「斬る 続柳生一族の陰謀」(1) [2006年02月26日(日)]
「斬る 続柳生一族の陰謀」(1)
*当たり前ですが、こんな映画はこの世には存在しません。このコラムは、作られなかった幻の続編について書いたものです。( )内は映画『柳生一族の陰謀』時のキャスティング。
映画『柳生一族の陰謀』は大ヒット。東映の思惑通り、大型時代劇が脚光を浴び、束の間のブームを呼んだ。
映画の脚本を担当したのは野上龍雄、松田寛夫、深作欣二だ。それを小説化したのが作家の松永義弘で、映画公開当時('78)に出版されていたことがある。(小説の原著者には野上らの名前も共同で載せられた)
筆の乗った松永義弘は、早くも同年には小説版の続編「斬る 続柳生一族の陰謀」を執筆した。
これが実に面白いのだ!!
これほどのアィディアを映画公開後すぐに持ちながら、映画化し得なかったとは!東映にとっても痛恨事であろうが、ファンにとっても大いなる損失である。元々が大手の出版社から出されなかったため、小説版続編の存在自体があまり知られていないし、現在では出版社そのものも存在しないため入手も困難だ。
この不遇の続編にスポットをあてつつ、何故?続編は作られなかったのか?に迫りたいと思います。
映画『柳生一族の陰謀』ラスト、徳川家光(松方弘樹)の天下を実現させた柳生但馬守宗矩(萬屋錦之介)だったが、その過程で多くの犠牲を強いた。根来忍者の使い捨てなどがその好例で、宗矩の長男・柳生十兵衛(千葉真一)は、大事な仲間を無残に殺された憤りを家光、宗矩に向ける。
「これは夢じゃ!」十兵衛に斬られた家光の首を抱えて叫ぶ宗矩。この印象的な場面で映画は幕を閉じた。小説「斬る 続柳生一族の陰謀」は正にこの直後から幕を開けるのだ。
十兵衛の家光暗殺現場には、小姓や奥女中などがいた。自らも十兵衛の刃に傷つきながら、家光の首を抱えて現場の混乱を鎮める宗矩。「皆々落ち着かれい!これは夢でござる、徳川の天下は御安泰なるぞ!」これは柳生宗矩決死の時間稼ぎで、注進を受けた松平伊豆守信綱(高橋悦史)の到着を待っていたのだ。
信綱が到着、「ご案じめさるな!上様ならここにおわす、十兵衛が斬ったのは影武者なるぞ!」と、その場を完全に掌握した。
実はこの家光こそ影武者であったのだが、これにより徳川の天下は何事もなく続くかに思えた・・・・。
宗矩、信綱が、いかに事を納めようとしても、人の口に戸は立てられぬの喩えが示すように、家光暗殺の噂は江戸城内外で囁かれる。一方、かつての主君・家光、父・宗矩を斬った十兵衛はそのまま出奔。宗矩はその時の手傷が元で、瀕死の状態だった。
柳生家には長男・十兵衛三厳の他、次男・左門友矩(矢吹二郎)、三男・又十郎宗冬(工藤堅太郎)、女子ふたり(映画では“茜”として志穂美悦子が演じてるが、“茜”という名前は伝わっていない)、最後に側室の子・六丸義仙(後の柳生烈堂、「子連れ狼」でお馴染み!)がいる。
宗矩自身、父・石舟斎の五男なのだが、長兄・厳勝は戦争の傷が元で跛に、次兄・久斎、三兄・徳斎は出家。四兄・五郎右衛門は戦死と、柳生宗家を継ぐ羽目になった。
柳生家の剣法は長兄・厳勝の子・兵庫助に受け継がれ、これが徳川御三家のひとつ尾張に仕える。剣の導統は継げなかった宗矩(腕は兵庫助の方が上)だが、将軍家ご指南役&大目付として幕閣で辣腕を揮うのだ。
で、十兵衛が出奔、左門友矩は前作で死亡(実際に早逝)、宗矩が危篤状態で本筋がスタートする「斬る 続柳生一族の陰謀」の設定にまず舌を巻く!
柳生家唯一の生き残り(このとき六丸はまだ子供)である又十郎宗冬(後の飛騨守)は、剣の技量においては一族でも一番下で有名なのだ。これも後のことだが、尾張柳生兵庫助の息子で、天才と謳われた連也斎と将軍家の前で御前試合を行い、その腕前の違いを露呈した(一説には指を折られたとも)。
作品は相変わらずの群像劇だが、タイトルにある“柳生一族の陰謀”を担う人物が、今回は又十郎宗冬である点が、どれほど歴史マニアを刺激するか、これでお解りであろう。
家光影武者説は真実味を帯び、反・柳生、反・信綱派は何とか一矢報いようと試みる。しかし、駿河大納言忠長は切腹、一体誰が幕閣と戦うのか?
