劉家良(23)ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー映画『五郎八卦棍』は、棒術"五郎八卦棍"を楊五郎が苦心して編み出すまでについての映画ではない。そこもエピソードとして描かれては、いる。だが、劉家良が過去の映画で試みてきたような、自身の武術ルーツを探索するような形の映画化ではないものに仕上がっているのだ。 そもそもこの映画には原作が存在し、映画はそれに沿って展開していく。その原作が、「水滸傳」「三國志演義」と並んで中国民衆に愛された「楊家將演義(又名:楊家將傳)」である。 "演義"というからには、元になる歴史的事実が存在するのは「水滸傳」や「三國志演義」と同じであり、実際の歴史を口述で膨らませていった"演義"は、やがて系統付けられて小説化され、「北宋志傳」と「楊家府演義」として明代に編纂された。一般にはそれも総称して「楊家將演義(又名:楊家將傳)」というのである。ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー本々の歴史はこういうものだ。唐が滅び、五代十国時代を経て、宋(960〜1126)が興る。宋は契丹族が興した遼と"燕雲十州(北京から河北の七州と、大同から山西にかけての九州)"の国境線を巡って争いが激化しており、北方の騎馬民族である契丹族と、歩兵中心の宋とでは戦力に大きな違いがあった。 宋はやがて契丹族に蹂躙されるのだが、宋の太祖(二代・趙光義)に忠誠を誓う楊業は、無敵の騎馬軍団「楊家軍」を率いて契丹族に対抗した。楊業は宋に征伐された北漢の名将で、元の名を劉継業といった。後に許されて宋に仕えるようになってから名を楊業と改めた。 楊業はトルコ系の人間ではなかったか?と云われており、それならば彼の騎馬軍団が精強であったのも肯ける。「楊家軍」は無敵であっても、宋に於いては外様であり、彼ら楊一族は二級市民である。その待遇を跳ね返すためにも「楊家軍」は必死の奮戦を重ねるのだが、南北宋を通じて経済大国へと変貌していく宋は、文人国家であり、武人は疎まれる存在にになりつつあった。 かの岳飛(04/9/17日記参照)がそうであったように、「楊家軍」は戦えば戦うほどに宋では孤立していったのである。ついに986年の宋遼戦において、味方の裏切りに遭い戦陣に孤立した楊業は、そのまま俘虜の辱めを受けるが絶食死して果てたという。ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー宋を侵した遼は、他の異民族のように漢民族と融和することなく、北方遊牧民のアイデンティティを保った。過去の例だと、武力では制圧し得ても、やがては漢族の文化に飲み込まれて行くのがオチで、結局は漢族の支配に逆戻りした。この遼の統治が後のモデルケースとなり、チンギスハンらの異民族支配を成功に導くのだ。遼の太祖・耶律徳光は、チンギスハンの重臣・耶律楚材と同一の一族である。 楊業には「楊家將演義」のように大勢の息子がいた。中でも六男の楊延昭(楊六郎)は父・楊業の難から逃れた後、宋に帰り、騎馬軍を率いて1004年に行われた戦に功を立てたという。 この楊一族の忠節は武人の誉れとして長く称えられ語り継がれた。その楊家五世代に渡る奮闘の歴史を綴ったのが「楊家將演義」なのだが、これが日本では「水滸傳」「三國志演義」程には有名でないのは、肝心の「楊家將演義」はそれほど良く出来た読み物ではないからだ。
