倉田保昭(3)『蕩寇灘』 [2006年03月16日(木)]
倉田保昭(3)『蕩寇灘』'72年製作、監督:呉思遠、主演:陳星
'66年
警察官の腐敗汚職を追及する大掛かりなデモが起きる。
胡金銓(キン・フー)の『大酔侠』公開。“武侠片新世紀”の幕が開く。
中国で文化大革命、粛清の嵐。
'67年
文化大革命は香港にも飛び火。俗に言う香港暴動の始まり。
張徹『獨臂刀』公開。“浪漫暴力路線”開始。残酷ブーム始まる。
工場の労働闘争に警官が介入。闘争の火は収まらず、反英大暴動へと発展。
張徹『大刺客』公開。
'70年
ベトナム戦争激化、難民化したベトナム人がボート・ピープルとして来港。
人口も飛躍的に増加し、難民問題が本格化。
張徹『報仇』公開。
王羽『龍虎鬥/吼えろ!ドラゴン 起て!ジャガー』公開。
戦後の“団塊の世代”が続々と社会へ。ジェネレーション・ギャップの始まり。
'71年
尖閣諸島問題から反日デモへ。
ブルース・リー凱旋『唐山大兄』公開。
広東語公用語化問題から学生運動。
'72年
英中関係正常化。続いて日中国交正常化なる。
これにより台湾との関係は悪化、各地の反日デモはピークへ。
『精武門/ドラゴン怒りの鉄拳』公開。
『馬永貞』公開。張徹“浪漫暴力路線”頂点へ。
この『蕩寇灘』が公開されたのはこの'72年のことであった。
現実社会の暴力が映画に反映されてきた時代であったのが、御理解戴けるであろうか。暴力が次の暴力を生み、その連鎖は実社会の合わせ鏡たる映画に受け継がれ、より刺激的な暴力を生んだ時代。それが60年代後半から、70年代にかけて香港で続いたドラゴン・ブームの正体である。
その中で、胡金銓は“暴力の要因は政治腐敗にある”ことを描き、張徹は“神話世界の英雄の姿に擬した暴力のロマンチシズム”を描いた。ブルース・リーが描いたのは“暴力におけるストイシズム”であり、王羽は“より剥き出しのリアルな暴力”に活路を見出した訳だ。
'70年にショウブラザースから鄒文懐(レイモンド・チョウ)が独立、ゴールデン・ハーベストを旗揚げ。この時点ではハーベストも小さな独立プロのひとつに過ぎないが、これは香港映画界の歴史に残る大事件であった。当時の映画人で、ショウブラザースに対抗しようという人間が現れたことは、ショウブラの求心力の低下の表れでもあるが、社会が急速な変化を求めている証拠でもある。
ショウブラの扱いに不満を抱いていた王羽も『龍虎鬥/吼えろ!ドラゴン 起て!ジャガー』の大ヒットを契機に独立し、ハーベストに合流した。これが香港映画界にもうひとつの流れを生む間接的要因となる。所謂、“独立プロ乱立”というやつだ。
『龍虎鬥/吼えろ!ドラゴン 起て!ジャガー』は、王羽が監督・主演したワンマン映画であるが、同作で助監督を務めた呉思遠は“あれは俺の監督作だ!”と言う。企画当初にアドバイザーを務めていた張徹の証言からも、呉思遠が同作の完成に尽力したことは事実であると推察される。スターの初監督作品には起こりがちなことで、許冠文(マイケル・ホイ)の初監督作『鬼馬雙星/Mr.BOO!ギャンブル大将』は、呉宇森(ジョン・ウー)が実質の監督だというし、曾志偉(エリック・ツァン)は、ジャッキー初監督作『笑拳怪招/クレージーモンキー笑拳』は自分が監督したと言っている。
王羽に手柄を独り占めされた呉思遠だったが、それ以上に彼を刺激したのが鄒文懐や王羽の独立だった。“彼らが出来るなら、俺にだって!”弱冠27才の呉思遠も、独立の気運に燃えた!
