旧myroom(香港電影的日常 '01/2/17〜'06/1/29)より移転。

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 ・・・・あと、リンクもフリーではないんです。すんませんなぁ。

更新 [2005年05月13日(金)]

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 5/13日記更新。本日は、劉家良特集の第二弾。まだ
序章のところを書いているんですが・・・・今月中に
書きあがるんでしょうかねぇ。

劉家良(2) [2005年05月13日(金)]

劉家良(2)ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー功夫片における武術指導にとって、最初の写実的変化が關徳興の黄飛鴻シリーズであった。そのシリーズに参加していた劉家良と唐佳が独立し、南拳的「硬橋硬馬」と京劇的「花拳繍腿」の合体を試みたのが歴史の第二段階である。 第三段階をもたらしたのは胡金銓(キン・フー)だ。京劇的演出を映画にアダプテーションする作業は、上海からきた武術指導家・韓英傑という、黄飛鴻シリーズの流れとは違うところから始められた。サーカスにもいたことがある韓英傑は、トランポリンという道具を使用することで、ワイヤーワークに頼らない飛翔空間も演出してみせた。 それを編集やカメラワーク、演出のテンポなどで更に加工していくことで、武侠・功夫スターの技量に頼りがちだった現場に、別の意味での改革を持ち込んだのである。 ここが一番大きかった。映画的演出技術の向上は、アクションの動きに強弱をつけ、動きそのものに心理的要素を付け加えたのである。ここから武侠・功夫片は飛躍的な進化を遂げる。武侠片の新世紀という扉は開かれ、陽剛の嵐が吹き荒れるのだ。ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー陽剛路線復活までの香港映画界は圧倒的に女性映画の時代で、黄飛鴻シリーズ退場後のアクション映画を担った神怪武侠片も、基本的には女性スターが中心だった。胡金銓の『大酔侠』にしてからがそうで、時代は力強く逞しい男性映画(陽剛)の復活を目論む張徹の登場を待たねばならなかった。その張徹が一番欲したのが劉家良と唐佳のコンビだ。彼らだけが張徹が理想とする健身的美意識を具現化する手がかりでもあった。 そもそも女性映画の隆盛は中産階級の誕生による。生活にゆとりの生まれた中産階級では、家庭内における金銭の管理が女性に移る。いわゆる"財布の紐"を握られるというやつだ。張徹のいう健身的美意識とは何か?それは、中産階級に流行を見せ始めた健康意識である。弛んだ体、これもゆとりの表れだろう。"財布の紐"を握られ、かつての逞しき男たちに夢を馳せる生活者に、スクリーンは鍛え上げられた体の男たちが敢然と圧制に挑む姿を提供した。これが陽剛路線の正体だ。"闘神"ブルース・リーの帰港はこの真っ只中であった。ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーブルース・リーと劉家良、スクリーン上は全く接点の無かった二人だが、同じ50年代の映画界に身を置いた者同士である。劉家良が37年生まれだとすると、40年生まれのブルースとはわずかに3歳しか違わない。ブルースの父・李海泉は黄飛鴻シリーズに出演したといわれており、ふたりは現場で知り合ったのだろう。不良化して旺角を練り歩くブルースに、小麒麟、黎小田(マイケル・ライ)ら子役上がりの友人たちと共に劉家良も加わっていたという。映画界では見られることのなかった二人の闘いは、50年代半ばの街角だけが証人だ。 唯一にして無二の存在であるブルース・リーは世界のアクション映画史に残る"革命"を成し遂げ、その成果も確認せずに去った。多くの模倣が生まれたが、ブルース・リーが絶対不可侵であることを最も理解していたのは劉家良その人である。張徹の台灣行きが実現したのはブルースの死後(73/7/20)だ。長弓電影第一作『方世玉興洪熙官/嵐を呼ぶドラゴン』が公開されたのは74/1/19、張徹が始めた南派少林寺伝説の編纂作業こそ、ブルース・リーから最も離れるために劉家良が必要としたものだった。(長弓電影については05/3/4以降の日記参照)ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー以下続く
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