劉家良(7)ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーそもそも關徳興の『黄飛鴻』映画とはどういうものであったのか? 49年に開始されたこのシリーズは、第三次国共内戦から国民党敗北、中華人民共和国成立を受けて開始された。国民党敗北と共に大陸から多くの映画人が香港に流入、北京語映画の攻勢が開始される。そこで、動乱の人民を鼓舞し、広東人民のアイデンティティを再確認すべく、北京語映画へのカウンターカルチャーを目的として始められたのだ。 話し言葉としての広東語を大切にし、獅子舞などの地方祭礼行事を取り入れローカル色を演出、広東民俗音楽「将軍令」をテーマ曲として使用し、南派拳術の英雄・黄飛鴻は敢然と悪に立ち向かうのである。 關徳興版の黄飛鴻は、武徳を基本とし、たとえ悪辣な"奸人堅"こと石堅であっても、人を傷つけることは好まない。作品によっては關徳興は一切アクションを見せず、説教を繰り返すだけのものもあるくらいだ。はなはだ「古典主義」的であり、それ故にこそ伝統英雄として描かれた關徳興版は、社会仁義と道徳の保衛者である。 後の「自由主義」的な
『酔拳』のジャッキー版や、自己の存在意義について思い悩む「後現代主義」的な徐克(ツイ・ハーク)版は、ここには居ない。ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー關徳興がシリーズを開始した年齢(1905年生まれの關徳興はこの時44歳)も影響しているが、銀幕に登場した黄飛鴻は最初から老成した人物として描かれていた。この關徳興のイメージが後年までついてまわり、人々の中では黄飛鴻=師傅だったのである。長きに渡って続けられたシリーズだが、5658年のピークを最後に衰退して行く。 61年を最後に一旦終わったシリーズが67年から再開されたのは、胡金銓(キン・フー)が開いた武侠片の新世紀『大酔侠』(66)が未曾有の大ヒットを飛ばしたからだ。再びアクション映画の新時代が訪れたが、老齢の關徳興による説教臭い作品よりも、より現代的でスピーディーな作品が大衆に支持されていたのだ。(『大酔侠』とその時代については
01/7/1以降の日記参照) 細々と続けられた60年代の『黄飛鴻』映画は、70年代の幕開けと共にひとつの役目を完全に終える。 關徳興のイメージがあまりにも強かったため、当時の映画界では他の人が黄飛鴻を取り上げることはなかった。だが、70年の『黄飛鴻勇破烈火陣』を最後に關徳興版が沈黙するや、黄飛鴻そのものを解体する動きが見られ始めるのだ。谷峰の悩める黄飛鴻が登場するのは73年である。ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー
『黄飛鴻/過山虎』は、誤って無影脚による殺人を犯してしまったトラウマを抱える人物として登場。新時代の息吹にも戸惑いをみせ、己を過ぎ行く古臭い人物として認識させられるのだ。黄飛鴻映画の本質を解体し、新たな局面を開いた作品として今こそ再評価されるべき作品であるが、当時は中ヒットにしかならず谷峰は一作にして降板。 ショウブラは翌年、史仲田を黄飛鴻に抜擢、後年のオリジナルシリーズを手がけた王風監督にメガホンを任せた『黄飛鴻義取丁財炮』を発表。この映画が最初に黄飛鴻の若い時を描いた作品で、「将軍令」をテーマ曲に登場(前作では使われていない)し、「丁財炮」の祭礼に勝ち抜いた黄飛鴻は、苦難の末に「寶芝林」を開設するのだ。オリジナルのイメージを大切にしつつ、若き日にスポットを当てた關徳興版・前史的作品で、後の徐克が最も参考にした作品がこの二本なのだ。 だがもはや時代は張徹(
02/7/5以降の日記参照)、ブルース・リー以後(
04/9/7以降の日記参照)である。黄飛鴻そのものが古臭いものの代表と化してしまっていたのだ。ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーそんな新解釈的な『黄飛鴻』を苦々しく思っていた關徳興は、同年『黄飛鴻少林拳』で再度復帰を試みるも、やはり観客のジャッジメントは厳しいもので、この後の關徳興は完全に後進に道を譲ることになるのだった。 劉家良の作風に最も影響を与えた「長弓電影」時代
05/3/4以降の日記参照)、張徹の始めた南派少林伝説の編纂作業は、自分のルーツを見つめ直すきっかけを与えたのだった。そしてもうひとつは「練功片」の元祖
『洪拳興詠春』である。映画そのものは張徹的浪漫暴力の彩りを加えられた復習譚であるが、従来の作品にはない丹念な練功描写の写実化に、功夫映画の歴史的原点そのものをロマンティシズム豊かに描き出す傑作として仕上がったのである。 ブルース・リーの死後、台湾から香港へと戻った劉家良が、『神打』以後を模索する鍵は、この「長弓電影」時代にあった。 功夫映画の歴史的転回点、それは『黄飛鴻』であり、それは映画人として、そして武術家としての劉家良にとってもルーツの始まりである。『黄飛鴻』をその成り立ちから描き直すという作業は、劉家良その人をいちから作り直すという作業と同義語でもあった。こうして「少年・黄飛鴻」を描く物語が誕生、当初『陸阿采』というタイトルだった作品は、『陸阿采興黄飛鴻』へと改題されていくのである。ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー
続く