ツバメしゃんと酔いどれ猫 [2005年06月15日(水)]
Name:邪亜邪亜
Email:
URL:
どうも!
>実は金燕子は妹だったのだ・・・。
『大酔侠』の解説、大変ありがとうございます。
金のツバメ(字幕)さんの宿に賊が襲撃を掛けた件から観たもので、
人物関係がちょっとわからなかったもので・・・。
>その他の情報は01/7/130までの特集でどうぞ!
これもありがとうございます。作品背景が理解出来ました。
師父も触れていますが、ツバメさんと酔猫さんが結ばれてメデタシメデタシという、
展開かと思ったら、すかされました(笑)。
しかし、日記の執筆時が『グリーン・ディスティニー』の頃だったとは。
月日の流れは、早いですな・・・。
>この時代の作品を並べると、『大酔侠』以前と以後で
随分と違うのが良く分かります。
エポックメイキング的な作品なんですね。
ラストの酔猫の決闘シーンは、やはり『用心棒』を想起しました。
>やっぱりアミダラの・・・なんてことはありませんが、
デジタル版に違いはあるんですかね?
どうなんでしょうか。
前回も結局、ルーカスの気に入らない箇所を微妙に修正したいがための
バージョンだったようですね。
またDVDでもイジるんでしょう。
>『Mr.B00』と『マリー・メンダム/SEXマシーン』とか、
>『シンドバッド黄金の航海』と『ダーティマンション・痴情』の
>ファンキーな組み合わせがありまして・・・
それはファンキー過ぎますね(笑)。
>原作に忠実だとするとやはり承知の上でやったのか。
CEはインタビュー等では「こんなに大きく論議になるとは・・・」
等、トボケてますが、私は確信犯的だとは思っています。
ただ以下は、個々の記事からのあくまで私の推察ですが。
当初は脚本家のポール・ハギスから脚本を送付しても、
CEからの返事がなかったといいます。
かなりの量の企画がオファーされるから、全部にいちいち目を通していないと
思うのですが、あとで偶然に目を通してから、
製作者サイドより、まず先にモーガン氏に電話して、
「どうよ?」と尋ねて、モーガン氏が「いいとも!」と言ってから、
重い腰を上げたらしいんですよ(笑)。
脚本は、60ページぐらいの表題作と、そしてもう一編のデンジャーが主人公の物語をミックスした
脚色なんですね。
原作では、あまりフランキーとマギーの絆は映画ほどエモーショナルに描かれてはないですから、
脚本を気に入ってから、改めて原作を後で読んだ気はします。
ついでに書くと、主人公がアイルランド系であることは原作では強調されず、
また教会へも、クライマックスに相談する以外は、行ってないんですね。
脚本を一切リライトせずにそのまま撮影したそうなので、脚色上で人種の背景、宗教的側面が強調されていることは十分承知の上で臨んでいるといえるでしょう。
>彼のような人間はただのワインオタですよ。
まっとうな趣味であれば、母親に金貸してとキチンと頼めるのでしょうが、
何か後ろめたさがあるんでしょうね。
「ワインより再婚しろよ」とか説教されるのがイヤで。
>『シュミット』は見ていないんですが
仕事一筋の男が退職後、妻に先立たれて孤独感に襲われるという表の筋を、
日本の配給会社が巧く“癒し系”の映画に仕立てていましたが、
実際は、それまでの自分が実にイヤな人間であったかを痛感するというのがミソなんですね。
娘にもどうして嫌われているかをわかっていないのに、仲を修復しようと奮闘して空振りに終わる、
「MDB」の主人公を180度変えた、ダメ親父の物語です(笑)。
>映画の字幕に追いつかないなどという馬鹿な統計も出ているようです。
>その統計によれば何年か先には字幕版の公開は無くなって
しまうのでは?とのこと。
そうなんですか。
吹き替え版ばかりにすれば、なおさら字幕を読む能力が落ちるのでは?
