旧myroom(香港電影的日常 '01/2/17〜'06/1/29)より移転。

 香港映画を中心に語っていますが、基本的には何でもアリです。
 なお日記に記載の内容は、無断転載、転用はお断りいたしております。ご理解下さい。(by fake)

 ・・・・あと、リンクもフリーではないんです。すんませんなぁ。

単車スケコマシセイガク愚連隊 [2005年07月04日(月)]

Name:愛香
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何とかご返答が仕上がりました。まことに申し訳ございません。

>明日死能!この映画は無茶苦茶ですよ。お勧めです。

最近ようやく拝見いたしました。
サブタイトルに「ポルノ時代劇」とあるくらいなので、その手の描写も濃厚でございますが、何といっても丹波の明日死能が素敵でした。これは割りと原作に忠実だそうですけど各描写なんか、いい意味で荒唐無稽で「よく考え付くな」なんて感心しました。冒頭のクレジットとクライマックスなんて、石井輝男のサイケデリックな映像処理がスタイリッシュですし、手、耳、頭がぶっ飛んでいく感覚には脱帽です。丹波なんか楽しんでやってたんでしょうね。また、ひし美ゆり子と伊吹吾郎の違った魅力も垣間見れたことがちょっとした拾い物でした。アンヌと格さんのイメージしかなかったもので。


>『暴力教室』のセイガク(←昭和語)は悪くなかったすけ
>ど、映画は優作のものでしたから。

そうですね、優作がこれまたノリノリで凶暴かつ人を喰った芝居をしてましたから。でも、最初は敵ながらも優作とのラストショットをキメたひろしは美味しかったと思いますよ。

>わははは、「拳」という響きが良いです。このよ
>うな出口調査は私個人もやったことあります。けっ
>こう参考になる意見を教えてくれることがありますね。

何か面白いご意見はありましたでしょうか?
個人的意見は・・・そうですねぇ、ジャッキー目当てのガキ(童貞)をターゲットにしたにもかかわらず、赤裸々なセックスとバイオレンスまでも見せてくれる東映セントラル作品を併映に据える東映っていいな、って思うんですよね(公開時は何も考えてませんでした)。

>私もバカでしたので、唐獅子牡丹とか番長シャロ
>ックとかを劇場で熱唱しておりましたよ。方向性が
>違うだけで、同じようなもんスよ。(笑)

作品と音楽的にに両極端ですなぁ。
後者となりますと、何とかフォローしようと思いましたが、
ちょっと「お利口」と呼ぶには難しいかもしれませんです。


>そうだったのかもしれませんね。こういう粋なカ
>ップリングは香港映画以外でも結構あったように思
>うし。ビバ!愛媛県!

また「不良番長」ネタじゃないですか!



>本当に監督だったのかさえ怪しくなってき
>ますが、ペイペイさんはそれなりに褒めていたこと
>があるので監督をやっていた時期もあるんでしょう。
>(フォローになってない?・笑)

あれですよ、監督としての立場ではなく、劉亮華とか後の
許麗華みたいにしようと頑張ってたのを勘違いしたじゃないでしょうか?何とかフォローしようとしたご厚意を、女番長シリーズの由利徹くらいに堕してしまい申し訳ありません。

>でも張徹でも胡金銓でも使いきれなかったんじゃ
>ないかと思いますね。当時の李小龍を本当に生かせ
>られたのは、結局自分自身だけなのではないかな?

その点は、「どんな大監督でもあれだけの個性を引き出す
ことはできません」と張徹自身認めてました。
勿論、それはそうであっても、その張徹との企画は実現してほしかったですと後になって思うようになりました。ファンの好き嫌いはともかく「燃えよドラゴン」が映画的に一番しっかりした作品だったと考えると。


>演出力という点では疑問符はつきますが、なんの
>勉強もしたことない初監督にしては上出来では?西
>本さんの本を読んでも、助監督任せにはしなかった
>ようですし。

仰るとおり、助監督どころか自主映画監督の経験が無い人間が
効率良く撮影を進行させた情況も考慮に入れる必要はあります。
新人監督には面倒な「中抜き」をやってのけたことで、現場の
プロフェッショナルである西本さんが感服したエピソードもございます。映画の出来云々でなく、そこについてはフォローすべき点なのでしょう。ちなみに相米慎二の新人の時代、中抜きで嫌な経験があったため、以降、長回しの映像ばかりになったと読んだことがあります。


>映画は総合芸術なので内容だけでも駄目で、現代
>劇としてのせっかくのロケーション効果を生かしき
>れていない、そこを練れていないといったんです。

>『掌門人』と同じ年には『五福星』もあるのです
>が、『ピック』から『五福星』に至るロケーション
>効果を考えれば、『掌門人』はいささか場を使いき
>れていません。そこが不満なんですね。

