旧myroom(香港電影的日常 '01/2/17〜'06/1/29)より移転。

 香港映画を中心に語っていますが、基本的には何でもアリです。
 なお日記に記載の内容は、無断転載、転用はお断りいたしております。ご理解下さい。(by fake)

 ・・・・あと、リンクもフリーではないんです。すんませんなぁ。

Re:M.Iさんへ [2005年07月26日(火)]

Name:fake
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 パート3です。

 執行監製
 56 日月潭之戀
   馬車夫之戀
 57 天涯歌女

 監製
 55 碎琴樓
 58 海王子(兼導演・編劇)
 64 學生王子

 導演
 58 小野猫
   [イ肖]冤家
 62 離郷情涙(兼編劇)
 63 香港情潮
 65 巫山夢斷相思涙(兼編劇)
   女間諜第一號
 66 深閨夢裡人
 
 編劇
 58 甘蔗姑娘

Re:横滑りいたします(すみません) [2005年07月26日(火)]

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>ダイエットまで開始する始末でして誠に不義理で申し訳なく思っております。

 私も最近は夜勤生活にも関わらず、仕事終りから明
け方までずっーーーとトレーニングをしていますよ。
ダイエット目的ではなく、基礎体力の強化のためなん
ですが、結果的に随分と痩せましたね。

>さて、千恵蔵先生の「妖刀物語/花の吉原百人斬り」を鑑賞いたしました。これは名違いなく名作ですね。

 でしょ。通常、内田吐夢といえばこの映画か『飢餓海
峡』ですよ。もちろん他にも良い映画は沢山ありますけ
ど、一般的にはこの二本が代表作でしょうね。

>乗りに乗っていた時代の東映ですからセットの豪華に加えて、内田吐夢の色彩感覚により独特の映像美が堪能できます。

 色彩は内田吐夢にとって重要な要素ですからね。映画
のテーマを語るために一部分だけモノクロにしてしまう
というのは通常では考え付かないですよ。それもクライ
マックスですからね。

>顔の痣のため縁談に恵まれない絹商人の千恵蔵岡場所上がりの花魁水谷良重の救いのない関係が丁寧に描かれています。
>特に水谷の勝ち誇った表情が。そして刀を抜いた千恵蔵が切りかかっていく壮絶なラストに至っては鑑賞後も深すぎる余韻を与えてくれるのです。

 岡場所上がりという出自が、彼女のコンプレックスで
あり上昇志向のモチベーションにもなっているのですが、
そのために彼女には千恵蔵の誠意は見えなくなっている
んですね。岡場所時代の彼女なら確実に見えたであろう
ものが。
 そして今の彼女にとって、醜い千恵蔵の顔は、見たく
ない自分の過去でもあるんです。だから、吉原大通りを
ずるずると過去の因縁を引きづり回すごとく追いかけて
くる千恵蔵に斬られなければならんのですよ。

>「多羅尾判内/七つの顔の男だぜ」
>同じ千恵蔵でもうって変わって軽い作り。古き良き昭和活劇といったところでしょうか。もう千恵蔵先生もノリノリなのか適当なのかリラックスして演じてたように見受けられました。

 千恵蔵先生この役お好きだったそうですし、ノリノリ
ですよ。

>則文は意外に真面目に多羅尾判内の造形をコピーしていたことが判明いたしました。違うのは昭和50年代であること、スプラッター描写があること、そして小林旭のキャラクターが立ち過ぎている・・・ですね。

 原作も有名(ある世代までは)ですから、さすがにそこ
は崩せませんね。
 スプラッター描写が多いのは、当時の日本映画界が市
川崑の『金田一』モノがブームとなっていたからで、東
映は多羅尾伴内でブームに乗ろうと考えたんですね。結
局駄目で、翌年西田敏行で『悪魔が来たりて笛を吹く』を
撮るんです。

>ちなみに、昭和30年代の登場人物は言葉遣いが丁寧ですね。

 昭和も50年代中ごろまではみんな丁寧な物言いでした
けどね。80年代(昭和55年)から日本の価値観は全て一変
したというのが私の持論です。

>また、林家木久ちゃんの千恵蔵の物真似は全然似てないことも判明いたしました。

 木久蔵は月形竜之介は似ていますよ。

>そうそう、アキラの「鬼面村の惨劇」は「トラック野郎」の併映で見たのですが、オープニングクレジットの山海塾(みたいな)アングラなパフォーマンスしか印象に残りませんでした・・・

 私のところは『日本の首領』でしたね。再映だったの
かな?

