旧myroom(香港電影的日常 '01/2/17〜'06/1/29)より移転。

 香港映画を中心に語っていますが、基本的には何でもアリです。
 なお日記に記載の内容は、無断転載、転用はお断りいたしております。ご理解下さい。(by fake)

 ・・・・あと、リンクもフリーではないんです。すんませんなぁ。

更新 [2005年05月23日(月)]

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 5/23日記更新。本日は、劉家良特集の第五弾。功夫
片の歴史を変えた『神打』です。

"interpret" するのは難しい・・・ [2005年05月23日(月)]

Name:邪亜邪亜
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どうも!

ニコール・Kしゃんの新作観てきました。
最後に書きます!


>最後は"うるさいっ!"って舞台から突き落とすんでしょ?(笑)

ハハハ!
カーメル湾、もしくはサンフランシスコの川を流れるナッチ。
しばし見下ろして、静かに去るCEですな。


>予測のつく映画とはいえネタバレだけは避けたいですからな。

ですね。
MDBならいざ知らず、この作品クラスなら、即同時公開ぐらいにしても良いと思うのですが。
「エピ4」の初公開以来、なぜかすぐに日本公開されませんね、このシリーズは。

ファンの“飢餓状態”を狙ってるのでしょうが、そういう手法は「バットマン」でダメだと証明済みなんですけどね。


>ならブラッティの『3』はその解釈の上でもあったのかな。

でしょうね。たぶん。

初版のエンディングは切ないアンハッピーな感じであり、
ブラッティは、警部と神父の友人による、たわいない映画の話のシーンを入れることで、
その誤った解釈を是正したかったようですね。

>「SNL」を見る限りコメディが得意って訳でもなさそ
うでした。

なるほど。
今後も“薄幸”路線ですね。

>犯されそうになってましたよ。

危ないネタだな(笑)。


>「龍熱大全」のことかな?

ですね。

>既出の再編プラス書き下ろしという構成です。

私もちょっと立ち読みして、出典のところを見たら、
秘宝の記事も多いようなので、即買いは躊躇したんですよ。

>『燃えドラ』といえば『ブレードランナー』の同時
上映にもなったことがあります。

当地は、A・アサンテの「俺が掟だ!」ですね(笑)。


>愛媛県では売れないワーナー作品には『燃えドラ』を付ける、という習慣があったよ
ーで。(笑) 

それは最高ですね(笑)。プリント返却しないんだ。

ちなみに当地では、松竹作品なら「寅さん」かな。
で、「寅さん」の旧作大会があると、
浅丘ルリ子がマドンナの「ハイビスカスの花」が必ず入りますね。


>ジャッキーの『龍拳』も加えられて三本立てに

東宝系ジャッキーの併映って、トホホが多いかな。
「ヘブンリー・ボディーズ」とか(笑)。
「ドラゴン・ロード」の時は、「カンニング」の方が
面白かったですが。

>『ダーティファイター』と『グレートスタント
マン』は何回も見ましたよ。そういや『トランザム』の
パート1は『スラップショット』が同時上映だった。
これも良かったなぁ・・・。

ああそうでしたね!
当時のワーナーの組み合わせは男汁溢れてましたね。
「13金」の一作目と「ブロンコビリー」は、
「13金」の方ででバカップルを釣ろうとしているのがミエミエでしたが。

>地方での二本立て興行を復活せよ!ですね。

「アレキサンダー」と「アビエイター」で6時間半はイヤだなあ(笑)。


>もしかして・・・・アル・・ツ・・いやいや。

照れ屋さんというのか、謙遜してるのか・・・。
なかなか本音を引き出せない感じですね。
どうする、ナッチ?


>「スター(CE)に魅せられたりはしませんでしたか?」
 でしょうね。

毎度御丁寧な解説ありがとうございます!
notの位置もあり、モヤモヤしてましたがスッキリしました。


>「実際には自分に逆のことをしていたのです。」

ここの"you" は彼女だったんですね。
インタビューにおける"you" は総じて、“(一般の)人は”という意味で使われますが、
時々、発言している自分を意味することもあって混乱しますね。


>文字通りのキャラクター、作中人物のことでしょう。

あっ、ここは素直で良かったんですな(笑)。


>"separation"はこの場合分け隔てるでしょうね。

なるほど。
これは辞書通りだと厳しいですな。

すみません、もうひと文、お願いします!!

Q: Have you kept the muscles?
Hilary: No, because that’s what I was just going to get into.