これを後押ししたのが、暴力の連鎖が暴力を生む時代だった。
『龍虎鬥/吼えろ!ドラゴン 起て!ジャガー』は、武術アクションとしての功夫片ではなく、暴力のリアリズム描写という動作片が成立することを示した。王羽程度のアクションで観客に訴えかけられるのであれば、武術の達人にこれをやらせてみては?
民初動作片の隆盛は、衣装やセットに費用を掛けられない独立プロにも好都合であった。“取り敢えず武術の達人を揃えよう、あとはそれからだ・・・・”ショウブラでは月給3万、脇役でくすぶっていた陳星に声が掛かったのは、彼が剛柔流空手二段の猛者であったからだ。
呉思遠は陳星の相手役に倉田を望んだ。迫力ある悪役顔だが、従来のスターには程遠い陳星を、生かすも殺すも相手役次第である。その点で倉田保昭は申し分のない相手ではあった・・・・。
倉田は困惑していた。ショウブラから独立したばかりの、何の実績も無い青二才監督は、その熱意こそふんだんにあるものの、ビジョンも何も見えてはこない。倉田もまた若かった。香港に腰を落ち着ける決心こそしたものの、25才の倉田に独立プロのデヴュー監督に賭けるだけの気持ちは生まれなかったのである。
倉田の断った作品が『蕩寇灘』である。わざわざ彼が出演しなかった作品を取り上げているのには、それなりに理由があるものなのだ。
この『蕩寇灘』が、後に倉田と梁小龍(ブルース・リャン)で有名になる“マラソン・バトル”の原点であるからで、更にはこの映画の成功が、真の独立プロ時代とドラゴン・ブームの立役者となる、歴史の転回点的役割を果たした作品だからだ。
ストーリーは正直言って、あってもなくても構わないようなものである。逃亡犯・陳星が姿を潜めるとある村にも、日本軍が進出してきた。村出身の孫嵐が日本軍の手先として、陳觀泰をボスとする日本人武術隊(山怪、方野、白沙力)を率いて現れた。
黄梅主宰の地元の武館を潰し、高札を掲げて挑発。陳星もナショナリズムを刺激されるが、逃亡犯の身では派手なことは出来ない。
何守信の忠義武館は名門だが、門弟(于洋、劉大川、袁和平ら)に自重を促す。日本人たちは、この村に伝わる秘薬も狙っているが、正直に言ってこれもどうでも良さそうな、取って付けた様な設定だ。
結局、何守信が自重している間に、門弟や妹・林玉洋も殺され、于洋らは捕虜に。面倒を恐れた陳星は人知れず村を後にしようとするが、世話してくれた唖の韓國才とその老父・[赤+おおざと]履仁も殺される。怒りMAXの陳星は、秘薬の在り処を教えることで捕虜を釈放させる。捕虜たちの侮蔑を受けた陳星であったが、人質を解放したことで思い残すことなく闘うのだった。
海岸を走り回って闘う場面が“マラソン・バトル”の原点で、倉田の代りに大抜擢を受けた陳觀泰が陳星と死闘を繰り広げる。その陳觀泰は、撮影途中でショウブラに呼び戻された為、ドラマ部分の一部は、陳觀泰役という設定のボスはマスクを被ったままである。ラスト・バトルが先に撮影されていたのは幸運だった。
武術指導は、これも独立したばかりの袁和平が抜擢され、ヌンチャクVSサイなどのアクションを構築することで、全体にアクセントをつけている。余談だが、絡みの中に汪禹の顔も見えるのだが、この後は陳觀泰と共にショウブラに帰ったんでしょうな。
ストーリーも含めて、映画全体の出来はお粗末なものであるが、ここには確実に“何か?!”があった。それは時代の熱気としか表現しようのないものであるが、その“何か?!”は、確実にひとつの波を起こし始めていた。『蕩寇灘』は170万HKドルを越す大ヒットとなり、'72年の年間興収第7位にランクイン。
大成功を収めた呉思遠だったが、ひとつだけ心残りなことがあった。“倉田が欲しい、もし彼が出ていたら・・・・”今更ながら説得出来なかったことが悔やまれる。陳觀泰もショウブラに取られてしまったし、やはり倉田保昭の力が必要だ。
