倉田保昭(6)『猛虎下山』 [2006年04月06日(木)]
倉田保昭(6)『猛虎下山』'73年製作、監督:呉思遠、主演:陳星
月給3万円、食うにもこと欠いて、倉田にすら食事をたかっていた陳星は、『蕩寇灘』『餓虎狂龍』の大ヒットで別人に変貌した。一本あたりのギャラは300百万円ほどにハネ上がり、監督の呉思遠共々、独立プロを成功させた立役者として、業界でも肩で風を切って歩くようになっていった。
引き続いて彼らの作品に出演依頼を受けたが、今回は創設間もない恒生電影製作だった。恒生電影設立の経緯は不明ながら、呉思遠が関わっていたらしいことと、ショウブラ傘下の邵氏父子電影公司に配給権があったことなどからみても、設立されたばかりの独立プロとしては大きな後ろ盾を持っていたことになる。ショウブラとの交渉にも呉思遠が当ったものと推察はされるが・・・・。
大スターになったにも関わらず、相変わらずケチ臭い陳星は、現場スタッフへの差し入れも会社経費で賄うなどしていたらしいが、ハードな撮影現場にはよく耐えた。およそ2ヶ月の撮影期間中、クライマックスのアクションだけで2〜3週間を要したという。倉田も陳星も、実際の試合を行ったと同じくらいに、体中傷だらけ、痣だらけであった。
<ストーリー>
1932年、日本軍は上海に侵攻、俗に言う上海事変の始まりだ。ラスト・エンペラー溥儀を擁立、傀儡政権による満州国を成立させた。
この映画の冒頭で1932年という年号が示されるが、こういう時代だったのだ。
映画の舞台となるのは満州国から遠く離れた鄙びた漁村だ。予算の少ない独立プロに、関東軍の侵攻と中国人民の抵抗運動を描くほどスケールの大きな映画は作れる訳がない。よって舞台となるのは、漁村に現れた日本人と漁民の闘いになるのだ。
だが、バックグラウンドとしては上海事変があった、ということは知っておかなければ、作品世界への理解は深まらない。
鄙びた漁村にも日本軍の影は迫っていた。直接軍隊の支配こそ受けてはいないものの、漁協の営業所は日本人に接収された。我が物顔で村を闊歩する日本人武術家・周江、陳嶺威、染野行雄、李家鼎らと、地元の漁民たちとの間に生まれた軋轢は広がる一方だった。孫嵐のように日本人に追従する人間がいる一方で、黄元申を中心とする若者グループ(韓國才、梁小熊、何天誠、祁浩劍、梁小龍、龍方)には抵抗の機運が芽生え始めていた。
新たに出張所所長として赴任した倉田保昭は、地元に広がる抵抗運動を押さえ込むため、殺された日本人の代りに無作為に選んだ漁民を吊るし上げた。吊るされた漁民・祁浩劍は晒し者にされたが、遺体を引き取ろうとするは容赦しないと倉田は宣言。アメリカでボクサーをしていた陳星が、村へと帰ってきたのはそんな時だ。
陳星が婚約者の黎愛蓮を連れて帰村した理由は、アメリカ時代にボクシングの試合で恩師の息子を殺してしまったからだった。闘いを恐れた陳星は拳を封印したが、黎愛蓮はそんな陳星に、あまり深刻にならないよう諭す。
帰村した陳星に、相変わらず少し頭の弱い役柄の韓國才が、村人が吊るされていると教える。その話を冗談だと思った陳星は、なら俺が助けてやろうと申し出る。案内された先で陳星が見たものは、無残に吊るされた祁浩劍の姿と、日本人武術家の姿だった。
行きがかり上助けなくてはいけなくなった陳星、拳は封印して捧術で李家鼎をあしらう。陳星の実力を見て取った倉田は、部下の暴発を抑え鉾を収めた。
倉田の目論見は、別のところにあった。この村を拠点に満州国を後方支援することで、漁民を抑え船を徴収し、抵抗運動の阻止をするのが本当の目的であったのだ。
一躍漁民の英雄となった陳星だったが、兄・[赤+おおざと]履仁の家で静かに漁民として暮らすことを望んでいた。陳星を英雄視する甥の黄元申はそんな陳星の態度に不満顔を見せる。
村では日本人の横暴が続き、黄元申は抵抗を組織し、反抗の機会を窺う。黎愛蓮との静かな暮らしを望む陳星は度重なる嫌がらせにも耐えていたが、陳嶺威らに襲われた女性を助けようとした梁小熊が掴まったことから、行動を開始。嫌でも日本人との抗争に巻き込まれていくことを黎愛蓮に詫びる陳星だったが・・・・。