天界の八仙人なども登場する物語展開は奇想天外な幻想小説の趣きであり、「三國志」にビジネスマンのリーダーシップを学ぶといった、"つまらない"付加価値を求めたがる日本では邦訳されなかった。ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー「楊家將演義」の導入部は概ね史実通りだ。楊家七人の息子たちは、味方である潘仁美の裏切りに遭いことごとく戦死。楊業は俘虜にはならず、"李陵碑"に頭を打ち付け漢民族の誇りを示して死ぬ。 六男・延昭が逃げ延びるのも史実通りだが、それを助けるのが戦場で行方不明になっていた五男・延徳(楊五郎)だ。五台山にて僧侶になっていた延徳は、延昭を助けた後に寺へと帰っていくが、延昭の危機に九妹の要請で立ち上がりこれを救出する。映画『五郎八卦棍』がこの部分をベースにしたストーリーなのがお解り戴けるだろう。 違うのは「楊家將演義」においては四男・延朗(楊四郎)が生存しており、映画では陳家谷の決戦で五郎と六郎以外は戦死する。九妹(映画は八妹)が男装して五郎を迎えに来るのも「楊家將演義」の通りだが、六郎を演じた傅聲の事故があり、六郎の再起と救出は映画では描かれない。 映画はOPで陳家谷戦を描き、楊一郎(汪禹)、二郎(劉家榮)、三郎(麥徳羅)、四郎(小候)、五郎(劉家輝)、六郎(傅聲)、七(張展鵬)と、潘美(林克明)、菅規(朱鐵和)、耶律連(王龍威)らの戦いをテンポよく見せる。楊業の妻・余太君を李麗麗が、八妹を惠英紅、九妹を楊青青が演じ、楊五郎を助ける猟師役で劉家良が出演している。ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー冒頭、李麗麗演じる余太君が戦の前に吉凶を占って御神籤を引く。「七人の子が行き・・・六人が還る」不吉の前兆を表わす結果に顔を曇らせる。悲惨な戦闘の中、楊家の息子たちは次々と戦死していくが、立ち往生で果てる楊二郎や、李陵碑に頭を打ち付ける楊業、発狂する楊六郎など、セリフ回しも演技も非常に仰々しい。 この映画で劉家良が目指したのは、『爛頭何』で試した北派表演アクションの実戦武打への変換という手法の完成型だ。そのために借りてこられた舞台装置が、「楊家將演義」の京劇化翻案作品である。「楊家將演義」はそのストーリーの要所が京劇の演目になっており、「李陵碑」「三岔口」「打焦贊」「座宮」「洪羊洞」「牧虎關」「天門陣」「四郎探母」など、全て有名な京劇の演目なのだ。 セリフ回しの大仰さも、アクションの非合理性も、元が舞台劇の所作から来ているものであるなら納得だろう。 宋の時代に存在したとは思えない契丹族が使う曲がる棒術。本来、五郎八卦棍を使いこなせるはずの劉家良とは思えない楊五郎の殺陣。大掛かりな舞台装置で繰り広げられるワイヤーワークを駆使した闘い模様。 極めつけは縛られて身動きの取れない惠英紅を、そのまま背負って闘う劉家輝だ。この場面の先駆が、『爛頭何』における人間浄瑠璃と、ラストの不具拳の殺陣にあるのは言うまでもない。ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーこの映画が製作された84年は、香港がそろそろ返還へのタイムテーブルを意識し始めた時期に当る。「俺は国家を愛するが、国家は俺を愛してくれるのか?」という楊五郎の問いかけは、国家無き国家に生きる香港人の心の叫びでもある(祭壇の前で劉家輝が流す涙は本物だという。最近のインタヴューで当時を振り返った劉家輝は、傅聲の事故死後に再開された撮影の時、傅聲のことを考えていたら自然と涙が流れたそうだ)。 劉家良にとってこのセリフは、"国家"を"会社(ショウブラザース)"と置き換えても構わない。裏切り者の潘美を倒した楊五郎は、戦乱の世の中を捨て、八妹の「兄さん、家に帰りましょう・・」の叫びも無視して去って行く。楊家の証である印を八妹に返し、「これを代わりに持っていけ、この身は還らず・・・・四海これ我が家」と呟く。返還後に海外移住を計画していた当時の香港人たち、生まれ育った土地を離れようとも、そこに香港は生き続けるとの劉家良のメッセージがここに込められている。ペシミスティックなセリフに時代性を感ることが出来るだろう。 最後に余談をいくつか。「水滸傳」の登場人物である青面獣・楊志には、楊業の一族という設定があります。 楊家の男たちは、楊業以下ほとんどが戦死。妻・余太君やその娘、息子の嫁たちなど残された女たちの側から描いたドラマが映画
『十四女英豪』。『五郎八卦棍』と併せてご覧になれば面白さも倍増です。ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー
続く