旧myroom(香港電影的日常 '01/2/17〜'06/1/29)より移転。

 香港映画を中心に語っていますが、基本的には何でもアリです。
 なお日記に記載の内容は、無断転載、転用はお断りいたしております。ご理解下さい。(by fake)

 ・・・・あと、リンクもフリーではないんです。すんませんなぁ。

更新 [2005年06月19日(日)]

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 6/19日記更新。本日は劉家良特集の第十弾です。

Re:ツバメしゃんと酔いどれ猫 [2005年06月19日(日)]

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>師父も触れていますが、ツバメさんと酔猫さんが結ばれてメデタシメデタシという、
>展開かと思ったら、すかされました(笑)。

 そこを抑制できるところにキンフーらしさが出て
いますね。

>しかし、日記の執筆時が『グリーン・ディスティニー』の頃だったとは。
>月日の流れは、早いですな・・・。

 そもそもの執筆原因が某秘宝掲示板での某秘宝系
ライターとの『グリーンディスティニー』論争にあ
るんですよ。HP立ち上げの動機も含めて、絶対書い
て置きたかったんです。

>エポックメイキング的な作品なんですね。
>ラストの酔猫の決闘シーンは、やはり『用心棒』を想起しました。

 キンフー側に後のブームや影響力を意識しなかっ
た点も含めて似ていますね。歴史というものは往々
にしてそういうところから作られるということか。

>またDVDでもイジるんでしょう。

 "イジる"んですか?!アミダラにあんなことやこ
んなことをしてしまうなんて!(笑)

>CEはインタビュー等では「こんなに大きく論議になるとは・・・」
>等、トボケてますが、私は確信犯的だとは思っています。
>脚本を一切リライトせずにそのまま撮影したそうなので、脚色上で人種の背景、宗教的側面が強調されていることは十分承知の上で臨んでいるといえるでしょう。

 そりゃ、間違いなしですよ。推定有罪です! 

>何か後ろめたさがあるんでしょうね。
>「ワインより再婚しろよ」とか説教されるのがイヤで。

 あの母親こそアル中でしょ。だから余計に金
なんか借りれない。 

>娘にもどうして嫌われているかをわかっていないのに、仲を修復しようと奮闘して空振りに終わる、
>「MDB」の主人公を180度変えた、ダメ親父の物語です(笑)。

 そうなんですか。ニコルソンだとその辺の演
技はしつこそうですね。

>吹き替え版ばかりにすれば、なおさら字幕を読む能力が落ちるのでは?

 いや、落ちてしまっているから吹替えにして
読む力を関係なくしてしまうんです。最近の作
品は場合によっては吹替え版の方が成績良いら
しいですし。

>巷では、ナッチの意訳が「作品世界を損ねる」との理由で糾弾されてますが、

 それは仰る通りです。時々、おかしいなぁ?と思
うこともあるのは確かですが、「作品世界を損ねる」
ほどのことは感じたことありませんよ。
 『指輪』の時は、翻訳本(聖典)の訳に慣れ親しん
だ信者が騒いで問題になりましたが、そうそう起こ
る問題ではないです。

>結局、吹き替え版にしたところで、わからない人はわからないというか(笑)。

 そうですよ!説明されたってわからんやつはわか
らん訳で。
 第一、吹替えも字幕も嫌なら原語で聞くしかない
んだから。

>それほど、重く受け止めてしまうのは、日本の映画やテレビに「贖罪」モノがないというのも原因なんですかね。

 贖罪が宗教に根ざしていないのなら、それは生理
的拒否反応だけですよ。だから、個人の好き嫌いが
映画の評価そのものを歪めているんですよ。

>『ミスティック・リバー』は「飢餓海峡」だし、
>『MDB』は『冬の華』いや『愛と誠』ですよ(全然違うって・笑)。

 イーストウッドとしては同じようなもんでしょ!(笑)

>今の時代なら、子供がワアーと泣き出して、熱く抱擁するハリスでジ・エンドですよ(笑)

 ふっふっふ!撃たれるのがハリスで、子供迎えに
行くのはリチャードでもバートンの方ですよ!