黄元申は村人に武術を教え、倉田暗殺を試みる。暗殺隊に選ばれたのは梁小龍と龍方。割と大き目の役を貰った梁小龍が倉田に挑む!梁少松、李銘と共に、本作の武術指導を務めた梁小龍。ちなみに彼は、前作と本作でヒロインを務めた黎愛蓮と熱愛。スタントマンと主演女優という立場でありながら後に結婚している。
黄元申も各個撃破で周江を倒すも、自身も傷を負い黎愛蓮に匿われる。村人の抵抗を抑え切れなくなったと感じた倉田は、周江暗殺の下手人探索のため、無差別に村人を逮捕。同時に、村にある全ての船を焼き払い撤収を開始。
[赤+おおざと]履仁の家も捜索され、黄元申と黎愛蓮が掴まった頃、村人を助けるため立ち上がった陳星が、李發源や楊世鈎らと闘っていた。
今回はマラソンバトルではない。『蕩寇灘』の実験から、『餓虎狂龍』で一応の成果を挙げたマラソンバトルだったが、同じことを繰り返すほど呉思遠もバカではない。雑魚敵(李發源や楊世鈎)、中ボス(染野行雄、李家鼎、陳嶺威)、そしてラスボスの倉田まで、場所を変え、手段を変えながら闘っていくオーソドックスなパターンだ。
陳星VS倉田だけで引っ張った前作と違い、乱戦から一騎討ち、素手の闘いから武器を使った闘いまで、ノンストップで繰り広げられる。ラストの陳星戦も、『餓虎狂龍』に比べればあっさり感があるものの、問答無用のド突き合いはさすがの迫力。
倒しても倒しても起き上がってくる倉田、撮影途中でもうそろそろ殺してくれよと思いながらやっていたそうだが、呉思遠は撮影中決して容赦も妥協もしなかったという。その情熱が、予算の枠を超え、見た目の貧相さから作品を救う唯一の道だと呉思遠は信じた。
大変な撮影だったかもしれないが、倉田保昭も大フューチャーされている。劇中、空手の形やヌンチャクを演武する場面を何回も用意され、OPとラストしか出番のなかった前作に比べれば、作品世界に倉田の占める割合が増している。人物的にも、複雑な要素が増え、侵攻計画支援の裏で、漁民に恫喝をかけ、時に懐柔策を見せるなど、演技的にも一段上のものを見せているのだ。
『猛虎下山』も大ヒット(この時代のヒット基準100万HKドル・オーバー)、呉思遠、陳星とのトリオは磐石かに思えた・・・・。そんな倉田保昭に、台湾から熱い視線を送っている男がいた、第一影業代表・黄卓漢その人である。
次回は、VSジミー!『英雄本色』です。
月給3万円、食うにもこと欠いて、倉田にすら食事をたかっていた陳星は、『蕩寇灘』『餓虎狂龍』の大ヒットで別人に変貌した。一本あたりのギャラは300百万円ほどにハネ上がり、監督の呉思遠共々、独立プロを成功させた立役者として、業界でも肩で風を切って歩くようになっていった。
引き続いて彼らの作品に出演依頼を受けたが、今回は創設間もない恒生電影製作だった。恒生電影設立の経緯は不明ながら、呉思遠が関わっていたらしいことと、ショウブラ傘下の邵氏父子電影公司に配給権があったことなどからみても、設立されたばかりの独立プロとしては大きな後ろ盾を持っていたことになる。ショウブラとの交渉にも呉思遠が当ったものと推察はされるが・・・・。
大スターになったにも関わらず、相変わらずケチ臭い陳星は、現場スタッフへの差し入れも会社経費で賄うなどしていたらしいが、ハードな撮影現場にはよく耐えた。およそ2ヶ月の撮影期間中、クライマックスのアクションだけで2〜3週間を要したという。倉田も陳星も、実際の試合を行ったと同じくらいに、体中傷だらけ、痣だらけであった。
<ストーリー>
1932年、日本軍は上海に侵攻、俗に言う上海事変の始まりだ。ラスト・エンペラー溥儀を擁立、傀儡政権による満州国を成立させた。
この映画の冒頭で1932年という年号が示されるが、こういう時代だったのだ。
映画の舞台となるのは満州国から遠く離れた鄙びた漁村だ。予算の少ない独立プロに、関東軍の侵攻と中国人民の抵抗運動を描くほどスケールの大きな映画は作れる訳がない。よって舞台となるのは、漁村に現れた日本人と漁民の闘いになるのだ。
だが、バックグラウンドとしては上海事変があった、ということは知っておかなければ、作品世界への理解は深まらない。
鄙びた漁村にも日本軍の影は迫っていた。直接軍隊の支配こそ受けてはいないものの、漁協の営業所は日本人に接収された。我が物顔で村を闊歩する日本人武術家・周江、陳嶺威、染野行雄、李家鼎らと、地元の漁民たちとの間に生まれた軋轢は広がる一方だった。孫嵐のように日本人に追従する人間がいる一方で、黄元申を中心とする若者グループ(韓國才、梁小熊、何天誠、祁浩劍、梁小龍、龍方)には抵抗の機運が芽生え始めていた。
