Name:愛香
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お疲れのところ、相変わらずの長文で申し訳ありません。
>外側の生クリームが美味しいからという理由で、ま
>ずいケーキを部分的に褒めている人なんかいないはず
>ですけどね。それが功夫映画にだけ適用されるのは間違っていますよ。
また、ダメな作品について「ストーリーは滅茶苦茶だけど、アクションは凄い」なんて紹介の仕方を読んだ事がありますが、語る順序が逆だと思いますけどね。
>当初は120分くらいの編集だったらしいし、台湾版などの話を聞くと
>ドラマ性は高いものだったかもしれません。
>『龍少爺』なんかゴールデンポイントがラストにくるだけでストーリ>ーの意味合いが変わってしまったくらいですからね。
当時の配給業者の選択の基準というのが理解できません。
当時の日本は80年代に突入したばかりで、これまた「軽ちゃー」の
薄っぺらな時代でございましたから。当時公開されたヴァージョンが、好き嫌いに関わらず、日本人の評価だったというのは、成龍が抱いていたコンセプトと異なると考えると、彼の心中複雑だったかもしれません・・・
>これもそのうちに。全部準備はしてあるんです、書
>く暇がないだけでして・・・。
申し訳ございません。急かしませんので気長にお待ちいたします。
>そうですか。『蛇殺手』は良い映画ですよ。
>以前はショウブラについては語らなくてもいい・・・
>なんて仰ってましたが少し見方を変えられたようならなによりです。
(冗談も入っているでしょうけど)「みんなショウブラの真似じゃないか!」とさえ仰っているので、現在は非常にショウブラ作品にご満悦のご様子です。「蛇殺手」は以前の日記にて興味を持たれたようでして、去年末香港に行く際にお土産として依頼されており、鑑賞後絶賛されていましたので、私からお願いして貸してもらったのです。
「憤怒青年」は監督が被っているということもあり、テイストが似ていると感じたのでお貸ししたのです。両作品の共通点は社会の底辺で鬱屈していた状態にある主人公達の描写と女性に対するドロドロとした情念(張徹では見られない)でしょうか。判り易いコメントで申し訳ございません。
蜥蜴が登場したり、李琳琳の貞操の危機に積年の欲望を満たしている場合では?という点が気になりましたけど、この作品の秀逸さは、李琳琳以外の人間関係は絶望的情況に置かれていると同時に、幼少時からのサディズム願望と現実の世界では虐待される立場という屈折した心情を抱いた甘國亮が蛇により、鬱屈した欲望が弾け、社会に対する復讐に目覚め、倫理観が蝕まれていく過程にあるでしょう。
また、ホラーの要素だけではなく、死体を隠蔽する場面や終盤追い詰められるくだりなどの生活感があるサスペンスな描写もいいなと思いました。パナピジョン使用を謳っているだけあって、毒々しい蛇、甘國亮の紫のTシャツ、女体の肌色、「必殺シリーズ」のような陰影のある映像効果も独特ですね。
>絵からは時代は分らなかったです。蘇化子そっくりとい
>うのは何時頃の時代といえばいいのでしょうか?
戦国春秋時代清朝の時代までは違和感はなさそうですが勝手に想像しているのは宋とか明代です。上手く説明できませんが、漢文化が繁栄した時代に無頼な雰囲気がマッチしているかとも思えたりしまして。
>愛香さんくらいならショウブラ以外はもう全部ご覧にな
>ているのかと思ってましたけど。
いえいえ、こちららにいらしている方々より少ないと思います。
もっとも金銭的な要因が大きいのですが。
現在はボられることもなく、様々なソフトが納得できる画質と適正価格と入手できるからいまになって沢山見出しているということもあるのです。
>最近は黄梅調の映画を片っ端から見て
>いるのですが、これが実に面白い!資料も手に入れました
>し、これもいずれ特集を組まねばと!思っています。
やはり、復刻されたショウブラのソフトからですか?
日野康一の本で「黄梅調」という文字を読んでもあまりイメージが沸かなかったものですが現在は旧作品も見れるますから、まさにと隔世の感はありますね。「実に面白い」とまで絶賛されるくらいですから、日本人にとって未開拓なジャンルのようで楽しみにしています。私は確実に傑作だと思われる「三笑」あたりから手をつけようかとも考えています。
>第一次ブームのときに見たときは、その面白さにうなっ
>てしまったのですが、当事公開された『嵐』と他のショウ
>ブラ映画『吼えろドラゴン』や『キングボクサー』との作
>風の違いに驚いたものです。これは後に、それらの作品の
>方が従来のショウブラ映画だったと気がつくのですけど。
私の場合、嘉禾作品と違ってショウの作品は何の脈絡も無くバラバラに公開されたり、ビデオを入手したにしても、個々の作品をのバラバラに見ていた状態でそれだけでショウブラザースの作風、張徹、劉家良に対して非常に不十分な認識をしていたものです。
>それは『方世玉興胡惠乾』が"方世玉モノ"という枠にと
>らわれているからですよ。後で日記にも書きますが、この
>枠を取っ払う作業過程が"小子片"で、そのために仮借した
>のが『憤怒青年』なんです。
「憤怒青年」は桂治洪と共同監督のため「蛇殺手」と共通するテイストが感じられます。それ以前に格闘アクションが随所に散りばめられているとは思いませんでした。しかし、アクションはこの作品の本旨ではないような気がしますので特に触れません。
冒頭におけるセットを壊しながら走ってくる王鐘に鬱屈した青年の
怒りが感じられます。これはラストを暗示するのですね。この破滅的予兆もfakeさんが仰る方世玉が現代に再生させた年軽人なのですかね?
長年勤勉に生活しながらも貧困のため妻に逃げられた父と、やはり家庭環境からニヒルになり仕事を長続きできず喧嘩を繰り返す息子が本当はお互いを思いつつもすれ違い、最終的に破滅する物語が私の琴線に触れました。
ディテール面も丁寧で、功夫道場で儲けた僅かばかりの釣銭に喜んだのも束の間、娼婦が客から容易に金をせしめる場に遭遇して落胆するシーンや、唯一心を開ける李麗麗に対して現状を嘆き、父に対する愛情を吐露する場面などはよく描けています。
個人的には、息子が裏切っているにも関わらず、父から「お前を信じてるぞ」と微笑まれた直後、良心の呵責に苦悩するシーンが一番気に入っています。
軽率な判断から父を惨殺され、悪党連中に報復を果たした後、王鐘が最後の怒りを自らに叩き付けるが如く壮絶な最後を向かえた後、断末魔の中で興味半分に凝視する群集に次いで、幼少時に喧嘩している光景を回想したのは、当時からの行き場の無い怒りを感じていたのか、それとも人生に希望を持てる時代もあったのか如何ようにも解釈できます。
ちなみに、アグネス・チャンによると香港における「憤怒青年」という言葉は、物事に対してニヒルな感覚を持った青年というニュアンスもあるようです。
それでは方世玉と「憤怒青年」の関連性は次回の日記を楽しみにいたしております。