旧myroom(香港電影的日常 '01/2/17〜'06/1/29)より移転。

 香港映画を中心に語っていますが、基本的には何でもアリです。
 なお日記に記載の内容は、無断転載、転用はお断りいたしております。ご理解下さい。(by fake)

 ・・・・あと、リンクもフリーではないんです。すんませんなぁ。

旭 [2005年06月14日(火)]

Name:愛香
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またまた、脈絡の無いテーマがごった煮の書き込みでございますので
本日もよろしくお願いいたします。

>スクリーンには確かに菱見百合子さんが出ていましたが、
>そのとき上映されていたのは『好色元禄マル秘物語』でした。
>私が清純派という言葉を人生から消却したのはこのと
>きからでしたよ。

幼い時期に悟っちゃっいましたね。
アンヌ隊員を演じていたのが菱見百合子という女優だと知ったのは
10代の半ばだったと思います。その後、様々な映画のデータを見るにつけ非常に多くのジャンルで活躍されていたことを知り、中にはお色気系の作品にも出演されていたことを知り少しばかり驚いたものです。
小学生時代、こっそり見ていた「プレイガール」にも出てたことも意外でした。近々、丹波哲郎とひし見ゆり子の「ポルノ時代劇/忘八武士道」を借りようかと思っております。2作目は池玲子出てますし。

>サンドラ・ジュリアンのはバカバカしくて子供でも面
>白かったですね。時代劇としては東映作品は他の髷物ポ
>ルノを圧倒していますね。大蔵映画やにっかつには無い
>ノウハウがありますから。

大人から子供まで楽しめるエンターテイメントな作りとは、さすが則文ですね。東映の凄いところは、ジャンルがポルノでもセット、衣裳、メイク、カメラワーク、脚本、俳優の演技が「時代劇の東映」と唸らせるだけの職人魂にあり、これは当然公開当時から評価されていた事だと想像してます。

>東京だと上映会などで見れるのではないですか?この
>作品だけは劇場で見て欲しいですよ。私は昭和40年代の
>封切りから、50年代、60年代、平成と都合四度このシリ
>ーズを劇場で見ていますが、いつの時代でもこれほど爆
>笑している映画は他に存在しませんよ。あの一体感だけ
>はビデオでは味わえないはずです。ビデオだと絶対にこ
>の映画の魅力が半減します。最近の上映ではビンセント・
>ギャロの『バアッファロー66』と同時上映で、ギャロ目
>当てにきた婦女子全員を笑いで悶絶させていた姿は圧巻
>でした。

予定外の観客まで、その場で取り込んでしまうとは、本物の傑作と言えるのではないでしょうか。ちなみに昭和の封切時でも、やはり大爆笑でしたか???残念ながら東京方面では、そういった小粋な映画館が減少している模様ですよ。目を付けてた遠くのレンタル店にも置いてないし、いつ見れるのかな。それにしても、このシリーズ、空手映画の依頼が来ないように石井輝男が滅茶苦茶やった結果大傑作になったようで、そんな裏話も微笑ましくなってきます。


>シリーズとしては低調でしたが、当時、資生堂のキャ
>ンギャルやっていた小野みゆきが好きでしたので。個人
>的にはラッキーでしたね。

世良公則が「燃えろ、いい女」と眩し過ぎる(というか、クドい)
ボーカルで盛り立てていたCMでした。
同じ年には「戦国自衛隊」の出演もありました。


>『笑拳』くらいからジャッキーがメインになりましたね。
>同時上映は館ひろしの『薔薇の標的』、『拳精』は金田賢一
>の『不良少年』、明らかにジャッキーの方が格上でした。

東映セントラルの・ハードボイルド路線の「薔薇」・・・
あの当時の館ひろしが完全主役では厳しく感じました。
「気を付けろ、今度の標的は・・・BABY、お前だ」って精一杯洒落た
コピーなんかも、カッコよく思えませんでしたねぇ。
「不良」の方は、そこそこ面白く見た記憶があります。
そんな丸の内東映では、観客にどちらを見に来たか、一応アンケートを
取っておりまして、とりあえず「拳」という響きはあちこちで聞かれました。


>そんな時期にリバイバルがあったんですか。私は『帰って
>来た』は『復讐のドラゴン』と一緒でしたね。封切りだったと
>思うんですが、これは『復讐』の方が封切りだったのかな?

