中国服についても触れています [2005年02月10日(木)]
Name:愛香
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私は掏られたと思われてから2時間以内にクレジット
カードを止めましたし、その3時間後には日本のキャッシュカード
も止めましたので(残高も確認済み)難は免れたと思っています。
逆にご友人のフィリピンの件の方が災難なので恐縮してしまいます。
>日本では映画評論家というのはほとんど絶滅した職
>業ですよ。映画ライターという曖昧な言葉で書き手は
>責任を回避しているだけです。
「ロードショウ」「スクリーン」等のグラビア中心の映画雑誌でも
以前は読み応えのある評論があったのですけど、いつのまにか
物理的な本の厚さだけでなく、中身も薄くなってしまいました。
「映画秘宝」の登場も素人の駄文が幅を利かせる
情況に貢献したと感じるのは考えすぎでしょうか?
(中には面白い文章もありますけど)
粗筋だけで言えば「ニーディング・ユー」はありふれた
ラブコメなのですが、劉徳華と鄭秀文の描写が面白くて
可愛い作品だと思ってます。アンディが「逃避行」の
キャラクターを演じるサービスも楽しいですし。
「マッスル」はセシリア好きの友人に貸したところ、絶句されて
おりました。下手するとバカ映画と言っても何も反論できない
作品であります。しかし私の少ない映画鑑賞数から敢えて
申し上げれば「ヤコペッティの大残酷」のような奇妙な余韻を残す映画だと思ったりするのです。
ショウブラザースから早速ですが「陸亜采与黄飛鴻」を見て自分なりに感じた当時の功夫片の考察を書かせていただきます。
この作品は劉家良監督の第二作目なのですか?76年の時点で既にこれだけのクオリティを持った功夫片を撮っていた劉家良の手腕には脱帽でございます。おそらく、他社の模倣作品は数多く製作されたのでしょう。特に詠春拳を扱ったサモ・ハンの「賛先生与找銭華」は「陸亜采」のあからさまな影響を受けた映画に思えました。「与」というタイトルはもちろん主要の功夫を詠春に据えただけのプロット、師弟練武のOP、キャストのクレジットの表示(梁家仁飾演賛先生のような)、
練功用具としての木椿の使用、「五郎八卦棍から六点半棍への置換、師父を演じる梁家仁の造型等、「陸亜采」と類似点を見出すことができます。もっとも亜流作品でもサモ・ハンの手腕により功夫片としては一流のクオリティを有しているのは流石ですが。しかし「陸亜采」にあって、「賛先生」に欠けているのは功夫の精神性であり他の功夫片同様、復讐を遂げた後取ってつけたように「劇終」してしまうのです。
多くの功夫片を見たファンなら「カンフー映画だから」という視点で割り切れるのでしょうが中途半端な印象は拭い切れません。反して、オリジナルである言える「陸亜采」は若い黄飛鴻の成長と武徳を丁寧に描くことにより、作品に深みを持たせています。(馮克安まで改心させてしまうのですから)
反面、黄飛鴻の成長を扱った「酔拳」は「陸亜采」を発展的に継承し
オリジナルの作品に昇華させた好例だと思います。
成龍の個性を開花させ、傑作「蛇拳」を成功させた呉思遠と袁和平のコンビは確信的に、ある意味では意地悪く「陸亜采」をパロディにしたとも解釈できます。「蛇拳」のキャラクターをベースに「陸亜采」で劉家輝が演じた黄飛鴻のキャラクターを実直な少年から反抗的で怠け者の若者に変換させただけでも大胆な発想なのです。
