倉田保昭(7)『英雄本色/ドラゴンVS不死身の妖婆』 [2006年04月15日(土)]
倉田保昭(7)『英雄本色/ドラゴンVS不死身の妖婆』'73年製作、監督:丁善璽、主演:王羽
本題の『英雄本色/ドラゴンVS不死身の妖婆』に移る前に、この間の倉田の身に起こった出来事をまとめておこう。
ブルース・リーの幼友達である陳炳熾(ロバート・チェン)から、『精武門/ドラゴン怒りの鉄拳』撮影中のブルースに会わせるとの知らせが。最初誰のことだかピンとこなかったらしいが、“『唐山大兄/ドラゴン危機一発』をヒットさせた奴だ”との回答に驚き、ゴールデン・ハーベスト撮影所へ。
一部資料に、この映画の日本人武術家に倉田を!といった動きがあったとか、ブルース・リーがそう望んでいたとかの話もあるが、既に撮影中であったことからみても、そんなことがあったとしても倉田保昭にはその話は伝わってはいなかったようだ。
ここでの倉田とブルースの邂逅については改めて書くには及ぶまい。短い期間ながら二人は友情を育んだ。この流れが『麒麟掌』への出演を生んだ訳で、映画そのものは不幸な出来の代物でも、倉田とブルース・リーが共同で映画界に残した唯一の証として、歴史にその名を残している。
張徹、劉家良から認められ、呉思遠、ブルース・リーからも注目された倉田の元には、当然ハーベストからも出演依頼が舞い込んだ。茅瑛(アンジェラ・マオ)の『合気道/アンジェラ・マオの女活殺拳』がそれだ。
張徹への義理からハーベストの仕事は断った倉田だったが、サモ洪金寶が武術指導を担当し、ジャッキーがスタントで出ていたこの映画に出演していたら、後の歴史はどう変わっていたものか・・・・・。
すっかり売れっ子になった倉田に、新たに三本契約を結びたいと申し出た会社が現れる。“香港”第一影業だ!
訳もわからずサインしてしまった倉田だったが、“じゃ、ロケは台湾ですから”と聞かされてビックリ!'72年に結ばれた日中国交条約は、大陸以外の中華圏で大規模の反日運動を巻き起こし、特に中国との関係が微妙な台湾では、日本人排斥にまで高まっていたのだ。
事情を説明した倉田だったが、“香港”第一影業(それは名ばかりで会社の本拠は台湾)代表の黄卓漢は、“君はもう香港の俳優なんだ!”と説得。倉田自身、“陳星や梁小龍も既に行ってるから・・・”とか、“ジミーとは一度会ってみたい・・・”とかの理由から説得され、会社からは身の安全は保証するという確約をもらい、台湾へと飛んだ。
そうして撮影されることになったのがこの『英雄本色/ドラゴンVS不死身の妖婆』だ。
以前からの疑問のひとつに、ここで倉田保昭に眼をつけたのは、いったいジミーなのか?それとも黄卓漢だったのか?ということがある。
倉田がショウブラと契約したのはジミー離脱後。だがジミーがショウブラでの活躍を目にとめない訳がなく、独立プロでの成功(それも呉思遠と!)、ブルース・リーと会ったことや、ハーベストからの誘いなど、同じ業界人としてジミーも注目していたはずだ。
この疑問にはジミー本人が近年のインタヴューで回答を与えてくれた。倉田をキャスティングしたのは黄卓漢だったと。抜け目のない商売人の黄卓漢は、陳星から梁小龍まで引き抜くことで、ヒットしている独立プロの方程式をそのまま、自分の会社に持ってこようとしたのだ。
そしてそのためには、どうしても倉田保昭も必要だった!