74年当時、ブルース・リー作品と「ドラゴン世界を征く」以外は
劇場で見てないのです。やはり東映の映画館で
イナズマンF(フラッシュ)とか熱唱しているのが関の山だったのです。バカだったので。そういえば「帰」と「復」は松竹富士の配給でした。fakeさんの地元での「復」封切りには、先に公開された「帰」と併せて「ドラゴン」と「倉田」で統一したマーチャンダイジングだったのかな・・・と深読みもしてみました。
リバイバルは82年で何故か東映配給でした。観客層は、泥酔者か(クソ)ガキにもかかわらず飛び蹴りとギャグは反応が良かったですよ。


>いえいえ。(笑) 羅維はやっぱり凡庸ですよ。彼に鈴木則文
>ほどの才能があればリーとも喧嘩せず、ジャッキーにも逃げら
>れなかったんじやないかな。

二人とも職人監督なのこうも違うと、羅維のキャリアというのは
何だったのがろうかと・・・ショウブラ時代も非常に心配です。
成龍は置いといて、李小龍の場合はスターとしての資質を
考えると、凱旋帰国してからは監督に恵まれませんでした。
そして羅維が不甲斐無いから、自己で編導した「猛龍過江」にしても、
冷静に見ると五十歩百歩ですし。

>こっちはちょっとやりすぎではないか?と思いました
>けどね。あと劉家良にとって初めてでしょ、ショウブラ
>のスタジオ出て撮ったのは。同時期の他の監督の現代劇
>に比べて今イチ練れてないんですよ。

私の場合は現代劇というより、従来は過去を設定とした
功夫片を現代の香港を舞台に置き換えたら、そして、
功夫の封建的側面を排除し、現代的手法で弟子を獲得
しようと奔走する恵英紅と劉家良達、というアプローチが
よく出来ていると思いましたが、練れてませんでしょうか?
「悪漢探偵」も含めて、他にも喜劇的要素を持つ映画はありましたけど
コメディとしても「掌門人」の方がはるかに上に思えましたし。
ちなみに「掌門人」は83年の作品と表記されることがあります。
しかし、ジョン・ラダルスキーから買った南国電影(80年です)の裏面にはポスターが掲載されていました。実際、公開された時期はいつなのでしょう?

>作品には凡庸なのも多いですが、私は嘉凌にはそれが
>出来ていると思いますね。女性としての好き嫌いはある
>と思いますけど。

嘉凌は思いつきませんでした。彼女に関しては小学生のときテレビ放映された「仇」を見たきりです。チョップソッキ系ビデオの「仇」の予告編や幾つかの写真を見た程度でございますので、まあ知らないようなものですし、本音としては、その時魅力は感じられませんでした。
しかし、そんな断片的側面で判断しては何の進展もございませんので
もっと見てみるべきなのでしょう。凡庸な作品という枕詞が気になりますが。

女性的魅力を持った女優なんて書いておきながら忘れておりました、
功夫専門の女優ではないものの「霹靂十傑」の李麗華はビジュアルも魅力的で女性らしい殺陣をしておりました。

>実戦論から言えば、カウンターのストッピングに限っ
>ては猫パンチも有効ですよ。(笑)


それはいけません。それで修行が成就してしまったら、
それ以上、恵英紅とイチャイチャできないし、入浴中の羅烈を急襲しなくてはなりません・・・・


さて、話に割り込んで申し訳ございませんが、日本における香港映画の旧世代の負の遺産ですけど、現在、香港で傑作、佳作があったにしても、受け手の感受性が欠落していれば、暖簾に腕押しのようなものでしょうね。私も旧世代の人達と同様の体験もして、負の遺産を所有していたこともあっても、そんな遺産を払拭したとき、変な拘りが無くなり
世界観が広まって香港映画を見ることが一層楽しくなりましたけどね。

私は「負の遺産」とは自己の思い出に由来するフェチズムと解釈しておりますが、その思い出抜きに旧世代のファンが現実に立つのは難しいような気がします。その反面、新しい世代(と思われる)人が昔の作品やショウブラザース作品を詳細に、それも香港映画以外の知識も兼ね備え分析しているHPがあったりして、若い世代の柔軟性には舌を巻いたりすることがあります。

