旧myroom(香港電影的日常 '01/2/17〜'06/1/29)より移転。

 香港映画を中心に語っていますが、基本的には何でもアリです。
 なお日記に記載の内容は、無断転載、転用はお断りいたしております。ご理解下さい。(by fake)

 ・・・・あと、リンクもフリーではないんです。すんませんなぁ。

Re:fake師父に聞いてみよう!! [2004年07月08日(木)]

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>いつもお世話になってます。
>来年のオスカー男優賞はイーストウッドと盲信している邪亜邪亜です。

 俳優としては取ってませんねー。貰っちゃったらモ
チベーションが下がってしまわないかというのもあり
ますけど。

>「ミスティック・リバー」での1箇所に??
>要約すると、「リバー」における、少年達が固まる前のコンクリートに
>いたずらする件を、イーストウッドがまだ「ウォーク・オブ・フェイム」に印されていないことと関連づけていることです。

 通常「ウォーク・オブ・フェイム」と呼ばれてい
るのは歩道の星マークのはずですけど、それだとコ
ンクリート落書きっていうのとは合致しませんね。
 それにだいいちイーストウッドは手形は残してい
るのだし、よしんば彼がチャイニーズシアターに手
形を押さなかったとしても、それと『ミスリバ』の
あの場面を結びつけるのは、こじつけではないでし
ょうか?
 あの映画で残された少年の日の落書きは、彼らの
消えない心の傷を暗示しているもので、それは作家
イーストウッド個人の名誉とは別物のはずですよね。


>ちなみに「ジャッキー・チェン最強伝説」も手に取りましたが、
>電車の時間もあって一瞬しか目を通しませんでした。
>師父も関与されている“濃い”本とは知らず失礼いたしました。

 今度ゆっくり手にとって読んでみて下さい。

>ジョーン・キューザックのスティービー・ニックスのモノマネに免じてお許し下さい。

 可愛いかったですね、ジョーン。(笑)私のフェイバ
リットアクトは『マイブルーヘブン』の彼女なのです
が、今回出番は少ないながら上手いところを見せてく
れました。

>ナブーはいまだ夏遠く、長袖シャツが手放せない今日この頃。

 こっちは今日36度とかいってますよ!(笑)

>「クリント・マゾヒズム伝説」刊行の際には師父も是非ご協力下さい。

 はい、その時は『シティヒート』をやらせて下さい。(笑)

更新 [2004年07月08日(木)]

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 7/8日記更新。今月は特集で"甦れ!ドラゴン世代"を
お送り致します。当時の日本公開作を紹介しつつ、第
一次ドラゴン・ブームを実体験込みで再検証。
 第一回目の本日は『燃えよドラゴン』が公開される
までの間の話です。

甦れ!ドラゴン世代(1)「1973年のこと」 [2004年07月08日(木)]

