倉田保昭(2)『四騎士』 [2006年03月11日(土)]

倉田保昭(2)『四騎士』'72年製作、監督:張徹、主演:狄龍、姜大衛、王鍾、陳觀泰

 第二次世界大戦後、南北に統治されて誕生した大韓民国。1948年、李承晩大統領政権が発足。この時から韓国は長い軍事独裁政権の幕が開いた。

 1950年、北朝鮮軍が38度線を突破。朝鮮戦争が勃発。

 韓国を支援する米軍の地上攻撃が開始されたが、中国から人民解放軍が南進。一進一退を繰り返しながら、'53年に再び38度線で休戦協定が結ばれるまで戦争は続いた。
 李承晩大統領は長期政権を敷いたが、その実体は不正手段と強圧的な暴力による圧政だった。'60年の不正選挙で四度目の当選を果たした李承晩大統領だったが、人心は離れ、高まる学生運動から巻き起こった“4.19革命”により政権の座を明渡す。

 この文民革命も長くは続かず、'61年に朴正熙将軍が軍事クーデターを起こし政権を掌握。'63年の大統領選挙に当選後、韓国は再び軍事独裁による圧政が始まった。
'65年からは米軍と共にベトナムへ派兵。アメリカに次ぐ兵力を動員(最大30万人)して戦ったことはあまり知られていない。

 朴正熙政権は軍事独裁政権であり、戦争の時代でもあった。それを口実に人々は検閲など生活の多くを制限されたが、経済的には輸出政策を発展させ、戦争特需も手伝って高度成長を迎えつつあった。

 '68年、北朝鮮から武装ゲリラが侵入。韓国大統領府にまで接近し銃撃戦を展開。映画『シルミド』にも描かれたこのエピソードは、韓国側に北に対する過剰反応を引き出す。戒厳令が敷かれ、一般市民は深夜12時以降夜間外出が制限された・・・・。

 '72年4月、そんな状況の韓国に倉田保昭はいた。

 張徹が韓国の映画祭に呼ばれたから、ついでに韓国で撮影をしてきたのか、韓国で撮影するついでに映画祭に参加したのかは不明ながら、ともかく張徹一行は『四騎士』撮影のため韓国を訪れたのだった。
 当時韓国で開かれたというその映画祭は、張徹側の記録にはただ映画祭としか書かれていない。'72年頃の韓国映画祭なら「青龍映画祭」か「大鐘映画祭」のどちらかだろう。'62年に始まった「大鐘映画祭」と、'63年に始まった「青龍映画祭」が、歴史的にみても他の映画祭より可能性がありそうだ(ちなみに'72年の「青龍映画祭」最優秀作品賞は『石火村』)。

 倉田も張徹らと共に映画祭に列席したというから、当時の日本人としてはかなり早い時期に日韓交流を行ったことになる。当時の韓国では日本の文化は解禁されてはいなかったはずだから。

 映画『四騎士』は、その韓国で、韓国軍の協力を得て撮影された。映画に使用されたジープや武器などは、韓国軍からの借与であったそうだ。タイトルにある“四騎士”とは姜大衛、狄龍、王鍾、陳觀泰のこと。後に李修賢が加わって“五虎將”となるが、それはまた別のお話。

 倉田側から見たこの映画一番の見所は“陳觀泰との初対決!”これに尽きるだろう。『惡客』に於いて姜大衛、狄龍と対戦し、“倉田保昭ここにあり!”を満天下に示した。そして張徹が満を持してその対戦相手に選んだのが、『馬永貞』で売り出しに掛かった陳觀泰だったのである。

 当時を述懐する倉田は“こいつが一番のスターになるな・・・”と陳觀泰を評している。実戦派の大聖劈掛拳を習得する陳觀泰は、映画スターというより武術家であった。映画撮影時も、戒厳令下の韓国で度々喧嘩し、軍隊が出動する騒ぎを起こした陳觀泰。同行する倉田も困惑することしきりであったという。

 『惡客』撮影時と『四騎士』の間に変わったこと、それは倉田の決意と覚悟である。

 『小拳王』の撮影を終えた倉田は一旦帰国し、夫人とも相談の上で香港での仕事に賭けたのだ。その成果は『四騎士』の全編に渡って見られており、演技的にもアクション的にも、『惡客』時のような浮ついた感じは消えている。

 <ストーリー>
 横暴な上官を殴って軍隊を飛び出した狄龍は、ソウルにいる姜大衛を尋ねる途中で王鍾と知り合う。無邪気な男で掴み所が無い王鍾は、なんとなく憎めない奴だ。怪我で病院に収容されている陳觀泰を訪ねるという王鍾と共に、ソウルまで盗んだジープで旅の道連れ。

 ソウル市内のクラブでは、ホステスの李麗麗と姜大衛が気だるい午後を過ごしている。クラブの支配人・倉田保昭は、そんな姜大衛を尻目に支配人室へと消えた。
 このクラブはソウル市内の麻薬密売の拠点で、米兵が持ち込んだ麻薬を捌いているのだ。麻薬を持ち込んだGIはもう仕事から下りたいと言い出し、倉田は部下の王光裕に始末をつけるよう指令を出す。