筋肉は維持できましたか?
ヒラリー:いいえ、ただ(筋肉を)付けるだけで精一杯だったから。

"get into" が辞書に、身につける、とあって考えたのですが、いかがでしょうか?


ええと、最後に「インタープリター」です。

S・ポラックのポリティカル・陰謀モノはネタがいつも割れてるから、今回もそれほど、ミステリー度はないですが、役者の魅力で楽しむ感じですね。

「許されざる者」の後、CEは「ザ・シークレット・サービス」に出演、
リラックスした演技で、トラウマ・スケベ・親父を好演しましたが、
面白いことにペンも受賞後の初仕事はシークレット・サービスを演じてるんですね。
「ミスリバ」の血管切れそうな演技じゃなくて、サラリとして良かったです。
あいかわらず、“泣き”の演技はありますが、CE同様に心のゆとりがあるんでしょうか。
今後ももっとこういうメジャーの娯楽作品に出てほしいです。

ニコールしゃんは悪くなかったですが、インテリ系の役はちょっと食傷気味ですね。
「奥さまは魔女」に期待(笑)。

ではでは。

劉家良(5) [2005年05月23日(月)]

劉家良(5)ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーグロい降頭描写の連続だが、何夢華の手腕によって手堅い娯楽作品に仕上がっている。この手のジャンルとしては異例の72万HKドル(当時のヒット基準は50万HKドル前後)、年間成績27位という大ヒットを記録したのがその表れだ。猟奇的な殺人事件の背後に降頭の存在が噂されるなど社会問題に発展したが、リアリスト劉家良はそんな事態を苦々しく見つめていたのだった。 『神打』は劉家良からのアンサーソングである。題材こそ降頭から神打術へと変わったが、真っ向から迷信を否定することに変わりはない。烈強に押され気味の清朝は、藁にもすがりたい気持ちで義和団の神打術を披見した。このOPシークエンスは秀抜だが、本編そのものには関わりがない。急遽決まった撮影は、資金不足を補うため新人(汪禹、林珍奇)の起用でノンスタームービーとなったが、当時の劉家良には彼らをスターにしてみせるだけの自身に溢れていたという。話題性のために狄龍、陳觀泰、唐偉成にゲスト出演して貰ったのがOPの神打演武で、西太后側近の宦官・李蓮英(田)の掛け声と共に始まる演武は素晴らしい。ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーこれには故事があって、当時の中国民衆が義和団らの唱える"扶清滅洋"に惑わされていたことは徐克の『黄飛鴻之二男兒當自強/ワンス・アポン・ア・タイム・イン・チャイナ天地大乱』にも描かれたのでご存知だろう。実際に西太后は義和団の演武を見たとも言われており、神打を使えば刀も槍も弾丸ですらも弾き返すという迷信を信じた。藁にすがりたいとはいえ、こんなことだから清朝は敗れるのだが・・・・。 このOPで描かれる神打を完全否定するのが本編だ。権力者・西太后が誉めそやす神打を、徹頭徹尾からかってみせる批判精神こそ、この映画が優れた喜劇の証拠であるし、リアリスト劉家良の作家精神そのものなのである。 とある町に降霊術を行うため呼ばれた江洋と弟子の汪禹。逃亡殺人犯・李海生&呉杭生の手配書に顔をしかめる。師傅・江洋の村も彼らに荒らされたことがあるのだ。町に着くなり歓待を受ける江洋は、そのまま酔いつぶれてしまい、代わりに汪禹がそれを引き受けることに。町の有力者・王清河の求めで、齋天大聖(孫悟空)を呼び出して適当なお払いをする汪禹。武芸者の強漢は信じないが、汪禹の功夫は中々の腕で、齋天大聖の化身も完璧だ。ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーだが刀のトリック(刃先だけが本物で後は木造)を見破られ、町の人から追われる羽目に。師傅を探して宿へ帰ると、そこには警察が待っていた。 見知らぬ町に逃げてきた汪禹。横暴な饅頭屋を煙に巻きまんまと饅頭をせしめる。張徹が生み出した"小子片"(05/3/4以降の日記参照)は現代香港若者像と方世玉を重ね合わせる作業だった。劉家良はそれをより広東的に解釈することで、"小子"の広東的表現である"細路"にキャラクター造形を置き換えたのだ。香港映画に残った"小子片"は張徹のフィルターを通した後、より現代的で合理性の高い人物へと生まれ変わると同時に、劉家良の手によって広東小子の代表・"細路祥"的性格を加えられたのである。この映画より後の"小子片"は、言葉の上でこそ"小子"だが、実際は"細路片"と呼ぶべきなのだ。 