 それはさておき、あの引き絵にバートンの「お父
さんの話をしようか・・・」というセリフがあるだ
けで泣かせるんですけどね。泣く絵まで見せる必要
はないんですよ。それは確実にイマジネーションの
欠落です。

>結局は、批評を前提として、あまり観たくもない作品を無理して観るから、そういうことになるんでしょうね。

 見たいものを見たいだけ見る。そして自分の見方
を身に付ける。こんだけのことなのに・・・。

>ひとつの「お約束」の中でいかに楽しませているかが評価のポイントであって、エンディングが明るいor 暗いというのは、作品の良し悪しとは全く別物だと思うのですが。

 好き嫌いと批評を一緒くたにしているプロが多す
ぎるから、素人評論家もそれが批評だと思っている
んですよ。「私はこれが嫌いですが・・・」と書く
こと自体は別に構いませんが、その場合は批評面し
て格好をつけるな!と言いたいですね。

>『パピヨン』もそうでしたね。

 ですね。

>『ショーシャンク』というより、S・キングの原作の長編映画は、
>必ずイヤな悪人を不必要に出して、間接的に成敗させる筋が好かんのですよ。

 彼はカソリックだから。天罰、好きなんでしょ。

>脱獄して、“してやったり”というシンプルなカタルシスで良いと思うんですけどね。

 ↑に出た『パピヨン』なんか、それこそ暗い話なのに
マックィーンの最後の満面の笑みを見たくて何度も見て
しまいます。

>次回は、「クローサー」は「最後の恋の始め方」などを。

 お願いします!

Re:旭 [2005年06月19日(日)]

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>幼い時期に悟っちゃっいましたね。

 そうなんですよ。(笑)

>丹波哲郎とひし見ゆり子の「ポルノ時代劇/忘八武士道」を借りようかと思っております。2作目は池玲子出てますし。

 明日死能!この映画は無茶苦茶ですよ。お勧めです。

>東映の凄いところは、ジャンルがポルノでもセット、衣裳、メイク、カメラワーク、脚本、俳優の演技が「時代劇の東映」と唸らせるだけの職人魂にあり、これは当然公開当時から評価されていた事だと想像してます。

 これはショウブラも一緒ですよ。『洋妓』とかポル
ノなんですが、功夫映画としてのレベルが高いので
驚かされますね。

>予定外の観客まで、その場で取り込んでしまうとは、本物の傑作と言えるのではないでしょうか。ちなみに昭和の封切時でも、やはり大爆笑でしたか???

 本物の傑作です!(劇場限定)

 昭和の封切りのときは『仁義なき戦い』のシリーズと同
時上映でした。当時の東映系映画館というのは、上映映
画と劇場がバーチャルな地続きでして、ようするに画面
上の人間そのままの人たちで劇場が埋まっていたんです
ね。

 その時も、その手の人たちが椅子から転げ落ちんばか
りに爆笑していた姿はある意味衝撃でした。もちろん私
も大爆笑でしたけれどね。

>残念ながら東京方面では、そういった小粋な映画館が減少している模様ですよ。

 そうですか・・・しかし地方でも定期的に上映があるくら
いだから東京ならもっとチャンスはありそうですけれど。

>同じ年には「戦国自衛隊」の出演もありました。

 同じ年でしたかー。今はリメイクっつーか続編みたい
なのが公開されておりますが、ひと昔になってしまった
んだなと感じますね。 

>東映セントラルの・ハードボイルド路線の「薔薇」・・・
>あの当時の館ひろしが完全主役では厳しく感じました。

 『暴力教室』のセイガク(←昭和語)は悪くなかったすけ
ど、映画は優作のものでしたから。

>そんな丸の内東映では、観客にどちらを見に来たか、一応アンケートを
>取っておりまして、とりあえず「拳」という響きはあちこちで聞かれました。

 わははは、「拳」という響きが良いです。このよ
うな出口調査は私個人もやったことあります。けっ
こう参考になる意見を教えてくれることがあります
ね。

>74年当時、ブルース・リー作品と「ドラゴン世界を征く」以外は
>劇場で見てないのです。やはり東映の映画館で
>イナズマンF(フラッシュ)とか熱唱しているのが関の山だったのです。バカだったので。

 私もバカでしたので、唐獅子牡丹とか番長シャロ
ックとかを劇場で熱唱しておりましたよ。方向性が
違うだけで、同じようなもんスよ。(笑)

>そういえば「帰」と「復」は松竹富士の配給でした。fakeさんの地元での「復」封切りには、先に公開された「帰」と併せて「ドラゴン」と「倉田」で統一したマーチャンダイジングだったのかな・・・と深読みもしてみました。

 そうだったのかもしれませんね。こういう粋なカ
ップリングは香港映画以外でも結構あったように思
うし。ビバ!愛媛県!

