倉田保昭(1)『小拳王』 [2006年03月06日(月)]
倉田保昭(1)『小拳王』'71('70、'72年説有り)年製作、監督:頁敏、主演:孟飛
今月は倉田保昭特集です。“倉田の前に倉田無し、倉田の後に倉田無し!”
1970年9月『惡客』撮影の為、香港啓徳空港へと降り立った倉田保昭は、数十名の記者に囲まれていた。当時、東映の大部屋役者に過ぎなかった倉田は、“空手の出来る無名の役者が必要だから・・・・”そういわれて軽い気持ちで引き受けていたこともあって、事の次第に面食らっていたのだ。
香港最大の映画会社「邵氏兄弟有限公司(ショウブラザース)」に日本から映画俳優が参加し、スーパースター姜大衛&狄龍と競演することから、現地でもその話題は持ちきりであった。改めて自分の置かれた状況に奮い立った倉田は、日本での面接時に会っていた監督の張徹や、武術指導の劉家良に連れられ、清水灣沿いにそびえるショウブラザース・スタジオの門を潜った。
当初、二週間の契約でスタートしたが、一週間ほど撮影が進んだところで倉田の運命は一変していた。ラッシュの仕上がりを見た首脳陣は、鋭い蹴りを放つ倉田の動きに魅了された。時は未だブルース・リーの帰港前である。
会社は劉家良の強い薦めもあって長期契約を希望したが、当時まだ香港で骨を埋めるつもりなどなかった倉田は、現地のスターと同じ契約額(日本円で50万くらい、ちなみに同時期の脇役は月給3万くらいだったそうだ)を要求。交渉は決裂し、撮影が終われば日本へ帰る予定でいた倉田を引き止めたのは張徹だった。
“契約をしなかったというのは本当か?!”百萬弗導演と呼ばれるトップ監督の張徹は、独立志向が強く、外部に下請けのプロダクションを持っていた。“そこで『小拳王』という映画を撮るから、昼は『惡客』、夜は『小拳王』の掛け持ちで出演してくれないか?”という。“俺がスターにしてやる・・・・”張徹の男気を感じた倉田は、この張徹の申し出に賭けた。
ここに、日本から来た香港映画スター・倉田保昭が誕生したのだ。
『小拳王』の主役は孟飛という大陸から来た若い俳優で、彼を売り出すために立てられた企画だった。張徹の下請けプロ「南海影業」が直接の製作を受け持つが、倉田曰く“殺陣師の劉家良以下、スタントマンたちもそのまま移動して”昼夜兼行で『惡客』と『小拳王』の撮影を続けた。
完成した映画『小拳王』には、武術指導として劉家良の名前はクレジットされていない。クレジットされているのは弟の劉家榮と、『惡客』で劉家良と共同で武術指導を担当していた唐佳の弟子・黄培基の二人がクレジットされている。
が、実際には劉家良も現場で指導したのかもしれない。倉田本人の述懐にはしばしば彼の名前が登場している。
アクションも何も出来ない新人・孟飛は撮影中、劉家良の強烈なシゴキにあっていたらしいが、その若々しい魅力から映画は大ヒットを記録。とりわけフィリピンでの人気は凄まじかったらしく、孟飛と倉田の二人はフィリピンで最高の人気スターとなった。この人気からフィリピン映画界に呼ばれた倉田は、現地で主演作『金三角龍虎鬥』を撮るまでになる。
<ストーリー>
タイを旅している孟飛は、現地でムエタイの選手をしている乃南、その妹・劉蘭英と仲良くなり、乃南に中国武術の一手“刀手”を指導する。
孟飛がタイで旅行を満喫している間、孟飛の武館では日本人武術家・倉田保昭の挑戦を受けていた。道場を預かる劉江は、柔道技を使う王と空手技の倉田に苦戦。中国武術界は日本による屈辱的な蹂躙を許した。
その倉田の目に留まったのが、孟飛の妹・李琳琳。彼女に一目惚れした倉田は、日中友好を申し出、李琳琳を食事に招待した。
無礼な倉田の申し出を蹴った李琳琳だったが、度重なる招待で更なる屈辱に耐えていた。そこへ孟飛が帰国、“おのれ!無礼なる振る舞い許すまじ!”と立ち上がる。中国武術界で“小拳王”と評判の孟飛が代りに食事の招待を受けた。案の定、倉田らと乱闘になったが、“小拳王”孟飛の前には歯が立たない。必殺の“刀手”を叩き込もうとしたした瞬間、“兄さん、殺してはダメ”という李琳琳の声で我に返った。
改めて和解の宴が開かれた。そこに胡散臭いものを感じてはいたが、“倉田さんはもう日本に帰るから・・・”という言葉を信じて赴く孟飛。食事の席は和やかに進んでいた。三味線弾きの親父が見事な腕前を披露し、テーブルを回って心づけを受け取る・・・・その時!三味線弾きがナイフを取り出し、孟飛の腹を一刺し!