そして現実に向き合ったので、2ヶ月前に「胡蝶」という映画のDVDを購入したしました。この映画は麥婉欣という女流監督がレズビアンをテーマにしたインデイーズ系の作品で、何儀超と田原が主演しております。切なくも耽美なストーリーと自然光を生かした映像に8ミリで撮影したショットがインサートするといった手法が新鮮な印象で、香港のインディズ系(従来の独立プロとは違うニュアンス)も油断できない予感がします。「胡蝶」は昨年の東京国際映画祭で上映され、日本でも出るんじゃないでしょうか。愛香としては是非見ていただきたい作品です。

そんな女性として素敵な作品について触れさせていただきながらも、数日前に伊東さんよりお借りした鈴木則文と小林旭の「多羅尾伴内」のケレン味にすっかり魅了されたのでした。


更新 [2005年06月14日(火)]

Name:fake
Email:episodo1@iris.dricas.com
URL:http://myroom.isao.net/room164/0000001000019164

 6/14日記更新。本日は、劉家良特集の第九弾。『洪
熙官』についてです。

 私自身はこの作品が劉家良の最高傑作であると思っ
ています。

Re:fakeさんへお知らせ [2005年06月14日(火)]

Name:fake
Email:episodo1@iris.dricas.com
URL:http://myroom.isao.net/room164/0000001000019164

>6/12にfakeさんが更新されました内容に類似する点があることをお許しくださいませ。よろしくお願い申し上げます。

 いや大丈夫ですよ。その辺はみんな誰しも思うこ
とですから。

>偶然タイミングが重なっているだけですが同時期に同じ人のレビューをやってるのも何だか面白いですね。

 そうですね。長い付き合いですがこういうのは初め
てで面白いです!いつもは被らないように遠慮してい
たりしたんですけど、今回は図らずも共作という感じ
になりましたね!

>お客様方に両方ご覧になって頂いて楽しんでもらいたいです。

 それが一番ですね。決して多くはない功夫ファンで
すから、みなでうまい具合に盛り上げていければいい
と思います。

>:「龍虎少爺」の発売が延びたかもしれません。早くほしいなー

 それは残念です。ここんとこ良作のリリースが続い
ていただけに流れを切って欲しくないですね。

ありがとうございます [2005年06月14日(火)]

Name:Eyan
Email:
URL:

fakeさん、さっそくお返事いただいて、とてもうれしいです。

>火雲邪神の最後は名場面でした。これを見た当時、本
当に手に汗握って次のVCDを入れ替えたものですよ。

わかります!私は毎晩仕事から帰ってVCD一枚ずつ観ていました。家に帰るのが待ち遠しくて・・・(笑)何度も観たおかげで、「如来神掌」「火雲邪神」「第九式」などの単語は広東語発音できるようになっちゃいました(笑)

>「六鼎古廟」=「萬朝古廟」
実は私もつい最近劇場でチェックしたんです。思わず膝をうちました!この場面は曲も曲入りのタイミングも、廟の看板?を映すカメラアングルも全く同じなんですよ。
私、本当に「カンフーハッスル」が好きで好きでたまらず、いまのところ劇場に19回、香港電影節の野外上映(「精武門」とカップリングの"功夫狂熱夜"!)を1回観に行ってるんです。功夫バカです(笑)。どうしても劇場のスクリーンで観たいので、DVDは買ってるけど観ていない・・・。

>ショウブラ版のレヴュー
読ませていただきました。監督の黄泰來が「摩登」と同じだったんですね!それと東島長離も、言われてみれば確かに羅烈ですね。この役と石堅の鐵面修羅は私もすばらしいと思いました。ただ火雲邪神がずいぶん若い設定なのが、私にはどうも違和感があって。特撮も、オリジナルの素朴な技術(あれは直接フィルムにペインティングしたらしいですね。BSの「香港映画のすべて」で紹介されてましたね)にあまりに愛着を感じていたからか、がんばってるとは思ったんですが、心に響くものはなかったですねえ。

でもfakeさんが仰るとおり、「定型娯楽」つまり誰でも知ってる原型的なお話というのを大切にする文化は、映画でも小説でも何でも豊かなものを生み出し続けられるんだと、改めて納得しました。香港映画を急激にたくさん観るようになって以来、私もずっと感じていたんですよ。日本の「定型娯楽」って何でしょうね?私は不勉強で「忠臣蔵」くらいしか思いつかないんですが・・・。でも私に子供ができたら、「如来神掌」は絶対に見せますよ。

