旧myroom(香港電影的日常 '01/2/17〜'06/1/29)より移転。

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更新 [2004年05月28日(金)]

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 5/28日記更新。本日は、多分知られざる片腕モノ
である『壯士斷臂』です。

片腕ドラゴンズ・6thイニングス『壯士斷臂』 [2004年05月28日(金)]

片腕ドラゴンズ・6thイニングス『壯士斷臂』'94年製作、監督:衛翰韜、主演:杜少津ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー80年代は功夫・武侠片にとっては暗黒の時代であった。時代劇は製作しないという謳い文句で出発したシネマシティ(新藝城)は、同時に80年代最大の成功者でもあった。ジャンルの牽引車たるべきジャッキーは『師弟出馬/ヤングマスター』を最後に功夫片の製作を卒業と発表。『A計劃/プロジェクトA』のためにハーベストの時代劇用オープンセットを解体、製作に多年を要しセットを独占した。僚友サモハンは泣く泣く時代劇の製作を諦め、屋外でロケできる現代劇の製作を手がけ始める。独立プロ作品『提防小子/ピックポケット』で手馴らしの後、ハーベストに戻って『奇謀妙計五福星/五福星』を成功させる。この二作品の成功により、サモもその製作体制を現代劇に移行、85年にショウブラが映画製作を休止すると、香港からは時代劇は消えてなくなった。ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー90年代に突如"黄飛鴻"が復活、再び古装の功夫・武侠片が脚光を浴びる。89年に起こった天安門事件が、返還を控えた香港人民に与えた影響は大きく、動揺する人々を勇気付けるために徐克(ツイハーク)が神話的英雄を材にメッセージを送ったことが始まりだった。返還に関する英中共同声明(84年)を軸にした英中交渉が、香港最後の提督クリス・パッテンによって開始され、その期待感から値上がりした香港関連の株価は、時ならぬバブルをもたらした事も影響し、海外セールス力の高い古装片に投資が集中。これにより功夫・武侠片が最後の花火を上げる事となった。90年代になって変わったこと、それは製作に関する技術面もさる事ながら、返還を睨んで対中関係に力が加わったことだろう。もちろん、中国側の思惑も加味されている。天安門事件は食い止めた小平だったが、いずれは訪れるであろう経済開放は香港返還と共に堰き止める事は不可能な流れであることを熟知していたのである。それまで開かれていなかった外国映画に対する中国ロケの解放、これも小平のとった政策の一環だった。ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー香港映画最大の問題点のひとつがロケである。狭い土地に高層ビルが林立する香港で、特に時代劇の製作は困難を極めた。ショウブラは自社に巨大なオープンセットを持つことでこれをクリアしたが、独立プロはおろかハーベストでさえも限られたロケか小さなセットで作らざるを得なかったのが実情だ。それを解消するため、台湾や韓国にロケを敢行していたのだが、それでも映画製作に適したロケ場は限られていた。建築様式の違いや気候風土の違いもネックであった。82年、合作ながら大陸にロケした作品が大々的に撮られて話題を呼んだ。李連杰(ジェット・リー)を一躍スターにした『少林寺』がそれだ。この映画のヒットの要因は様々だろうが、初めて映画撮影に使われた少林寺の姿や、雄大で風光明媚な中国本土でのロケーションも魅力のひとつであったのは間違いない。これを可能にしたのは「長城電影」という大陸寄りの映画会社あってのことで、やはりまだまだ80年代にはおいそれとは大陸ロケは実現しなかったのである。ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー中国ロケの解放、90年代の香港と中国にはお互いにとってベストな擦り寄りであったことだろう。中国側からは解放政策の一環としてのイメージアップと外貨の流入。香港側にとっては喉から手が出るほど欲しかったロケ現場の確保、そして返還前の中国寄りのパフォーマンス、だ。ま、このような政治的思惑はさておき、この結合が幸福な(作品にとっては)結果をもたらしたのは言うまでもあるまい。天安門事件の反動として訪れた90年代前半の古装片ブーム、それを支えたもののひとつが中国ロケであったとは何とも皮肉であるが。やはりこの90年代でも、中国ロケにアドバンテージを持っていたのは「長城電影」系列の映画会社であった。この映画『壯士斷臂』の製作された'94年には「鳳凰電影」と統合され「銀都機構」と社名は変わっていたが、大陸系に強い会社は予算の多寡に関わらず大陸ロケを可能にした。90年代のブームに作られたB級の独立プロ作品が、ロケーションとモブシーンではそれなりの見せ場を保っているのはそのためなのだ。ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーこの90年代にジミー片腕ものは復活しなかったが、『獨臂刀』のリメイク『刀/ブレード』が徐克の手によって製作された他、二代目・獨臂刀・姜大衛(デビッド・チャン)も『94獨臂刀之情』に出演。この『壯士斷臂』は、93年に製作された『白蓮神教』の続編として製作された。60万香港ドルと、正直いってヒットとは言えない(当時のヒット基準は1千万香港ドル)作品に続編が製作されるのも不思議な話だが、せっかく大陸ロケしたのだから二本分まとめて製作してしまっていたのではないだろうか?そこで仕方なく一年開けて公開した、おおよそこんなところだろう。広東十虎のひとり鐵橋三を描いたこの映画は、黄飛鴻ブームによってもたらされたもうひとつのブーム、南派の英雄たちについての映画化ブームにも乗っかっている。劇中、毒に侵された自らの腕を切り落とした鐵橋三(杜少津)は、片腕"鐵橋"三として大暴れするのだ。正直言って芳しくない出来の映画であるのだが、これが武術指導は郭追(03/11/6以降の日記参照、現:郭振鋒)だったりするから、アクションの出来は中々あなどれない。いささか変化球的ではあるが、片腕ドラゴンの系譜はこうして守られていったということを確認しておきたい。次回は片腕ドラゴン最大のライバル登場!
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