次回は、その呉思遠ミーツ倉田保昭実現の『餓虎狂龍』です。
'66年
警察官の腐敗汚職を追及する大掛かりなデモが起きる。
胡金銓(キン・フー)の『大酔侠』公開。“武侠片新世紀”の幕が開く。
中国で文化大革命、粛清の嵐。
'67年
文化大革命は香港にも飛び火。俗に言う香港暴動の始まり。
張徹『獨臂刀』公開。“浪漫暴力路線”開始。残酷ブーム始まる。
工場の労働闘争に警官が介入。闘争の火は収まらず、反英大暴動へと発展。
張徹『大刺客』公開。
'70年
ベトナム戦争激化、難民化したベトナム人がボート・ピープルとして来港。
人口も飛躍的に増加し、難民問題が本格化。
張徹『報仇』公開。
王羽『龍虎鬥/吼えろ!ドラゴン 起て!ジャガー』公開。
戦後の“団塊の世代”が続々と社会へ。ジェネレーション・ギャップの始まり。
'71年
尖閣諸島問題から反日デモへ。
ブルース・リー凱旋『唐山大兄』公開。
広東語公用語化問題から学生運動。
'72年
英中関係正常化。続いて日中国交正常化なる。
これにより台湾との関係は悪化、各地の反日デモはピークへ。
『精武門/ドラゴン怒りの鉄拳』公開。
『馬永貞』公開。張徹“浪漫暴力路線”頂点へ。
この『蕩寇灘』が公開されたのはこの'72年のことであった。
現実社会の暴力が映画に反映されてきた時代であったのが、御理解戴けるであろうか。暴力が次の暴力を生み、その連鎖は実社会の合わせ鏡たる映画に受け継がれ、より刺激的な暴力を生んだ時代。それが60年代後半から、70年代にかけて香港で続いたドラゴン・ブームの正体である。
その中で、胡金銓は“暴力の要因は政治腐敗にある”ことを描き、張徹は“神話世界の英雄の姿に擬した暴力のロマンチシズム”を描いた。ブルース・リーが描いたのは“暴力におけるストイシズム”であり、王羽は“より剥き出しのリアルな暴力”に活路を見出した訳だ。
'70年にショウブラザースから鄒文懐(レイモンド・チョウ)が独立、ゴールデン・ハーベストを旗揚げ。この時点ではハーベストも小さな独立プロのひとつに過ぎないが、これは香港映画界の歴史に残る大事件であった。当時の映画人で、ショウブラザースに対抗しようという人間が現れたことは、ショウブラの求心力の低下の表れでもあるが、社会が急速な変化を求めている証拠でもある。
ショウブラの扱いに不満を抱いていた王羽も『龍虎鬥/吼えろ!ドラゴン 起て!ジャガー』の大ヒットを契機に独立し、ハーベストに合流した。これが香港映画界にもうひとつの流れを生む間接的要因となる。所謂、“独立プロ乱立”というやつだ。
『龍虎鬥/吼えろ!ドラゴン 起て!ジャガー』は、王羽が監督・主演したワンマン映画であるが、同作で助監督を務めた呉思遠は“あれは俺の監督作だ!”と言う。企画当初にアドバイザーを務めていた張徹の証言からも、呉思遠が同作の完成に尽力したことは事実であると推察される。スターの初監督作品には起こりがちなことで、許冠文(マイケル・ホイ)の初監督作『鬼馬雙星/Mr.BOO!ギャンブル大将』は、呉宇森(ジョン・ウー)が実質の監督だというし、曾志偉(エリック・ツァン)は、ジャッキー初監督作『笑拳怪招/クレージーモンキー笑拳』は自分が監督したと言っている。
王羽に手柄を独り占めされた呉思遠だったが、それ以上に彼を刺激したのが鄒文懐や王羽の独立だった。“彼らが出来るなら、俺にだって!”弱冠27才の呉思遠も、独立の気運に燃えた!
これを後押ししたのが、暴力の連鎖が暴力を生む時代だった。
『龍虎鬥/吼えろ!ドラゴン 起て!ジャガー』は、武術アクションとしての功夫片ではなく、暴力のリアリズム描写という動作片が成立することを示した。王羽程度のアクションで観客に訴えかけられるのであれば、武術の達人にこれをやらせてみては?
