旧myroom(香港電影的日常 '01/2/17〜'06/1/29)より移転。

 香港映画を中心に語っていますが、基本的には何でもアリです。
 なお日記に記載の内容は、無断転載、転用はお断りいたしております。ご理解下さい。(by fake)

 ・・・・あと、リンクもフリーではないんです。すんませんなぁ。

Re:『陸阿采與黄飛鴻』 [2005年03月09日(水)]

Name:醒龍
Email:awaken_dragon@infoseek.to
URL:

遠くからお帰りのところレスありがとうございました。

>陳觀泰はやはり『馬永貞』から、これと『洪熙官』
>までがピークでしょう。
実は『馬永貞』手元にあるのですが未見なのでありました。
『洪熙官』を観て暫らくしてからにしたいと思います。

>Master(黄飛鴻)の(新たなる)Challengeくらいでは
>ないでしょうか。
なるほど。英語なら単純明快のはずですが、短くても
日本語みたいに複雑に思って錯覚していました。

>倉田保昭がいうには、『中華』撮影中に遊びにきた袁
>和平が、劉家良が酔拳を演じているのを見て先に撮影し
>て公開したということらしいです。
そういった話があったのですね。この件に関しては
第3者的立場(?)の倉田の話が信憑性高いのかも知れませんね。
あくまでこの件についてですが…(笑)。

倉田と言えば、先日深夜番組で短いですがアクションを見せてました。
日頃はテレビに出てもコメンテーターばかりだったと思いますが、
殺陣や猛ダッシュしたりと頑張ってました。

>これは敵が袁小田だったり、武
>術指導が劉家良の父・劉湛だったりして、本当のルーツは
>ここにあるはずです。
何と劉湛の武術指導なのですね。これはいつか観てみたいですね。

また、明日ですがテレビで久々に『ドランクモンキー酔拳』が放送
されますので楽しみですが、世間の注目が再び集まるといいですね。

ところで遠征の方はいかがでしたか?

蛇殺手と憤怒青年 [2005年03月09日(水)]

Name:愛香
Email:
URL:

お疲れのところ、相変わらずの長文で申し訳ありません。


>外側の生クリームが美味しいからという理由で、ま
>ずいケーキを部分的に褒めている人なんかいないはず
>ですけどね。それが功夫映画にだけ適用されるのは間違っていますよ。

また、ダメな作品について「ストーリーは滅茶苦茶だけど、アクションは凄い」なんて紹介の仕方を読んだ事がありますが、語る順序が逆だと思いますけどね。

>当初は120分くらいの編集だったらしいし、台湾版などの話を聞くと
>ドラマ性は高いものだったかもしれません。
>『龍少爺』なんかゴールデンポイントがラストにくるだけでストーリ>ーの意味合いが変わってしまったくらいですからね。


当時の配給業者の選択の基準というのが理解できません。
当時の日本は80年代に突入したばかりで、これまた「軽ちゃー」の
薄っぺらな時代でございましたから。当時公開されたヴァージョンが、好き嫌いに関わらず、日本人の評価だったというのは、成龍が抱いていたコンセプトと異なると考えると、彼の心中複雑だったかもしれません・・・

>これもそのうちに。全部準備はしてあるんです、書
>く暇がないだけでして・・・。

申し訳ございません。急かしませんので気長にお待ちいたします。

>そうですか。『蛇殺手』は良い映画ですよ。
>以前はショウブラについては語らなくてもいい・・・
>なんて仰ってましたが少し見方を変えられたようならなによりです。

(冗談も入っているでしょうけど)「みんなショウブラの真似じゃないか!」とさえ仰っているので、現在は非常にショウブラ作品にご満悦のご様子です。「蛇殺手」は以前の日記にて興味を持たれたようでして、去年末香港に行く際にお土産として依頼されており、鑑賞後絶賛されていましたので、私からお願いして貸してもらったのです。
「憤怒青年」は監督が被っているということもあり、テイストが似ていると感じたのでお貸ししたのです。両作品の共通点は社会の底辺で鬱屈していた状態にある主人公達の描写と女性に対するドロドロとした情念(張徹では見られない)でしょうか。判り易いコメントで申し訳ございません。

蜥蜴が登場したり、李琳琳の貞操の危機に積年の欲望を満たしている場合では?という点が気になりましたけど、この作品の秀逸さは、李琳琳以外の人間関係は絶望的情況に置かれていると同時に、幼少時からのサディズム願望と現実の世界では虐待される立場という屈折した心情を抱いた甘國亮が蛇により、鬱屈した欲望が弾け、社会に対する復讐に目覚め、倫理観が蝕まれていく過程にあるでしょう。

また、ホラーの要素だけではなく、死体を隠蔽する場面や終盤追い詰められるくだりなどの生活感があるサスペンスな描写もいいなと思いました。パナピジョン使用を謳っているだけあって、毒々しい蛇、甘國亮の紫のTシャツ、女体の肌色、「必殺シリーズ」のような陰影のある映像効果も独特ですね。


>絵からは時代は分らなかったです。蘇化子そっくりとい
>うのは何時頃の時代といえばいいのでしょうか?