それ以上にダンディーな雰囲気を有した陳観泰の陸亜采に相当する師父を袁世田演じる乞食でアル中の蘇乞児に置き換えた点では絶妙な皮肉のセンスを感じてしまいます。(蘇乞児のキャラクターも「神打」をベースにしているのでしょうね)本来は洪拳で有名な黄飛鴻が飲酒によって闘う酔拳、そして最もオカマっぽい何仙姑で勝利する展開など「陸亜采」でストイックな洪拳を描いた正宗国術の劉家良に対する呉思遠からの逆説的なアンサーソングとも解釈できて興味深くなります。
ちなみに両作品とも将軍令が流れてますね。
以前より黄飛鴻のキャラクター設定、「蛇形刀手第二集」ということで、成龍が再度蛇形拳を披露するサービス、何仙姑の修行を放棄したため窮地に陥る展開等、呉思遠の作劇法は賞賛しておりましたが
「陸亜采与黄飛鴻」を見ることにより「酔拳」が当時どれほど重要な作品であったかも再確認できたような気がするのです。
上記の文章では洪金寶と成龍の作品の話ばかりに見えますけど
「陸亜采与黄飛鴻」は他社の映画人を刺激し優秀な作品を生み出す
に相応しい傑作であり、劉家良と倪匡が脚本は他の功夫片をはるかに
凌駕しているという次第なのです。ちなみに、この作品のあとで「掌門人」の冒頭で恵英紅が洪拳の秘訣を諳んじるシーンを見て楽しくなりました。
「カンフーハッスル」おける周星馳が元華側に加担したことについての
描写が納得できない・・・と香港人に話したところ「良心発現」つまり
「良心に目覚めたんだろ」と意にも介していない様子でした。
あの展開にも腑に落ちないと感じていた立場として、映画を見た香港人
の大部分が彼を同じように納得しているのなら、自分の見方が間違っているのかもしれないと自問自答してしまいました。なぜなら基本的に香港人に対する映画なのですから、日本人には理解できないからと無視することはできないので。
中国服のズボンにつきまして、清朝から1930年代に撮られた写真を見る限り裾を絞っていない人もよく見られます。ズボンに限らず、当時の着用されていた中国服は功夫片で見られるものとデザインと着こなしが異なります。また功夫片の登場人物に見られる、袖をまくって中に着用している白い袖口を見せるような着方をしている人は意外に少ないようです。
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私は掏られたと思われてから2時間以内にクレジット
カードを止めましたし、その3時間後には日本のキャッシュカード
も止めましたので(残高も確認済み)難は免れたと思っています。
逆にご友人のフィリピンの件の方が災難なので恐縮してしまいます。
>日本では映画評論家というのはほとんど絶滅した職
>業ですよ。映画ライターという曖昧な言葉で書き手は
>責任を回避しているだけです。
「ロードショウ」「スクリーン」等のグラビア中心の映画雑誌でも
以前は読み応えのある評論があったのですけど、いつのまにか
物理的な本の厚さだけでなく、中身も薄くなってしまいました。
「映画秘宝」の登場も素人の駄文が幅を利かせる
情況に貢献したと感じるのは考えすぎでしょうか?