『報仇』『馬永貞』を思わせる卑怯な罠だ。ここから映画のトーンは一気に“浪漫暴力路線”に。
ショウブラのオープンセット(『報仇』で使ったやつ)に次々と現れる、斧やナイフを携えた黒服の男たち。腹を裂かれて鮮血滴らせる孟飛の孤軍奮闘も空しく、嬲り殺しに。
主役が途中で死ぬという、後に『洪拳小子』でも繰り返される驚愕の展開だが、あまりにも唐突なため成功はしていない。この失敗を踏まえて、伏線とキャラクターをきっちり書き込む“小子片”に繋がっているのだ。
戸板で帰宅した孟飛。悲しみに沈む李琳琳や劉江は、葬儀の準備を進める。彼らも途方に暮れているが、観客もこれからの展開に途方に暮れた。
突然、タイの乃南&劉蘭英の兄妹が、孟飛を訪ねて中国へと旅をする決心を固める場面がカットバック。そのために冒頭の退屈なタイ・ロケがあったのか・・・・と、取り敢えずは納得。
孟飛より教えられた必殺“刀手”を駆使する乃何は、孟飛の墓前で復讐を誓うと、横暴な日本人武術家たちを蹴散らすのだった。
映画的にはやや中途半端で、冒頭延々と意味も無く(そう思える)続くタイ・ロケの場面が退屈な上、孟飛突然の死も上手く処理されてはいない。
だが、後に『方世玉/武道大連合 復讐のドラゴン』でもコンビを組む王との初タッグや、後にブルース・リーの手に渡ることになるヌンチャクを初披露するなど、倉田方面から見るとそれなりに見所も多い。
劉家良・唐佳ラインで集められた絡みのスタントマンたちは、任世官、徐蝦、劉家榮、黄培基、山怪などそれなりの顔ぶれでもあるのも興味深い。
次回は『四騎士』です。
今月は倉田保昭特集です。“倉田の前に倉田無し、倉田の後に倉田無し!”
1970年9月『惡客』撮影の為、香港啓徳空港へと降り立った倉田保昭は、数十名の記者に囲まれていた。当時、東映の大部屋役者に過ぎなかった倉田は、“空手の出来る無名の役者が必要だから・・・・”そういわれて軽い気持ちで引き受けていたこともあって、事の次第に面食らっていたのだ。
香港最大の映画会社「邵氏兄弟有限公司(ショウブラザース)」に日本から映画俳優が参加し、スーパースター姜大衛&狄龍と競演することから、現地でもその話題は持ちきりであった。改めて自分の置かれた状況に奮い立った倉田は、日本での面接時に会っていた監督の張徹や、武術指導の劉家良に連れられ、清水灣沿いにそびえるショウブラザース・スタジオの門を潜った。
当初、二週間の契約でスタートしたが、一週間ほど撮影が進んだところで倉田の運命は一変していた。ラッシュの仕上がりを見た首脳陣は、鋭い蹴りを放つ倉田の動きに魅了された。時は未だブルース・リーの帰港前である。
会社は劉家良の強い薦めもあって長期契約を希望したが、当時まだ香港で骨を埋めるつもりなどなかった倉田は、現地のスターと同じ契約額(日本円で50万くらい、ちなみに同時期の脇役は月給3万くらいだったそうだ)を要求。交渉は決裂し、撮影が終われば日本へ帰る予定でいた倉田を引き止めたのは張徹だった。
“契約をしなかったというのは本当か?!”百萬弗導演と呼ばれるトップ監督の張徹は、独立志向が強く、外部に下請けのプロダクションを持っていた。“そこで『小拳王』という映画を撮るから、昼は『惡客』、夜は『小拳王』の掛け持ちで出演してくれないか?”という。“俺がスターにしてやる・・・・”張徹の男気を感じた倉田は、この張徹の申し出に賭けた。
ここに、日本から来た香港映画スター・倉田保昭が誕生したのだ。
『小拳王』の主役は孟飛という大陸から来た若い俳優で、彼を売り出すために立てられた企画だった。張徹の下請けプロ「南海影業」が直接の製作を受け持つが、倉田曰く“殺陣師の劉家良以下、スタントマンたちもそのまま移動して”昼夜兼行で『惡客』と『小拳王』の撮影を続けた。
