劉家良(12)ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーこの検証は、劉家良と張徹の対立項となった原因を探るのが目的ですが、取り敢えずは参考資料として『神打』の興收から見ていきたい。 75年『神打』の興收は140万HKドル、年間成績は8位だった。ブルース・リーの死後、ホイ兄弟の提供するTV的な笑いに席捲されていた映画界にアクション映画復活の兆しを宣言した。この時、劉家良の監督料は3万HKドルで、50万HKドルオーバーならヒットであった時代には大ヒットであったろう。 76年『陸阿采興黄飛鴻』は140万HKドルで、年間成績は10位。前回のヒットで監督料がアップし10万HKドルになったが、この年のヒット基準は60万HKドル以上。やはり大ヒットといえる。 77年『洪熙官』は260万HKドルで、年間成績は3位。この時の監督料も前回と同じ10万HKドルだから、70万HKドル以上ならヒットの年にしては物凄い売上ということになるのだ。ここでショウブラはゴネる劉家良に負けて一気にギャラを60万HKドルにアップ。数々の人材に逃げられてきたショウブラとしては、これ以上の人材流失を防ぐためにも仕方のない措置だった。ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー78年には張徹が帰港、対立の時代が始まる。『少林三十六房』は290万HKドル、年間成績は5位。『螳螂』は160万HKドル、年間成績は19位。『中華丈夫』は240万HKドル、年間成績は10位。この年のヒット基準は90万HKドル以上、『少林三十六房』と『螳螂』は監督料60万HKドルだが、更にゴネで粘った劉家良は『中華丈夫』から100万HKドル+ボーナスという当時の最高額を獲得。 張徹の方を見てみよう。
『五毒』は180万HKドルで、年間成績は15位。
『南少林興北少林』は140万HKドルで、年間成績は23位。『殘缺』は138万HKドルで、年間成績は24位。張徹のギャラは定かではないが、当時、文芸路線でヒットを飛ばしていた李翰祥のギャラが10〜15万HKドルだったという。張徹も同じようなものだったろう。 映画には役者のギャラというものもあるが、専属契約で月給制だった当時のショウブラでは、劉家輝ですら一ヶ月100〜200HKドルだったという。新人ばっかりの張徹組なら五毒のメンバーたちですらもっと安かったはずだ。 こうなると方逸華(モナ・フォン)のいうことも肯けてくる。張徹はかなり安い経費でヒットを飛ばしていることになるからだ。ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー79年からは二人の製作条件の違いにかなりの格差が見え始めてくる。まず劉家良からだが、『茅山彊屍拳』が127万HKドルで、年間成績36位。『爛頭何』が180万HKドルで、年間成績20位。『瘋猴』が200万HKドルで、年間成績18位。この年のヒット基準は100万HKドル以上、この成績だと劉家良の映画は経費割れだろう。『瘋猴』の主演は経費を抑えるためだったというのも嘘ではあるまい。 張徹はどうか、劉家良の三本に年間五本と大幅に製作本数が上がったのは、前年の収益を考慮されてのことだ。『生死門』が120万HKドルで、年間成績39位。『街市英雄』が179万HKドルで、年間成績21位。『雑技亡命対隊』が84万HKドルで、年間成績61位。
『賣命小子』が112万HKドルで、年間成績45位。
『金臂童』が115万HKドルで、年間成績43位。『雑技亡命隊』こそやや低いものの、張徹組なら黒字収支ではないか 。ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー80年、劉家良は再び寡作に戻り製作は一本だけ。反対に張徹は実に六本もの作品を発表するという発展ぶりだ。その劉家良の一本は『少林塔棚大師』で360万HKドル、年間成績は7位。 張徹は『廣東十虎興後五虎/廣東十虎興後五需/廣東十虎/十虎威震五洋城』こそ台湾作品で興收不明であるが、『第三類打鬥/殺出鬼門關/殺出地獄門/天上・人間・地獄/地獄』が55万HKドルで、年間成績105位。
『少林興武當』が118万HKドルで、年間成績52位。『鐵旗門』が110万HKドルで、年間成績58位。