天映で初鑑賞の「掌門人」の映像は、カラー効果が堪能できる
スタジオセット作品で慣れきっていたため、貧乏臭い画面であり、「これレストアしてるのかなぁ」と思ったほどです。
そのときの印象は、もしかするとロケーションの活用に関連するかもしれません。なぜなら、日本で公開された同時期の作品の画面も褒められたものではないからです。

「掌門人」は「エースシリーズ」、「ピックポケット」以降のサモの作品に欠けているストーリーの整合性と計算されたギャグ(無闇にドタバタで誤魔化さない)に好感が持てたのですが、現代の香港という空間の使い方では新藝城とサモの進取の気性があり、劉家良は現代物ながらも功夫片の作品世界に終始していたと言えますでしょうか?fakeさんの日記における方逸華の叱咤激励(というか本音)の件も併せて考えると、予算を抑えるために大規模なロケーションも憚られたかも・・・とさえ勘繰ってしまいます。


>受け手の能力もむろんであるのは、映画に限らずどんなジャン>ルの娯楽にもいえることだと思いますが、香港映画の特色は↑>に示したファン層の間に断絶があることですよ。
>今のファンは我々旧世代が考えるより遥かに柔軟でしたたかです。
>そういうファンの絶対数は以前より増えたけど、世間に対する求心力を香港映画というジャンル自体が失っているので、これ以上の拡大が望めないんですよ。

考えてみれば、過去の香港映画のファンって、ファンの中でもジャンルを選択肢が少なく、私も王家衛、香港のイケメン系から入ったファンとは話が合わず、思わず昔話をしてしまう、今から考えると自殺したくなるような行為をしたこともあります。

一応、私達の世代も含めて、日本における香港映画の売上に貢献したこともあったのでしょうが、どちらかといえば、香港映画が好きなのではなく、好きなジャンルが偶然香港製だっただけかもしれません。製作国でなくジャンルに固執するのならファン層に断絶があるのは自然の成り行きでしょう(決してフォローする気もありません)。世間に対する求心力といえば、90年代の王家衛あたりが最後でございましょうか。
良質な作品は現在でも作られていますけど、趣味が映画って人を除けば、レジャーの一環で映画館に行くような客層までも引き込まないとヒットしませんからねぇ。
そして旧世代の人達は時代錯誤の香港観(それも特定の年代の日本における)に執着して作品のクォリティには別段関心が無さそうですし・・・

>旧世代にとってはそれも現実でしょうが、新
>しい人にとっては化石に過ぎませんよ。自分が
>化石だと認識することから新しいスタートがあ
>るはずですよ。

79年から80年の成龍の台頭に対する李小龍ファンからのバッシングがあり、それが日本における香港映画(一応)のファン層の断絶の初期段階ではないかと思います。
まあ、私は「オマエがタン・ロンか」とか「ミラクル・ガイ」とか、周潤發とくれば「男たちの挽歌」と何年も何十年も繰り返したくない感覚があります。


>アキラの実力はこんなもんではありませんよぉ!
>日活時代から見て欲しいです。

飛ぶ鳥落とす日活のスーパースター時の映画はレンタル店でそこそこ揃ってそうですね。リメイクの多羅尾伴内は、ある意味、日活と天知茂の明智をのパロディみたいで、いや、正直アキラと則文のやりたい放題に魂消たのでした。


>それに、多羅尾伴内といえば千恵蔵ですよ!
>爆笑しまっせ!

レンタルで置いてない女番長シリーズを買いに行く店で
千恵蔵先生の多羅尾伴内コーナーが設けられているのですが
その店の客層はエッチ系ソフト目当ての人達なので何年もホカされているみたいなのです。そして数日前、近所のレンタルで「七つの顔の男だぜ」を発見いたしました。これは7月中に借りるとしましょう。しかし千恵蔵の作品で一番気になるのは「花の吉原百人斬り」なのです。


先の嘉凌についてのやりとりを読んだお方のご厚意によりに何十年振りに「仇」を拝見させていただいました。私の場合恵英紅の現代的ルックスを重要視してしまう傾向があり、どうも嘉凌の女性的側面にはピンとはきませんでしたが、出自である京劇的動作を含んだ殺陣に工夫が盛り込まれていると感じました。勿論、嘉凌の活躍だけでなく武術指導とスピーディーに編集した演出面も重要なのですけど。この作品、数十年前に印象に残っているシーンの再確認したいという気持ちもありました。それは冒頭の馬永貞殺害シーンとラストの目をえぐるシーンでしたが、私の記憶以上にクールでした。全体的な描写は張徹作品の影響下にあることは一目瞭然であるにも関わらず、細かいカット割りで見せる手法に独自性を感じましたし、そこに流れる「シャフト」のテーマの相乗効果によりスタイリッシュな残酷美が昇華され非常に秀逸なシーンに思えました。この映画、幾度か語られることはありましたが「女ドラゴンに蹴られたい」とか「報仇ォー!!」とかそんなんばっかしで残念ですねぇ。