実はひとりだけいる!それが今回のもう一方の主役・保科正之なのだ!
二代将軍・秀忠は、妻・於江代(山田五十鈴)の嫉妬が深く側室を持たなかった。確かに決まった側室は置かなかったが、ただの一度も浮気しなかったか、といわれればそうではない。
それが秀忠乳母・神尾氏の娘・お静で、これが懐妊して生んだのが保科正之。つまり、秀忠直系のもうひとりの男子である。
だが、保科正之の存在は無いものとされた。於江代の嫉妬が恐ろしかったからで、正之の存在は土井大炊頭利勝(芦田伸介)他、数人にしか知らされず、人知れず信州高遠藩主・保科正光の子として育てられ、18才になるまで父や異母兄とも会えなかった。
歴史上の保科正之は、その人物においても、殿様としても名君中の名君である。弟・忠長を切腹に追い込んだことを悔やんでいた家光は、ことのほか正之を可愛がったという。正之は加増され肥後守を拝受。会津松平23万石の礎となるが、終生松平の姓は名乗らなかった。自分を養育してくれた保科の家に恩義を感じていたからで、会津藩主が松平姓を名乗るのは三代・正容からである。
死に臨んだ家光は、正之を呼び寄せ、四代将軍・家綱の補佐役として正之を指名。これに感激した正之は、「会津家訓十五箇条」を定め、その第一条には「会津藩は、将軍家を守護すべき存在であり、藩主が裏切るようなことがあれば、家臣は従ってはならない」と苛烈に定めた。これ以降、歴代の会津藩主・藩士は共々にこれを守り通し、幕末の会津藩主・松平容保は最後の最後まで徳川将軍家に忠節を尽くした。
これほどの人物が、影武者家光の対抗馬として浮上してくる物語が、面白くない訳ないではないか!
家光を斬って出奔した十兵衛は、記念に家光の印籠を拾っていったのだが、これが影武者家光の存在を証明する重要な証拠となってしまう。もはや幕閣の勢力争いに巻き込まれたくない十兵衛、生き残りの根来忍者・ハヤテ(真田広之)、マン(浅野真弓)を連れ、ひたすら平穏を求めて流離う。
しかし家光の印籠は、影武者家光派、保科派双方にとっても、やはり漁夫の利を狙う朝廷にとっても垂涎の品である。
このメインストーリーに、寛永時代の歴史的代表事件がサブプロットとして絡んでくる。それが“河合又五郎事件”だ!・・・続く
*当たり前ですが、こんな映画はこの世には存在しません。このコラムは、作られなかった幻の続編について書いたものです。( )内は映画『柳生一族の陰謀』時のキャスティング。
映画『柳生一族の陰謀』は大ヒット。東映の思惑通り、大型時代劇が脚光を浴び、束の間のブームを呼んだ。
映画の脚本を担当したのは野上龍雄、松田寛夫、深作欣二だ。それを小説化したのが作家の松永義弘で、映画公開当時('78)に出版されていたことがある。(小説の原著者には野上らの名前も共同で載せられた)
筆の乗った松永義弘は、早くも同年には小説版の続編「斬る 続柳生一族の陰謀」を執筆した。
これが実に面白いのだ!!
これほどのアィディアを映画公開後すぐに持ちながら、映画化し得なかったとは!東映にとっても痛恨事であろうが、ファンにとっても大いなる損失である。元々が大手の出版社から出されなかったため、小説版続編の存在自体があまり知られていないし、現在では出版社そのものも存在しないため入手も困難だ。
この不遇の続編にスポットをあてつつ、何故?続編は作られなかったのか?に迫りたいと思います。
映画『柳生一族の陰謀』ラスト、徳川家光(松方弘樹)の天下を実現させた柳生但馬守宗矩(萬屋錦之介)だったが、その過程で多くの犠牲を強いた。根来忍者の使い捨てなどがその好例で、宗矩の長男・柳生十兵衛(千葉真一)は、大事な仲間を無残に殺された憤りを家光、宗矩に向ける。
「これは夢じゃ!」十兵衛に斬られた家光の首を抱えて叫ぶ宗矩。この印象的な場面で映画は幕を閉じた。小説「斬る 続柳生一族の陰謀」は正にこの直後から幕を開けるのだ。
十兵衛の家光暗殺現場には、小姓や奥女中などがいた。自らも十兵衛の刃に傷つきながら、家光の首を抱えて現場の混乱を鎮める宗矩。「皆々落ち着かれい!これは夢でござる、徳川の天下は御安泰なるぞ!」これは柳生宗矩決死の時間稼ぎで、注進を受けた松平伊豆守信綱(高橋悦史)の到着を待っていたのだ。