巷では、ナッチの意訳が「作品世界を損ねる」との理由で糾弾されてますが、
それも、どうかなと思うのですよ。
確かに意訳の数々をネタとして楽しむというのはアリだと思うのですが、
彼女は映像自体に手を入れてるわけではないのですから。
個々の会話のニュアンスが違って間違った解釈を与えるという指摘もありますが、
見る側が物語の筋とキャラクターの特性をキチン理解していれば、そう極端には誤解は
ないと思いますよ。
結局、吹き替え版にしたところで、わからない人はわからないというか(笑)。
>ドラマチックであることを否定していたら映画や小
説はその存在意義そのものが根底から崩れますよ。
『MDB』は、ひとつの寓話として見れば、それほどヘビーな物語ではないと思いますが、
それほど、重く受け止めてしまうのは、日本の映画やテレビに「贖罪」モノがないというのも原因なんですかね。
『ミスティック・リバー』は「飢餓海峡」だし、
『MDB』は『冬の華』いや『愛と誠』ですよ(全然違うって・笑)。
>『ワイルドギース』に次ぐ名場面
あれも最後で、R・ハリスが残された子供のところに近寄るけど、
カメラは遠くから撮っていて、セリフがないまま、
2人は去って行っていくでしょ。
余韻がありますよね。
今の時代なら、子供がワアーと泣き出して、熱く抱擁するハリスでジ・エンドですよ(笑)
>そうでした!ちゃんとストーリー上の合理性があったんだ。
あの刑事、病院でHしてただけなんですけどね(笑)。
>・・・一部の批評家がそうしているのをなぞっているだけ
>・・・バカ映画なんかはわざわざ見には行かない
なるほど。
分析どうもありがとうございます。
結局は、批評を前提として、あまり観たくもない作品を無理して観るから、そういうことになるんでしょうね。
あと、私が思うのは、映画のジャンルを全部ひとつのカテゴリーに入れて判断する傾向が強くなっている気がするんですね。
前に『ラブ・アクチュアリー』のある批評で、各エピソードが全部似たようなハッピーエンドになるのはつまらない、というものがあったのですが、そもそも向こうのクリスマス・シーズンに公開されているお気楽な娯楽作品で暗いエンディングになるわけがないし、その製作会社の過去の作品群は、主にラブコメ作品であることを考えていない。
ひとつの「お約束」の中でいかに楽しませているかが評価のポイントであって、エンディングが明るいor 暗いというのは、作品の良し悪しとは全く別物だと思うのですが。
>権力からの自由と人間の尊厳への挑戦が、脱獄という行為のメタ
ファーとして隠されていること
『パピヨン』もそうでしたね。
『ショーシャンク』というより、S・キングの原作の長編映画は、
必ずイヤな悪人を不必要に出して、間接的に成敗させる筋が好かんのですよ。
脱獄して、“してやったり”というシンプルなカタルシスで良いと思うんですけどね。
そんなわけで、また長文になりましたので、
次回は、「クローサー」は「最後の恋の始め方」などを。
ではでは。
Email:
URL:
どうも!
>実は金燕子は妹だったのだ・・・。
『大酔侠』の解説、大変ありがとうございます。
金のツバメ(字幕)さんの宿に賊が襲撃を掛けた件から観たもので、
人物関係がちょっとわからなかったもので・・・。
>その他の情報は01/7/130までの特集でどうぞ!
これもありがとうございます。作品背景が理解出来ました。
師父も触れていますが、ツバメさんと酔猫さんが結ばれてメデタシメデタシという、
展開かと思ったら、すかされました(笑)。
しかし、日記の執筆時が『グリーン・ディスティニー』の頃だったとは。
月日の流れは、早いですな・・・。
>この時代の作品を並べると、『大酔侠』以前と以後で
随分と違うのが良く分かります。
エポックメイキング的な作品なんですね。
ラストの酔猫の決闘シーンは、やはり『用心棒』を想起しました。
>やっぱりアミダラの・・・なんてことはありませんが、
デジタル版に違いはあるんですかね?