完成した映画については、日本版も発売されている現在、くどくどストーリーを載せるには及ばないだろうが、全然ご存知のない方のために少しだけ。
かつての日本軍占領時代、中国側スパイの手引きをした魏蘇(これがジミーの父)により、自殺に追い込まれた日本軍高官・蔡弘。この息子たち三人(倉田保昭、龍飛、山茅)が、気功の達人・謝金菊に育てられ台湾へと復讐に訪れる。
タクシー運転手のジミーは喧嘩騒ぎの毎日で、父親に迷惑をかけているが、“ジミーまた暴力事件!”的な日々は、当時のジミー本人を連想させていて面白い。
父親が狙われたことから倉田たちと対決、彼らを倒したものの、今度は謝金菊が現れ対決を迫る。
この謝金菊がタイトルにある“不死身の妖婆”で、気功を駆使する彼女は、武侠片における“鐵布衫”のごとく不死身なのだ。
無敵のタクシー運転手と不死身の妖婆の闘いという、いたってトンチキな映画だが、輸入のブート版時代からファンは多く、これでジミーにハマったという人も多い。
不死身の妖婆を演じた謝金菊は、台南では有名な気功の武術家で、映画にも数本出演。“モーレツおばさん(欧米ではクンフー・ママ)”として一部のファンには有名な『山東老娘』や、嘉凌(ジュディ・リー)の『酔拳女刀手』などで印象的な活躍をみせる。
気功道場を一緒に経営していた夫には絶対服従だったらしく、撮影のアクションに失敗してビビっている彼女を叱りつけ、もう一度やらせていたとはジミー本人の談。
そのジミーは、背丈があまりにも違う為アクションは非常にやり難くて困ったと述懐。珍しくジミーの方で合わせています。
裏話としては、役作りのため五日間タクシー運転手として働いたそうで、タダ乗りの客や酔っ払いには手を焼いたそう。また、場所がわからなくて客に怒鳴られることもしばしばだったらしいが、客も相手がジミーだと知っていればそんな恐ろしいことはしなかっだろーに(笑)。
撮影期間中、倉田はジミーにひとかたならぬ世話になったりもしたらしく、ジミーですら当時の台湾映画界は滅茶苦茶だった・・・と語るほど大変だった現場を乗り切れたのは、ひとえにジミーのおかげなのだ。倉田自身、香港時代にオーラを感じたのはブルース・リー以外ではジミーだけだったそうで、なんだかんだ言っても偉大な男だよジミーは。
そんな倉田の台湾激闘時代は後の回に譲るとして、次回は初の主演作品『爬山虎』です。
本題の『英雄本色/ドラゴンVS不死身の妖婆』に移る前に、この間の倉田の身に起こった出来事をまとめておこう。
ブルース・リーの幼友達である陳炳熾(ロバート・チェン)から、『精武門/ドラゴン怒りの鉄拳』撮影中のブルースに会わせるとの知らせが。最初誰のことだかピンとこなかったらしいが、“『唐山大兄/ドラゴン危機一発』をヒットさせた奴だ”との回答に驚き、ゴールデン・ハーベスト撮影所へ。
一部資料に、この映画の日本人武術家に倉田を!といった動きがあったとか、ブルース・リーがそう望んでいたとかの話もあるが、既に撮影中であったことからみても、そんなことがあったとしても倉田保昭にはその話は伝わってはいなかったようだ。
ここでの倉田とブルースの邂逅については改めて書くには及ぶまい。短い期間ながら二人は友情を育んだ。この流れが『麒麟掌』への出演を生んだ訳で、映画そのものは不幸な出来の代物でも、倉田とブルース・リーが共同で映画界に残した唯一の証として、歴史にその名を残している。
張徹、劉家良から認められ、呉思遠、ブルース・リーからも注目された倉田の元には、当然ハーベストからも出演依頼が舞い込んだ。茅瑛(アンジェラ・マオ)の『合気道/アンジェラ・マオの女活殺拳』がそれだ。
張徹への義理からハーベストの仕事は断った倉田だったが、サモ洪金寶が武術指導を担当し、ジャッキーがスタントで出ていたこの映画に出演していたら、後の歴史はどう変わっていたものか・・・・・。
すっかり売れっ子になった倉田に、新たに三本契約を結びたいと申し出た会社が現れる。“香港”第一影業だ!