信綱が到着、「ご案じめさるな!上様ならここにおわす、十兵衛が斬ったのは影武者なるぞ!」と、その場を完全に掌握した。
実はこの家光こそ影武者であったのだが、これにより徳川の天下は何事もなく続くかに思えた・・・・。
宗矩、信綱が、いかに事を納めようとしても、人の口に戸は立てられぬの喩えが示すように、家光暗殺の噂は江戸城内外で囁かれる。一方、かつての主君・家光、父・宗矩を斬った十兵衛はそのまま出奔。宗矩はその時の手傷が元で、瀕死の状態だった。
柳生家には長男・十兵衛三厳の他、次男・左門友矩(矢吹二郎)、三男・又十郎宗冬(工藤堅太郎)、女子ふたり(映画では“茜”として志穂美悦子が演じてるが、“茜”という名前は伝わっていない)、最後に側室の子・六丸義仙(後の柳生烈堂、「子連れ狼」でお馴染み!)がいる。
宗矩自身、父・石舟斎の五男なのだが、長兄・厳勝は戦争の傷が元で跛に、次兄・久斎、三兄・徳斎は出家。四兄・五郎右衛門は戦死と、柳生宗家を継ぐ羽目になった。
柳生家の剣法は長兄・厳勝の子・兵庫助に受け継がれ、これが徳川御三家のひとつ尾張に仕える。剣の導統は継げなかった宗矩(腕は兵庫助の方が上)だが、将軍家ご指南役&大目付として幕閣で辣腕を揮うのだ。
で、十兵衛が出奔、左門友矩は前作で死亡(実際に早逝)、宗矩が危篤状態で本筋がスタートする「斬る 続柳生一族の陰謀」の設定にまず舌を巻く!
柳生家唯一の生き残り(このとき六丸はまだ子供)である又十郎宗冬(後の飛騨守)は、剣の技量においては一族でも一番下で有名なのだ。これも後のことだが、尾張柳生兵庫助の息子で、天才と謳われた連也斎と将軍家の前で御前試合を行い、その腕前の違いを露呈した(一説には指を折られたとも)。
作品は相変わらずの群像劇だが、タイトルにある“柳生一族の陰謀”を担う人物が、今回は又十郎宗冬である点が、どれほど歴史マニアを刺激するか、これでお解りであろう。
家光影武者説は真実味を帯び、反・柳生、反・信綱派は何とか一矢報いようと試みる。しかし、駿河大納言忠長は切腹、一体誰が幕閣と戦うのか?
実はひとりだけいる!それが今回のもう一方の主役・保科正之なのだ!
二代将軍・秀忠は、妻・於江代(山田五十鈴)の嫉妬が深く側室を持たなかった。確かに決まった側室は置かなかったが、ただの一度も浮気しなかったか、といわれればそうではない。
それが秀忠乳母・神尾氏の娘・お静で、これが懐妊して生んだのが保科正之。つまり、秀忠直系のもうひとりの男子である。
だが、保科正之の存在は無いものとされた。於江代の嫉妬が恐ろしかったからで、正之の存在は土井大炊頭利勝(芦田伸介)他、数人にしか知らされず、人知れず信州高遠藩主・保科正光の子として育てられ、18才になるまで父や異母兄とも会えなかった。
歴史上の保科正之は、その人物においても、殿様としても名君中の名君である。弟・忠長を切腹に追い込んだことを悔やんでいた家光は、ことのほか正之を可愛がったという。正之は加増され肥後守を拝受。会津松平23万石の礎となるが、終生松平の姓は名乗らなかった。自分を養育してくれた保科の家に恩義を感じていたからで、会津藩主が松平姓を名乗るのは三代・正容からである。
死に臨んだ家光は、正之を呼び寄せ、四代将軍・家綱の補佐役として正之を指名。これに感激した正之は、「会津家訓十五箇条」を定め、その第一条には「会津藩は、将軍家を守護すべき存在であり、藩主が裏切るようなことがあれば、家臣は従ってはならない」と苛烈に定めた。これ以降、歴代の会津藩主・藩士は共々にこれを守り通し、幕末の会津藩主・松平容保は最後の最後まで徳川将軍家に忠節を尽くした。
これほどの人物が、影武者家光の対抗馬として浮上してくる物語が、面白くない訳ないではないか!
家光を斬って出奔した十兵衛は、記念に家光の印籠を拾っていったのだが、これが影武者家光の存在を証明する重要な証拠となってしまう。もはや幕閣の勢力争いに巻き込まれたくない十兵衛、生き残りの根来忍者・ハヤテ(真田広之)、マン(浅野真弓)を連れ、ひたすら平穏を求めて流離う。
しかし家光の印籠は、影武者家光派、保科派双方にとっても、やはり漁夫の利を狙う朝廷にとっても垂涎の品である。
このメインストーリーに、寛永時代の歴史的代表事件がサブプロットとして絡んでくる。それが“河合又五郎事件”だ!・・・続く








