広東語映画 [2004年01月14日(水)]

Name:小愛香
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現在、香港の昼間はドラマか日本のアニメの再放送なのですよ。
fake師父はいい時代に香港に行かれたのですね。
深夜だったら、どっちかの局で昔の広東語映画放送してますが。
香港の食事は近くの茶餐庁で安いの食べればいいですからね。
わざわざ観光客が行くようなレストランに行くのも面白くないし。

周潤發の「蘇乞児」で石堅は父親で武館の師父役やってました。
82年のドラマということもあり、石堅もけっこう歳だったと思い
ますが、表演するシーンがチラっとあって、いい動きしてました。
そんな石堅でも、世界的に有名な「燃えよ」のおかげで動けない
オヤジみたいなイメージがついてるが残念ですね。自分をカッコよく
見せることに専念した李小龍武術指導というのもありますけど。
それでも、石堅はハイ脚から旋風脚と連続技を見せていたはずですが・・・そうそう、悪役専門時代の石堅は武侠だけじゃなく、詐欺師
とか一般社会の悪役も演じてたそうです。

香港人の李小龍に対する見方ですが、スティーブン・アウさんと
お話ししたとき、「精武門のラスト陳真が羅維に我少読書(俺は学が無い)というセリフは絶対必要です、自分たちと同じ完璧ではない陳真に
観客は感情移入をできるのです」とおっしゃってました。
ちなみに、このセリフは英語版で「Tell me the truth,(no more more lies)」とであり、当然日本語字幕も英語の翻訳ですね。
日本人も含めて、他の国の人達は李小龍に対する考え方はアチョで
強い人って印象しか無いかもしれませんね。特に第一次世代のファン。
ずーっと当時の印象を引きずるだけで、あとはグッズ買うことが「ブルース・リー道」だと思ってるみたいな。武道家という面を除いても、
李小龍は謎が多く研究し甲斐があると思うんですけどね。

Re:レスです!! [2004年01月14日(水)]

Name:fake
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>> 程天賜は張徹組以前のキャリアがありますけど、浮
>>かばれなかったのは李中一。『擂台』と『撞鬼』で主
>>役を貰ったのがせめてもの救いか。

>確かに。彼は名前からするともしかして韓国系? 違うかな?

 程天賜は台湾で京劇やってましたからね。韓国系では
ないと思います。

>>韋白『壊小子』
>おすですか。アジア映画には韓国発売のビデオは置いてあるんですよ。今度借りてみようかな。噂ではスタープラスで過去オンエアされたとか…。

 スタープラスは色々やってたんですね。あっしの方は
入手にひと月くらいかかりそうです。(ロッパから送って
貰うんで時間かかるんすよ)


>ふむふむ。黒地に赤の字幕とはまるで『怒りの鉄拳』英語版みたい。

 私の持っている『精武門』英語版のOPは何故か北京語
版のOPと同じものだったりします。結構珍品かな。

>ほーっ、それはまたオレ的には逃せないネタですな。やっぱ『蛇拳』とほぼ前後して撮影したんでしょうなあ。ところで王将ってやっぱ韓国系の人っすか?

 『鷹爪鐵布衫』とか『南拳北腿鬥金狐』とかずーっと
つるんでいますからね。
 王将は香港じゃないでしょうか。60年末のショウブラ
映画からずーっと出ていますし。 

Re:邦題 [2004年01月14日(水)]

Name:fake
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>今回は武打片の邦題について独断であーたらこーたらと書きます。  
>まずトホホ邦題  
>『黒影』
> 黒だったら、ただ『影』でいいのでは?  

