旧myroom(香港電影的日常 '01/2/17〜'06/1/29)より移転。

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『柳生一族の陰謀』(1) [2006年02月16日(木)]

『柳生一族の陰謀』(1)'78年製作、監督:深作欣二、主演:萬屋錦之介 他オールスター

 東映が社運を賭け、11年降りに製作した時代劇だ('67年の『十一人の侍』以来となる)。

 ヤクザ映画も下火になり、カラテ・ブーム、ポルノ路線もひと段落した東映は、映画産業の斜陽化にカツを入れるべく、かつて一世を風靡した時代劇に活路を求めた。その時代劇だが、'78年当時はTVの世界で花形番組として君臨しており、かつての時代劇スターたちや、映画黄金期を支えた監督以下スタッフたちは、TVでもうひと花咲かせていたのである。

 そのTVでも新しい芽が現れ始めていた。

 '72年にフジ系列で放送が開始された「木枯し紋次郎」は、股旅ヤクザのリアルな生活描写や、剣を知らない渡世人の滅茶苦茶な剣法が話題を呼び、ニュー時代劇として抜群の人気を誇っていたのである。その「木枯し紋次郎」を打倒すべく、主演の中村敦夫が怪我でシリーズ休止中に生まれた作品が「必殺仕掛人」(元々は池波正太郎の人気小説「仕掛人・藤枝梅安」から)で、影を基調とした陰影のコントラストで魅せる独自の映像や、ユニークな仕掛の殺陣に人気が集まり、これも大ヒット。映画から続く従来の時代劇路線に、一大改革を持ち込んだ。

 TV時代劇にリアルな殺陣を持ち込んだ最初の作品「三匹の侍」('63)の演出を担当した五社英雄、「木枯し紋次郎」は市川崑、「必殺」シリーズは深作欣二や工藤栄一と、TVから映画へ、映画からTVへと人材の交流も盛んになり、時代劇というジャンルの幅も、その質も随分と変化していたのだった。

 東映が時代劇を再開するに当って、白羽の矢を立てたのが、実録ヤクザ路線で東映の屋台骨を支えたエース監督・深作欣二。

 『仁義なき戦い』シリーズで任侠映画に止めを刺し、TVで「必殺」シリーズを成功させていた深作は、東映の目指すニュー時代劇にピッタリの人選であった。映画で時代劇を手掛けるのは初挑戦となる深作は、監督を引き受ける条件として、従来の時代劇的展開や約束事は、必ずしも守らなくても良いかどうか、確認して後引き受けた。

 完成した作品は“仁義なき徳川家の戦い”と揶揄され、従来の時代劇ファンの一部や、年配のファンからは嘲笑されたが、TV時代劇世代の圧倒的支持を受け大ヒットを記録。この路線に自信を持った東映は、以後数年の間に渡って大型時代劇を製作したのである。

 徳川家二代将軍・秀忠が死んだ。その息子・家光と、弟である駿河大納言忠長の確執から、それぞれの陣営が三代将軍の座を巡って合い争う。その間で暗躍する公家の存在や、将軍家兵法指南役を賭けた柳生の争い、戦乱に乗じて復興を企む根来忍者など、多彩な人物群像による“仁義なき戦い”が展開されるのだ。

 徳川幕府創成期に、実際に起きた将軍継承問題をモチーフに、虚実入り混じる人物像を、縦横に駆使した娯楽巨編である。この“虚実入り混じる”という点が、伝奇時代劇のミソで、時代劇ファン=歴史ファンとは必ずしも限らないであろうが、“虚実”の配分が絶妙であればあるほど、作品の成功度も高まるのだ。

 この映画は、その時代性と歴史的背景を知れば知るほど面白いものであります。次回はその辺りについてお送りします。
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