>「徳川セックス禁止令」
>fakeさんも幼少のころにご覧になられたので記憶が薄れているかもしれませんが、これも傑作でした。

 ところどころしか覚えていませんね。前にも言いました
が、子供でも楽しめた映画だったというのは凄いことです
よ。

>白眉のシーンは切腹する腰元と介錯する恋人の成瀬正孝の描写であります。
>喜怒哀楽の感情しか持ち得ない人間にとっては残酷、悪趣味の言葉で片付けてしまうのでしょうけど、

 この場面は覚えていますが、当時の映画館では爆笑
でしたよ。昔の観客は、こういう場面で笑うという意
味を皮膚感覚で理解していたんだと思います。
 
>以前のスレッドにて羅維なんてのと対比させたことを深く反省いたします。

 羅維はみたまんまの絵しか撮れませんからね。(笑)

>また、名和宏が誘惑されるシーンで一瞬赤のホリゾントの背景になりますが、このへんは谷垣健二氏あたり功夫片フェチが喜ぶ「赤バックの演武」のルーツに思えます。もっとも、この手法は則文がオリジナルではないのでしょうけど。

 東映がカラーになってからは度々使われたもので
すね。『旗本退屈男』や『源氏九郎』など印象的で
した。大映はバックが多かったですね、陰影に富
んだの場面は宮川一夫などの手により、大映カラ
ーと呼ばれたもんです。

>功夫片の「赤バック演武」に関連して・・・
>「ポルノ時代劇/忘八武士道」のオープニングクレジットとクライマックスは、セットも最小限でスタジオ丸わかりなのですけど、これは明らかに舞台劇を意図したものであり、同様に「三十六房」もそれを意図したものでないかと考えを改めた次第なのです。

 日本の時代劇は明らかに歌舞伎の影響でしょうけど、
功夫映画は時代劇から作劇法を真似たんだと思います
ね。
 面白いのは、日本の場合、歌舞伎の実演を野外ロケ
で撮ることから時代劇が始まっており、後々スタジオ
システムの構築と共にセット撮影へと移行していきま
す。
 それに比べると上海映画の流れを組む香港映画は、
最初の作劇法は西洋のチャンバラや、西部劇からとら
れていることは古い無声映画からもわかります。50年
代を過ぎて60年代になってから急に日本映画の影響が
見られることからも、多くの日本人が海を渡った時期
と一致していますし、この時期に邦画から学んだのは
間違いないと思いますね。

>重ねて申し訳ございません、実は「直撃!地獄拳」と「大逆転」を借りてしまったのです。

 借りちゃいましたか・・・。

>ちなみに西本さんの新東宝時代のフィルモグラフィーで「助監督・石井輝男」って見ただけで嬉しくなっしゃいました。

 石井輝男も香港へと行ってますからね。現地で向こ
うの映画人と交流があったのなら楽しいのですけど。

>天知茂と三原葉子(汚れでない時代の)の新東宝作品が見たいと思う今日この頃です。

 三原葉子が汚れでない時代?あるんかいな!(笑)
デヴュー当時からゲテモノ女優、グロ女優と呼ばれ
てたんじゃ・・・・。
 天知茂の新東宝ものなら、『憲兵とバラバラ死美人』
をお勧めします。私は幼少のころこの映画を母親に
見せられて・・・・・。(苦笑)

Re:少林三十六房 [2005年07月26日(火)]

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>fakeさん、こんにちは。

 こんにちはです。

>もちろん、過去日記を読ませていただいて観たくなった作品は数限りなくあります^^ 

 それはうれしいお言葉です。是非、これからも功
夫道を邁進して下さい!

