いていたのはゴールデンハーベストだったろうが、英国側はその提携先に当時の香港のNo.1会社で、伝統もあるSBを選んだ。SB側がこの合作に対してどう思っていたのかは資料が無いため定かではないのだが、ブルース・リーが死んで(ホイ兄弟の台頭はあるものの)、当面はリーディングカンパニーとしての地位を脅かされる心配の無くなった矢先の合作話に、余裕を持って向かい入れたのではないだろうか?『暗殺指令シャター』には狄龍を、『ドラゴンVS7人の吸血鬼』には姜大衛という同社のスターを投入していることから見ても礼は尽くしている。ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーこの映画が姜大衛主演の功夫映画(前述したように本当は吸血鬼映画の系譜であるべきだが)としては、日本公開された唯一の作品であり、現在では他のSB作品よりも比較的ビデオが入手しやすいため、日本ではこの作品を持ってして姜大衛の功夫スターとしての実力が決定つけられている感がある。今と違って武術指導の重要性がさほど認識されていなかった時代の、西洋主導の映画製作現場においてであることを鑑みれば、この映画の殺陣は随分とがんばっているのであるが分かるはずだ。(『キラーエリート』や『ドラゴンを消せ!』などの他の西側功夫片と比較すればその差は歴然である。) それでも功夫映画として公開されてしまった日本に於いては、姜大衛に与えられた評価は随分と不当なものだ。子役出身とはいえ武術指導家としてスタートを切っている彼の実力はこんなものでは無いのだ!
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