旧myroom(香港電影的日常 '01/2/17〜'06/1/29)より移転。

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甦れ!ドラゴン世代(7)『新死亡遊戯/新死亡遊戯7人のカンフー』 [2004年07月31日(土)]

甦れ!ドラゴン世代(7)『新死亡遊戯/新死亡遊戯7人のカンフー』'75年製作、監督:LIN PIN、HAROLD B.SWARTZ、主演:何宗道ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーこの『新死亡遊戯/新死亡遊戯7人のカンフー』の公開は77/9/10、後述するが完全にブームは過ぎ去った頃だった。名画座のリバイバル上映で時々フォローしてくれてはいたものの、功夫映画そのものに飢えていた少年たちは、新作映画の公開が待ちきれなかった。ブルース・リーの映画ではないことはもちろん認識していたし、「ロードショー」誌などのレポートでゴールデン・ハーベストによって『死亡遊戯』の制作が開始されていたこともちゃんと知っていた。"いわゆるモドキちゅうやっちゃな・・・"興味半分で劇場へ出かけた少年たちは、本物とは似ても似つかないことはともかく、功夫映画としてのお粗末さにすっかり嫌気が差してしまった。それでも懲りずに『天王巨星/ブルース・リーを探せ!』が公開(79/2/24)されれば、劇場へと走った。同じ失望を味わうことも承知で。ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーところでこの『新死亡遊戯/新死亡遊戯7人のカンフー』を輸入ビデオなどでご覧になられた方は、奇妙な点に気が付かれるのではなかろうか?体育館で体操を披露していた何宗道は、プロデューサーらしき人と会合の後、試写室で映画を見始める。そこから改めてストーリーがスタートし、どうやら劇中劇らしい構成であることを匂わせるのだが、映画は何事もなく"塔"の場面に突入し、そのままエンディングを向かえてしまうのだ。言葉の分からない輸入版のみを見ている人にはこの点がどうにもハッキリしなくてもどかしいでしょうね。これは推察通り劇中劇で、公開当時の劇場版には"塔"の場面の後に現実に戻る場面があった。現在流通しているバージョンは何故かこのオチがカットされているものばかりなのですが、一体オリジナルのオチは何処へ行ってしまったんでしょうか?何宗道といえば『李小龍傳奇/ブルース・リー物語』にも2時間近いロング・バージョンが存在するという噂だが、これも発見されないなぁ。本編に登場しないスチールが存在するので、これもあながち噂とは言い切れないのですが。ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー74年だけで33本もの功夫映画が公開されるという異常ブームではあったが、それは『精武門/ドラゴン怒りの鉄拳』の公開された7/20前後までに集中しており、8月以降は10本ほどが公開されたに過ぎない。75年の年明け(1/25)には『猛龍過江/最後のブルース・リー ドラゴンへの道』が公開。この時点でブルース・リー主演作は残っておらず、ファンは喪失感を味わった。ブルース・リー人気だけは相変わらず高かったが、よっぽどこのジャンルに入れ込んだ人間以外は、何が公開されていても最早見向きもされなかった。75年には7本(ブームに便乗したアメリカやイタリアの作品含む)、76年には3本で、このうちジミーの『直搗黄龍/スカイハイ』は久しぶりに1億円を越すヒットを記録。この『新死亡遊戯/新死亡遊戯7人のカンフー』が公開された77年にはたったの2本と、功夫映画ブーム自体はわずかに半年ほどの寿命だったのだ。日本に於いては翌78年公開の、本家『死亡遊戯』がブームのクライマックスだった訳で、この年にはこれ一本しか公開されていないものの、15億円の興行収入をあげる。これは『ドラゴンへの道』(7億8千万)の二倍の数字で、功夫映画そのものよりも、如何に人々がブルース・リー作品のみを待ち続けていたかの証左であろう。ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーもちろんのことだが、ブームとは一緒に去らなかった人というのも、いた。正に私自身がそうだったのだ。私は熱烈なブルース・リー・ファンであったが、この功夫映画というジャンルそのものに魅了されてしまっていた。私より随分と上の世代の映画ファンには、チャンバラ時代劇や西部劇があり、ちょうど一周りからふた周り上くらいの世代にはスパイ映画ブームやマカロニ・ウエスタン、任侠映画があった。映画少年にとって当時は何を見ても面白かった頃だし、とりわけ私の周りには先輩の映画ファンも多数いたため、古い映画も含めて何でも見さされてきた。チャンバラからマカロニまで均等に楽しんだが、お兄さん世代のお下がり、といった感はつきまとっていたのだ。だが功夫映画は違う、自分自身が何かのブームをリアルタイムで体験した最初であり、これこそがマイ・ジェネレーション・カルチャーだったのだ。私の世代(60年代生まれ)でこのブームを体感し、功夫映画そのものにハマったファンは、ブームが去った後も、一本も公開されない時代も、"カンフー映画なんて・・・"という嘲笑にも耐えて生き延びてこれたのは、自分の世代が誇れる文化と出合った感動に他ならない。ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー特集終わり(特集トップへ)
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