>リバイバルは82年で何故か東映配給でした。観客層は、泥酔者か(クソ)ガキにもかかわらず飛び蹴りとギャグは反応が良かったですよ。

 それでこそ東映映画館ですよ!

>二人とも職人監督なのこうも違うと、羅維のキャリアというのは
>何だったのがろうかと・・・ショウブラ時代も非常に心配です。

 いくつかのインタヴューで、現場ほったらかして
帰ってしまい、助監督が完成させた等の話が出てき
ますね。本当に監督だったのかさえ怪しくなってき
ますが、ペイペイさんはそれなりに褒めていたこと
があるので監督をやっていた時期もあるんでしょう。
(フォローになってない?・笑)

>成龍は置いといて、李小龍の場合はスターとしての資質を
>考えると、凱旋帰国してからは監督に恵まれませんでした。

 でも張徹でも胡金銓でも使いきれなかったんじゃ
ないかと思いますね。当時の李小龍を本当に生かせ
られたのは、結局自分自身だけなのではないかな?

>そして羅維が不甲斐無いから、自己で編導した「猛龍過江」にしても、
>冷静に見ると五十歩百歩ですし。

 演出力という点では疑問符はつきますが、なんの
勉強もしたことない初監督にしては上出来では?西
本さんの本を読んでも、助監督任せにはしなかった
ようですし。

>功夫の封建的側面を排除し、現代的手法で弟子を獲得
>しようと奔走する恵英紅と劉家良達、というアプローチが
>よく出来ていると思いましたが、練れてませんでしょうか?

 これは済みませんでした。ちょっと説明不足でし
たね。私が練れていないと評したのは内容のことで
はないんです。

 絵の問題なんですよ。

 映画は総合芸術なので内容だけでも駄目で、現代
劇としてのせっかくのロケーション効果を生かしき
れていない、そこを練れていないといったんです。

 『掌門人』の公開は83/3/31です。製作期間のこ
とはわかりませんが、功夫映画作家が現代アクショ
ンに以降するのは、82年からです。ひとつには『悪
漢探偵』の影響ですし、もうひとつはジャッキーの
影響です。サモが82年に『ピックポケット』を撮る
のは、『プロA』のためにハーベストのセットをジ
ャッキーが占拠していたからです。

 『掌門人』と同じ年には『五福星』もあるのです
が、『ピック』から『五福星』に至るロケーション
効果を考えれば、『掌門人』はいささか場を使いき
れていません。そこが不満なんですね。

>しかし、そんな断片的側面で判断しては何の進展もございませんので
>もっと見てみるべきなのでしょう。凡庸な作品という枕詞が気になりますが。

 つまんない映画にたくさん出ているんですよ。女
優としての資質は高い人ですがね。うちのページで
も紹介した『忍』や『酔拳女刀手』など、その女ら
しさの表現力に驚きますよ。

>功夫専門の女優ではないものの「霹靂十傑」の李麗華はビジュアルも魅力的で女性らしい殺陣をしておりました。

 劉家良は李麗麗に股を開かせようとするのが好き
ですね。(笑) 『洪熙官』でもやってたけど、私生
活では落とせなかったのかな?

>さて、話に割り込んで申し訳ございませんが、日本における香港映画の旧世代の負の遺産ですけど、現在、香港で傑作、佳作があったにしても、受け手の感受性が欠落していれば、暖簾に腕押しのようなものでしょうね。

 負の遺産を抱えているのは一番最初の世代で、
次がバカの時代から現在までみている人、ここ
までがその影響下にあります。
 次は第三世代で、『秋天的童話』くらいから
王家衛映画世代。この人たちは、いつまでもバ
カ映画よばわりされていたのを一番嫌っていた
人たちです。
 更にその下には第四世代がいて、この人たち
にはバカ映画といってもピンとこない人たちで、
それどころか昔の香港映画をむしろ楽しんでい
るくらいです。

