旧myroom(香港電影的日常 '01/2/17〜'06/1/29)より移転。

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更新 [2004年09月29日(水)]

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 9/29日記更新。本日はハーベスト特集も終盤の大詰
め。苗可秀主演『鬼流星』です。羅維が珍しく大アク
ションを展開!

 レスはまたあとで。

嘉禾電影'71(7)『鬼流星』 [2004年09月29日(水)]

嘉禾電影'71(7)『鬼流星』'71年製作、監督:羅維、主演:苗可秀ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー明・建文帝から永楽帝へと帝位が移る時「靖難の変(1399)」というのが起った。これには明朝の成り立ちそのものに遠因がある。明の太祖・朱元璋(後の洪武帝)は漢の劉邦と並んで、一介の庶民から王朝の始祖にまで成り上がった人物です。孤児となり乞食として諸国を流浪後、元朝に対する相次ぐ戦乱の中から頭角を現し、やがては明の皇帝にまで成るのです。この洪武帝、肉親の縁に薄かったことから、我が子を思うこと尋常ではなかったそうです。自分が退位した後のことを考え、共に明朝を起こすために闘った忠臣・功臣たちを次々と粛清。有名な「胡惟庸の獄」などはこの時のものです。本来、洪武帝から帝位を受け継ぐのは皇太子の朱標でした。この朱標が病弱なればこその「胡惟庸の獄」だったのですが、肝心の朱標は即位することなく死んでしまいます。正妻の生んだ子は全部で五人(洪武帝自体には二十六人の皇子がいた)で、朱標亡き後は四男の朱棣が人物・実力共抜きん出ていたといわれています。いわれている、と断ったのには理由があります。この朱棣こそ後の永楽帝その人なのですが、彼は権力を握った後歴史を改ざんしてしまっているからです。自分に都合の良いように書き換えている可能性は高いですからね。ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー話を戻します。すんなり朱棣が後継者に決まっていれば何の問題も無かったのですが、洪武帝の側近に長功の列を説く者が現れたのです。四男が後継ぎになると次男と三男の立場がない、ここは長男である朱標の嫡子・朱允[火文]に後を継がせるべきであると。これは儒教の倫理観に基づくもので、筋は通っています。しかし幼い朱允[火文]に後を継がせるとなると、洪武帝は心配になってきました。幼い孫の周囲に実力ある者は置いてはおけない、「胡惟庸の獄」で重臣たちを三万人も殺していたのですが、それでも足りないのではないかと不安になってきたのです。日本にも良く似た人物がいましたね。農民から身を起こし日本を統一しながら、肉親の縁には薄く、甥や養子を後継ぎに指名したものの、老いて実子が生まれれば甥であろうと殺した人物。豊臣秀吉と洪武帝は驚くほど良く似ています。洪武帝の四人の子供たちも、何かと理由をつけて辺境に追いやられてしまいます。実際、朱棣が派遣された"燕"は元朝から逃れたモンゴル人たちを食い止めるのに絶対に死守しなくてはならない土地で、朱棣の実力を高く評価していたればこその派遣だったのは事実です。その後も洪武帝は死ぬまで重臣たちを殺し続けるのですが、朱允[火文]が帝位を継いで建文帝になるころには、明朝には人物と呼べるほどの人は誰一人居なくなってしまうのですーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー。建文帝の側近グループは学者・識者で構成されていました。彼らの分析では、この当時の状況は前漢時代の「呉楚七国の乱」が起こった時と酷似しているというのです。辺境にやられた建文帝の叔父たち(洪武帝の四人の子)は、各地で勢力を保ち反乱の温床となりうる、というのです。"燕"の朱棣以外はみな廃されてしまい、次はいよいよ朱棣の番なのは誰の目にも明白です。ここで朱棣が立ち上がり「靖難の変」を起こすのです。洪武帝は重臣たちの中から権力を簒奪するものが現れないようこれを誅殺しましたが、肉親同士の争いから皇帝を守ってくれるはずの人物まで殺してしまいました。朱棣は建文帝を倒し永楽帝と成った後、建文帝の時代は無かったこととして歴史を書き換えてしまいます。永楽帝とて建文帝の側近に追い詰められての行動であったかも知れませんが、彼が書き換えた歴史の中には、どれほどの真実があるのかは不明なのです。建文帝の帝位を歴史上復権したのは、その明朝を倒した清朝の皇帝・乾隆帝なのでありました。それは実に明朝が滅んで九十二年後のことです。建文帝は永楽帝の軍が南京の宮殿に迫ったと聞くや、宮殿に火を放って自殺したそうです。永楽帝は焼け跡を入念に調べたのですが、皇后の死体は発見されたが、建文帝の死体は発見されませんでした。洪武帝がもしもの為に用意した箱があって、その中に脱出経路と袈裟が入っていたといわれていて、建文帝は僧侶に変装して逃げ延びたという話が巷説に広まったのです。ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー映画『鬼流星』はこの民間伝承を題材にして作られていると、私が入手した宣材に書いてあったものですから、「靖難の変」について長々と書いていた訳です。北京語オンリーで字幕無しの映画なものですから、話の細部は判らないのですが、だいたいはこんな感じ。とある町で皆から鬼と恐れられている傴の人物・石堅がいた。姜南の宿屋に食料を貰いに来るが、酔っ払った客に絡まれこれを一撃で倒す。鬼の噂を聞きつけ町へ来た旅の夫婦も、翌朝死体となって発見された。この地方に調査に来た馮淬帆と部下の馮毅、劉永は、町の実力者・謝賢に協力を仰ぐ。謎の美女剣士・苗可秀と従者の李昆が現れ謝賢たちの邪魔をするのだが、どうも鬼の正体を探らせたくないようだ。どうやら謝賢は最初に殺された夫婦の息子らしいが、死体を保管していた宿屋の姜南のところで、柩から甦った死体に襲われ姿を消す。馮淬帆たちは都に帰り"錦衣衛"の隊長・羅維に報告する。この町を怪しいと睨んだ羅維は自ら乗り込み、建文帝の遺児を守るグループを発見。鬼の噂で人を遠ざけ、町に余所者がこないようにしていたのだ。殺された人物たちは、殺されることで鬼の噂を肯定し、その後は自らが幽霊に化けることで建文帝の遺児を守っていたのである。ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー謝賢もその仲間となったのもので、死体を管理していた姜南もグルだから出来たことだった。最後は羅維率いる"錦衣衛"と石堅を中心とするニセ幽霊軍団との壮絶な闘い。"血掌拳"!を駆使する羅維VS石堅の闘いが凄まじく、苗可秀たちを向こうに回しての大立ち回りは、羅維一世一代の大悪役だろう。武術指導はベテラン陳少鵬、スタントでエディ高雄、杜偉和などの顔が見える。楊威が謎の男でゲスト出演、劉永と共にハーベストらしい陣容が揃い始めていることを伺わせるのだ。この映画には不思議なことがある。乞食に扮した苗可秀が姜南の宿屋に現れる場面で、苗可秀に給仕をしているのは陳觀泰。ショウブラではまだまだ端役だったにせよ、『追撃』『五雷轟頂』の武術指導と共に歴史の謎である。次に苗可秀が正装して姜南の宿屋で給仕をしているのは白彪。何でや?(笑)最も白彪は後で"錦衣衛"の側でも出てくるのでスタントだったんでしょうけど。ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーハーベストの話は次回の最終回に持ち越し。ラストは『追撃』です。
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