浮浪児同然の汪禹は町の人に馬鹿にされ、「俺は龍王の生まれ変わりだ!自在に雨を降らせることが出来るぞ!」と叫ぶ。突然振り出す大雨に恐れおののく町の人たち。何のことはない、旅の多い暮らしをしてきた汪禹は、雲の動きから雨が降りそうだと察知していたのだ。ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーそれ以後、汪禹の町での暮らしは一変する。下にも置かぬ丁重な扱いをされ、各地で降霊の儀式を執り行う。町の顔役・史仲田の元にも手下の馮克安から噂がもたらされたが、迷信ごとをあまり信用しない史仲田は笑って取り合わない。厳しい取り立てで町の人間を困らせている史仲田、取り立て先で汪禹と揉めたことら次第に無視できない存在へと変わっていった。 汪禹の降霊は齋天大聖から關羽、鍾馗など多岐に渡っており、説教をする時は包天青、都合が悪くなって遁走する時は時遷(水滸伝の登場人物、身の軽いこそ泥)になったりして笑わせる。史仲田の一味に追われた汪禹は得意のハッタリで追い払おうとするが、何其昌、黄蝦らは一笑に附す。「喰らえ、雷掌心!」本当に手から炸裂弾が出て何其昌らは退散。当の汪禹ですら驚くが、物陰から様子を見ていた乞食の林珍奇が、動きに合わせて爆竹を投げていただけだった。 意気投合したふたりは、いんちき降霊のコンビを組む。根が善人の汪禹は、金持ちを懲らしめたり、最低限の食い扶持を稼ぐに留めている。焼けた火箸を掴む時は手にあらかじめ薬を塗って、体を焼く時は豚の皮を貼り付けて人の皮に見せる等々、神打のトリックを林珍奇に伝授していく。OPの西太后が見たら何と言うかな・・・・・劉家良は容赦なく迷信の存在を否定してみせるのだ。ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー借金のカタに売られた町の人を得意のトリックで騙して解放し、一躍カリスマ的存在に祭り上げられる汪禹。若者を集めて武芸を教え込み、次第に勢力を増していった。 逃亡犯の李海生&呉杭生が町に流れ着く。元気のない史仲田を見て「兄弟どうした?」と訪ねる。「町に凄い術士が現れさっぱりだよ・・・」そんなのインチキに決まっているという二人は、汪禹が見せた術のトリックを暴いてみせる。「野郎騙しやがって!」史仲田一味は汪禹の住まいを急襲、術が見破られたことを知った汪禹は林珍奇に逃げようと持ちかける。「あんたを信じて闘っている町の人たちはどうすんの!?」林珍奇の言葉に動かされた汪禹は、闘い抜く事を決意。初めてトリックなしで李海生&呉杭生という強敵に挑むことになった。 行方不明の弟子を追ってきた師傅・江洋が騒ぎを聞きつけてやってきた。苦戦する弟子に五神の術を使えと助言。酔っ払いの師傅が酒壺を抱えて技を指示、弟子はそれに応えて五神(龍・蛇・虎・鶴・豹)の化身になるという構図は、これより後の映画が全て手本とした場面である。この『神打』が全ての始まりなのだ。ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー映画『神打』は初監督作だけあって、全体的には後の劉家良作品に見られるようなスピーディーさはなく間延びした感じも否めない。今の目で見ると良く出来た秀作の域は出ないようにも思うが、古臭い迷信性の排除という劉家良の作家性は良く表れている。コメディ功夫としてこの映画が後世に与えた影響は解説した通り歴然であり、当時のヒットもその評価も肯けるものである。 何夢華の『降頭』は二本の亜流を生んだ。ひとつはこの『神打』であり、『降頭』のプロットをそのまま流用して茅山道に置き換えたサモ洪金寶の『鬼打鬼』だ。最も『鬼打鬼』には『神打』とその続編『茅山彊屍拳/神打小子』の影響もあるのだが。 『茅山彊屍拳/神打小子』は続編だが直接的な繋がりはない。当初予定されていたタイトル『神打小子』が表わす通り、ジャンルとして成熟してきた"小子片"的性格を顕著とするものである。今度の劉家良は茅山道の迷信性を暴露し、彊屍なんて偽者だ!と笑い飛ばすのは、既に発売された日本版をご覧の方はご承知のことであろう。劉家良にとってこの作業は『十八般武藝』まで続けられた。義和団の欺瞞を暴くこの作品は、デヴュー作『神打』の発展的リメイクであった。ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー続く 
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