>他に曾江版やTV版の『如來神掌』もあるようです。この作品は本当に面白いので、いつかは比べてみたい
とても楽しみです。ぜひお願いします。

>シンチーは基本的に続編は作らない人
そうなんです。実は正直な所、「2」は作ってほしくない気持ちもあるんです。続編の意義があるのかなあと思ったり。「少林足球」の時も続編を作る作ると言いながら結局「功夫」になった訳ですし。しかしカンヌ映画祭でコロンビアの制作が「2」についてコメントしていたらしく、年末には撮影開始なんていう話もあって、どうなるかわかりません。もちろん、もしシンチーが「2」を作りたいのであれば、私は全力で応援しますけれどね。私の心の師父ですから^^

>シンチー特集(02/5/131,05/1/531)
05年分は、昨夜読ませていただきました。02年分も読んでから、拙い感想など書かせていただきます。ひとつだけとてもうれしかったのは、「審死官」の内容を細かく説明くださってたことです。かなり入り組んだ裁判劇なので、特に後半の裁判の内容があまり分かってなかったんです。ありがとうございました。


Re:極私的『香港国際警察』 [2005年06月14日(火)]

Name:fake
Email:episodo1@iris.dricas.com
URL:http://myroom.isao.net/room164/0000001000019164

>はい…でも、タケノコとか冬眠から覚めたカエルじゃないんですから(笑)。
>まあ…こちら的には同じようなものかな。それこそ長く"潜ってた"ようなもんでしょうし(苦笑)。

 ネット上ではそういう扱いになりますよ。(笑) もうひ
とりのカエルはどうしたものか・・・・。
 
>うーん、自分で言っといて考え込むのも甚だ無責任ではあるんですが、私的にはザックリと過去10年という意味合いで使いました。
>本音はですね、『雙龍會』以降って言う風に括りたかったんですよ。

 それだと自分なら『奇蹟』以降になりますかね。ジャッ
キーが全部を自分でコントロールした香港ロケの香港映画
の最後は『奇蹟』だった。それに香港において、この89年
以前と以降は随分と意味合いが違いますし。

 伊東さんの言わんとすることもわかりますよ。香港映画
全体も考えるなら、『雙龍會』頃のジャッキーの置かれて
いた状況というのはちょっと面白いものでもありましたし。

>ジャッキーのトータルな"映画人"としての才能とキャリアにヨーロッパ的な繊細さと捻り具合が加われば結構無敵という気はします。
今のハリウッドで大人も本格的に愉しめる作品を産むのが無理であれば、ヨーロッパでってのはありだと思います。

 比較対照にされがちなジェットの作品に満足がいくか?
というのはありますけども、彼のフットワークの軽さは
作品の目先を変えるのには成功していると思います。
 言葉は悪いんですが、ジャッキーの場合いつもジャッ
キーで、それ自体はジャッキー・チェンという俳優にと
って最優先事項なのも解っています。でもジェットが、
あれだけ統一感のない作品選びの中で、ジェット・リー
という立ち位置を崩していないのを見れば、ヨーロッパ
映画におけるジャッキーというのは見てみたい気がしま
すね。

>ジョニー・トゥや無間道系列ではない形で、批評家や一般層に自身を真の映画人として記憶させていくかがジャッキーの今後のテーマだと感じますし、実際そう動いてって欲しいなと思います。

 十分伝説としての存在感は持ちえているんですがね。
 一度客演でアクションも何もしない役を演じてみたり
とか・・・・出来ないかなぁ?

