劉家良(14)ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー『中華丈夫』は蔡瀾(チャイ・ラン)が持ち込んできた企画だった。蔡瀾はシンガポール生まれで、シンガポール華僑の邵一族を頼ってショウブラザースに入社。日大芸術学部留学経験を生かし、ショウブラの日本支社長になる。 父・蔡文玄は著名な作家にして書家で、蔡瀾もその才能を受け継いだ。蔡瀾自身書家として有名であり、作家・金庸とも交流深く、自身多くの書籍を書いている。また美食家としても知られ、お茶やお菓子を販売。TVの司会としても人気があり、歯に衣着せぬ発言で、ゲストを困らせることもしばしば。新人女優に対するセクハラをTV番組として成立させてしまったガハハ親父的側面も。 ハーベスト入社後は映画の製作にも携わるようになり、『原振侠興衛斯理/セブンス・カース七番目の呪い』などを製作。日本での経験を生かし『孔雀王子/孔雀王』などの合作映画も担当する。ハーベストで副総裁に就任、
『快餐車/スパルタンX』頃よりジャッキー映画に関わり始め、『城市獵人/シティハンター』からメイン・プロデューサーに。この頃は頻繁にジャッキーの通訳を務めていたので、日本のTVにも露出が高かった。 香港へと帰ってきた蔡瀾は、この時の経験を元に劉家良に、日本についての何かを描けないものかと提案。そこで劉家良は日本武道との交流を描く同作を撮る事になるのだ。ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー実際のところ、異種格闘技戦においては、どの流派が最強かも、個人の最強も決められるものではなく、対戦相手、場所、コンディション等をクリアしたものが、その日の勝利を得るに過ぎない。それは現在の競技スポーツとしての格闘技においても同じである。 この映画はあくまで中国武術と日本武道の対比を見せるのが目的であり、物語の便宜上中国人の劉家輝が勝つことになるのだ。その点では非常に映画的で良く出来ており、各種武術や武器による対戦模様は、後に『十八般武藝』でも繰り返される先駆となった。 この映画の撮影時には面白い逸話が有る。撮影に参加していた倉田保昭の証言によれば、劉家良演じる"蘇師傅"が酔拳を劉家輝に伝授する場面の撮影に、『蛇形刀手/スネーキーモンキー蛇拳』撮影後の袁和平が見学に来ていたという。 『蛇形刀手』の香港公開は78/3/1、
『蛇形刀手第二集・酔拳/ドランクモンキー酔拳』の公開は78/10/5、当時の映画雑誌「南海電影」によれば『中華丈夫』の撮影は78/4には始まっていたそうだから辻褄は合う。ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー倉田の推測によれば、この場面の酔拳演武を見た袁和平は、それにヒントを得て『酔拳』を撮ったのではないか?というのだ。『酔拳』成功後、呉思遠、ジャッキー、袁和平それぞれがアイディアを持ってきたのは自分だと言い張っているが、これに関しては袁和平に軍配が上がるのではなかろうか。 もうひとつ面白いのは『中華丈夫』には袁和平の父・袁小田が劉家輝の師傅役で出演しており、空手への対抗策を聞かれた袁小田は"酔八仙"を学べと示唆するのだ。袁小田が現場にいたからこそ袁和平が見学に来たのであり、そこで袁小田が"酔八仙"と発言する場面をそっくりそのまま『酔拳』で使っていることを見ても、これはやはり袁和平のものだと言えそうだ。 倉田との対戦場面は当時の映画評に"古龍的"と書かれているが、当時は楚原監督の第二次新派武侠片ブームにして古龍武侠片ブームの真っ最中。暗器を使ったり、替身を使って敵の目を欺いたりする場面は、確かに古龍武侠片タッチ。
『楚留香』シリーズなど忍者も登場するし、ある種の影響は否定できない。ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー
続く