民初動作片の隆盛は、衣装やセットに費用を掛けられない独立プロにも好都合であった。“取り敢えず武術の達人を揃えよう、あとはそれからだ・・・・”ショウブラでは月給3万、脇役でくすぶっていた陳星に声が掛かったのは、彼が剛柔流空手二段の猛者であったからだ。
呉思遠は陳星の相手役に倉田を望んだ。迫力ある悪役顔だが、従来のスターには程遠い陳星を、生かすも殺すも相手役次第である。その点で倉田保昭は申し分のない相手ではあった・・・・。
倉田は困惑していた。ショウブラから独立したばかりの、何の実績も無い青二才監督は、その熱意こそふんだんにあるものの、ビジョンも何も見えてはこない。倉田もまた若かった。香港に腰を落ち着ける決心こそしたものの、25才の倉田に独立プロのデヴュー監督に賭けるだけの気持ちは生まれなかったのである。
倉田の断った作品が『蕩寇灘』である。わざわざ彼が出演しなかった作品を取り上げているのには、それなりに理由があるものなのだ。
この『蕩寇灘』が、後に倉田と梁小龍(ブルース・リャン)で有名になる“マラソン・バトル”の原点であるからで、更にはこの映画の成功が、真の独立プロ時代とドラゴン・ブームの立役者となる、歴史の転回点的役割を果たした作品だからだ。
ストーリーは正直言って、あってもなくても構わないようなものである。逃亡犯・陳星が姿を潜めるとある村にも、日本軍が進出してきた。村出身の孫嵐が日本軍の手先として、陳觀泰をボスとする日本人武術隊(山怪、方野、白沙力)を率いて現れた。
黄梅主宰の地元の武館を潰し、高札を掲げて挑発。陳星もナショナリズムを刺激されるが、逃亡犯の身では派手なことは出来ない。
何守信の忠義武館は名門だが、門弟(于洋、劉大川、袁和平ら)に自重を促す。日本人たちは、この村に伝わる秘薬も狙っているが、正直に言ってこれもどうでも良さそうな、取って付けた様な設定だ。
結局、何守信が自重している間に、門弟や妹・林玉洋も殺され、于洋らは捕虜に。面倒を恐れた陳星は人知れず村を後にしようとするが、世話してくれた唖の韓國才とその老父・[赤+おおざと]履仁も殺される。怒りMAXの陳星は、秘薬の在り処を教えることで捕虜を釈放させる。捕虜たちの侮蔑を受けた陳星であったが、人質を解放したことで思い残すことなく闘うのだった。
海岸を走り回って闘う場面が“マラソン・バトル”の原点で、倉田の代りに大抜擢を受けた陳觀泰が陳星と死闘を繰り広げる。その陳觀泰は、撮影途中でショウブラに呼び戻された為、ドラマ部分の一部は、陳觀泰役という設定のボスはマスクを被ったままである。ラスト・バトルが先に撮影されていたのは幸運だった。
武術指導は、これも独立したばかりの袁和平が抜擢され、ヌンチャクVSサイなどのアクションを構築することで、全体にアクセントをつけている。余談だが、絡みの中に汪禹の顔も見えるのだが、この後は陳觀泰と共にショウブラに帰ったんでしょうな。
ストーリーも含めて、映画全体の出来はお粗末なものであるが、ここには確実に“何か?!”があった。それは時代の熱気としか表現しようのないものであるが、その“何か?!”は、確実にひとつの波を起こし始めていた。『蕩寇灘』は170万HKドルを越す大ヒットとなり、'72年の年間興収第7位にランクイン。
大成功を収めた呉思遠だったが、ひとつだけ心残りなことがあった。“倉田が欲しい、もし彼が出ていたら・・・・”今更ながら説得出来なかったことが悔やまれる。陳觀泰もショウブラに取られてしまったし、やはり倉田保昭の力が必要だ。
次回は、その呉思遠ミーツ倉田保昭実現の『餓虎狂龍』です。