 受け手の能力もむろんであるのは、映画に限
らずどんなジャンルの娯楽にもいえることだと
思いますが、香港映画の特色は↑に示したファ
ン層の間に断絶があることですよ。
 今のファンは我々旧世代が考えるより遥かに
柔軟でしたたかです。そういうファンの絶対数
は以前より増えたけど、世間に対する求心力を
香港映画というジャンル自体が失っているので、
これ以上の拡大が望めないんですよ。

 アジア映画がひと口にされていた時代に比べ
て、韓流、台流と分割されたのも痛いですね。
これも多様化ではあるんですが、パイ丸ごとの
大きさ(市場)は変わらないのに、一人分は確実
に小さくなってしまった。

>私は「負の遺産」とは自己の思い出に由来するフェチズムと解釈しておりますが、その思い出抜きに旧世代のファンが現実に立つのは難しいような気がします。

 旧世代にとってはそれも現実でしょうが、新
しい人にとっては化石に過ぎませんよ。自分が
化石だと認識することから新しいスタートがあ
るはずですよ。

>そして現実に向き合ったので、2ヶ月前に「胡蝶」という映画のDVDを購入したしました。

 別のところでも誰かが話題にしていたのでタ
イトルに聞き覚えがあります。その節は是非見
るようにしますね。

>そんな女性として素敵な作品について触れさせていただきながらも、数日前に伊東さんよりお借りした鈴木則文と小林旭の「多羅尾伴内」のケレン味にすっかり魅了されたのでした。

 アキラの実力はこんなもんではありませんよ
ぉ!日活時代から見て欲しいです。

 それに、多羅尾伴内といえば千恵蔵ですよ!
爆笑しまっせ!

Re:ありがとうございます [2005年06月19日(日)]

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>何度も観たおかげで、「如来神掌」「火雲邪神」「第九式」などの単語は広東語発音できるようになっちゃいました(笑)

 それは凄い!よっぽど見返したんですねー。

>この場面は曲も曲入りのタイミングも、廟の看板?を映すカメラアングルも全く同じなんですよ。

 確かめてみました。ここまでそっくりだとは・・・・・。

>どうしても劇場のスクリーンで観たいので、DVDは買ってるけど観ていない・・・。

 そのお気持ちは良くわかりますよ!

>ただ火雲邪神がずいぶん若い設定なのが、私にはどうも違和感があって。

 これは残念だったと思います。全体的に若ぶりなキ
ャスティングにしてしまった弊害ですね。
 BSの番組は見ていませんが、フィルムに書き入れる
特撮は古くからある映画のテクニックなので想像はつ
いていました。映画の技術がいくら進歩しても、映画
そのものが面白くなるわけではないんですよね。リメ
イクばっかりやっている映画関係者は肝に銘じて欲し
いですよ。

>日本の「定型娯楽」って何でしょうね?私は不勉強で「忠臣蔵」くらいしか思いつかないんですが・・・。でも私に子供ができたら、「如来神掌」は絶対に見せますよ。

 歌舞伎の演目は一通りそうでしょうね。日本には厳
密には大正時代まで大衆小説というものがなかったも
のですから、歌舞伎読本戦記読み講談講談小
説大衆小説という流れを江戸時代から辿らなくては
日本の娯楽は見えてきません。
 日本の大衆小説の元祖は、間違いなく滝沢馬琴の「南
総里見八犬伝」ですが、これは「水滸伝」を元にしたも
のです。日本の定型娯楽の元祖は、中国の定型娯楽の元
祖と脈をひとつにする双子の子供なんですよ。

>そうなんです。実は正直な所、「2」は作ってほしくない気持ちもあるんです。続編の意義があるのかなあと思ったり。

 私も続編は必要無いと思っています。

>05年分は、昨夜読ませていただきました。02年分も読んでから、拙い感想など書かせていただきます。

 ありがとうございます!お時間のある時でよろしいで
すので。

>ひとつだけとてもうれしかったのは、「審死官」の内容を細かく説明くださってたことです。かなり入り組んだ裁判劇なので、特に後半の裁判の内容があまり分かってなかったんです。ありがとうございました。

 私も最初は何だかわからなかったので、日記に書くと
きはセリフの全文を中文英字幕から書き起こして翻訳し
たんですよ。

劉家良(10) [2005年06月19日(日)]