今回の日記における「瘋猴」の「酔蛇出洞」のくだりですが、「そんなの今の観客には受けないぜ」と小候に言わせて
ましたね。これも結果的に同じような路線になってしまった劉家良からのメッセージだったのでしょう。














更新 [2005年07月04日(月)]

Name:fake
Email:episodo1@iris.dricas.com
URL:http://myroom.isao.net/room164/0000001000019164

 7/4日記更新。本日は、ロン・コビックの伝記に迫る・・・
というのは真っ赤な嘘で、劉家良特集の第十五弾。

Re:劉家良特集 [2005年07月04日(月)]

Name:fake
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>fakeさん、こんにちは。おじゃまします。

 こんばんは!

>「劉家良特集」毎回興味深く読まさせてもらってます。

 ありがとうございます。テキストがあれば簡単な
のですが、断片的な資料を四苦八苦しながら翻訳し、
他の資料とつき合わせて独自の見解を加えたもので
す。興味を持ってもらえれば遣り甲斐もありますよ。

>(ジャッキーやマイケル・ホイがヒットしていた年なら仕方ないかもしれませんが・・)

 そうですねー。やはり許兄弟強し!でしたね。

>この後、ツイ・ハーク監督、ドニー・イェン共演で武術指導・出演もされている「七剣」は非常に楽しみな組み合わせで期待しているのです

 久々でしょうね。体調も悪かったらしいですし、
いくつかの企画が立て続けに流れてしまいました
から。
 『七劍』のメイキングはこの間台湾のTVで放送
していたのを見ました。ちょっと私が予想してい
たものとは違って、やはり徐克のテイストが全面
に出た感じでしたね。

>話し変わりますが「鐵觀音」やっと観ることができました。かなり期待しすぎていたため自分のなかで美化しすぎてしまっていた部分はありますが、面白く観ることができました。

 まあ本家と同じにはいかないのですが、それら
しい雰囲気とテイストは保っていたでしょ?

>なんといっても何莉莉さんの魅力が大ですね。

 そうなんですよー。何莉莉は他にも『女殺手』と
かも良いですし、何と言っても『十四女英豪』がお
勧めですよ。

>今は続編がこれをステップにどのように作られたのかが非常に気になっています。

 続編が出ていないなんてねぇ・・・。VCDは昔に比べ
ると画質は向上していますけど、画質重視の方に
はあまりお勧めは出来ませんね。

>P.S 「精武家庭」って日本題「カンフー・ハッスル・ファミリー」になったみたいですが「カンフー・ハッスル」のヒットにあやかろうとしているのがみえみえですね。ニュアンス的にはおかしくないですが、日本題つけるのって難しいのかな。

 『カンフー・ファミリー』でいいと思いますけど、
これじゃ駄目なのかな?

劉家良(15) [2005年07月04日(月)]