戦国春秋時代清朝の時代までは違和感はなさそうですが勝手に想像しているのは宋とか明代です。上手く説明できませんが、漢文化が繁栄した時代に無頼な雰囲気がマッチしているかとも思えたりしまして。


>愛香さんくらいならショウブラ以外はもう全部ご覧にな
>ているのかと思ってましたけど。

いえいえ、こちららにいらしている方々より少ないと思います。
もっとも金銭的な要因が大きいのですが。
現在はボられることもなく、様々なソフトが納得できる画質と適正価格と入手できるからいまになって沢山見出しているということもあるのです。


>最近は黄梅調の映画を片っ端から見て
>いるのですが、これが実に面白い!資料も手に入れました
>し、これもいずれ特集を組まねばと!思っています。

やはり、復刻されたショウブラのソフトからですか?
日野康一の本で「黄梅調」という文字を読んでもあまりイメージが沸かなかったものですが現在は旧作品も見れるますから、まさにと隔世の感はありますね。「実に面白い」とまで絶賛されるくらいですから、日本人にとって未開拓なジャンルのようで楽しみにしています。私は確実に傑作だと思われる「三笑」あたりから手をつけようかとも考えています。


>第一次ブームのときに見たときは、その面白さにうなっ
>てしまったのですが、当事公開された『嵐』と他のショウ
>ブラ映画『吼えろドラゴン』や『キングボクサー』との作
>風の違いに驚いたものです。これは後に、それらの作品の
>方が従来のショウブラ映画だったと気がつくのですけど。

私の場合、嘉禾作品と違ってショウの作品は何の脈絡も無くバラバラに公開されたり、ビデオを入手したにしても、個々の作品をのバラバラに見ていた状態でそれだけでショウブラザースの作風、張徹、劉家良に対して非常に不十分な認識をしていたものです。

>それは『方世玉興胡惠乾』が"方世玉モノ"という枠にと
>らわれているからですよ。後で日記にも書きますが、この
>枠を取っ払う作業過程が"小子片"で、そのために仮借した
>のが『憤怒青年』なんです。

「憤怒青年」は桂治洪と共同監督のため「蛇殺手」と共通するテイストが感じられます。それ以前に格闘アクションが随所に散りばめられているとは思いませんでした。しかし、アクションはこの作品の本旨ではないような気がしますので特に触れません。
冒頭におけるセットを壊しながら走ってくる王鐘に鬱屈した青年の
怒りが感じられます。これはラストを暗示するのですね。この破滅的予兆もfakeさんが仰る方世玉が現代に再生させた年軽人なのですかね?

長年勤勉に生活しながらも貧困のため妻に逃げられた父と、やはり家庭環境からニヒルになり仕事を長続きできず喧嘩を繰り返す息子が本当はお互いを思いつつもすれ違い、最終的に破滅する物語が私の琴線に触れました。

ディテール面も丁寧で、功夫道場で儲けた僅かばかりの釣銭に喜んだのも束の間、娼婦が客から容易に金をせしめる場に遭遇して落胆するシーンや、唯一心を開ける李麗麗に対して現状を嘆き、父に対する愛情を吐露する場面などはよく描けています。
個人的には、息子が裏切っているにも関わらず、父から「お前を信じてるぞ」と微笑まれた直後、良心の呵責に苦悩するシーンが一番気に入っています。
軽率な判断から父を惨殺され、悪党連中に報復を果たした後、王鐘が最後の怒りを自らに叩き付けるが如く壮絶な最後を向かえた後、断末魔の中で興味半分に凝視する群集に次いで、幼少時に喧嘩している光景を回想したのは、当時からの行き場の無い怒りを感じていたのか、それとも人生に希望を持てる時代もあったのか如何ようにも解釈できます。

ちなみに、アグネス・チャンによると香港における「憤怒青年」という言葉は、物事に対してニヒルな感覚を持った青年というニュアンスもあるようです。

それでは方世玉と「憤怒青年」の関連性は次回の日記を楽しみにいたしております。


更新 [2005年03月09日(水)]

Name:fake
Email:episodo1@iris.dricas.com
URL:http://myroom.isao.net/room164/0000001000019164

 3/9日記更新。本日は長弓電影と小子片特集の第二
弾『方世玉興胡惠乾』です。

長弓電影と小子片(2)『方世玉興胡惠乾』 [2005年03月09日(水)]