新たに出張所所長として赴任した倉田保昭は、地元に広がる抵抗運動を押さえ込むため、殺された日本人の代りに無作為に選んだ漁民を吊るし上げた。吊るされた漁民・祁浩劍は晒し者にされたが、遺体を引き取ろうとするは容赦しないと倉田は宣言。アメリカでボクサーをしていた陳星が、村へと帰ってきたのはそんな時だ。
陳星が婚約者の黎愛蓮を連れて帰村した理由は、アメリカ時代にボクシングの試合で恩師の息子を殺してしまったからだった。闘いを恐れた陳星は拳を封印したが、黎愛蓮はそんな陳星に、あまり深刻にならないよう諭す。
帰村した陳星に、相変わらず少し頭の弱い役柄の韓國才が、村人が吊るされていると教える。その話を冗談だと思った陳星は、なら俺が助けてやろうと申し出る。案内された先で陳星が見たものは、無残に吊るされた祁浩劍の姿と、日本人武術家の姿だった。
行きがかり上助けなくてはいけなくなった陳星、拳は封印して捧術で李家鼎をあしらう。陳星の実力を見て取った倉田は、部下の暴発を抑え鉾を収めた。
倉田の目論見は、別のところにあった。この村を拠点に満州国を後方支援することで、漁民を抑え船を徴収し、抵抗運動の阻止をするのが本当の目的であったのだ。
一躍漁民の英雄となった陳星だったが、兄・[赤+おおざと]履仁の家で静かに漁民として暮らすことを望んでいた。陳星を英雄視する甥の黄元申はそんな陳星の態度に不満顔を見せる。
村では日本人の横暴が続き、黄元申は抵抗を組織し、反抗の機会を窺う。黎愛蓮との静かな暮らしを望む陳星は度重なる嫌がらせにも耐えていたが、陳嶺威らに襲われた女性を助けようとした梁小熊が掴まったことから、行動を開始。嫌でも日本人との抗争に巻き込まれていくことを黎愛蓮に詫びる陳星だったが・・・・。
黄元申は村人に武術を教え、倉田暗殺を試みる。暗殺隊に選ばれたのは梁小龍と龍方。割と大き目の役を貰った梁小龍が倉田に挑む!梁少松、李銘と共に、本作の武術指導を務めた梁小龍。ちなみに彼は、前作と本作でヒロインを務めた黎愛蓮と熱愛。スタントマンと主演女優という立場でありながら後に結婚している。
黄元申も各個撃破で周江を倒すも、自身も傷を負い黎愛蓮に匿われる。村人の抵抗を抑え切れなくなったと感じた倉田は、周江暗殺の下手人探索のため、無差別に村人を逮捕。同時に、村にある全ての船を焼き払い撤収を開始。
[赤+おおざと]履仁の家も捜索され、黄元申と黎愛蓮が掴まった頃、村人を助けるため立ち上がった陳星が、李發源や楊世鈎らと闘っていた。
今回はマラソンバトルではない。『蕩寇灘』の実験から、『餓虎狂龍』で一応の成果を挙げたマラソンバトルだったが、同じことを繰り返すほど呉思遠もバカではない。雑魚敵(李發源や楊世鈎)、中ボス(染野行雄、李家鼎、陳嶺威)、そしてラスボスの倉田まで、場所を変え、手段を変えながら闘っていくオーソドックスなパターンだ。
陳星VS倉田だけで引っ張った前作と違い、乱戦から一騎討ち、素手の闘いから武器を使った闘いまで、ノンストップで繰り広げられる。ラストの陳星戦も、『餓虎狂龍』に比べればあっさり感があるものの、問答無用のド突き合いはさすがの迫力。
倒しても倒しても起き上がってくる倉田、撮影途中でもうそろそろ殺してくれよと思いながらやっていたそうだが、呉思遠は撮影中決して容赦も妥協もしなかったという。その情熱が、予算の枠を超え、見た目の貧相さから作品を救う唯一の道だと呉思遠は信じた。
大変な撮影だったかもしれないが、倉田保昭も大フューチャーされている。劇中、空手の形やヌンチャクを演武する場面を何回も用意され、OPとラストしか出番のなかった前作に比べれば、作品世界に倉田の占める割合が増している。人物的にも、複雑な要素が増え、侵攻計画支援の裏で、漁民に恫喝をかけ、時に懐柔策を見せるなど、演技的にも一段上のものを見せているのだ。
『猛虎下山』も大ヒット(この時代のヒット基準100万HKドル・オーバー)、呉思遠、陳星とのトリオは磐石かに思えた・・・・。そんな倉田保昭に、台湾から熱い視線を送っている男がいた、第一影業代表・黄卓漢その人である。
次回は、VSジミー!『英雄本色』です。