『大殺四方』が97万HKドルで、年間成績76位。『飛狐外傳』が179万HKドルで、年間成績28位。 この年もヒット基準は100万HKドル以上。360万HKドルの『少林塔棚大師』なら、かろうじて劉家良のギャラに見合うヒットといえるが、張徹は不明の一本と『第三類打鬥』以外は概ねクリアしており、方逸華のいう「あんたが一本仕上げるうちに、あの人たちは三本仕上げるじゃない!それも安い賃金で!」も事実ということになる。 何故本数が大事なのか?当時は映画会社が劇場を直営で経営しているブロック・ブッキング・システムの時代。映画の興收=会社の運営費にも直結していたし、映画会社にとっては公開のプログラムに穴を空けるわけにはいかなかった。ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー高いギャラで一年間スタジオを占領し、役者やスタッフも拘束した挙句、360万HKドルで年間成績7位しかとれないのでは、方逸華でなくとも嫌味のひとつも言いたくなろうというものだ。会社にとっては張徹の方が役に立つ監督とされても仕方のないことだった。ちなみにであるが、この80年は香港映画界で初めて興收1000万HKドルを突破した年でもある。その映画はジャッキーのハーベスト移籍第一作『師弟出馬/ヤングマスター』。香港映画に新時代が訪れた年だった。 こうなると劉家良の契約とギャラは、ショウブラにとって重いものになってくる。81年からは前年の反省を意識したのか、残りの契約本数を消化するものだったのかは不明ながら二本を製作。『長輩』は330万HKドルで、年間成績25位。『武館』は500万HKドルで、年間成績7位。 張徹は『射G英雄傳第三集』が180万HKドルで、年間成績46位。『又手』が95万HKドルで、年間成績84位。『碧血劍』が140万HKドルで、年間成績58位。 この年から映画料金が前年比で平均4HKドル値上げされているので、この年のヒット基準は160万HKドルくらいか。 82年の『十八般武藝』で劉家良の13本契約が終り、以後は一本ごとの契約になっていくが、この年最大のヒットになったのは『最佳拍档/悪漢探偵』の2600万HKドルで、2位に1000万HKドル以上の差をつけたブッちぎりのスーパーヒットを記録したのだ。時代は完全に劉家良でも張徹でもなくなっていた・・・・それが厳しい現実である。ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー劉家良と張徹の確執は"駐車場事件"だけではなかった。張徹の『殘缺』は、五毒のメンバーが奸計によりそれぞれ不具者となり、ライダーマンのようなパーツの義手や義足を装着して闘うという内容だった。香港映画に存在する不具拳の系譜に連なる作品だが、手足の不自由さや盲目というハンデから生まれる動きを殺陣に生かしてこそのジャンルであるのに、新兵器みたいな義手を装着するのでは動きそのものにあまり健常者との違いはみられない。 『殘缺』を見た劉家良が『爛頭何』で挑んだのが劉家良流不具拳である。劇中登場する刺客が、それぞれ片腕(しかもジミー版
『獨臂刀』のパロディ!)、片脚、傴、盲目という不具拳使いで、ちゃんと手や脚を体の中に隠して闘い、しかも実は皆ニセの不具者だったという落ちまでつける。ラストはこの伏線を受けて、脚を怪我した劉家輝が松葉杖のまま片足で闘い、従者の汪禹と合体拳を見せるという二段落ちの構成だった。骨肉合い争う宮廷暗殺劇に、この斬新な殺陣がピタリとマッチし、劉家良中期の傑作として張徹の『殘缺』を圧倒してみせた。ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー張徹とて負けてはいない。劉家良が82年に侠義小説の古典「三侠五義」の映画化『御猫三戯錦毛鼠』の製作を発表すると、すぐさま同じ小説を題材とした『冲霄樓』を製作。劉家良作品が完成する前に公開してしまった。興收こそ『御猫三戯錦毛鼠』が440万HKドルで、『冲霄樓』の125万HKドルを圧倒したが、検証してきたように張徹組は収支効率は良いのだ。作品面でも『冲霄樓』の完勝だった。 断っておくが、この検証はあくまで数字のロジックである。海外の興收は含まれていないし、本当の意味での収支決算は解らない。この金額が作品の質に反映している訳ではないし、劉家良も張徹も、お互いを意識しあいながら良い作品を沢山残した。それは皆さんが個人で判断すれば良いのだ。その点では方逸華の煽りも無駄ではなかったと言えるだろう。何だかんだいって一番儲けたのはこの人だった。ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー
続く