>『無間道』は長年香港映画をさげすんできた批評家層を打ち破る展開を見せたことは事実ですが、やはり"香港映画=バカ"という偏見はまだまだ拭い去れてないのが現状で、それをもっとも説得力ある形で払拭してみせられるのはジャッキーしかいないんじゃないかって気はします。

 "香港映画=バカ"という偏見は旧世代の負の遺産で
すね。王家衛世代の香港映画ファンはむしろ知らない
でしょう。この知らないというのも不幸なことで、若
いファンとは二重の意味で断絶があるんです。
 まず旧世代のファンがこの現実に立たねば。

>日本でもうピーカブー路線はよしましょうよと毎回見るだび複雑な思いにかられます。でも…コレ本人もしっかり愉しんじゃってますからねえ(笑)

 映画の中で全部がコレだとね。そういうのも多いん
ですが、シリアス・タッチにしてみたり、一発で倒し
たりと緩急をつけることはしてもいいはずです。

>ただその時共演することによって、彼らの個性を潰しかねない部分が当時のJCにはまだ残ってた気がするんですよね。

 共演の方法はあったはずですよ。それで潰れるなら
彼等の個性もそれまでだったということですよ。イー
キン、アーロン、小春、サム・リーetcそんなにやわな
連中じゃないでしょ。

>大分前(といっても昨年ですが)に李sirの『公僕』をやっと見たんです。まあ、要は『プロジェクトA』と同時期にこういう映画が撮られてたんだなと。

 意外にじみな作品ですよね。ジャッキーにこれを
やれというのは酷だと思いますけど、李修賢は毎回刑
事役であることには躊躇いは持っていませんよね。ジ
ャッキーだっていつも刑事でも構わないと思うんです。
要はその刑事でどう物語を作るのか?が一番大事な点
であって。今回の『香港国際警察』は『ポリスト』のシ
リーズとは切り離したことで、ひとつの足枷は外れた
ような気がするんです。 

>fakeさんは日本公開版と香港版どちらがお好みですか?
>私は日本公開版のみしか見てないですけど、やはりどこか奇妙な味のする映画だという思いは今のところ不変ですね。

 私も日本版しか見ていないです。これサモが監督した
は台湾映画ですよ。日本の資本投下により日本公開を睨
み、台湾での公開も視野に入れた当時の台湾向けテイス
トも混ぜ合わせた混血児でしょ。当時の香港映画らしく
ない奇妙な映画です。

>ンムフフフ。お待ちするとしましょう。

 ニコラスについてはDVDで再確認後ということで。

>JCが彼らのキャラを描ききれてなかったのか? うーん、どうでしょうねえ…。

 描ききれていないといえば言えます。これは当時のジ
ャッキー作品が共通して抱えていた問題点ですよ。高度
なアクションシークエンスの構築を維持するには、日頃
から一緒にトレーニングしている仲間とでなくては不可
能。それは確かですが、この時期のジャッキー作品は明
らかに顔ぶれのマンネリ感から新鮮味を失っていました。
顔合わせの新鮮さの大切さは『ゴージャス』や今回の作
品が証明したでしょう。

 彼等のキャラはちゃんと描けていると私自身は思って
います。が、同時に彼等は成家班にしか見えないとも思
っているんです。

>まあ地方でのロードショー激減は予断を許せぬネタではありますね。全盛期とはいかぬまでも何とか全国ロードショーのレベルは保ってほしい名とは思いますが…。

 見る機会を奪われてはねぇ。『トレース・・』はもう
この辺での上映は諦めているので関西地区まで遠征に出
かけなくてはなりません。でも小中学生にそれは出来ま
せんものね。

>日本じゃ壮絶にコケた『ツインズエフェクト』のパート2が、今回のヒットの余波で劇場にかかればなと思ってるんですがね。噂ではダメダメらしいですけど、どうダメなのか確認したいんです(苦笑)。

 『ツインズ』はこちらではとうとう上映してくれませ
んでした。『2』があるなら『1』もやってくれそうで
期待しているのです。その望みが費えるまではDVDの封は
切らないつもりですよ。やはり劇場で見たいですから。

劉家良(9) [2005年06月14日(火)]