完成した映画『小拳王』には、武術指導として劉家良の名前はクレジットされていない。クレジットされているのは弟の劉家榮と、『惡客』で劉家良と共同で武術指導を担当していた唐佳の弟子・黄培基の二人がクレジットされている。
が、実際には劉家良も現場で指導したのかもしれない。倉田本人の述懐にはしばしば彼の名前が登場している。
アクションも何も出来ない新人・孟飛は撮影中、劉家良の強烈なシゴキにあっていたらしいが、その若々しい魅力から映画は大ヒットを記録。とりわけフィリピンでの人気は凄まじかったらしく、孟飛と倉田の二人はフィリピンで最高の人気スターとなった。この人気からフィリピン映画界に呼ばれた倉田は、現地で主演作『金三角龍虎鬥』を撮るまでになる。
<ストーリー>
タイを旅している孟飛は、現地でムエタイの選手をしている乃南、その妹・劉蘭英と仲良くなり、乃南に中国武術の一手“刀手”を指導する。
孟飛がタイで旅行を満喫している間、孟飛の武館では日本人武術家・倉田保昭の挑戦を受けていた。道場を預かる劉江は、柔道技を使う王と空手技の倉田に苦戦。中国武術界は日本による屈辱的な蹂躙を許した。
その倉田の目に留まったのが、孟飛の妹・李琳琳。彼女に一目惚れした倉田は、日中友好を申し出、李琳琳を食事に招待した。
無礼な倉田の申し出を蹴った李琳琳だったが、度重なる招待で更なる屈辱に耐えていた。そこへ孟飛が帰国、“おのれ!無礼なる振る舞い許すまじ!”と立ち上がる。中国武術界で“小拳王”と評判の孟飛が代りに食事の招待を受けた。案の定、倉田らと乱闘になったが、“小拳王”孟飛の前には歯が立たない。必殺の“刀手”を叩き込もうとしたした瞬間、“兄さん、殺してはダメ”という李琳琳の声で我に返った。
改めて和解の宴が開かれた。そこに胡散臭いものを感じてはいたが、“倉田さんはもう日本に帰るから・・・”という言葉を信じて赴く孟飛。食事の席は和やかに進んでいた。三味線弾きの親父が見事な腕前を披露し、テーブルを回って心づけを受け取る・・・・その時!三味線弾きがナイフを取り出し、孟飛の腹を一刺し!
『報仇』『馬永貞』を思わせる卑怯な罠だ。ここから映画のトーンは一気に“浪漫暴力路線”に。
ショウブラのオープンセット(『報仇』で使ったやつ)に次々と現れる、斧やナイフを携えた黒服の男たち。腹を裂かれて鮮血滴らせる孟飛の孤軍奮闘も空しく、嬲り殺しに。
主役が途中で死ぬという、後に『洪拳小子』でも繰り返される驚愕の展開だが、あまりにも唐突なため成功はしていない。この失敗を踏まえて、伏線とキャラクターをきっちり書き込む“小子片”に繋がっているのだ。
戸板で帰宅した孟飛。悲しみに沈む李琳琳や劉江は、葬儀の準備を進める。彼らも途方に暮れているが、観客もこれからの展開に途方に暮れた。
突然、タイの乃南&劉蘭英の兄妹が、孟飛を訪ねて中国へと旅をする決心を固める場面がカットバック。そのために冒頭の退屈なタイ・ロケがあったのか・・・・と、取り敢えずは納得。
孟飛より教えられた必殺“刀手”を駆使する乃何は、孟飛の墓前で復讐を誓うと、横暴な日本人武術家たちを蹴散らすのだった。
映画的にはやや中途半端で、冒頭延々と意味も無く(そう思える)続くタイ・ロケの場面が退屈な上、孟飛突然の死も上手く処理されてはいない。
だが、後に『方世玉/武道大連合 復讐のドラゴン』でもコンビを組む王との初タッグや、後にブルース・リーの手に渡ることになるヌンチャクを初披露するなど、倉田方面から見るとそれなりに見所も多い。
劉家良・唐佳ラインで集められた絡みのスタントマンたちは、任世官、徐蝦、劉家榮、黄培基、山怪などそれなりの顔ぶれでもあるのも興味深い。
次回は『四騎士』です。