訳もわからずサインしてしまった倉田だったが、“じゃ、ロケは台湾ですから”と聞かされてビックリ!'72年に結ばれた日中国交条約は、大陸以外の中華圏で大規模の反日運動を巻き起こし、特に中国との関係が微妙な台湾では、日本人排斥にまで高まっていたのだ。
事情を説明した倉田だったが、“香港”第一影業(それは名ばかりで会社の本拠は台湾)代表の黄卓漢は、“君はもう香港の俳優なんだ!”と説得。倉田自身、“陳星や梁小龍も既に行ってるから・・・”とか、“ジミーとは一度会ってみたい・・・”とかの理由から説得され、会社からは身の安全は保証するという確約をもらい、台湾へと飛んだ。
そうして撮影されることになったのがこの『英雄本色/ドラゴンVS不死身の妖婆』だ。
以前からの疑問のひとつに、ここで倉田保昭に眼をつけたのは、いったいジミーなのか?それとも黄卓漢だったのか?ということがある。
倉田がショウブラと契約したのはジミー離脱後。だがジミーがショウブラでの活躍を目にとめない訳がなく、独立プロでの成功(それも呉思遠と!)、ブルース・リーと会ったことや、ハーベストからの誘いなど、同じ業界人としてジミーも注目していたはずだ。
この疑問にはジミー本人が近年のインタヴューで回答を与えてくれた。倉田をキャスティングしたのは黄卓漢だったと。抜け目のない商売人の黄卓漢は、陳星から梁小龍まで引き抜くことで、ヒットしている独立プロの方程式をそのまま、自分の会社に持ってこようとしたのだ。
そしてそのためには、どうしても倉田保昭も必要だった!
完成した映画については、日本版も発売されている現在、くどくどストーリーを載せるには及ばないだろうが、全然ご存知のない方のために少しだけ。
かつての日本軍占領時代、中国側スパイの手引きをした魏蘇(これがジミーの父)により、自殺に追い込まれた日本軍高官・蔡弘。この息子たち三人(倉田保昭、龍飛、山茅)が、気功の達人・謝金菊に育てられ台湾へと復讐に訪れる。
タクシー運転手のジミーは喧嘩騒ぎの毎日で、父親に迷惑をかけているが、“ジミーまた暴力事件!”的な日々は、当時のジミー本人を連想させていて面白い。
父親が狙われたことから倉田たちと対決、彼らを倒したものの、今度は謝金菊が現れ対決を迫る。
この謝金菊がタイトルにある“不死身の妖婆”で、気功を駆使する彼女は、武侠片における“鐵布衫”のごとく不死身なのだ。
無敵のタクシー運転手と不死身の妖婆の闘いという、いたってトンチキな映画だが、輸入のブート版時代からファンは多く、これでジミーにハマったという人も多い。
不死身の妖婆を演じた謝金菊は、台南では有名な気功の武術家で、映画にも数本出演。“モーレツおばさん(欧米ではクンフー・ママ)”として一部のファンには有名な『山東老娘』や、嘉凌(ジュディ・リー)の『酔拳女刀手』などで印象的な活躍をみせる。
気功道場を一緒に経営していた夫には絶対服従だったらしく、撮影のアクションに失敗してビビっている彼女を叱りつけ、もう一度やらせていたとはジミー本人の談。
そのジミーは、背丈があまりにも違う為アクションは非常にやり難くて困ったと述懐。珍しくジミーの方で合わせています。
裏話としては、役作りのため五日間タクシー運転手として働いたそうで、タダ乗りの客や酔っ払いには手を焼いたそう。また、場所がわからなくて客に怒鳴られることもしばしばだったらしいが、客も相手がジミーだと知っていればそんな恐ろしいことはしなかっだろーに(笑)。
撮影期間中、倉田はジミーにひとかたならぬ世話になったりもしたらしく、ジミーですら当時の台湾映画界は滅茶苦茶だった・・・と語るほど大変だった現場を乗り切れたのは、ひとえにジミーのおかげなのだ。倉田自身、香港時代にオーラを感じたのはブルース・リー以外ではジミーだけだったそうで、なんだかんだ言っても偉大な男だよジミーは。
そんな倉田の台湾激闘時代は後の回に譲るとして、次回は初の主演作品『爬山虎』です。