甦れ!ドラゴン世代(1)「1973年のこと」ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーージャイアンツがV9を達成した最後の年、ベトナムでは平和協定が調印されたが、日本では第四次中東戦争のあおりを受けオイルショックに。トイレットペーパーを買い占めるスーパーの列がTVで映され、世界の嘲笑をかった。小松左京のベストセラー小説「日本沈没」が映画化され大ヒット、五島勉の「ノストラダムスの大予言」(翌年映画化)と共に、世紀末感を煽りまくっていた。本当の世紀末まで、まだ27年もあるというのに、だ。神田川でチビた石鹸がカタカタ鳴り始めるころ、白いギターを手にした左ききの彼は、コーヒーショップでジョニーへの伝言をささやいた・・・。これが1973年の原風景である。今月の特集は、あの"第一次ドラゴン・ブーム"を体験した私自身の思い出を綴ることで、時代の熱に迫りたいと思います。ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー日本で最初の香港ブームが起こったのは'55年に公開された一本の映画からであった。それまで観光地としての側面など知られることのなかった英国領の小さな土地は、その香港を舞台にしたラブストーリー『慕情』で一躍海外からの注目を浴びるようになったのである。アカデミー賞主題歌賞を獲得した「Love is a Many Splendoled Thing」も各国で大ヒット。この'55年の公開時点でも古典的な題材だったラブストーリーに憧れた女性は多く、ちょうど私の母親から十歳くらい上までの世代にとって、ジェニファー・ジョーンズのようにビクトリアピークの上から香港の街並みを眺めるのがささやかな憧れとなった。ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー高度成長期を向かえつつある'60年代の日本では、そろそろ海外旅行というものが庶民の現実的な夢として浮上してくる。もちろん庶民にとってはまだまだ遠い夢の海外なのだが。映画界も合作映画でタイアップして庶民の夢を後押し。当時一番憧れの土地はハワイで、『ハワイの若大将』('63)などはその最たるものである。香港ものも多く作られ、『香港クレージー作戦』('63)や『ならず者』('64)などが作られたが、この時期に最初の本格的な合作が行われているのだ。当時香港の大手映画会社だったキャセイ・オーガニゼーション(國泰機構)と東宝が協力体制を敷き、同社のトップ女優・尤敏と東宝の宝田明を共演させたラブストーリー『香港の夜』('61)『香港の星』('62)『ホノルル・東京・香港』('63)を制作。『慕情』世代の女性観客をガッチリ掴みヒットした。私的な話をさせて貰えれば、私はこの世代の母親に育てられており、物心ついたころから『慕情』、キャセイ、尤敏は三種の神器として親から刷り込まれたのである。恐らく、最も早い時期(3才くらい)に覚えた映画会社と女優の名前が、キャセイと尤敏であったことが現在の私を決定したと言っても過言ではあるまい。(笑)ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー'72年「日中国交正常化」がなされ、友好の記しとして中国よりパンダが送られた。上野動物園に到着したパンダ(ランラン、カンカン)は日本中の注目を浴び、中国に向けられた興味はそのまま香港へもスライド。香港シャツ、香港フラワーなどという言葉も日常化した。香港の天才少女歌手・陳美齢(アグネス・チャン)が来日、「ひなげしの花」をたどたどしい日本語で歌いアイドルに。彼女が認知されたことが、後にマルシアやユンソナの育つ土壌を作ったといえる。私が最初に見た香港物は先述の尤敏作品『香港の夜』だが、功夫・武侠片物ということになれば『獨臂刀大戦盲侠/新座頭市 破れ!唐人剣』になる。この映画の公開は'71年で、これは"あの映画"の登場以前だ。当時(今も)私は熱狂的な『座頭市』ファンで、正直に言えば、特別な意識を持ってこの映画を見たわけではない。当時の日本映画では無国籍風のアクション映画の悪役は中国人や朝鮮人であることが多く、藤村有弘や高品格、中丸忠雄らが演じる怪人物と比べても、ジミー王羽の悪役は大差ないものに見えた。ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー'73年8月、ついに念願の香港に渡った私の母は、帰国後呪文のように香港、香港と繰り返し、私の興味が香港へと向くよう洗脳し続けた。(笑) '73年11月、ワーナー系洋画を上映する映画館で一本の予告編と出会う。華の無い白人と、アフロの黒人に混じって登場する半裸の東洋人。珍妙な武器を振り回し、奇妙な雄たけびをあげる。"なんやコレ?"白黒黄色の空手着を来た男たちが広場で殴り合いを繰り返している・・・・"なんなんやコレは?"もちろん『龍争虎鬥/燃えよドラゴン』だ!この映画登場以前と以後で、決定的に違うことがある。それはアクションとその見せ方だ。『燃えよ』以前の日本には、このような形で格闘アクションを見せるという概念は存在しなかった。武道として空手というものはあったし、東映の波島進や高倉健が主演する"空手物"というジャンルもあった。沢村忠がブームになり『虹を呼ぶ拳』は少年の心を掴んではいた。格闘技の試合が映画のようにならないのはともかくとして、それらの映像で見る擬闘は空手の組み手にもならない取っ組み合いに近いものだったのだ。ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー『燃えよ』以後は全ての格闘場面がこの映画の影響下にある。それは子供番組でも、映画でも、プライムタイムのドラマでも全てに共通するものだ。'73年以降に物心ついた人や生まれた人は、'70年代後半から'80年代の初めにかけて功夫映画と出会っているだろう。その時初めて見た功夫映画の驚きと、この'73年を体験した人の驚きは、違う種類のものなのだ。'73年以降の人間はどんな形であれ、『燃えよ』の影響下に作られた作品を目にしているはずなのだ。(例外はあるだろうが) それは人によっては『仮面ライダー』などの特撮ヒーローであったりするだろうし、人によってはジーパン刑事に代表されるアクションドラマだろう。これが刷り込まれている世代は功夫映画を受け入れるのも容易だったのではないかと推察される。一方、'73年以前にはこのような映像イメージは存在しておらず、目の前で行われている映像の衝撃を理解するのに、少なからぬ時間を要した。かくいう私がそうであった。幼年の頃から格闘技ファンだった私ですらが、最初に『燃えよドラゴン』の予告に接した時、"なんやコレは?"という単純だが、しかしとてつもない衝撃、それ以外は持ち得なかった。おそらく、日本中の人間がそうであったのではないか?それがあの時の"ドラゴン・ブーム"を生み出した正体ではないかと。ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー次回は『吼えろ!ドラゴン 起て!ジャガー』です。
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