劉家良(9)ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー鐵布杉は「少林寺七十二芸」にあるとされる伝説の技だ。気功により全ての穴道を塞ぎ、敵の物理的攻撃から身を守る鉄壁の防御技である。功夫ファンには『太極元功/ドラゴン太極拳』の黄家達(カーター・ワン)を思い浮かべて貰えば判り易いか。 功夫映画にはしばしば登場するもので、そもそも方世玉が鐵布杉使いという設定であるし、『鷹爪鐵布杉』などから、『少林足球/少林サッカー』の三師兄(田啓文)にまで及ぶ。 実際の気功術の映像は皆さんもご覧になられたことがおありだろうが、鍛錬によって急所を塞ぎ、打撃に対する耐性をつけることは現実に可能である。だが、映画で見るようにお互いに攻防の凌ぎあいを繰り返す中、穴道を塞いで身を守るということは不可能であろう。ゆえに鐵布杉は功夫映画最大のファンタジーであり、劇中これを破ろうと試みる主人公側との攻防は、観客と製作者側に存在する相互信頼関係の上に成り立った「ゲームの規則」である。ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー『神打』で神打術の迷信性を暴き、『陸阿采興黄飛鴻』でトレーニングの写実性にこだわった劉家良が、監督三作目にして挑んだのがこの鐵布杉伝説なのである。 『洪熙官』は南派少林英雄傳の登場人物にして洪家拳創始伝説の源流の物語である。劉家良が受け継いだ洪家拳の系譜は、父・劉湛−林世榮−黄飛鴻−林福生−鐵橋三−洪熙官に行き着く。これが伝説であるかは事実であるかは別として、『陸阿采興黄飛鴻』の更に前の段階へと話を遡るのは彼にとって必然でもあった。それが証拠に『洪熙官』の次に手がけたのが、更に前の段階へと遡る『少林三十六房/少林寺三十六房』であるのも肯けるであろう。 映画『洪熙官』は一部伝説を継承しつつも、映画独自のオリジナリティ溢れるストーリーを展開する。清朝による少林寺焼き討ちをナレーションで語り、そのイメージを赤バックによる至善禅師(李海生)VS白眉道人(羅烈)の闘いで集約してみせる。ここがOPクレジットで、ヨーロッパの海賊版からはカットされていた場面だ。中盤の三節棍使い(劉家良)VS洪熙官(陳觀泰)と共に、今回「天映娯楽」版で復元されたものである。いつもはカット問題がクローズアップされがちだがここは褒めておかなくては!ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーOPの白眉道人の闘いぶりで鐵布杉の特性と得意技を説明、至善禅師が殺されることで本編のストーリーに巧く繋げている。焼き討ちを実行したのは少林叛徒・高進忠(江島)、逃げ散る少林門徒を執拗に追い詰めて行く。少林派の精神的支柱である洪熙官を捕えることが至上命令だが、童千斤(劉家輝)の犠牲によって窮地を脱出。映画は逃げ延びた少林門徒が役者に身を隠し、船で移動する劇団に紛れて反清運動を続けたことが語られるが、これは歴史的事実である。洪門会などの反清復明運動家は、紅船戯班という移動劇団に身をやつしていた。 旅の途中で方詠春(李麗麗)と出会い、ふたりは結婚。方世玉の姪だとか、詠春拳創始伝説の嚴詠春と同一人物だとか、後に白鶴拳創始伝説に関わる方七娘に鶴拳を教えたとか、はたまたその母親だとか、伝説も多岐に渡る人物だ。この映画では鶴形拳の使い手で、洪家拳に伝わる虎鶴雙形拳の成立に一役買う。 虎形拳の洪熙官と鶴形拳の方詠春はそれぞれ別の流派を祖としているため、夫婦の間では武術交流はしないという約束が。それでもお互いの武術に自信のあるふたりは、新婚生活がギクシャクするという微笑ましい描写がある。この延長線上に『中華丈夫/少林寺VS忍者』の劉家輝と水野結花夫婦がいるのだ。ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー白眉道人の弟子であり、武當派の勢力を増すために清朝に仕える高進忠は、紅船戯班の無差別殲滅を指示。危険を感じた洪熙官らは散開して身を隠した。洪熙官夫妻に従うのは弟弟子の小胡(鄭康業)だけだ。 ふたりの子供・洪文定(少年時代は子役、長じては汪禹)も生まれたが、亡き師・至善禅師の仇を討つべく白眉道人を標的に特訓する洪熙官は、一度目の挑戦で鐵布杉の恐るべき威力を目の当たりにする。窮地を救ったのは小胡であった。鐵布杉は午後1時から3時まで穴道が開くため、その間に弱点を捜して倒さなくてはならない。洪熙官に対策を伝えて小胡は息耐える。