>『バットマンビギンズ』観ましたが、「復讐か正義か」で主人公が葛藤している過程がかなり興味深かったです。

 でも、映画の中で主人公が行う正義は、結局正当
化される運命にあるので、本当は悩む必要はないん
ですけどね。(それを言っちゃあおしまいいか・笑)

>話がずれますが、最近観る映画観る映画モーガン・フリーマンがいます(笑)ここまでキャラを確立してる俳優さんも、最近珍しい気がします。

 『ドリーム・キャッチャー』はご覧になりました?
ヘタに悪役やってますけど、"黒いキルゴア大佐"とし
て一部マニアには評判良いですよ。私もこの映画のフ
リーマン好きです。

>あーなるほど、確かにそうですね。なかなか同時代的な状況はわからないので、勉強になります。

 時系列でものを見返して、そこから時代性を読み取
る、これが全体像を把握する最良の方法だと思います。
シンチーの映画が、当時どの映画と興行合戦を繰り広
げていたのか?ひとつひとつ検証してみるのも面白い
ですよ。

>そうですねーまだよく整理できませんが、劉家良のリアリズムとはちょっと違うかもしれないですね。

 映画からの影響は受けているかもしれませんが、劉
家良的なものとは違うように思いますね。

>ところでfakeさんは、周星馳の『回魂夜』はご覧になってますか?

 私もこれは未見です。ホイ兄弟の『天才興白痴』が公
開されない理由が、長年に渡って精神病院の描写にある
と言われていましたが、実際に見てみると単に映画が面
白くないだけであったことがわかりました。(公開当時既
に失敗作の烙印を押されていたことも)
 『回魂夜』がそうだとは言いませんが、描写そのもの
には理由はないのかもしれません。ちなみに香港で『回魂
夜』の当時の映画評はあまり芳しいものではありません
でしたね。

>やはりそうですか。結局自分の手足が頼りなんですね。
す!

 現場百回が捜査の基本ですよ。科学捜査(ネット検索)も
大切ですが、情報は脚で稼ぐもんです。ネットに出ない口
コミ、新聞、雑誌の切り抜き・・・レア情報は今でも案外と
アナログなんですよ。

更新 [2005年07月26日(火)]

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 7/26日記更新。本日は、続いております劉家良特
集の第二十弾。

 本当はこれだけの内容を一回で書くつもりだったん
だよなぁ・・・。しかしまだ『長輩』だよ、もう少しかかり
ますね、こりゃ。

劉家良(20) [2005年07月26日(火)]