 いちおう『ブラックシャドウ黒影』なんですよ
ね。『REDSHADOW赤影』とかけているんでしょう
けど、香港映画ファンには『神偸燕子李三』の方
が内容を推察し易いんです。

>『続・最後の少林寺』
> これはスゴい、このシリーズの完結編は
> 『今度こそホントーに最後の少林寺』になりそー。  

 誰が最後って決めたんだ。(笑)

>『ジャッキ・チェンの燃えよ飛龍神拳 
> 怒りのプロジェクト・カンフー』
> 李小龍の邦題から2つ、成龍の邦題から1つ、単語を持って来た
> 欲ばり放題な邦題。   

 TV放映が『神拳ヤングボディガード』、最初のビ
デオ化題が『ジャッキー・チェン飛龍神拳』、で三度
目が↑。これほどタイトルが一定していない映画も珍
しい。だから『飛渡捲雲山』でいいんです。

>佳作邦題  
>『ドランク・モンキー酔拳』  
> 『酔拳』だけでもOKなんだけど、 「ドラゴン」のアンチテーゼ?
> として「モンキー」はコメディ・カンフーにピッタシ! 成龍初上陸作として正解の処置です。  

 アンチ・テーゼだったからブルース・リー・ファン
に嫌われた、という見方も成り立ちますね。

>『ミラクル・カンフー阿修羅』  
> 完全日本オリジナルの傑作! 言う事無し!  

 そりゃあ『The Crippled Heaven』ではまずかろう。

>『バトル・フラッシュ』(未見)  
> 意味はわからんが、なんだかカックイイー!  

 『打擂台』ですね。誰が何のために王龍威の主演作
なんか発売したのか、今もって謎です。それに第一、
シルベスター・ウォンっていったい・・・・!?(笑)
王龍威の英名はジョニーなのに。

>『少林寺必殺舞扇拳』(未見)  
> 武扇じゃなくて良かった。  

 武扇でも悪くはないかな。

>最近『幻影拳』(『馬戯小子』)を見たんですが、案の定、幻影なんて出てきませんでした。

 『馬戯小子』はアクションだけは悪くないっすよ。
ストーリーは二回目以降は早回し確実ですけど。

Re:『功夫的内側』  [2004年01月14日(水)]

Name:fake
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>もう読まれたかも知れませんが一応報告です。 『INSIDE KUNG-FU』(表紙“パイメイ”)を立ち読みして来ました。 カラー6Pくらいで劉家輝の特集してました。写真はほとんど『少林寺三十六房』からで『KILL BILL』からは1点あったかどうかでした。 フィルモグラフィー一覧 (タイトルのみ)も載ってました。 あと我々?に関係する事と言ったら、木人椿の特集(数種類ある)と、ゲームになった李連杰の話題くらい。 そして今月もC・ノリスは微塵も載ってませんでした。 

 報告ありがとうございます。ノリスもう載って
ませんか・・・・残念です。

 木人は自作したことがあります。高校のころだ
ったので2年くらいでブッ壊してしまいましたけど。

>fake様に朗報! もうCMやってますが、EDWINから蹴り用?のジーンズが出ました。

 CMにはノリスを使うべきですよぉぉぉぉぉ!

Re:2042 西洋映画の殺陣 他 [2004年01月14日(水)]

Name:fake
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>あれは李小龍の動きのリアルスピードがわかる貴重な映像なんで劇場のスクリーンで見たいですよね。当時は幼すぎてあの映像の有り難さを理解してなかったですね。

 結局この映像を初めてみたのは80年代の輸入ビデ
オからでした。白鶴拳とかやってるので驚きました
ね。

>あらら、fake様までそー思いますか・・・
>でも『審死官』は『少林足球』が現れる前は、周星馳迷のベスト1に挙げられる事が多い作品で、皆よく内容理解出来たもんだなと感心しておりました。ちなみに、僕のベスト1は『逃學威龍』です。

 当時のNo.1ヒットだったからじゃないかと疑って
ましたけどね。『審死官』の方は絵的な面白さは有
ります。未公開映画にまで手を出す前は『賭侠2之
上海灘賭聖』でしたね、自分は。それ以降だと『鹿
鼎記』か『食神』かなぁ。

>『ヤング・ブラッド』じゃなくて良かった。あれの殺陣は最悪でした。

 これは意味の無い人選でしたね。『三銃士』は『
三銃士』らしくやればいいのに。

>『ジェヴォーダンの獣』は映画そのものも良かったけど、殺陣も良かったし、モニカ姐さんの武器もカッコ良かった。
>そして、僕が勝手に「九節鞭剣」と呼んでる剣にはヒジョーーに感心しました。殺陣師を「IMdB」で検索したら中国人らしき名が出て来たんですが、誰だかわかりませんでした。郭追だったとは・・・ エライッ!!

