片腕ドラゴンズ・3rdイニングス『新獨臂刀』'71年製作、監督:張徹、主演:姜大衛、狄龍ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーージミー王羽を自軍に引き入れた鄒文懐(レイモンド・チョウ)は、同様の不満を持つ同志を次々と引き抜きにかかった。黄楓、鄭昌和、徐増宏、韓英傑・・・etc、後年だが許冠文(マイケル・ホイ)なども同様の理由による。陣容は整いつつあった。韓英傑がいれば武術指導は大丈夫だ、韓国人の鄭昌和は韓国マーケットの開拓に期待が出来る。ジミー王羽のデヴュー作他を手がけた徐増宏には、その"スター"の作品を担当して貰おう。こうして、ショウブラ時代のジミーの当たり役"獨臂刀"と、香港映画を席捲した日本のヒーロー"座頭市"との対決企画が産声を上げた、
『獨臂刀大戦盲侠/新座頭市破れ!唐人剣』の誕生である。この映画には
『獨臂刀』と同じキャラがそのまま登場して市と対決するのだ。それまで静観していたショウ側だったが、しかしこれに激怒したのだ、邵逸夫(ランラン・ショウ)その人が!ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー『獨臂刀』とそのキャラクターである"方剛"はショウブラに版権がある・・・・そう主張する邵逸夫はハーベストを告訴。この邵逸夫の主張は至極最もである、香港が万国著作権協会に加入しているのなら。今に至るもコピー天国である香港で、著作権というものが叫ばれ出したのは、実に90年代になってからであったと記憶している。それほどいい加減な香港で、コピー全盛期の70年代だ、主演俳優がその当たり役と共に移籍するのぐらいは当たり前のことであったはずだ。その邵逸夫ですらが、日本から技術指導にきていた井上梅次に、ハリウッド映画をコピーして映画を撮るよう指示。井上梅次が著作権のことを口にした際、「香港にはそんなものはないからいい」と邵逸夫自身が言ったと井上梅次は証言しているのだ。もちろん、ライバル社にスターを抜かれて怒っていた、それはあるだろう。しかしこの告訴の本旨は版権を巡ってのものではなかったのである。邵逸夫の戦略は、実はもっと奥深いものであった。ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーこの訴訟は告訴合戦となり、香港では決着が着けられず英国の法廷にまで持ち越された。英国枢密院でまで争われた訴訟は、その期間、費用共に、立ち上げたばかりの新興映画会社であるハーベストにとって、真綿で締め付けるような打撃を与えたのだ。これこそが邵逸夫の真の狙いで、ライバルになるであろうハーベストを、立ち上げの段階で叩いておく絶好の機会だったのである。ショウブラ離脱の準備はしていたとはいえ、途中で発覚して追い出された鄒文懐には、十分な回転資金を用意出来てはいなかった。この訴訟にかかった費用は、十二分にハーベストの財政を締め付け、初年度の映画製作に支障をきたしていた。それだけではない。肝心のジミーは訴訟のトラブルから台湾へ逃れ、そこでの逼塞を余儀なくされる。台湾でジミーのハーベスト作品は作られてはいたが、せっかくのスターも思うようには使えず、ハーベストは新人に頼るほか打つ手は無くなった。『獨臂刀大戦盲侠/新座頭市破れ!唐人剣』がヒットしたのがせめてもの救いか。万策尽き果てた鄒文懐、起死回生ともいえる秘策を持ち出してきた。ショウブラを引退している大女優・
鄭佩佩(チャン・ペイペイ)を担ぎ出そうというのだ。ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーージミー引き抜き、いや、鄒文懐の独立旗揚げから始まったこの騒動は、ここでクライマックスを迎える。アメリカでの役者稼業に行き詰まったかつての名子役・李小龍(ブルース・リー)が凱旋。李小龍はショウブラとの契約を希望するも、東南アジアNo.1のドケチ王・邵逸夫は李小龍の申し出た契約金額をせせら笑った。「うちのスターは君の1/10以下の給料でも働いてくれるんだよ・・・」失意の李小龍に声を掛けたのは、鄭佩佩獲得に失敗したハーベストだった。李小龍にとっては最初の、鄒文懐にとっては最後の"賭け"であった。実際は李小龍の提示する契約金額(米1万ドル)も無く、資金は完全に底を尽いていたのだが、手付金だけを工面して渡すと、李小龍をタイの撮影現場に投入した。この結果は皆さんご存知であろう。『唐山大兄/ドラゴン危機一発』は未曾有の大ヒットを飛ばし、ハーベストはショウブラに一矢を報いたのである。ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーこの映画『新獨臂刀』は、ジミーがハーベストで『獨臂刀大戦盲侠/新座頭市破れ!唐人剣』をヒットさせた後、怒りに震える邵逸夫の厳命によりそれを越える"片腕モノ"の決定版として製作された。張徹子飼いの役者として頭角を現していた姜大衛が二代目・獨臂刀を襲名。これを機会に本格的に狄龍とのコンビで売り出された。江湖を荒らす三節根使いの谷峯と、清水湾に完成したショウブラ自慢の巨大オープン・セットの上で行われる決闘は、数ある片腕モノの中でも随一のスペクタクル場面である。狄龍との友情物語りや、張徹得意の残酷描写も満載で、これを決定版と呼んでも何ら差し支えない。方逸華(モナ・フォン)の総務就任が、鄒文懐の独立を促し、引き抜き、訴訟の果てに追い詰められた鄒文懐は窮余の一策を放った。こうして動き始めた運命の歯車は、李小龍という金の卵をハーベストにもたらし、ショウブラには亞洲影帝・姜大衛と、英雄本色・狄龍というふたりのスターを誕生させたのである。(『新獨臂刀』の項終わり) 続いての打順は、ジミー台湾で復活!
『獨臂拳王勇戦楚門九子』だ。ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー<追加情報>KingKingさんのサイトに寄せられたFREEMANさんの書き込みより。(お二方どうもありがとうございます)Fakeさんのその話の追加になりますが、昨年、王羽と会った時に、給料の安さのことは聞きました。給料より1ヶ月のガソリン代の方が高かったとも言ってました。それと、なぜ、王羽がGH社に行ったかということ。実は、当時、SB社の男優の全てはランラン・ショウと顔をあわせたことがほとんどなかったそうです。女優は、パーティーとかにショウ氏が連れて行くために顔をあわせていたそうですが、男優には冷たかったようですね。俳優に対する会社の窓口は全て、プロダクションマネージャーをしていたレイモンド・チョウがやっていたそうです。なので、俳優たちの全てをチョウ氏はよく知っていたわけです。GH社立ち上げで、SBのスターがGHに流れたのもその点にあります。チョウ氏は、スターに対してのそれなりのお金を払っていたことと、期日にも遅れなかったと彼は話してました。それとレナード・ホーですが、彼はGH社の映画製作部門における実力者でありました。結局、彼が死去したとともに、GH社の映画製作の求心力が落ちてしまいました。