劉家良(20)ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー『長輩』と『掌門人』の二本は、劉家良初の女功夫片であるが、劉家良にとってショウブラでの集大成的作品となっている。契約の満了も近づいていたし、自分の映画が新時代にそぐわないものになってきていたことは、薄々本人にも分かっていたのだろうか。 『長輩』は、病弱で死期の近づいた黄拔景の事業を狙う、悪辣な弟・王龍威から事業を守るため、黄拔景は先に死んだもう一人の弟の息子・劉家良に事業を託すべくある奇計を用いる。それは、召使として働く惠英紅を死の直前に後添いとし、一族の長として遺産の管理を故人の意思に沿わせるよう監視を頼むのだった。黄拔景の意思を継いだ惠英紅は、会ったことのない甥・劉家良を訪ね広州へと向った。 叔父の後添いが来るという報に威儀を正して迎えようとする劉家良だが、その間の事情は聞かされておらず、ましてや年若い叔母が来るなどとは夢にも思わなかったのであった。ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーこの"年若い叔母"という設定がシチュエーション・コメディとしてのこの映画の妙であり、同時にこの映画の全てである。劉家良には惠英紅と同年代の息子・小候がおり、当然ながらここでもドタバタが起こるのだ。 儒教的精神に則れば年長者(年齢だけでなく、その席次も含め)は敬われねばならず、"年若い叔母"とはいえ彼女は一族の長だ。武道オタクで世俗に疎い劉家良と、香港の大学から帰って来た西洋被れの小候という親子の組み合わせも、"年若い叔母"との間をいっそうややこしくする。 遺産の相続人の証である翡翠の印章を、姦計を用いて奪った王龍威との間で一族の危機が持ち上がり、劉家良たちは一族に総動員をかけて奪還を目指すことに。ここで曹達華、林輝煌、神仙らが往時を思い起こして立ち上がるのがもうひとつのお楽しみで、老いぼれて息の上がった曹達華は「昔は鉄の男と呼ばれたのに・・・」とため息をつく。(曹達華は往時"銀壇鐵漢"と呼ばれていた) 実はこの映画の"年若い叔母"という惠英紅と、西洋被れで時折英語を交えて喋る小候の設定を足して2で割ったものが、徐克(ツイ・ハーク)版『黄飛鴻』の十三姨(關之琳:ロザムンド・クワン)になるのだ。 冒頭、桟橋に迎えに出る劉家良とのやりとりは、そのまま『黄飛鴻』でも繰り返されている。ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー『掌門人』は『長輩』の設定を更に拡大したものだ。道路の拡張計画に伴い立ち退きを迫られた時代遅れの武館。そこの経営者である劉家良は時代錯誤な頑固者で、立ち退きには断固反対である。アメリカに移住している師傅から、立ち退きに協力するようとの手紙が兄弟子・谷峰から届けられ、同時に武館を立て直すために一門から助っ人を送ると添えられていた。 それが師匠の一人娘・惠英紅で、アメリカ育ちの合理主義者で、年若い一門総帥という立場の彼女と、古臭い伝統価値観に縛られる劉家良の間で様々な誤解が起こるのだ。 この映画は劉家良にとっての"年輕人問題"映画である。およそ10年ほど前、戦争を知らない若い世代とのジェネレーション・ギャップを、張徹は『叛逆』『年輕人』『憤怒青年』などの映画で描き出した。そしてそれは10年たって、今度は劉家良の周りにも降りかかってくる問題となっていたのだ。 この映画が"年輕人"映画である証拠は、惠英紅の役名と、それを巡る劇中のやり取りからも明白である。惠英紅の役名は"陳美玲"、張徹の『年輕人』に主演した陳美齢(アグネス・チャン)と発音はほとんど同じ。劇中、行き過ぎた武館の宣伝で警察に掴まった惠英紅は、取調べ中「あんた俳優?、歌手?」と聞かれるのだ。ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー劉家良は元々、功夫映画女性不要論者であった。それは恐らく『長輩』『掌門人』を作った今でもそうだろう。古いインタヴューで彼は「女性が出演すると迫真感が薄れる」と語り、はっきり"不要"と述べているのだ。 「本来修行とは一生のもので、結婚出産をする女性に練功が両立出きる訳がない、よって女性の演ずる功夫に迫真性はない」と。そりゃまあ、ある意味においては真実だが、全く古臭い考え方である。では彼はどうして女性が主演の功夫を作ったのか? 答えは簡単、そんなもの作ってはいないのだ。『長輩』『掌門人』をよく見て欲しい。どちらの作品もメインは確かに惠英紅で、伝統的価値観を信ずる劉家良は振り回されている。が、最後においては結局逆転しているではないか! どちらの作品もラストに至るまでに"年輕人"惠英紅は、独断で無謀な闘いを挑み組織に掴まってしまい、最後は劉家良に助けられている。張徹は、年輕人の不安定さを方世玉に託して慈しんだが、劉家良はそれを家父長制度の価値観に押し戻してしまったのだ。 これが終生変わらぬ劉家良という人の価値観で、当時の愛人・惠英紅をスターにするための作品以外では、決して女性を主人公とした功夫片を作らなかった理由である。ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー続く
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