『龍拳/龍拳』'78年製作(77年説有り)、監督:羅維、主演:成龍ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー『龍拳』は異色の映画だ。その異色さはある理由に由来するものだが、その前にこの映画の異色な点を検証してみよう。先ず挙げられるのはそのシリアスなストーリーだ。シリアスな映画というのは他にもあった。成龍としての主演第一作である『新精武門/レッドドラゴン/新ドラゴン怒りの鉄拳』からしてシリアスなものだったし、『少林木人巷/少林寺木人拳』など、コメディ路線を開拓する以前はシリアスな作品にばかり出演していた。その中で『龍拳』のみが強烈な印象を残すのは、この映画が実は功夫片の体裁をした武侠片であるからだろう。武侠片の基本ルーティーンは"愛憎劇"である。もちろん、サブプロットとして秘伝書や秘宝の争奪戦や、ミステリータッチのストーリー展開が描かれることもある。しかし、多くの武侠片が"愛憎劇"を描くことを主眼としているのだ。親子、兄弟、恋人・親友同士が、師弟が、同門の兄弟弟子が、愛と憎しみの果てに飽くなき闘いを繰り返す。これは武侠片だけでなく、その基となった武侠小説もそうなのだ。ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーさて『龍拳』である、皆さんよーくご存知だとは思いますがストーリーを要約してみます。任世官は妻の愛を信じられず、理不尽な挑戦で徐蝦を死に至らしめ、罪の意識から片足を斬る。上昇志向の強い彼の弟子・田俊は、そんな師匠の姿に失望しより強力な力を持つ高強へと接近する。同門の兄弟弟子・金英一が贔屓にされているのも離反の原因だった。徐蝦を殺された弟子の成龍は復讐のために現れるが、片足を斬り落とした任世官を追い詰めることが出来ずジレンマに苦しむ。この地方を一手に握りたい高強はそのジレンマを利用、密かに徐蝦の妻・歐陽莎菲に毒を盛り、病気を治す薬と引き換えに成龍に協力させる。ぶつけられない復讐心を抱えたままの成龍は、正義の倫理観との狭間で悩み続けるも、歐陽莎菲を治す為の秘薬の製法を渡すという条件で任世官道場潰しに乗り出す・・。任世官とその妻と徐蝦の関係、任世官と弟子たちの関係、田俊と金英一、任世官と高強、任世官と成龍、成龍と高強、成龍を巡る苗可秀、林銀珠の関係それぞれに、ドロドロとした信頼と裏切りの話が錯綜している。ここがストレートな復讐劇の『新精武門』や『少林木人巷』との違いで、むしろ友を殺し最愛の女性を奪った人間が実は親友だったという武侠片『劍・花・煙雨江湖/成龍拳』に近いものがあるのだ。ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーこのように『龍拳』は武侠片を換骨奪胎した功夫片という形を持つのだが、この映画を異色にしている要素にはロケーションも大きく関わっている。実は一部を除いて全編に渡って韓国ロケで撮影されており、これがストーリーと濃密に絡み付いているのだ。師匠・徐蝦は武術大会に優勝し「武林至尊」の称号を勝ち取る。その祝賀会に任世官が現れ徐蝦に挑戦これを倒す。韓国ロケではないのはこのパートまでで、復讐のため成龍一行が任世官の住む土地を訪れてからは全て韓国ロケになるのだ。韓国ロケ自体は別に珍しいことではない。高層ビルの林立する香港に時代劇をロケする場所はほとんどなく、台湾や韓国にロケをするのが当たり前なのだから。ただ台湾は寺院の建築様式が国民党成立後のものが多く、そのため建築様式に差異があり、寺などのロケのみ韓国であることが多いというのが一般的な香港映画の常だ。しかしこの『龍拳』は、その風景の違いが最大限の効果を与えることを計算して作られているのだ。これだけでも十分に異色作ではないか。ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーまず、最初の武術大会(日本公開版には存在せず)の場面、これは『拳精』の十八羅漢の場面でも使われたのと同じ台湾「行天宮」である。次の徐蝦の屋敷は同じく台湾の「電影文化城」、いわゆる映画村という所だ。先ほども述べたように、ここから後は全編韓国ロケになるのだが、香港映画のロケ地としては珍しい韓国民族村がメインとなっており、台湾ロケからがらりと景色を変えることに成功している。このロケ場所の選定が異国情緒を醸し出しているということに、異論を差し挟む人はいないだろう。任世官に復讐を果たすため見知らぬ土地を訪れた成龍の孤独と、異邦人としての疎外感、それを助けて抜群の効果をもたらしたものが、このロケーションであった。羅維という人の監督のセンスには疑問がある。(正直に言えばプロデューサーとしてもだが) それというのも傑作と言われる『精武門/ドラゴン怒りの鉄拳』と他の作品の間にかなりの隔たりがあるからだ。その『精武門』にしても撮影現場では競馬中継ばっかり聞いていたというし、そもそも功夫片では武術指導とドラマ部分の監督は全く別なのだ。『精武英雄/フィスト・オブ・レジェンド』を撮った陳嘉上など、アクション場面が始まると武術指導の袁和平に任せて帰ってしまったという。そういう香港映画界で羅維にどれほどのセンスがあったのかは不明だが、ことこの映画に関してはそのドラマ部分の役割りが成功しているといっても良いだろう。ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーさらにこの映画で印象深いのは、シリアスなドラマとはいえ一度も笑顔を見せない成龍だ。他のシリアスものでも一度くらいは笑顔を見せているものだが、この映画に限っては不敵な笑みを浮かべる以外、にこりともしないのだ。ストーリー展開によるもの、もちろんそれが一番の理由だろうが、それにしても演技者としての成龍の自己主張はゼロではないか。ここからは推測なのだが、この時期に成龍は何度目かの整形を行ったのではないだろうか?この映画での彼の腫れぼったい瞼は、整形手術直後に特有のものと非常に良く似ている。整形手術をした、と仮定しよう。マスコミの眼を逃れて手術をするにはもって来いであるし、何より韓国は整形天国である。術後の経過を考えて韓国にいる間に映画を撮ったとしたら、この映画が全編韓国ロケなのも、彼が笑顔を見せたくても仏頂面を続けていた理由も、両方説明がつく。まずは整形ありきだったのではないか?そのために韓国へ、そして笑えないからシリアスドラマを用意した。結果、成龍映画としては異色の作品が出来上がる。映画製作には様々な障害が付き物だ。障害に押しつぶされて未完になる映画や、壮大な失敗作となる映画がある反面、数々のマイナス要因をクリアして、その負のエネルギーをプラスに転化することで傑作を生み出すことも多々ある。『龍拳』はそれをプラスに変えた典型だったのではないだろうか。