長弓電影と小子片(2)『方世玉興胡惠乾』'76年製作、監督:張徹、主演:傅聲、戚冠軍ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー長弓電影時代の張徹は、そのアナーキストとしての資質を、映画の内容だけでなくその製作形態にも存分に発揮した。 短編オムニバスの『少林子弟』、やりすぎで台湾政府に睨まれた戦争映画『八道樓子』、香港では上映禁止になった『八國聯軍/神拳三壯士』、前衛的過ぎて完成しなかったミュージカル『天上・人間・地獄』(75年)は、ショウブラに帰った後の80年に追加撮影を行い『第三類打鬥』として日の目を見た。 この『方世玉興胡惠乾』は74年の『少林子弟』のリメイクである。わずか数年を経ただけで自作のリメイクを作るのも異例だが、四部構成の短編集という前作を、フラッシュバック満載の回想形式で撮り直してみせるという実験作にしてみせたのだ。長弓電影時代は、実に"やりたい放題"の時代であった。ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー『方世玉興洪熙官』から始まった長弓電影の歴史は、74年から77年『江湖漢子』までのわずか3年に過ぎない。(ちなみに"長弓"の名付け親は作家の金庸) その間製作されたのは17本、この中には長弓時代に未完の『天上・人間・地獄』は含んでいない。 ここで注目して欲しいのはその年代である。ブルース・リーの死後香港映画界が落ち込んだ74年から、ジャッキーのブレイクによって新たな時代の訪れる78年までの、歴史のエアポケット期間にあたっているのだ。 エアポケットではあったが、この時期の香港では新たなる時代に向けての胎動が始まっていた。ホイ兄弟の作る庶民的コメディは、殺伐な暴力映画を駆逐。アクション映画では、よりヒロイズムに流れる楚原の武侠片が人気を博した。張徹と別れた劉家良が『神打』でコメディ功夫の礎を作れば、これに乗じて洪金寶も浮上。 この期間を台湾で過ごした張徹は、時代の流れを読み取ることには完全に乗り遅れたのであった。それが、長弓電影最大の失敗要因だったと思うが、まだまだ長弓電影の前には多くの敵があったのだ。 張徹の反社会的作風は台湾政府から目を付けられ、製作に度々横槍が入れられた。そして予想外の被害をもたらしたのが"天候"であった。ロケーション効果を期待して台湾へ行ったのだが、台風のメッカ台湾は撮影期間が限られてしまうのだ。台湾映画界が香港に比べて伸び悩んだ最大の原因はこの自然災害にある。張徹にとってもこれは想定外の因子だったのだ。撤退も止む無し!である。ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー前作『少林子弟』は、方世玉(傅聲)、胡惠乾(戚冠軍)、洪熙官(陳觀泰)それぞれの生い立ちを20分ほどの独立した短編で描き、集結した3人が清朝の後ろ盾を得た武當派との最終決戦に挑むというストーリーだ。武當派との決戦で胡惠乾、方世玉が次々と討ち死にしていく様が強烈であった。 この胡惠乾闘死の場面では、闘い始めから死ぬまでをモノクロ映像で処理して効果を上げている。この場面を内田吐夢が68年に撮った『人生劇場/飛車角と吉良常』に影響を受けていると書いた人がいるが、内田吐夢の名前を出すのなら64年の『宮本武蔵 一乗寺の決闘』がどう考えても先であろう。内田吐夢モノクロ描写一乗寺の決闘という連想の流れは初歩レベルではないか。 そもそも内田吐夢という人は58年の『大菩薩峠・第二部』でも、実景のロケから一瞬にしてスタジオの心象風景にワープさせたり、65年の『飢餓海峡』ではネガポジを反転させて荒涼感を描き出すなど、日本映画屈指の前衛描写を得意にした監督なのだ。『宮本武蔵』は香港でも上映されているわけだし、映画ファンとして、プロの物書きとして、そこまで言及出来ないのは失格であろう。ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーリメイクである『方世玉興胡惠乾』は、いきなり白眉道人(陳慧樓)との最終決戦から幕を開ける。映画はこのままの流れで延々とその闘いを描写し続け、途中に方世玉らの回想(この場面のストーリーが『少林子弟』の焼き直し)でここまでの流れが説明されるという、功夫映画史上屈指の前衛的作品となっている。 方世玉伝説の元となった「聖朝鼎盛萬年青」でもラストは武當派との闘いで方世玉らは命を落とす。だがオリジナルの「聖朝鼎盛萬年青」では方世玉たちはどうしようもない悪童で、反抗の果てに乾隆帝の命を受けた武當派に処断されるのだ。 物語が逆転したのは辛亥革命後といわれており、革命後は清朝と乾隆帝が悪役となり、福建少林派が正義の味方となるのである。方世玉が闘死するのは同じで、相手は五枚であったり、白眉道人であったり、馮道徳であったりするのだが、鐵布杉を会得して不死身の体である方世玉は、唯一の弱点である股間を狙われて死んでしまうのだ。 張徹が編纂したのは香港映画史の一部としての"方世玉"であり、よってそのストーリーが辛亥革命後のものになっているのは当然である。 しかし元の「聖朝鼎盛萬年青」に出てくる方世玉も魅力的な人物造詣であった。特にその時代の香港で社会問題となっていた"年輕人"と重なるものだ。香港映画で英雄・方世玉を"年輕人"的に描くことは出来ない。いっそのことキャラクターだけを一人歩きさせてみたら・・・・・。そのために必要なものは?ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーという訳で次回は"年輕人"映画の代表作『憤怒青年』です。
trackback Blog by isao.net