 ジープを売り払い、王鍾と別れた狄龍。路地裏でGIと喧嘩している王光裕ら数人の男を目撃。ただの喧嘩かと思いきや、血に染まって息絶えるGI。現場を見られた王光裕は、手下と共に狄龍を袋叩き、凶器を狄龍の手に握らせて現場を去った。

 GI殺しの犯人にされた狄龍は、無実の罪を訴えるも聞いて貰えない。王光裕らにボコられた時の傷が元で、MPに連れられ軍病院へと搬送されたが、そこは陳觀泰の入院している病院だった。王鍾も見舞いに訪れており、事情を説明し、ふたりで狄龍救出計画を立てる。看護婦の井莉は陳觀泰の恋人で、院内の事情は手にとるようにわかるのだ。

 銃を入手しろと陳觀泰に言われ、ソウル市内でチンピラとコンタクトを取る王鍾。一度は騙されるが、その様子を見ていた王光裕に倉田を紹介される。“銃が欲しいなら売ってやるが、ひとり始末して欲しい人間がいるんだが・・・”GIを殺したことをボスのアンドレ・マルケスから責められていた倉田は、病院の狄龍を口封じに仕留める刺客を捜していた。
 うまい儲け話かと思って聞いていた王鍾、話が狄龍のことになったので驚いたが、平静を装って請け負った。だが王鍾が一瞬躊躇ったのを倉田は見逃さなかった。“銃は明日、仕事の前に渡す”駅での取引を約束して一旦は別れる王鍾。

 陳觀泰に状況を説明すると“やばいことになったな、暗殺しないと今度は君が狙われるぞ”と頭を抱えた。
 銃の受け取りに出向く王鍾、倉田も信じておらず尾行をつける。病院で井莉に銃を狄龍まで運ばせ、井莉が人質となることで脱出しようという手はずだったが、寸前のところで倉田一味の邪魔が入った。MPを含めた三つ巴の銃撃戦となり、その最中、井莉が流れ弾に当って命を落とした。脱出には成功した狄龍たちだったが、井莉を亡くした陳觀泰は自暴自棄に。

 話は少し遡り、倉田一味が友人の狄龍を陥れたことを知った姜大衛だったが、ボスの情婦・金霏に掴まっていた。狄龍暗殺隊が出向いた当日、“あの男なら死んだも同然よ”と聞かされ、一味の手から脱出。町で狄龍たちが指名手配を受けていることから、まだ生きていると知る。

 隠れ家に潜んでいた狄龍たちの元へ、検問を突破した姜大衛が合流。取り敢えずソウル市内から、包囲網を突破するべく李麗麗に協力を頼む姜大衛。米兵の制服を李麗麗たちと仲間のホステスに盗ませ、市内の検問を逃れたが、クラブでは制服を盗まれた米兵の訴えから、李麗麗たちの動きは読まれていた。

 郊外の隠れ家へ逃れた狄龍たちだったが、クラブで拷問されたホステス(李麗麗はすぐ殺される)たちによって居場所が知れる。ボスのところで、事件の発端となった麻薬密売の証拠を探すと、姜大衛が行動を開始する頃、隠れ家には倉田一味の手が迫っていた。

 追われた狄龍たちは体育館に逃げ込み、倉田一味との壮絶な決戦。姜大衛はクラブで李麗麗たちの無残な死体を発見、ボスとその手下の襲撃を受ける。

 体育館の道具を使って、多勢に無勢の状況から挽回していく狄龍たち。この映画の武術指導・劉家良は、後年この場面を自作『掌門人』で再現するのだ。
 ボスを倒し、狄龍たち無実の証拠を掴んだ姜大衛は救出に向うが、銃を手にして包囲を狭めてくる倉田一味に、王鍾、陳觀泰が次々と倒れていく。
 狄龍の孤軍奮闘が続き、もはやその命は風前の灯火というその時、姜大衛が飛び込み形勢は逆転。倉田を倒して皆の無念を晴らすが、体育館はMPに包囲されてしまっていた・・・・・。

 蜂の巣にされた陳觀泰の元に、自らも槍で貫かれながら寄り添うように倒れこむ王鍾。無実の証拠を掴みながら、倉田一味の残党と共にMPからの一斉射撃を浴びる狄龍&姜大衛。功夫映画でもない、浪漫暴力路線でもない大人のドラマと、死を前にした男の友情が描かれる。そして結末は彼らの報われない死だ。

 この映画の助監督を勤めたのは呉宇森(ジョン・ウー)、彼は張徹をこよなく尊敬する忠実な弟子だ。張徹の『刺馬』が『英雄本色/男たちの挽歌』『喋血街頭/ワイルド・ブリット』の原型だとすると、この『四騎士』は間違いなく『喋血雙雄/狼 男たちの挽歌・最終章』の原点だ!

 次回は『蕩寇灘』です。 
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