 「九節鞭剣」は「蛇腹剣」っていうんですよ。元ネ
タは「ソウルキャリバー」シリーズのアイヴィー・ヴ
ァレンタインの武器です。映画で見せていた技は「下、
左下、左、Y」で出せます。

更新 [2004年01月14日(水)]

Name:fake
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 1/14日記更新。本日は、李小龍童年往時(三)『千
萬人家』です。

李小龍童年往時(三)『千萬人家』 [2004年01月14日(水)]

李小龍童年往時(三)『千萬人家』'53年製作、監督:珠[王幾]、主演:盧敦ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー『苦海明燈』と同年の映画で、李小龍12才の出演作だ。製作も同じ「中聯」によるもので、さすがに良く出来ている。悲劇性が強かった『苦海明燈』に比べれば、喜劇要素もある社会風刺劇で、ちょっとプレストン・スタージェスを思わせる作りである。終盤が道徳的である点については大同小異で、まだまだ社会に不安定要素の高かった時代であることを偲ばせる。李小龍は正味5分ほどの出演で、彼の童星としての演技面には語るものはない。中盤、祖父の誕生会で歌を披露する場面があるのだが、もうひとりの子役・欣欣と共に紅衛兵のような振付けで歌ってみせる。映画の内容がブルジョア批判であることからも、「中聯」は左寄りの映画会社であった可能性は高い。脚本を書いたのは程小東の父・程剛。映画監督としても有名だが、実は脚本家としての仕事の方が多い。李小龍作品には『孤星血涙』『雷雨』など数本に関わっている。ちなみに息子・程小東が生まれたのは、この映画の製作された53年、父の現場にはいつも遊びに来ていたらしい。『雷雨』撮影時には4才になっている訳で、李小龍と現場で会っていたのなら面白いのだが。ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー他所で紹介されているこの映画のストーリーは支離滅裂です。ちゃんと紹介しておきますね。かつては羽振りの良かった盧敦も今は落ちぶれ、次女・紫羅蓮の嫁ぎ先を頼ってくる。久しぶりに再会する母・黄曼梨、三女・容小意と家族で喜び合う。夫・呉楚帆は会社を経営しているが資金繰りが悪く、義父の来訪を助け舟と喜んだ。紫羅蓮は夫に父の現状を打ち明けられずにいたものだが、何とかして義父から資金を引き出そうとする呉楚帆の様が可笑しい。一家は自動車修理工をしている李清に嫁いでいる長女・容玉意を尋ねるが、名士気分の消えない盧敦は呉楚帆の貴賓扱いに気を良くし、貧しい所帯の容玉意を訪ねる気がしない。貧しくとも誠実な李清の家では、苦しい家計を遣り繰りして暖かく一家を歓待した。李小龍はこの李清夫妻の息子として登場、子役らしい溌剌さを見せている。実は盧敦が破産状態だと知るや態度を一変させる呉楚帆、しかし資金援助をしてくれているプレイボーイ・馮應湘が、三女・容小意に一目惚れしたことからまた事情が変わった。いつまでも変わらない盧敦に愛想をつかした黄曼梨が長女の元へ去り、遊ばれていると知った容小意も母の後に続いた。家族を失った喪失感に幾分反省した盧敦だったが、呉楚帆の会社経営はいよいよ怪しくなってきたため、馮應湘と容小意の復縁に力を貸してしまう。だがそれが悲劇を生むとは知る由もなかった・・・・・。ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー1953年頃の香港を取り巻く状況を考えるのは大事である。なにせその時代が李小龍の育った時代なのだから。と言う訳で、話は580年ほど遡るのだ。漢民族最後の王朝である明朝が建てられたのは1368年。後に反清復明運動など明朝擁護も起きるが、歴代王朝の中で明朝ほど政治腐敗の酷い王朝もなかったと云われている。民心を失い、潰れるべくして潰れた明朝であるが、漢民族というのは実に中国人の92%を占める多数派民族なのである。1616年、女真族のヌルハチが東北で興り、これが後に清朝になるのだが、少数民族である満州族の支配はおよそ300年は続くこととなる。これこそが明朝腐敗の反動の証であったろう。応仁の乱以来100年続いた戦国の世に嫌気が指し、その後の徳川幕府が300年続いたのも同じ理由による。