劉家良(15)ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー僵屍(キョンシー)映画は、映画史的には吸血鬼の系譜に連なるものである。僵屍は死体だがゾンビではなく、映画の骨格はドラキュラから借りてこられたものだ。最初の僵屍映画は戦前の中国映画にあるといわれ、『湘西[走早]屍記』がそれにあたるという。1939年以降には早くも僵屍は映画ジャンルとして人気を博すようになる。 39年『古屋行屍記』、40年『李阿毛興僵屍』、41年『女僵屍』など連続して僵屍ものが作られた。これらの作品はフィルムも残っていないといわれており、実際にはジャンル・ムービーとしてどの程度の作りだったのかは不明だ。 50年代には香港でも僵屍映画が作られるようになる。『萬里行屍』や『僵屍復仇』、57年には最初の僵屍映画のリメイク(?)『湘西[走早]屍記』が名匠・王天林によって作られた。 このジャンルに劇的な変化をもたらしたのが、74年英国ハマープロとの合作『七屍金/ドラゴンVS7人の吸血鬼』がそれだ。もともとドラキュラ映画の骨子を持っていた僵屍映画に、ジャンルの混合種としてのこの映画が、ハッキリとした方向性を与えたのである。ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー元は湘西地方に伝わる[走早]屍伝説だったものを、中国各地の民族伝説を編纂した王世禎の手により「中國民情風俗」という文献に紹介されたのが始まりだという。その中に収められた「談湘西的[走早]屍」という一篇に、今日映画に見る僵屍の基本形を見ることが出来る。 湘西地方では出稼ぎに出て亡くなった人の屍体を故郷で埋葬するため、術者によって"[走早]屍=僵屍"にして連れてくるというのだ。顔の前に札を貼る、術者の合図で飛んで動く等、映画に出てくる要素は全てここに原点がある。 僵屍映画を今の形に近づけた最初の作品は、77年の郭南宏作品『少林兄弟』だろう。明朝の遺臣が清朝の眼を逃れるために屍体に化けて旅をしたという逸話を元に、僵屍キャラバンに関わるドタバタを映画的に描いてみせた。ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー79年の劉家良作品『茅山僵屍拳』は、郭南宏作品と同じ逸話を元に、処女作『神打』的要素を加えた作品だ。英題こそパート2扱いだが、当初『神打小子』というタイトルだったとはいえ、この『茅山僵屍拳』は続編ではない。 汪禹扮する主人公の小子、酔っ払いの師傅(『神打』は江洋、『茅山僵屍拳』は劉家榮)、旅に同行する男装の少女(『神打』は林珍奇、『茅山僵屍拳』は黄杏秀)という構図こそ同じだが、作品の持つ性格は随分と違うものに仕上がっている。 ところでこの映画、みなさんは本当に劉家良が監督したものだと思いますか?私はどうも『螳螂』と同じ匂いがするのですがね。全体のもっさりした展開もそうですが、アクション描写も劉家良の武術指導とは思えません。スタジオ撮影のラストファイトだけは間違いなく劉家良のものでしょうけど、この場面と他のアクション場面を比較してみて下さいよ。 劉家良はこの年も『茅山僵屍拳』『爛頭何』『瘋猴』と三本製作するのですが、やはり本人は『爛頭何』に全力投球していたと思うんです。『茅山僵屍拳』と『螳螂』の共通点は、共に劉家榮と唐偉成が大きく扱われていることです。噂通り『螳螂』の現場を仕切ったのが彼等だとすると、実はこの映画もそうだったのではないか?と思えてくるのですがね。ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー『瘋猴』は高騰する一方の製作費を抑えるべく、自分で主演も兼ねた作品だ。劉家良作品としては最も短期間で撮られた作品のひとつで、最初から短期間・低予算であることを想定されていた。手っ取り早く全てをコントロールするため、主演も自分なら、弟子の役も子飼いの小候にやらせた。 小候は京劇の名門校「春秋戯劇學校」出身。当時香港にあった四大京劇学校のひとつだが、格式と実績は「春秋」が一番上である。他の三つはジャッキーら七小福の「中國戯劇學校」、程小東、火星のいた「東方戯劇學校」、徐忠信が学んだ「中華戯劇學校」だ。 「春秋」の主催者・粉菊花は、自身が京劇の名優であったし、この学校からは多くの俳優が巣立っている。古くは陳好逑、沈芝華、梁寶珠、李琳琳、梁無相、陳寶珠など。その後も、尊龍(ジョン・ローン)、林正英、錢月笙、惠天賜、董[王韋]、孟海、鍾發、京柱など一流のスタントマン、武術指導家を輩出。 小候も彼等と席を同じくして研鑚を積んだが、その卓越したアクロバット技術と武術指導理論を見込まれて劉家良の内弟子に。劉家良が正式に内弟子としたのはこの小候ただ一人である。ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーそんな二人の関係はこの映画でも師弟関係として微笑ましく描かれているが、物語そのものはあまり大きな起伏も捻りもない作品で、結果としてアクションだけが浮いて見える作品となった。 とはいえ同じ猴拳映画の中でも、洪金寶『雑家小子/モンキーフィスト猿拳』や、陳觀泰『鐵馬[馬留]/鐵猴子』と比較しても、そのアクションの素晴らしさだけはピカイチだ。 劇中、神仙と林克明が"酔蛇出同"といって酔拳と蛇拳を使う場面があるが、これは珍しく他社の作品(勿論ジャッキー)を意識したのだろう。当時流行の練功小子片に劉家良が挑戦したのがこの作品だったからで、元はと言えば練功片から派生したのが練功小子片で、現代小子片の原点も劉家良が作ったのである。 同時期に作られた他の練功小子片が、より洗練されていく段階にきているのに対し、劉家良のこの作品はストーリー部分が弱い。その点が非常に惜しい作品だといえるだろう。ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー続く
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