旧myroom(香港電影的日常 '01/2/17〜'06/1/29)より移転。

 香港映画を中心に語っていますが、基本的には何でもアリです。
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 ・・・・あと、リンクもフリーではないんです。すんませんなぁ。

更新 [2005年07月22日(金)]

Name:fake
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URL:http://myroom.isao.net/room164/0000001000019164

 7/22日記更新。本日は、劉家良特集の第十九弾。

 『十八般武藝』と『御猫三戯錦毛鼠』についてです。
順番からだと『長輩』が先になるんですが、これは後
回しにします。

Re:更新 [2005年07月22日(金)]

Name:fake
Email:episodo1@iris.dricas.com
URL:http://myroom.isao.net/room164/0000001000019164

>fake師父、こんにちは。
>レスありがとうございます。

 おはようございます。レスがちょっと遅くなり
ました。すんません。

> 各房において、行われている訓練そのものは非常に合理的に描かれていると思います。ただ、一つの房で習熟すると次の房に移るっていうしくみが、その房にいる時はその房での訓練しかしてないようにみえるんで、

 あー、なるほど。でもこれは映画的処理でしょう。
『三十六』の修行を効果的に見せるために次々と移っ
ていくだけで、次の房ではそれ以前に学んだことを
複合的に練習して行くのですから、退化ということ
にはならないのでは?

> あと「眼力房」(でしたっけ?)で、動いている木製人形を打つ動作がまだ習ってないはずの功夫の型になってたりするのも?と思いました。

 これは功夫映画だからですよ!(笑)

> 最後にこれは好みの問題なんですが、あまりに仰々しい道具を使った訓練が好きではないってのがあって、

 修行の精神性を劇的にみせる効果はありますが、
私もあまり好きではありませんね。本当に必要な
のは地味な反復練習だけですから、それでは映画
にならないという側面もありますね。

> 京柱雰囲気からして、他に準主役クラスの作品があれば観たいと思ったんです

 『洪文定三破白蓮教』は胡亞彪の役で、前半に姿
を消してしまいますが印象的な活躍ですよ。

> そんなことがあったんですか。自分の功夫映画鑑賞ノート(何だソレ?)に、1989年9月30日土曜日に岐阜市の映画館でとありました。併映の記録、記憶が全くないので、「少林寺拳道」だけ観て帰ってしまったんだと思います。

 『悲しきヒットマン』はお気に召しませんでしたか。(笑)

劉家良(19) [2005年07月22日(金)]