逃げ延びた洪熙官、小胡の死を聞いて早く大きくなりたいと叫ぶ洪文定。 父の方針で今のところ母からしか技を習っていない洪文定だが、最近はその技には磨きがかかっていた。洪熙官は鐵布杉を破るべく人体模型を標的に特訓を繰り返す、その傍らには時間を示す日時計が置かれている。この人体模型がリアリスト劉家良からの鐵布杉への回答である。ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー従来の映画では気功とか穴道だとかは言葉で示されるもので、要するに無敵の鐵布杉とその弱点探しは、闘いの場面で示されるのを見せられるのみである。この人体模型は打撃の衝撃で、頭部から血流の溝に沿って玉が転がり落ちる仕組みとなっている。これが白眉道人が穴道を塞いで行く順番を絵的に見せるギミックであり、同時に洪熙官の攻撃すべき手順を表わしているのだ。玉にはひとつだけ印が施してあり、落ちて行く玉を正確に突いたことが、すなわち弱点を突いたことになるのだ。 この描写は秀抜である。ここまで合理的に鐵布杉を解説して見せ、なおかつそれを言葉ではなく映像で、それも功夫の練功描写の中で見せられるというのは尋常ではない。ここに至って何故、劉家良が鐵布杉というファンタジーに挑んだのかも解ろうというものだ。 この特訓から手応えを得た洪熙官は、再び白眉道人へと挑戦に赴く。だが方詠春は、夫の技では倒せないであろうことは薄々承知していたのだ。穴道を突くには五本指の虎形拳よりは、自分の鶴形拳の方が有効である。今にして武術家同士の夫婦の約束事が恨めしい。涙で見送る母の姿に、事情を悟った洪文定が父を追いかける。ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー父に協力を申し出る洪文定に「お前のは匹夫の勇だ・・・」と嗜める。そういう洪熙官も、今回の挑戦が自分の自己満足に近いものであることを吐露する。「それでもやらねばならんのだ!・・・母さんを頼むぞ!」 二度目の挑戦は時間との闘いでもある。午後1時から3時まで、これが穴道が開く時間帯なのだ。血流の動きに合わせて、ピンポイントで攻撃を仕掛けてくる洪熙官に戸惑う白眉道人。午後3時、顔面と股間に防御を集中する白眉道人に攻撃を加えるも、股間への攻撃を受け止められてしまった。「急所を読み違えたな!」不敵に笑う白眉道人。洪熙官の脚をへし折ったのは至善禅師を倒したのと同じ技だった。力尽きる寸前、洪熙官は高進忠を道ずれにし、武當派と清朝の連携を断ち切ったのがせめてもの抵抗であった。 帰ってこない父を待ちわびる洪文定。その死を確信する母から、父の虎形拳を学べと指導を受ける。「でもどうやって?母さんは知らないんでしょ?」「秘伝書を残しているのよ」ようやく父の荷物から探し当てた秘伝書だったが、鼠に齧られてところどころが読めない。ここにきて洪文定の役が汪禹であることが生きてくるのだ。ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー『神打』を振り返ってもらいたい。彼が同作で演じた人物が、後のコメディ功夫に繋がる現代小子片(張徹の小子片との区別のため便宜上こう記す)の元祖である。それは汪禹自身によって『功夫小子』によって繰り返されたし、サモ、ジャッキー、『無名小卒/Mr.ノーボディ』を経て、シネマシティに代表される80年代香港喜劇へと繋がる。ドライで計算高く、抜け目ない現代っ子であり、多分に資本主義的である現代小子片の主人公たちは、正統派ではない強みからか、生き抜くための要領だけは良い。鼠に齧られた秘伝書を解るところだけ習得し、残りは母の鶴形拳で補完するというアイディアは、この時代"神打小子"たる汪禹にのみ許されるものだ。この合理主義により生み出された虎鶴雙形拳を引っさげ白眉道人へと挑戦した洪文定は、虎と鶴を使い分ける攻撃に戸惑う白眉道人の隙を突き、子供の頃に父に甘えていた時の遊びからヒントを得て積年の怨みを晴らすのだった。 この映画には功夫映画につきまとう超人幻想、南派少林寺伝説の伝奇性というファンタジーと、劉家良の合理主義というファクターが有機的に結びついている。この時点で劉家良は功夫映画史上、最も偉大な監督のひとりとなった。『洪熙官』はそう言わせるだけの傑作なのだ。ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー続く 
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