旧myroom(香港電影的日常 '01/2/17〜'06/1/29)より移転。

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『NACHO LIBRE/ナチョ・リブレ覆面の神様』 [2006年08月16日(水)]

『NACHO LIBRE/ナチョ・リブレ覆面の神様』'06年、監督:JARED HESS,主演:JACK BLACK

 ジャック・ブラック演じる修道士・イグナシオは、教会の孤児院で育ち、現在もその孤児院で修行を続けている。子供の頃から筋金入りのボンクラで、何をやらせてもまともに出来ないため、炊事係りをやらされている。本人もこのままではダメだと思っているのだが・・・・。
 子供の頃から“ルチャドール(メキシコのプロレスラー)”に憧れていたイグナシオは、貧乏な孤児院と、己の生活を変える為、謎のマスクマン“ナチョ”としてリングに立つ。

 この話には元ネタがある。

 日本でもドキュメント番組やニュースに取り上げられたことがあるし、本人も日本で試合をしたこともあるので、ご存知の方も多いだろう。“暴風神父・フライトルメンタ”がそのモデルだ。

 当たり前ながら、本物のフライトルメンタは、この映画とは違う人生を歩んだ。フライトルメンタ、本名:セルニオ・ペニテスは、貧しい農家の17人兄弟に生まれ、貧しさからグレていたセルニオ少年は、留置場暮らしも経験したという。
 20歳を越えてから更生の道を探し始めたセルニオ、地元の神父にすがり付くも、札付きの彼は教会を追い出されてしまう。

 このことが却ってセルニオを神の道へと導くことになる。自分のような若者は大勢助けを求めているにも関わらず、まともに話も聞いて貰えない。自分が神父になることで、自分と同じような人々を救おうと決心したのであった。
 神父になるための勉強は10年も続いたが、セルニオは決して諦めず、32歳にして神父になるや、多くの貧しい子供たちを救うことに身を捧げ始めた。

 セルニオ神父の教会には続々と子供たちが集まり始めたが、子供たちの多くは貧しさから悪の道に踏み出したものがほとんどであったという。寄付で成り立っている教会も豊かではなかったのだが、更生の芽が見え始めた子供たちを、再び貧しい生活に追いやることは出来ない。
 思い悩んだセルニオ神父は、テレビでみた“ルチャ・リブレ(メキシコのプロレス)”にヒントを得る。神父が生活のためにリングに立つなど許されることではないが、覆面をしていれば素性はバレないし、メキシコでの“ルチャドール”の地位は高く、一流になれば高収入も見込める。これで教会も子供たちも救える!

 1976年、32歳のセルニオ神父は“暴風神父・フライトルメンタ”として新たな挑戦を開始したが、現実はそれほど甘くはなかった。
 一流の“ルチャドール”は確かに高収入だ。この時代ならば、聖者エル・サント、仮面貴族ミル・マスカラス、孤狼仮面エル・ソリタリオ、鉄人レイ・メンドーサ・・・etc、彼らは豪邸を幾つも持ち、高級車を乗り回し、常に美女を侍らせていた。だが、彼ら成功者は“ルチャドール”のホンの一部である。何百人も存在する“ルチャドール”のほとんどが、田舎のドサ廻りで生計を立てているのだ。

 神父の仕事と両立は難しく、32歳という遅咲きデヴューは、体力に問題があることも示していた。一試合200ペソ(30円くらい?)で田舎町のリングに上がり続け、負けても怪我しても、試合に出場した。 
 やがてセルニオのしていることは子供たちの知ることとなったが、子供たちはその正体に関しては沈黙を守り続けた。ただ、フライトルメンタがあまり強い“ルチャドール”ではないことが、子供たちには、ほんのちょっとだけ哀しかった・・・・。

 子供たちのために孤児院を兼任する広い教会を建てよう!そう心に誓ったセルニオ神父は、50歳近くになってもリングに上がり続けていた。しかしその噂はいつしかメキシコ中に聞こえ始める。“フライトルメンタって本物の神父でさ、貧しい子供たちのためにリングで闘っているんだって”マスコミがその姿を追いかけ、心優しいセルニオの話題は人々の心を打った。