しかし300年の平安は惰眠と同意語である。眠れる獅子と呼ばれていた清朝もすっかり眠り猫と化していたのだ。ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー世界に覇を唱えんとする大英帝国は、当時の中国に対し多大な貿易赤字を抱えていた。大航海時代以後、香料や絹を求めてアジアに進出した英国は、対アジア貿易の窓口「東インド会社」を設立。香港を貿易港に多大の中国産品を輸入していたが、これが完全に超過輸入となり、この借財を払うため「東インド会社」で栽培したケシの実を阿片に加工、この密貿易で得た金で借金を払おうとしたのだ。人民の阿片禍に頭を悩ませた清朝政府は、林則徐を派遣し阿片商人との折衝に当たらせた。これを英国側は契機とした。難癖をつけて戦争に持ち込めば、借金そのもの踏み倒せるが、中国を植民地支配におくことも可能であるからだ。世界戦争史上最も不名誉で破廉恥な戦争といわれる「阿片戦争」はこうして始まったのである。この戦争に勝利した英国は、1842年の南京条約で香港島を、1860年の北京条約で九龍半島を植民地とし、1898年には新界を永久租借地とするのである。これが、英国領香港の最初の成り立ちなのだ。ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー1911年に辛亥革命が起こり清朝が滅亡、孫文を臨時大統領とする中華民国が設立される。その孫文も病に倒れ、袁世凱が独裁政治を敷き始めると、自由貿易港として発展し始めていた香港に大量の本省人が流入。わずかに数年で40万人から80万人へと人口が膨れ上がり、これが新たな労働力としてさらなる発展を促した。日清戦争で大陸進出への足がかりを得た日本は、山東省のドイツ権益割譲関する「21ヶ条の要求」を突きつけ、これに屈服した政府に反対した労働者階級や学生が暴動を起こし「五・四運動」へと展開。この流れはやがて中国共産党の設立へと繋がっていく。1927年、第一次「国共内戦」が始まり、1932年には日本軍の後押しで「満州国」が建設される。日本軍の支配は次第に高まり、「盧溝橋事件」をきっかけに1937年から日中戦争が開始されるのだ。香港への人口流入は第一次のピークを向え、1940年には倍の160万人にまで登る。李小龍の父・李海泉が広州から香港に拠を移したのは1930年代のこととされている。「国共内戦」か日本軍の進出が間違いなく影響しているだろう。ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー粤劇の名優として名を馳せた李海泉は、「粤劇四大名旦之一」とまでいわれた人物であった。そんな彼が香港に拠点を移したのには、戦乱の影響により大陸では芝居が続けられないこともあったろうが、広東の地方演劇である粤劇を支える観客のほとんどが、英国領となった香港に移り住んでいたことも理由のひとつだったろう。香港においてドイツ系中国人の何愛瑜という女性と知り合い結婚。1939年、李海泉は生まれた子供を連れ一座を率いてアメリカ公演に出かける。巡業途中で妻が妊娠、40年11月27日午前8時、サンフランシスコにある東華醫院で誕生した男の子が李振藩=李小龍であった。辰年の辰の刻に生まれたというのは有名で、彼は生まれながらのドラゴンであったのだ。アメリカ滞在中に華僑向け広東語映画が作られることとなり、女の赤ん坊役として映画に出演、それがデビュー作となる『金門女』だ。アメリカ公演を終えた李海泉一座は航路香港へと戻る、1941年3月のことだ。香港へと帰って来た李小龍を待ち受けていたのは、日本軍による香港占領であった。これは12月であったことから「ブラック・クリスマス」(この経緯については『等待黎明/風の輝く朝に』や『傾城之恋/傾城の恋』などで描かれている)と呼ばれ、戦争を体験した香港市民の心に暗い影を落としている。これはたかだか60年前のことであることを忘れてはならない。ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー李小龍童年往時(四)へと続く
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