どうなんでしょうか。
前回も結局、ルーカスの気に入らない箇所を微妙に修正したいがための
バージョンだったようですね。
またDVDでもイジるんでしょう。
>『Mr.B00』と『マリー・メンダム/SEXマシーン』とか、
>『シンドバッド黄金の航海』と『ダーティマンション・痴情』の
>ファンキーな組み合わせがありまして・・・
それはファンキー過ぎますね(笑)。
>原作に忠実だとするとやはり承知の上でやったのか。
CEはインタビュー等では「こんなに大きく論議になるとは・・・」
等、トボケてますが、私は確信犯的だとは思っています。
ただ以下は、個々の記事からのあくまで私の推察ですが。
当初は脚本家のポール・ハギスから脚本を送付しても、
CEからの返事がなかったといいます。
かなりの量の企画がオファーされるから、全部にいちいち目を通していないと
思うのですが、あとで偶然に目を通してから、
製作者サイドより、まず先にモーガン氏に電話して、
「どうよ?」と尋ねて、モーガン氏が「いいとも!」と言ってから、
重い腰を上げたらしいんですよ(笑)。
脚本は、60ページぐらいの表題作と、そしてもう一編のデンジャーが主人公の物語をミックスした
脚色なんですね。
原作では、あまりフランキーとマギーの絆は映画ほどエモーショナルに描かれてはないですから、
脚本を気に入ってから、改めて原作を後で読んだ気はします。
ついでに書くと、主人公がアイルランド系であることは原作では強調されず、
また教会へも、クライマックスに相談する以外は、行ってないんですね。
脚本を一切リライトせずにそのまま撮影したそうなので、脚色上で人種の背景、宗教的側面が強調されていることは十分承知の上で臨んでいるといえるでしょう。
>彼のような人間はただのワインオタですよ。
まっとうな趣味であれば、母親に金貸してとキチンと頼めるのでしょうが、
何か後ろめたさがあるんでしょうね。
「ワインより再婚しろよ」とか説教されるのがイヤで。
>『シュミット』は見ていないんですが
仕事一筋の男が退職後、妻に先立たれて孤独感に襲われるという表の筋を、
日本の配給会社が巧く“癒し系”の映画に仕立てていましたが、
実際は、それまでの自分が実にイヤな人間であったかを痛感するというのがミソなんですね。
娘にもどうして嫌われているかをわかっていないのに、仲を修復しようと奮闘して空振りに終わる、
「MDB」の主人公を180度変えた、ダメ親父の物語です(笑)。
>映画の字幕に追いつかないなどという馬鹿な統計も出ているようです。
>その統計によれば何年か先には字幕版の公開は無くなって
しまうのでは?とのこと。
そうなんですか。
吹き替え版ばかりにすれば、なおさら字幕を読む能力が落ちるのでは?
巷では、ナッチの意訳が「作品世界を損ねる」との理由で糾弾されてますが、
それも、どうかなと思うのですよ。
確かに意訳の数々をネタとして楽しむというのはアリだと思うのですが、
彼女は映像自体に手を入れてるわけではないのですから。
個々の会話のニュアンスが違って間違った解釈を与えるという指摘もありますが、
見る側が物語の筋とキャラクターの特性をキチン理解していれば、そう極端には誤解は
ないと思いますよ。
結局、吹き替え版にしたところで、わからない人はわからないというか(笑)。
>ドラマチックであることを否定していたら映画や小
説はその存在意義そのものが根底から崩れますよ。
『MDB』は、ひとつの寓話として見れば、それほどヘビーな物語ではないと思いますが、
それほど、重く受け止めてしまうのは、日本の映画やテレビに「贖罪」モノがないというのも原因なんですかね。
『ミスティック・リバー』は「飢餓海峡」だし、
『MDB』は『冬の華』いや『愛と誠』ですよ(全然違うって・笑)。
>『ワイルドギース』に次ぐ名場面
あれも最後で、R・ハリスが残された子供のところに近寄るけど、
カメラは遠くから撮っていて、セリフがないまま、
2人は去って行っていくでしょ。
余韻がありますよね。
今の時代なら、子供がワアーと泣き出して、熱く抱擁するハリスでジ・エンドですよ(笑)
>そうでした!ちゃんとストーリー上の合理性があったんだ。
あの刑事、病院でHしてただけなんですけどね(笑)。
>・・・一部の批評家がそうしているのをなぞっているだけ
>・・・バカ映画なんかはわざわざ見には行かない
なるほど。
分析どうもありがとうございます。
結局は、批評を前提として、あまり観たくもない作品を無理して観るから、そういうことになるんでしょうね。
あと、私が思うのは、映画のジャンルを全部ひとつのカテゴリーに入れて判断する傾向が強くなっている気がするんですね。
前に『ラブ・アクチュアリー』のある批評で、各エピソードが全部似たようなハッピーエンドになるのはつまらない、というものがあったのですが、そもそも向こうのクリスマス・シーズンに公開されているお気楽な娯楽作品で暗いエンディングになるわけがないし、その製作会社の過去の作品群は、主にラブコメ作品であることを考えていない。
ひとつの「お約束」の中でいかに楽しませているかが評価のポイントであって、エンディングが明るいor 暗いというのは、作品の良し悪しとは全く別物だと思うのですが。
>権力からの自由と人間の尊厳への挑戦が、脱獄という行為のメタ
ファーとして隠されていること
『パピヨン』もそうでしたね。
『ショーシャンク』というより、S・キングの原作の長編映画は、
必ずイヤな悪人を不必要に出して、間接的に成敗させる筋が好かんのですよ。
脱獄して、“してやったり”というシンプルなカタルシスで良いと思うんですけどね。
そんなわけで、また長文になりましたので、
次回は、「クローサー」は「最後の恋の始め方」などを。
ではでは。