 相変わらず弱かったが、人気“ルチャドール”となったフライトルメンタのファイトマネーは上がり、'88年には念願の孤児院を建設。こんどはその維持費とも闘うことになったが、神父の背中を黙って見続けてきた子供たちの中から、ひとりの青年がフライトルメンタJrとしてリングに立った。
 Jrのデヴューを見届けた神父は、リングでマスクを引き継ぎ、56歳にして引退した。その模様はメキシコ中に中継され、素顔になったセルニオ神父は、子供たちのことを誇りに思うと語った。3000人以上の子供たちを更生させ、育て上げたセルニオ神父、フライトルメンタのマスクにある赤い縫い取りは、子供たちのために血の一滴までも闘い抜くという意味であった。

 とまあ、本物はとっても泣かせる話なんですがね、『ナポレオン・ダイナマイト』を撮った監督のジャレッド・ヘスが、そんなお涙頂戴の映画なんて撮る訳ありませんやね。真面目なフライトルメンタについての映画が観たい人は、ジャン・レノ主演の『グランマスクの男』('91)をご覧下さい。

 ジャック・ブラックのダメさ加減は、映画でも散々描かれるのですが、後にルチャの相棒となるベジタリアンの奇人レスラー・“エスクァルト(エクトル・ヒメネス)”の登場が、映画を更に脱線させていく。珍妙な特訓を延々と繰り返し、リング上の試合風景も至ってシュールで、ミゼット・プロレスの歴史にフタをしている日本で、カットなしで上映できるのか?と思わせるほど。

 それでもこの映画は最後に至って感動をもたらすのだ。

 それは、ここに描かれているのが“プロレス”ではなく、“ルチャ・リブレ”だからだ。便宜上ルチャをメキシコのプロレスとして紹介したが、形式上プロレスとして行われている“ルチャ・リブレ”だが、メキシコ人にとってその意味合いはもっと大きいものである。
 スペイン人の侵略を受けるまで、インカやマヤの古代文明を受け継いできたメキシコのインディオたちは、独自のアステカ文明を築き上げていた。古代の神々の子孫たる彼らは、スペイン人の圧政に立ち向かう時、アステカの戦士として果敢に戦ったのだ。彼らは戦いの前に顔にペイントを施したり、仮面を被ったりしたといわれ、現代の“ルチャドール”たちのほとんどが覆面姿であることも、この故事に由来する。
 だからこそ“ルチャ・リブレ”は、いち“プロレス”の範疇を越えた神聖さを持ちえているのだ。日本で喩えるなら“能”や“神楽”の方が近いか?

 ボンクラのジャック・ブラックが闘う理由は、子供たちのためであるのだが、もうひとつはボンクラの自分自身を救うためだ。先輩修道士から嫌がらせを受ける毎日や、やり甲斐ゼロの炊事係りの暮らしを変え、憧れの尼僧に認めて貰うこと。スーパースター“ラムゼス(新日に来日経験もあるシルバー・キングが演じる)”への挑戦権を得たジャック・ブラックが、絶対不利の中で掴み取る勝利、そこに“ルチャ・リブレ”本来の意味が存在している。“ルチャ・リブレ”とはスペイン語で“自由なる戦い”という意味なのである。

 ジャック・ブラックの役名“イグナシオ”にも注目しておこう。

 “イグナシオ”と聞いてピンとくるのは、イエズス会を設立したイグナシオ・デ・ロヲラである。カトリックの男子修道会としてスタートしたイエズス会は、その強硬にして清廉、貞潔な姿勢から“教皇の精鋭部隊”として恐れられた。
 そう呼ばれるだけには理由もあって、イグナシオ・デ・ロヲラは軍隊出身の“戦士”なのであった。“イグナシオ”の名前を与えられたジャック・ブラックが、“戦士”として、古代アステカの神の化身“ルチャドール”に変身し、“自由なる戦い”を求めて戦うというのが、この『NACHO LIBRE/ナチョ・リブレ覆面の神様』の本質だ。

 もうひとつ。

 イエズス会の目的のひとつは「神の、より大いなる栄光のために」というものである。ここにこの映画のモデルとなった、フライトルメンタの精神も生きているではないか!彼がリング上で子供たちのために流した無償の血こそ、「神の、より大いなる栄光のために」そのものであったのだから。
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