『大刺客』'67製作、監督:張徹、主演:王羽ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーこの映画はいわゆる"武侠片"ではない。本来は歴史劇にカテゴライズされるべきものである。張徹にはこういう作品も多く、
『十三太保』『刺馬』『大刀王五』などで歴史の挿話を描いているのだ。 この映画を理解するには古典や歴史の素養が不可欠であり、その点で通常の武侠片より敷居も高い。元になった話は、司馬遷描く中国古典にして最初の歴史書「史記」に描かれた「刺客列傳」。映画『始皇帝暗殺』における荊軻のエピソードや、専諸を主役にした
『刺客列傳』など映画化されたものある。 張徹にとっては念願の企画であり、大成功を収めた
『獨臂刀』の後、同じような企画を撮らずに中国的"侠士"の世界をあえて描いた。だがこの映画にこそ張徹の考える"義"と"侠"があるのであり、ここで描かれる作中テーマと"報仇"戦の有様が、後に繰り返される"浪漫暴力路線"の原風景となっているのだ。ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーでは元になった「聶政刺韓王」から見ていこう。戦国時代が起こった原因のひとつに鉄の発明がある。青銅器に比べ、はるかに安価で大量に作れる鉄は、それまでの暮らしを一変させてしまった。 最初に変わったのは武器ではなく農業だった。それまでの農工具は銅か木製であり、鉄の登場は土地を耕すという行為を飛躍的に進化させたのである。 続いてが土木建築である。それまで難しかった大掛かりな灌漑用水路の工事により、土地は整備され洪水の被害も減ったのだ。 これが戦争の仕様を大きく変容させるのだ。これ以前の戦争の主力は馬に曳かせる三人乗りの戦車であった。用水路の建設は戦車の交通路を遮断し、これにより歩兵中心の軍隊が各地に誕生するのだから皮肉だ。戦車戦の主力兵器は弓と戟であり、歩兵の主力は剣である。ここにも鉄の影響は顕著に見られるのだ。戦国時代は鉄の登場と共に幕を開けたと言ってもよい。ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー紀元前390年代、韓の烈侯である嚴仲子は直言が災いして韓の君王の宰相・侠累と対立。都を追われて諸国を遊歴して歩いていた。齋の国に聶政という勇者がいると聞き、面会を求めるが断られてしまう。 聶政は元は魏の住人だったが、過って人を殺したため老母と姉を連れ齋に逃げ延びていた。今は屠殺業を営んで隠棲しているが、その心には大望が隠れていた。 度々の面会を求める嚴仲子と酒を酌み交わす機会を持った聶政は、嚴仲子が自分に頼み事があるのではないかと推察する。「今の自分の身では頼むこととてない・・・」そう答える嚴仲子に感銘を受け、聶政は義兄弟の契りを結ぶ。 聶政の家が貧しい事から母にという名目で金銀を送った嚴仲子だったが、聶政はこの申し出をキッパリと断っている。 嚴仲子は言う「私は仇ある身でやむなく諸国を流れているが、貴公との友誼は別である」、だが聶政も「私は故あって故国を離れ、現在は老母への孝行のみが願いである。老母存命の限りは他人への義理は果たせない。義を果たせぬお付き合いは出来ないのだ」と嚴仲子からの礼物は一切受け取らなかった。ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー失意の嚴仲子は齋を去った。時を経て聶政の老母は身罷り、姉も他家へと嫁いだ。「壮士は己を知るものの為に死すという・・・千里の道を越えて交わりを結ばんとした嚴仲子に対し、今こそ俺が何かを成さん」 嚴仲子の元へと訪れた聶政は、韓の宰相・侠累が君王の叔父であるのをいいことに専横を欲しい侭にしているとの嘆きを聞く。自分が君側の奸を除こうと申し出る聶政に、どのような手立ても用意すると応える嚴仲子。 「一国の宰相を暗殺するのだ、人を多くすればそこから謀も漏れるものである」と一切の手助けを断った聶政は、たったひとりで韓都へ赴き侠累を暗殺。護衛に囲まれて抵抗を試みるが、もはやこれまでと悟ると、顔の皮を自ら剥ぎ取り腸をつかみ出して息絶えた。 韓では死体を広場に曝して刺客の身元を知る人間に懸賞金をかけたが、名乗り出るものはひとりもいなかった。聶政の姉はその噂を聞きつけ韓都を訪ねて死体と対面。「深井里の住人・聶政である!」と大声で呼ばわった。 「この者はわが国の宰相を暗殺した犯人だ、あなたの知る辺のものか?それならばあなたも罪に問われるが・・・」姉は「罰を恐れるあまり弟のしたことを世に埋もれさす訳にはまいりません」とその場で自害して果てたのであった。ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー以上が「史記」に書かれた「聶政刺韓王」の顛末だ。映画『大刺客』はほぼこの通りに話が進む。配役は、聶政に王羽、嚴仲子に田豐、宰相・侠累(映画では韓傀)に黄宗迅、老母に林靜、姉に李香君、韓の君王に古龍(金童)という布陣。 映画が独自に描いているのが聶政が魏を出奔するくだりで、近所に住む焦[女交]を巡って恋の鞘当を演じた張佩山は、聶政と同門の剣の師弟。師・房勉の卒業試験で聶政を殺そうとした張佩山は破門され、逆恨みした彼は房勉が国への謀反を教えていると密告。 師を殺された聶政は友人の鄭雷と共に張佩山を殺し、故郷を出奔するのだ。鄭雷が嚴仲子のところへ身を落ち着けたことから聶政と関わりが生まれる展開も自然で、聶政と焦[女交]との間の仄かな恋愛模様が作品全体に一貫した流れを生んでいる。 「壮士は己を知るものの為に死す」これが「刺客列傳」を貫くテーマであり、荊軻も、専諸も、聶政もそのために闘って死ぬ。張徹が終生かけて追い求めた男の義侠心と妄執(精神的なホモセクシュアルも含む)の原型がここにあるのが見て取れるであろう。ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーラストの報仇戦も壮烈だ。王羽が変装を脱ぐと(あの場面でその必要はないにも関わらず)、下から現れるのが真っ白な服。刺客には不似合いな白さであるが、これが張徹の様式美として後々まで定着する"白衣大侠"である。 白は中国では死の意味だ、張徹はこれを清廉を表わす正義の色とした。白い服には血の赤が映えるという映画的ビジュアル効果も考えてのことだ。 時代考証や服装風俗史の観点からみて外れていることは承知の上で、あえてこだわってみせたのである。 ラストの闘いで包囲を破れないと悟った聶政は、焦[女交]から貰った青い帯を腹中からスルスルと取り出す。聶政が腸をつかみ出したとの故事を、グロテスクにならないよう映画的に再現したものだが、これはもともと京劇の手法だ。 京劇の演目として有名な「界牌關」でクライマックスに描かれる"盤腸大戰"を再現するのに、槍で突かれた關公が赤い布を腹中から取り出して血をみせるギミックが元ネタである。 最後になったが、剣の修行中に師・房勉から貰う剣は鉄製のもの。聶政以外の人間の多くが青銅の剣を持っていることから、聶政は相手の剣をスパスパと斬り落とす。ここら辺に時代色がきちんと描かれているのはさすがである。