(中には面白い文章もありますけど)
粗筋だけで言えば「ニーディング・ユー」はありふれた
ラブコメなのですが、劉徳華と鄭秀文の描写が面白くて
可愛い作品だと思ってます。アンディが「逃避行」の
キャラクターを演じるサービスも楽しいですし。
「マッスル」はセシリア好きの友人に貸したところ、絶句されて
おりました。下手するとバカ映画と言っても何も反論できない
作品であります。しかし私の少ない映画鑑賞数から敢えて
申し上げれば「ヤコペッティの大残酷」のような奇妙な余韻を残す映画だと思ったりするのです。
ショウブラザースから早速ですが「陸亜采与黄飛鴻」を見て自分なりに感じた当時の功夫片の考察を書かせていただきます。
この作品は劉家良監督の第二作目なのですか?76年の時点で既にこれだけのクオリティを持った功夫片を撮っていた劉家良の手腕には脱帽でございます。おそらく、他社の模倣作品は数多く製作されたのでしょう。特に詠春拳を扱ったサモ・ハンの「賛先生与找銭華」は「陸亜采」のあからさまな影響を受けた映画に思えました。「与」というタイトルはもちろん主要の功夫を詠春に据えただけのプロット、師弟練武のOP、キャストのクレジットの表示(梁家仁飾演賛先生のような)、
練功用具としての木椿の使用、「五郎八卦棍から六点半棍への置換、師父を演じる梁家仁の造型等、「陸亜采」と類似点を見出すことができます。もっとも亜流作品でもサモ・ハンの手腕により功夫片としては一流のクオリティを有しているのは流石ですが。しかし「陸亜采」にあって、「賛先生」に欠けているのは功夫の精神性であり他の功夫片同様、復讐を遂げた後取ってつけたように「劇終」してしまうのです。
多くの功夫片を見たファンなら「カンフー映画だから」という視点で割り切れるのでしょうが中途半端な印象は拭い切れません。反して、オリジナルである言える「陸亜采」は若い黄飛鴻の成長と武徳を丁寧に描くことにより、作品に深みを持たせています。(馮克安まで改心させてしまうのですから)
反面、黄飛鴻の成長を扱った「酔拳」は「陸亜采」を発展的に継承し
オリジナルの作品に昇華させた好例だと思います。
成龍の個性を開花させ、傑作「蛇拳」を成功させた呉思遠と袁和平のコンビは確信的に、ある意味では意地悪く「陸亜采」をパロディにしたとも解釈できます。「蛇拳」のキャラクターをベースに「陸亜采」で劉家輝が演じた黄飛鴻のキャラクターを実直な少年から反抗的で怠け者の若者に変換させただけでも大胆な発想なのです。
それ以上にダンディーな雰囲気を有した陳観泰の陸亜采に相当する師父を袁世田演じる乞食でアル中の蘇乞児に置き換えた点では絶妙な皮肉のセンスを感じてしまいます。(蘇乞児のキャラクターも「神打」をベースにしているのでしょうね)本来は洪拳で有名な黄飛鴻が飲酒によって闘う酔拳、そして最もオカマっぽい何仙姑で勝利する展開など「陸亜采」でストイックな洪拳を描いた正宗国術の劉家良に対する呉思遠からの逆説的なアンサーソングとも解釈できて興味深くなります。
ちなみに両作品とも将軍令が流れてますね。
以前より黄飛鴻のキャラクター設定、「蛇形刀手第二集」ということで、成龍が再度蛇形拳を披露するサービス、何仙姑の修行を放棄したため窮地に陥る展開等、呉思遠の作劇法は賞賛しておりましたが
「陸亜采与黄飛鴻」を見ることにより「酔拳」が当時どれほど重要な作品であったかも再確認できたような気がするのです。
上記の文章では洪金寶と成龍の作品の話ばかりに見えますけど
「陸亜采与黄飛鴻」は他社の映画人を刺激し優秀な作品を生み出す
に相応しい傑作であり、劉家良と倪匡が脚本は他の功夫片をはるかに
凌駕しているという次第なのです。ちなみに、この作品のあとで「掌門人」の冒頭で恵英紅が洪拳の秘訣を諳んじるシーンを見て楽しくなりました。
「カンフーハッスル」おける周星馳が元華側に加担したことについての
描写が納得できない・・・と香港人に話したところ「良心発現」つまり
「良心に目覚めたんだろ」と意にも介していない様子でした。
あの展開にも腑に落ちないと感じていた立場として、映画を見た香港人
の大部分が彼を同じように納得しているのなら、自分の見方が間違っているのかもしれないと自問自答してしまいました。なぜなら基本的に香港人に対する映画なのですから、日本人には理解できないからと無視することはできないので。
中国服のズボンにつきまして、清朝から1930年代に撮られた写真を見る限り裾を絞っていない人もよく見られます。ズボンに限らず、当時の着用されていた中国服は功夫片で見られるものとデザインと着こなしが異なります。また功夫片の登場人物に見られる、袖をまくって中に着用している白い袖口を見せるような着方をしている人は意外に少ないようです。