劉家良(19)ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー『十八般武藝』がショウブラと劉家良が交わした13本契約最後の作品だ。(『長輩』は後述) それを意識してのことかどうか、処女作『神打』を継承する作品となっている。 『神打』のOPで義和団が西太后に披露する神打術。刀も槍も、弾丸ですら跳ね返す神打術に、列強各国に押され気味の清朝は最後の望みを繋いだのだ。映画『神打』はこのOPから転じて、術の迷信そのものを描くコメディ・タッチの小子片となっていく。低予算ゆえの措置だったが、これに落とし前をつける作品として『十八般武藝』の存在があるのだ。 茅山道や神打術を含んで構成される義和団の中から、その秘術を知る高位の術士・劉家良が失踪。西太后の側近・李蓮英(王清河)は、各団体の同志に劉家良探索と抹殺の指令を出す。組織に芽生える疑心暗鬼は、血で血を洗う内紛劇へと発展。その中で劉家良は、義和団の欺瞞と神打や茅山術の迷信を容赦なく断罪するのだ。ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー隠遁生活の劉家良を追って各派の暗殺者(小候、劉家輝、惠英紅、傅聲、朱鐵和、劉家榮等)が次々と襲い掛かる。術のまやかしに嫌気が差した劉家良は、人知れず平和な暮らしを送っているのだが刺客たちには容赦はない。小候や惠英紅など、真実に気がついて目が醒める人間もいるが、組織の追求は止まないのだ。 この各派と劉家良の対戦模様が映画の肝だが、流派間対立による技比べというアクションは、既に『中華丈夫』でも描かれたもので新味はない。もちろんこの映画ならではの工夫はされているし、流石にアクションそのものは良く出来ているが。 これは劉家良の映画だけでなく、ジャッキーやサモの映画にも共通して言えることだが、高度なアクションのレベルを維持するには、日頃から意思の疎通がとれたチームとして訓練しなくては不可能である。それが劉家班、成家班、洪家班などの武術指導班になっていくのだが、同時にそれは顔ぶれの(アクションのではない)マンネリ化を招くのだ。 映画ファンにとって新鮮な顔合わせによるスターの競演は楽しみのひとつなのだが、この武術指導班体制は、アクション・レベルを高度にはするものの、もうひとつの楽しみは奪ってしまったのである。独占契約も潮時ではあったのだ。ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー長期契約終了後最初の作品である『御猫三戯錦毛鼠』(公開は9月)が作られた82年は、既に『最佳拍档/悪漢探偵』(1月)が大ヒットを飛ばし、ジャッキーは脱功夫を宣言した『龍少爺/ドラゴンロード』(1月)を製作、サモは現代アクションに挑戦した『堤防小手/ピックポケット』(3月)を発表していた。 従来の映画作りが通用しない時期にきていることは劉家良にも解っていただろう。その混乱がモロに出てしまったのが『御猫三戯錦毛鼠』ということになる。今の目で見ると、後のシネマシティで高志森(クリフトン・コウ)が作っていた旧正月映画のような楽しさはある。劉家良映画の常連達が、著名な侠義小説の登場人物に扮し、思いっきり力を抜いてバカに徹する姿はそれなりに面白い。だが、これは当時の観客が望んでいたスピーディで現代的なものとは無縁の映画である。440万HKドルで年間興収26位は、歴代の劉家良作品としてもワースト4だ。 何故、劉家良はこの年に正統派の功夫・武侠片を作らなかったのか?それは、『少林三十六房』の影響で製作がスタートした『少林寺』が、香港映画初(ただし合作)の大々的な大陸ロケで完成。中国本土で大ブームを巻き起こし、82年1月に香港でも公開され大ヒットを記録していたのだ。 それまで小さなスタジオだけで作られていた功夫映画の概念は、この映画一本で覆されたといって良い。ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー『御猫三戯錦毛鼠』の原作は、文康の『兒女英雄傳』と並ぶ、侠義小説(後の武侠小説)の元祖「三侠五義」。作者は林雲銘、袁枚等諸説あるが、石玉混だと言われている。「三侠五義」は、宋代の名裁判官・包拯を三侠と五義が助けて活躍する、公案小説に属するジャンルである。 石玉混の小説が未完だったこともあり、別人の手によって「七侠五義」(作・兪えつ)とその続編「小五義」「續小五義」(作者不明、口伝か?)、「新七侠五義」(作・治逸)が書かれた。さらには包拯を主人公とする「包天」ものは無数に外伝が存在するが、中でも有名なのは李志清の書いたものだろう。これが周星馳の『九品芝麻官/白面包天』の原作となるのだ。 三侠(後の七侠)と五義のメンバーは、展昭、丁兆蘭、丁兆、欧陽春、艾虎、智化、沈仲元の七侠と、盧方、韓彰、徐慶、蒋平、白玉堂の五義だ。七侠のリーダー格・展昭が、身のこなしの軽さから"御猫"と呼ばれている。一方、五義の問題児・白玉堂が"錦毛鼠"なのだが、これは白玉堂が"江南五鼠"と呼ばれる義兄弟グループに属しているからついた異名である。ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー映画『御猫三戯錦毛鼠』は、仁宗皇帝(劉家輝)に認められた展昭(鄭少秋)が"御猫"の異名を拝命し"御前四品帯刀護衛"に任命される「南侠献技」と、白玉堂(傅聲)が展昭に挑戦する「白玉堂閙相府」から彼の改心までを描いた「白玉堂帰順」を元にしている。 劉家輝初監督作『少林興武當/少林寺武者房』出演のため台湾から訪れていた鄭少秋をそのままスライド当番。前作『十八般武藝』で珍妙な演技を披露して笑いを誘った傅聲と競演させることで、マンネリ気味だった顔ぶれに大きな変化を付けたことは評価される。ボケ役に徹した傅聲は、張徹映画時代や古龍武侠片の頃からは考えられないような演技で、彼にとっても新境地であった。 七侠は展昭以外ほとんど出てこないが、五義の方は白玉堂以外にも盧方(張展鵬)、韓彰(京柱)、徐慶(王龍威)、蒋平(小候)の配役で登場する。映画はあまり原作に捉われていないが、原作を知っていればより楽しめるのは言うまでもない。現在は絶版だが日本でも平凡社から邦訳本が刊行されていたこともあるので、興味のある方は古本屋を捜すのも一興です。ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー続く 
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