劉家良(10)ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー少し本題からは外れるが、羅烈の演じた白眉"パイ・メイ"道人について書いておきたい。映画では洪熙官を殺す悪役の位置を与えられているが、南派少林伝説の原作(?)である「萬年青」の初期形態には、清朝から悪童たちを始末するべく雇われた人物として登場する。物語の形態が変わって以降、悪役の地位に納まったが、現在でも白眉道人にちなんだ白眉拳という拳法が存在するほどの人物なのだ。 羅烈は映画『洪熙官』のその後ともいうべき『洪文定三破白蓮教』を監督、自ら白眉道人キャラを再演した。よほどこの役が気に入ったのか、姜大衛の『少林英雄榜』にも登場し、羅烈生涯の当り役となった。 近年タランティーノの『キル・ビルVol.2』において、劉家輝が演じた"パイ・メイ"は羅烈の演じたキャラを再現したものだ。当初、タランティーノ本人が演じる予定だったそうだが、劉家輝の反対もあり、タランティーノは役を断念。『洪文定〜』で羅烈と闘った劉家輝が演じることでショウブラと功夫片の歴史を守った。ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー張徹が始めた南派少林伝説の編纂は、その製作途中で喧嘩別れしたとはいえ、結果的に劉家良と二人三脚で完成させたといえる。製作順序は違うが、『少林三十六房』−『少林五祖』−『少林寺』という伝説のスタートから、張徹が方世玉の歴史を『方世玉興洪熙官』−『少林子弟』−『方世玉興胡惠乾』で描き、劉家良が洪家拳の歴史を『洪熙官』−『陸阿采興黄飛鴻』で描いて完結させたことになる。 『洪熙官』を完成させた劉家良が、その最後のピースを埋めるべく『少林三十六房』へと向ったのは偶然だけではなかったのだ。伝説の真偽はともかく、中国武術の歴史の再確認を、詩情豊かに描き出した同作以降、劉家良の作風は明らかに変わる。 リアリズム重視の方向性を(劉家良にしては)弱め、映画的虚飾を導入することに躊躇いがなくなった。同じ黄飛鴻ものでも『武館』が『陸阿采興黄飛鴻』と違って、伝説の枠に捉われていないのはその表れだし、『少林塔棚大師』、『霹靂十傑』、『五郎八卦棍』にはルーツ探索の初期作品に見る様な写実性は薄い。ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーこの当時、劉家良はショウブラと金銭面での交渉を激しくやりあっており、結果としてゴネにゴネた劉家良の粘り勝ちで一本あたりの監督料100万ドル+ボーナスという、当時の香港監督のギャラとしては最高位を獲得する。李翰祥が一本15万ドルであった当時にこのニュースを耳にし、「息子には武術を習わせるべきだった」と言ったとか。本当はもっと酷い言葉で罵倒したとも言われており、一説には文字の書けないと言われている劉家良を皮肉ったものだったそうだ。 ショウブラは移籍、引き抜き防止策として、劉家良としてはギャラアップのためだったが、この時ショウブラと交わした契約(『神打』から『十八般武藝』まで13本契約)が結果的に劉家良とショウブラを縛り付けたのも事実だ。 契約を履行するために自分の企画だけを通せないということにも甘んじなくてはならない。作風が変わったのには別の側面もあったのである。ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー『少林三十六房』以降、最初に手がけた『螳螂』は会社の要請で撮らされた作品だ。当時勢いの落ちていた姜大衛を再生するのが目的であった。『中華丈夫』の企画は日本帰りの蔡瀾から、『武館』は実弟・劉家榮から持ち込まれた企画だった。ヒット作の続編『茅山彊屍拳』『少林塔棚大師』も作った、『十八般武藝』も『神打』の発展的リメイクといえるだろう。『瘋猴』は制作費を抑えるために自ら主演し、内弟子の小候を共演させて更に経費を浮かせた。 初期の四本を除いて、自分自身が撮りたかった作品は『爛頭何』と『長輩』だけだったのではないか。ショウブラにとって高額で引き止めた劉家良だったが、それは果たして金額に見合うだけのものであったのか? サモ洪金寶が台頭、呉思遠は新たな才能を発掘していた。楚原の古龍武侠片もブームとなった。新時代はすぐそこまできていたのだ。そんな時だ、「長弓電影」の夢破れて張徹が台湾から帰港したのは。VS張徹第2ラウンドのゴングが鳴らされた・・・。ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー続く
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